その男の願いは、己の身の潔白を証明し、故郷の空をもう一度飛ぶことだった。
願いを叶えることなく、夢ついえることになる男の胸中には、確かな満足とひとかけらの後悔が同居していた。
男は空を仰ぎ、決して届かない遠く故郷の空を思った。そして地面を見据えて、倒すべき敵と、一人の少年の姿を見出し笑った。
男は死の瞬間まで戦士であり、世界と対峙する魔法使いであることを選ぶ。
覚悟をしていたはずだった。自分に降りかかる痛みや、理不尽なら耐えられると思っていた。自分の意地に、命をかけることに迷いはなかった。
けれども、身勝手にふるまった代償の大きさを突き付けらて、心が折れそうになる。
だが、上条はそれでも下を向かなかった。膝をついて、あきらめたりしない。倉本慈雄を見据えて、右手を握りしめ、二本の脚で地面を踏みしめる。
「ふはっ!ふはっふっはっはっはっはっはっは!」
地獄に来て一番聞いたかもしれないその笑い声が上条の背中を押す。スピッツ・モードは運よく即死をまぬがれたが、素人目にもわかる致命傷だ。全身から血を吹き出しながら、スピッツは獰猛に笑い、空に浮く。
高位の神音大系魔導士が周辺の環境調整に用いる《無言(しじま)の神音》によって無音に調律された空間で、倉本慈雄が放ったのは、視認不能な速度で飛ぶ二十六体の魔法生物を同時誘導する《二十六聖》と呼ばれる必殺の魔法だ。
スピッツ・モードはあとわずかな時間で死ぬ。少し前の上条ならその事実に足が止まっていた。今まで命のやり取りなんて縁のない世界にいたのだ。けれども、上条はただの一人で世界と対峙する魔法使いに、共に戦える戦士と認められたから、一人でも前に進む。ここで茫然としていては、今も空に浮くスピッツに顔向けができない。
倉本慈雄は、致命傷を負ってもなお空に浮くスピッツにとどめの魔法を準備していた。
今が好機と真っ直ぐに踏み出した上条へ、倉本慈雄の化身が横合いから割って入った。剣の切っ先は、確実に上条を捉えている。魔法で作られた化身なら、幻想殺しで掻き消せるが、不意の一撃を、今さら右手で迎撃することは不可能だ。
「ここまでだなんて、認めてなんてられるかってんだあああ!」
必死に身体をひねっても、右手は届かない。こんなにも奇跡と縁のない、自分が悔しかった。
だが魔法は、地獄の空でも、たとえ幻想殺しの存在があっても神に届く。そこに魔法使いがいるから、願いは魔法に宿り、奇跡を起こす。
「ふはっ!ふはっふっはっはっはっはっはっは!」
心の底からの溢れる歓喜に憑かれた笑い声が、夕闇の山中にこだまする。スピッツ・モードは、その命が尽きる瞬間まで魔法を手放さない。
スピッツの身体から流れ出る血液が、体表面で硬化し槍となり、地面に降りかかる。それは、血の槍できた雨。スピッツ・モードの文字通り命を糧にした最後の魔法だ。
それが、上条の道をあけた。
剣を弾かれ体勢を崩した化身を、上条の右手が掻き消す。
倉本慈雄がスピッツにとどめの魔法を放ったのは、それと同時だった。
スピッツ・モードの運命は上条当麻のせいで、変わったのだろうか。上条当麻がいなければ、スピッツ・モードは死なずにすんだのだろうか。
興奮状態で意味のない自問自答が溢れてくる。
身体は動いてくれた。それが、答えだと思った。
ぶん殴るべき相手は、もう目の前にいた。倉本慈雄はスピッツが最後に放った血の投槍を、剣で切り払ったところだった。
右手を振りかぶればもう届く。
「残念だね。やはり君では、奇跡には届かない」
倉本慈雄の剣が上条の腹を貫いた。腹の中をずたずたにされて、胃から食道を逆流して、口から血が溢れそうになる。、それを、歯を食いしばって必死に抑え込んだ。
上条当麻は、もといた世界では”無能力者”の烙印を押され、数々の不幸にさらされてきた。この地獄にきても、足手まといのような扱いで、魔法使いと現実の厳しさに打ちのめされていてばかりだった。けれども、その中で一つ、張り通してきた意地がある。
