「《地獄》にようこそ。あなたもこの地でしゃべるウンコに弄ばれる贖罪の巡礼に参ったのですのね」
気がつけば、上条は《地獄》にいた。比喩でも無ければ冗談でも無い。少なくとも上条は、ここが明らかに今までいた世界と何かが違うと思わずにはいられなかった。
「……あの、あなたさまはいったいどこの誰で、ここはぜんたいどこなんでせうか」
まず一番におかしいのが、この人物だ。
年のころは20代も半ばを過ぎた辺りと思しき女性が、露出の多い拘束衣を着ている。しかも全身血まみれで。
状況を無理やりまとめるとだいたいこんな感になる。
突如として不可思議な光に意識を飛ばされ、どこかもわからない何故かぼろぼろの部屋で目覚めて、傷を負った様子もない薄幸そうな美女が血まみれでうんこと口走り、なにやら変な期待を持った眼差しを向けられている。
いったいどこのホラーだろう。奇奇怪怪どころか、今どき都市伝説やフィクションでさえもあり得ない超展開だ。
「なにをおっしゃていますの。あなたもわたくしと同じ、魔法使いなのでしょう」
「は?」
「ここは《地獄》です。偶然とはいえあなたは私が招待したようなものですから、歓迎して差し上げますわ」
おもむろにオルガが右手を掲げた。手首に嵌まった銀の腕輪が木材に鉋をかけたようなガシリと鈍い音とともに、肘まで移動した。
途端に血の雨と、むかれた生皮が地面に落下する。腕輪の中に仕込まれた鋭利な刃が、彼女の右腕の皮膚を削ぎ落としたのだ。
「あ、あんた、なにしてんだよ」
自分で自分を傷つけて、しかも何やら蕩けた笑みを浮かべるこの女性を表す言葉があるとすればマゾヒスト。
健全な男子高校生であるならばそういう属性に多少なりとも興味を惹かれるはずだが、流石に引いた。
「ふふっ、次はあなたの番ですわ」
言葉の意味を理解して今度は血の気が引いた。今度は上条を痛めつける気なのだ。そして、その手段を見て上条は思わず後ろに退いていた。
オルガの右手から落ちた血と皮が混じった粘液から、異形の怪物が生まれたからだ。
腐ったような音を立て泡立ち、顎に鋭い歯を並べた猛獣の頭部、それが口の中で同じ猛獣を産み連結する。
その魔法生物の鎖で出来た一本の鞭を、魔女が容赦なく上条に叩きつける。
とっさに右手を突き出して、鞭を受け止める。魔法はそこでバラバラに砕け散った。さながら、氷を砕くように、上条の右手に触れた先から綺麗に壊れ吹き飛んでしまった。
かつて見たことも無い現象に、オルガは言葉を失った。《悪鬼》の魔法を燃やす《魔炎》とは違う魔法を殺す力。魔法の天敵、魔法使いの鍛錬と歴史を殺す力に本能的な恐怖を覚えざるを得ない。
しかし、オルガはその恐怖をも快楽に変換できる真の魔法使いだ。
「不思議な魔法をお使いになるのですのね。その得体の知れない右手で私をメチャクチャにする気なのですのね」
「いや、そんなことしねぇけど」
「わかりましたわ。あなたもウンコまみれになる方がお好みなのですのね」
「あの……なにをどう受け取ったら、そうなるんでしょうか」
オルガの中で上条はすっかり同類認定されていた。オルガが今度は両手から鞭を生みだし、左右同時に振り回す。
上条は一方を右手で四散させ、もう一方を身体を地面に投げして避けるが背中を削られた。服が破けて背中が熱を持ち始める。腰の辺りまで何かつたってきたのはおそらく血だろう。
「痛みから逃げるからもっと痛くなるのです! もっと、もっと痛みを愛せば、痛みは気持ちよくなるのです」
「やばい、この人マジでほんもんだ……」
痛みの熱で身体が火照るのと反比例して、頭だけがサーと音を立てて凍える。
「さあ、気持ちいいと言いなさい!」
「そんなこと言えるかー!!」
「もっと激しいのを、望んでいますのね。わりましたわ。ともに苦痛の限界へ参りましょう」
「もはや、突っ込みようがねえええええええっ!」
上条の叫びも、一人で神と相対するとされる魔法使い、超弩級の変態には虚しく響くだけだ。
オルガが《茨》のエンジンを始動する。聖痕大系は索引型でもトップクラスの出力を持つ魔法大系だ。《茨》によって引き起こされる強力な魔法の数々を右手一本で捌くのは無理がある。
上条は覚悟を決めた。相手は落ち着いて話が出来るような普通の人間ではない。ならば、なんとかして、話を聞いてもらえる、ないし話を聞ける状態にするしかない。
上条は右手を強く握り込んで踏み込んだ。オルガは痛みに酔っているのか避けようともしない。
拳が、オルガを拘束する《茨》の一部に触れた。
その瞬間だった。