上条当麻は誰もが幸せになるハッピーエンドな物語をあきらめきれない。物語のヒーローみたいに、格好良くいかなくても、力が足りなくても、上条当麻は自分の目の前に起こる悲しいことが、すべてなくなるようにこの右手を伸ばす。
だから、眼の前の倉本慈雄が、あの笑顔が優しい倉本きずなのことを犠牲にしてまで願いをかなえようだなんて筋書きは納得できなかった。
「あと一歩だろ、届けよ。掴ませろよ。無駄になんかさせんじゃねえよ」
何か見えない手に、背中にを押された気がした。張りとおした意地が、どこかとつながったような気がした。
ただ、悲劇を納得できないというだけの意地だった。ある女の子を助けたいという願いだった。自分らしく戦うという、誇りがあった。大切な友達を助けたいという思いがあった。理不尽な運命なんて、認められないという身勝手な叫びだった。
すべての思いを束ねてつながって、今がある。これしきのことで、止まってなんていられなかった。
「意地があんだよ、こんな俺にだってなあ!」
倉本慈雄の剣がさらに深く刺さる。上条は構わず二本の足で地面を踏ん張り右手に全体重を乗せて拳を振りぬく。朦朧とした意識で、倉本慈雄の表情がゆっくりと歪んでいくのが見えた。
上条は笑った。奇跡なんてなくても、伸ばし続けた右手は、確かに届くのだ。
様々な人の願いの果てに、《幻想殺し》が一人の男の妄執を叩きのめす。
地面に倒れ伏す倉本慈雄を見届け、上条はその場でへたり込んだ。腹に突き刺さった剣が、光を失っていないことに気づいてぞっとした。何かの魔法が仕込まれていることは間違いなかった。
「でもこいつを抜いたら、流石にやばいよな」
お腹の真ん中から背中まで貫いた剣だ。今は興奮状態で痛みを感じないが、出血がひどいのは、お腹を中心としたぬるっとした感覚と、身体の重さでなんとなくわかった。
それでも、術者を失った魔法が暴発する恐怖が勝って、おそるおそる右手で剣に触れる。
「大丈夫か。いきなりドカンなんてのは勘弁してほしいけど」
右手で触れた剣がバキンと音を立てて消え去る。ふたを失って一気に噴き出してくる血に、意識まで飛んでいきそうになったが、必死に両手で抑え込む。少しでも出血を抑えないと、あっという間に失血死だ。
上条は少しでも気を紛らわしたくて、あたりを見た。そこらじゅうに、赤黒い槍が刺さっていた。スピッツが死の間際に放った魔法だ。
肝心のスピッツの身体は見えなかった。もしかしたら、あの豪快な笑い声と共にひょっこり現れるのではないかと期待したが、そんな気配はない。最後まで、あの全裸の魔法使いに助けられてばかりだった。
上条の身体も満身創痍だ。公館からの助けがこなかったら、命はない。倉本慈雄を一発殴りつけてやる。目の前の悲劇に黙っていることなどできないという意地を張り続けた代償がこれだった。
偽善もいいところだと自覚して、泣きたくなってくる。
気力が抜けて、身体が重さを増していく。それでも、無駄だとは思いたくなった。
腰に差した青いペーパーナイフを見る。幻影城と呼ばれる神人遺物に入るための鍵だ。倉本慈雄が求めた、おそらく、この物語で最も大事なもの。これがあれば、囚われた倉本きずなを助けにいけるという。
上条は彼女の優し気な笑顔を思い出して、少しを気合いを入れた。まだ、終わりじゃない。ここまで意地を張ったのだ。いや、スピッツがいたからつながった意地だった。無駄になんてできない。もう上条に力はこれっぽちも残っていないけど、次の希望につなげることはできるはずだ。
そのために伸ばし続けたのだろうと、願いを決して幻想などでは終わらせないと右手を伸ばしたのだ。
公館には信頼できる大人がたくさんいる。あきらめの悪さで手にした希望を託すには十分な人たちだ。
ふと、後ろに人がたつ気配がした。公館の救援だろうか。専任係官で上条が知っている人物は神和と武原仁くらいだ。
首だけで振り向いて、その姿を確かめた。
「君には本当に驚かされる。決して侮っていたつもりはないのだけどね」
倉本慈雄の声は落ち着き払っていた。上条に殴られ赤く腫れ上がった頬を押さえながらも、目だけは穏やかなままだった。
「そう簡単にいかねえか。なあ、まだあんたの願いは変わらねえのか。あの子は家族だったんだろ」
上条は立ち上がることもできない。首を動かすこともつらくなってうなだれる。精根付き果てて、できることは言葉を投げかけるだけだ。
「そうだね。一緒に暮らした時間が長いから、いろいろと染みついて困る。でもね、それを私は選べないんだ」
その声音に複雑な感情が入り交じっていた。そしてそこには、家族の情愛もあった。
たばこのにおいがした。この男も最初から、こうだった訳ではないと思いたかった。
「選べないってなんだよ。一人で決めたら、ほかのことが見えなくなるのは当たり前だろ。あんたは、あんたの想いを、あの子に伝えたのかよ。本当にそれしかなかったのかよ」
言葉にしたそれは、上条自身にも言えることだった。一人で意地を張っても、足りなければ届かないし、願ったもののほとんどを取りこぼす。
だが、その想いは何事にも譲れないものなのだろう。
周りを省みることも忘れてしまうくらい、大切なものなのだろう。
倉本慈雄の願いのあり方が、理解できるからこそ上条は悔しかった。自分で曲げられないなら、誰かがそれをへし折ってやらなければならないのに、上条には力不足だった。
「残念だよ。けれど、きずなのためにここまでしてくれてありがとう。君もみたいな友達がいたら、あの子はきっと、しあわせになれたのかもしれないな」
それは、今から娘を生け贄に捧げる親の言葉ではなかった。だがもう、言い返す気力もない。
上条の腰から、幻影城の鍵が取り上げられた。倉本慈雄はわざわざ上条にはとどめを刺さない。
それが、慈悲なのか、結局何も手に入れることができなかった少年への哀れみなのかはわからない。
「例え向いてなくても、迷っていても、何もしないなんてできなかった。こんなになっても、やっぱりあきらめきれねえよ」
物語はハッピーエンドであって欲しい。それが、上条当麻の願いだ。
都合のいい奇跡なんて存在しない。もう、魔法の助けはない。
本心からの願いも、”偽善使い”の言葉も通用しない。
倉本慈雄には、何も届かないと知ってしまった。
ただ、悔しさに涙を流し、みっともなく心の中で叫び続ける。
ただ、力不足だった。もう身体も動かない。
スピッツ・モードは何のために死んだのだろう。こんなところで、終われないと思った。
倉本きずなのこれからの運命は、どうしようもなく救いがない。
誰でもいい。助けて欲しい。この運命を変えて欲しいと願うが、そんな、都合の良いヒーローなんているわけがなかった。
それでも。あきらめきれなかった。
ただ、運命を受けいられないという思いだけが残った。
それは、嘆きに似た祈りだった。
世界が、その悲壮な祈りに応えるように、赤く裏返った。
音もない。熱もない。ただ、炎が散る。それは奇跡を焼き尽くす"魔炎”。
あたり一面に炎が舞い、そして、一発の銃声が夕闇に響いた。
「倉本慈雄だな。魔導師公館選任係官武原仁だ。これ以上、ここで好き勝手にさせるわけにはいかない。お前はここで倒れろ」
赤茶けた髪、擦り切れたような鋭い眼光。けれども、どこか青臭さを感じる雰囲気。
彼はヒーローみたいなものに成りたかった。大人になっても、誰もがしあわせになる”いつか”を願わずにはいられかった。そして彼は大事なものを取りこぼさないため、戦うことを選んだ大人だった。
「・・・・・・ああそうだよな。ここにもいるんだよな。俺なんかと違った、この物語の本物の主役がさ」
魔導師公館専任係官、武原仁。
上条に似ている、けれども彼はきっとこの物語の本当にヒーローになる。ここで、上条の願いを託すには十分すぎる相手だ。そして、上条がスピッツといたから希望をつなげたように、彼にも可愛らしい相棒がいる。