ビリッと、何かが破れた音がして、オルガを拘束する《茨》がドスンと落ちた。
「は、いやこれは偶然というか事故というか、ともかく不可抗力って奴で……」
慌てて目を反らすが、程良い肉つきの身体やら白い肌やらがしっかり視界に入ってしまう。
普通の女性なら、羞恥心で顔を真っ赤にし激怒するだろう。上条もそのような反撃を覚悟していたのだが。
しつこいようだが忘れてはいけない、オルガは魔法使いであり、異世界人なのだ。
「はあはあ、見ず知らずの殿方にわたくしこんなにされてしまって。さあ、どうなりますの、どうなさいますの」
上条には想像の範囲外だろう。魔法使いに常識は通用しない。
《茨》はオルガから魔法を効率よく引き出す道具であり、強力な治癒魔術も手軽に扱えるそれを失うことは致命的だ。未知の能力を使う者が相手なら、なおさら心理的に追い詰められることになる。
オルガはその状況にひどく興奮している。
「来ませんの。ならわたくしが痛くしてさしあげますわ」
多少の恥じらいを見せつつも裸身を隠すことなく、鞭を握る。
「あー、もう何なんですかこの不幸は!! いろんな意味でひどすぎるー」
上条がもう無理だ。誰か、誰でもいいから助けてくれーとヤケクソに思った時だ。
今まで混乱していて気がつかなかったこの部屋の扉がガチャリと開いた。
「全く、あれほど四速以上は使うなと言ったのに。正しい順序でなければ実験に意味が生まれないではないか」
どこか弾んだ声でぼやきながら、体格の良い白衣を着た短髪の中年男性が部屋に入ってくる。
その瞬間、世界が炎で包まれた。オルガの魔法で作られた鞭が、無音の悲鳴上げて燃え上がる。魔法だけを焼く《地獄》の業火、《魔炎》。
魔導師公館嘱託の魔法学者、溝呂木京也。彼はこの世界の住人、観測することで魔法を焼きつくす《地獄》の《悪鬼》だ。
溝呂木は部屋の惨状と、上条のことを冷静に眺めて一言。
「ふむ、どうやら予想外に面白い結果が得られたようだ」
全裸で血だらけなオルガを見ても眉ひとつ動かさないあたり、こいつも似たような変態なんだなあと、上条はあきらめなんだかよくわからないため息を吐いた。
「確認します。あなたは学園都市という『超能力』を開発する機関のある場所から来たと。自らの意志ではなく、全くの偶然で」
シンプルなスーツを着こなし眼鏡をかけたこの女性は、魔導師公館の実務上のトップである事務官の十崎京香だ。
上条は怪我の手当てをしてもらってから、公館にある小さな会議室で事情聴取を受けていた。ようやくまともな人間に出会えたというのに、なんか事件の容疑者のようで居心地が悪い。
しかし、とりあえずは話を聞いてもらえるので良かったと思う。先ほどまでの、話もできない、通じない、おまけに訳もわからず命の危機という状況はまさに地獄だった。
「ああ、そうそう。なんか橋の上にいたら訳のわからない白い光に包まれて、気がついたらこんなところに」
「君の右手はいったいなんなんだ。《茨姫》の証言だと魔法を破壊したみたいだが」
この白衣の男は上条の話、とりわけ『超能力』に興味をもっているようでことあるごとに突っ込んでは話を中断させている。
『学園都市』では『無能力』の烙印を押された上条は、自分の右手の超能力とは言えない能力について説明する機会はほとんどない。
大人二人、しかも一人は少年のように目を輝かせたオッサンに説明するなんて、どうしたものかと、やはり戸惑ってしまう。
「えっとこの右手は幻想殺しって言って、それが『異能の力』なら原爆級の火炎の塊だろうが戦略級の超電磁砲だろうが、神様の奇跡だろうと打ち消せます、はい」
「神様の奇跡ときたか。なるほど実に興味深いことを言う」
「溝呂木さん。よろしいですか、こちらの話を進めたいのですが」
溝呂木とは対照的に、京香はとことん冷静だ。魔法使いからも嫌煙されている公館のトップを務め『氷の事務官』と一目置かれる彼女はどんな事態であっても取り乱すことがない。
「なあ、こっちからも聞きたいんですけど『魔法』ってあれか、よくゲームとかにあるMP使って攻撃とか、回復とか死者蘇生とかやれる」
上条が魔法や魔法使いと言われて思いつくのは、ゲームや幼いときに読んだ絵本などのお伽噺くらいだ。もっとも学園都市で『超能力』に触れてからは、そういったものに対する憧れは薄れていった。だってそうだ。そこではどんなことでも『科学』という言葉で説明できてしまう。電撃使い、発火能力者、風力使い、念動能力、念話能力などなどの『超能力』や他にも外より数十年先を行く最先端技術の数々はまるで魔法のごとし。