「あんた。覚悟しなさい。わたしとせんせが来たんだから、みっともなく鳴いても許してなんてあげないんだから」
白いワンピースにジャケットを羽織り、おろしたてなのか、鮮やかで汚れひとつない赤いリボンで髪を束ねた妖精のような少女。その瞳は、力強く、小さな身体いっぱいに、魔法使いとしての誇りを溢れさせている。
「メイゼル。上条くんの治療を頼む。こいつは俺一人で十分だ」
武原仁はそういって一歩前にでる。右手には取り回しのきく小型の拳銃を持ち、腰には剣を引っ提げている。
「……≪沈黙(サイレンス)≫……」
倉本慈雄が忌々しげに吐き捨てる。今まで揺るがなかった表情が、嫌悪に一瞬歪んだ。
そしてまた、仁の周囲で魔炎が散った。倉本慈雄が放った魔弾が着弾の寸前で焼かれたのだ。
観測することによって魔法を焼く存在、この世界の本来の住人、
彼は、魔法使いが言うところの悪鬼なのだろう。だが、違和感があった。魔炎は倉本慈雄の魔法を、無差別に焼いているのではない。まるで、魔法が見えて、それを選んで消去しているようだった。
魔炎と幻想殺しは異なるものだ。けれども、武原仁が使いこなす魔法消去は、さらに異質なものだった。
以前ジェルヴェーヌが、専任係官≪沈黙≫のことを真なる悪鬼と称していたのを思い出した。奇跡を認識し、それでもなお自らの意思で拒絶する。それは魔法使いにとって悪夢にほかならない。
奇跡を焼く炎がスピッツ・モードが放った地面に突き刺さる槍を捉えた。彼が命に代えて最後に放った魔法が、いとも簡単に燃えて消えていく。
上条は、魔炎の本質を悟るとともに恐怖した。魔法使いの願いを問答無用で焼き尽くす。その奇跡に心を打たれ、希望をつなげたからこそ、この仕打ちに背筋が寒くなる。
これが、魔法使いが感じる恐怖なのだ。
「あんたじっとしてなさい。私がその傷治してあげる」
「お前、武原さんとこのビリビリ小学生」
減らず口が出たのが奇跡みたいだ。どうやら、気持ちが少し浮ついているらしい。だが、まるで現実感がわかなかった。
「私は鴉木メイゼルよ。あんた覚えてなさい。元気になったら、とびきりひどいことしてあげるんだから」
すごい顔で睨みながら、メイゼルは上条の腹に空いた大穴を確認する。歳に似合わない凛々しい顔つきに上条は引き込まれた。
「お前、傷も治せるのか。すごいな流石魔法使い」
「ちょっと黙ってなさい。あんた、本当に死ぬ寸前だわ」
メイゼルが上条の危機感のなさをたしなめ、両手を腹の傷にあてがう。目を閉じ、上条の中から。その生命を維持する円環を魔法でとらえようと集中力を研ぎ澄ます。
鴉木メイゼルの扱う魔法は円環大系だ。周期運動をするもに≪魔力≫を見出し魔法を行使するこの大系は、極まった魔法使いであれば生命活動そのものを円環として捉え、魔法で干渉できる。そして、メイゼルはこの歳で天才の名を欲しいままにする魔法使いだ。
だが、魔法が上条の生命を捉えようとしたとき、パキンと音をたて奇跡が消え去った。
「どうして、生命の円環が捕まえられないの。何かが私の魔法をかき消している。こんなことって」
メイゼルが、焦りに額から冷や汗を出す。魔法を拒絶する力は、魔炎に限らず魔法使いは穏やかな気持ちではいられない。それが得たいの知れないものならなおさらだ。
「どうしたメイゼル」
異変に気付いたのか、倉本慈雄の魔法を消去でさばき、拳銃でけん制を加えながら、仁が声をかける。上条とスピッツたちとは違い、どこか余裕をもって戦っている。
「せんせ。この子、私の魔法を拒絶している。生命円環が維持できないわ。傷の表面なら魔法で干渉できるけど、血を出しすぎてるから、このまま傷をふさぐだけじゃダメ」
メイゼルが言っていることは、ぼうっとした頭でも理解できた。ここでも幻想殺しが、邪魔しているのだ。
「俺がこいつをすぐ片づける。それまで、なんとか持たせるんだ。死なせるな」
武原仁が、魔法を消去しながら、一気に距離を詰めた。倉本慈雄は何とか隙を見つけて、幻影城の鍵を使い逃げ出したいところだったが、“真なる悪鬼”はそれを許さない。
そして、仁の振う一刀が、倉本慈雄をけさ斬りに捉えた。
ぼうっとした頭でも、幻想殺しのおかげで助からないのだろうと、何となく理解できた。死ぬかもしれない瀬戸際にいながら、絶望感はなかった。あきらめてしまったのか、血を流しすぎて頭がおかしくなってしまったのか、意識は自分の身体のことよりも、遅れてやってきた本当のヒーロー、武原仁に向けられていた。
誰もがしあわせになるハッピーエンドを導くヒーロー。その姿に、ただ一つだけ引っかかりがあった。
彼の振う剣は、放つ銃弾は命を取ることに迷いがない。彼は必要であれば割り切る大人だから、彼は命を奪うことにも躊躇いがない。
それは、ダメだと思った。
倉本慈雄は、どうしようもなく悪人だ。自分の願いのために、娘すらいけにえに差し出す。同情の余地なんてない。
それでも。今、ここで倒されるべきではない。
「それでも、死んだら悲しむ子がいるんだ。あの子は、せめて、こいつが何でこんなことをしたのか知るべきだ。話あって、それでダメでも。ダメかどうかの結論はあの子が出すべきなんだ」
身体は虫の息でも、口は動いた。言葉はつむげた。かろうじて両足で立つこともできた。なら、やるべきことは一つだ。
「武原さん。そいつは、殺したらダメだ」
「こいつがやったことは許されない。君だってわかっているはずだ。こいつの身勝手で何人が死んだ。きずなちゃんは今も一人で震えているんだぞ」
武原仁はここに根を降ろす人間だからこそ、人の土地を土足で踏み荒らす魔法使いを許せない。奇跡を振りかざし、この世界の住人を悪鬼と見下す者たちと、戦うことを選んだ大人の覚悟は、とうてい上条にはかりり切れるものではない
「それでも、ここであなたが勝手に決めていいものなんかじゃない。倉本はたぶん、そいつと話したいことがあるはずだ。あんたはヒーローになりたかったんだろ。ヒーローなら、倉本や、俺の。その願いを叶えてくれよ」
身勝手な願いだ。相手の都合も知ったことではなかった。ただ、そうあって欲しかった。そのために、相手の弱い言葉を見つけ、それを使うことだっていとわない。
武原仁は、ヒーローみたいな大人になることをあきらめきれていない。それは、この幼い魔女をわざわざ戦場に連れまわしていることかわも見て取れた。
卑怯だ。けれどもこれが“偽善使い”の願いの叶え方だった。
「もうしゃべっちゃダメ。傷がひらいて血が、止まらない。もう、これ以上は保たない」
願いの代償は自分の命だ。以前十崎京香に、その偽善に命をかけられるのかと問われたことがあった。あの時の問いが、今現実にふりかかっている。
「ヒーローなら、簡単に割り切るなよ。すべてを掴んで、周りの人たちをすべてをしあわせにしてみせるくらいやってくれよ」
止まる理由なんてなかった。いざ、直面してわかった。それが、“偽善使い”の在り方だと、冷静な頭と、熱くなっている心が肯定してくれた。
「ここは、本当に”地獄”じゃないって証明してくれよ。本当にヒーローはいるって見せてくれよ。頼むよ。ヒーロー。俺には届かなかった。でも、あんたなら、あんたならできるんだろ」
上条当麻は願いを捨てない。自分の目に届くところだけでも、すべてハッピーエンドになってほしいという身勝手な”偽善”を捨てきれない。
上等だと思った。それで、願いが叶うのなら、しあわせが増えるのなら、命だってかけられる。
命尽きるまで、上条当麻はただ叫び、わめき続けた。
その願いは、確かに世界に届く。願いは言葉になり、それを聞いた人々の心だって動かす。震える身体を叱咤し、擦り切れた心の奥底にしまい込んだ思いを呼び、迷いだって断ち切る。いっぽうで、捨てたはずのものに光があたる。
上条当麻はこの言葉にこそ、奇跡を信じる。”偽善使い”と言われようと、その言葉と願いは誰にも遮られることなどないのだから。
そして、運命が変わる。
まるで、魔法みたいに。