適度に発展したテクノロジーは魔法との区別がつかないとは良く言ったものだ。
だからか、『魔法』という言葉にありえないと思いつつも『科学』ではない不思議な力に少なからず期待してしまう。
「その認識はあながち間違ってはいないな。その手のものは大抵神話やおとぎ話がモチーフになっているし、強力な魔法は正に奇跡というにふさわしい代物だ」
「あなたのいた場所で『超能力』とやらが一般化されているように、ここでは公然にされていませんが《魔法》が存在しています」
「じゃあさっきのあの変態さんは、それに《地獄》がどうのって言ってたけどここは」
変態という上条の言葉に京香が一瞬苦い顔をした。指先で軽く机を叩いて淡々とした口調で説明する。
「彼女は、我々魔導師公館に所属する魔法使いです。《地獄》とはここが文字通り魔法使いにとっての地獄だからです」
「あの……ここって日本ですよね」
「ええ、ここは都内にある古い洋館の一室です。そして、この世界には神話の時代より幾万の異世界から魔法使い達が訪れています」
日本語が普通に通じているから安心していたが、魔法に魔法使いに《地獄》ときて、日本? どこそこ? ってなったらどうしようと思ったがひとまずほっとした。
だが、魔法使いが随分昔から、しかも異世界から来ていて、それなのに一般に知られていないのは政府が隠していたり、魔法使いが秘密主義だったりするのだろうか。
「例えば君がさっき会った《茨姫》。彼女の扱う聖痕大系の魔法使いは魔法生物の扱いに長けている。苦痛の中で人々が見る幻覚の怪物で特に生々しいものはこの魔法使いによるものだとされているな」
「この世界の住人は観測することで《魔法》を《魔炎》として燃やしてしまう力、いわゆる《魔法消去》を持っているため魔法を直接見たり、感じたりすることができません」
「それって、つまり魔法を見ようとしても、先に自分で消してしまってるから見えない。だから普通の人は魔法を知らないってこと」
さっき溝呂木が地下室に入った時に、世界が燃え上がったような気がした。熱さも感じない、魔法を世界から引き剥がす炎。
上条の幻想殺しと少し似ている。本人にとっては普段の生活の役に立たない微妙な能力だが、一部に煙たがられたり突っかかれたりしそうなあたりが特に。魔法使いもしつこくケンカ売ってきたりするのかな。
「魔法を感じることのできないこの世界の住人を魔法使いは神と魔法に見放された《悪鬼》と呼び、魔法が焼きつくされるこの世界を《地獄》と呼び蔑んでいます。そして我々は魔法使いに関する様々なトラブルを扱う非公式政府機関の人間という訳です」
「こういう政府の秘密を一般人が知ってしまうってのは口封じで殺されるってパターンの死亡フラグっぽいんですけど。まさかねぇ……」
「…………」
「…………」
「その沈黙が怖い! 本気で、俺殺す気!!」
微妙な空気が流れる中、溝呂木があからさまにため息を吐いた。京香はそれを視線で咎めてから、静かに上条に向き直る。
「認識の齟齬があるようなのでここで正しておきますが。我々はあなたを一般人だとは思っていません」
京香が淡々と告げる内容は、上条にとってどこか憧れていたことでもあり、望んでいなかったものでもあった。
「この世界の住人は《魔法消去》を持っているはずです。ですが、あなたの右手は似たような力はあっても決定的に違っている」
それは自分とは異なる世界のことのように聞こえた。
「いいですか、よく聞いてください。この世界に『学園都市』という場所は存在しません」
ここは夢の世界で、目が覚めたら『学園都市』でいつもの不幸で、けれども平和な生活が始まっているんじゃないだろうかとも思えてくる。
「加えて、上条当麻なる名前の人物は、日本の戸籍や他のどの記録にも存在していません」
これが現実だとして、まるである物語の主人公がいきなり別の物語に入ってしまったみたいに上条はひたすら戸惑うことしかできない。
「我々はあなたを異世界から来た人間、すなわち《魔法使い》だと思っています」
用意されていたシナリオとは違っても、演者として組み込まれた限り、否応にも物語に参加しなければならない。
ここは確かに今までいた世界と違う場所、《地獄》なのだ。
「わかったよ。ともかくあれだ。俺はいわゆる余所者ってやつなんだな。だけど俺自身もどうやってここに来れたのかわかんねぇ。あんたらも俺が何事もなくもとの世界に帰ってくれた方がいいんだろ」
上条当麻は不幸な人間だ。どのくらい不幸なのかは今の状況を見れば一目瞭然、神様には完全に見放され、地獄に仏は来ない。
けれど、上条は運に頼らない。運任せで状況が好転しないことは身を持って知っているからこそ上条は行動の大切さを知っている。
とりあえず現状の自分は場違いな場所に来た余所者であり、ここは学園都市の中でもなければ学園都市の外ですら無い上条にとっての完全な異世界らしい。幸い基本的な言葉や常識も、一部の方々を除いては通じるようだ。『魔法』について全くわからない上条がこの状況を何とかするにはこの魔導師公館に協力してもらうより道は無い。
「なあ、だったら元の世界に帰るために協力してくれないか。こっちも出来ることならなんでもするからさ」
上条の申し出に、京香は少し驚いていた。
これまでこの世界を見下す魔法使いばかりを相手にしていたから、こういう真っ当なお願いのされ方は久しく無かった。なによりさっきまでは自分の状況すら理解できていなかったのに、適応が速いというかトラブルに慣れている感じもする。
「わかりました。とりあえずあなたのこちらでの当面の生活は保証します。後で担当者をよこしますので、少し外で待っていてくれませんか」
魔導師公館は法律では取り締まれない魔法使いたちの事件を扱う。そしてその解決にはどんな血なまぐさい手段もいとわない。だから、おおよそ魔法使いらしくないこの少年が運んでくる問題によっては、最悪の決断もする必要がある。
京香はそのやり切れない気持ちを悟られないように氷の表情の中に押し込んだ。
上条を公館の応接室に案内した後、京香と溝呂木は会議室に戻った。
「溝呂木さん。彼のことを魔法使いだと思いますか」
京香の印象では良くも悪くも、ごく普通の少年という感じだった。魔法使いに多い人格的な破たんも無い。
「とりあえずはそう仮定するよりあるまい。だが、そうなると彼はかなり特殊な扱いになるな。魔法を破壊する魔法など、異質にも程がある」
魔法は不安定な自然秩序の歪みを魔法使いが観測することで行使され、直接その歪みに魔力を見出す《魔力型》とそれを索引として奇跡を引き出す《索引型》と二つに大別される。どちらにもあてはまらない例外もあるにはあるが、彼の右手はその中のどれにも当てはまらない。
「《茨》が彼の右手に破壊されたと聞きましたが」
「ああ、あれは《茨姫》が私の指示を無視して過度の負荷を掛けただけ。つまり単なる強度の問題だ。彼の右手は『異能の力』を打ち消すと言っていたが《茨》はただの装置だ。それ自体には何の奇跡も介在していない。もっとも彼の言うこと全てが真実としても『超能力』や『学園都市』の存在というのは甚だ信じられるものじゃないが」
「私もそれについては同感です。現状、彼は魔法を破壊する魔法を右手に宿した魔法使いだということでしかありません」
上条の話は魔法使いの話よりも突飛に聞こえ、流石に信用できない。魔法使いとの長い関りの中で、そんなもの存在は全く語られたことがない。日本と言う同じ地名で異なった歴史に科学。まるでSFなどに語られる平行世界というやつではないか。
「彼は《茨姫》の魔法で呼び出された節がある。だが聖痕大系が魔法生物の扱いに長けているとは言え、あんな魔法の発現の仕方など見たことも聞いたこともない」
「異例ずくめの事態という訳ですね。まったくこんな時に」
京香は組んだ両手に額を押し付ける。溝呂木が興味なさそうに尋ねた。
「60年振りに現れた再演大系の使い手に《染血公主》の件かね」
「それだけではありません。神音大系の神聖騎士団が十二名、首都圏に侵入しました。さらに《染血公主》ジェルヴェーヌ・ロッソは二年前姿を消す前に神人遺物である《鍵》を奪っているという告知が《協会》からありました」
《協会》とは公館と取引のある最大の魔法勢力だ。そして神聖騎士団は《協会》と千年以上に渡って戦争を続けている神音大系の魔法使い組織で、当然公館とも敵対関係にある。
《染血公主》はこの《地獄》でいくつもの殺人を犯した、公館が狩るべき犯罪者だ。しかし、それが神人遺物を持っているとなると事情が違ってくる。二千年前に完全に姿を消したとされる幻の魔法大系である神人、それが残したとされる魔法消去されても自力回復するという桁外れな力を秘めた魔法産物。その争奪には公館も幾度も巻き込まれ、多くの犠牲を払って来た。
「再演大系に《幻影城》の《鍵》か、なるほど何もかもお誂え向きに用意されているという訳だ」
再演大系、60年前に滅んだとされる魔法使いを操り、過去を書き換えるという強力な魔法を行使する魔法使い。そして、その再演大系の聖域である世界最大規模の神人遺物《幻影城》とそこへと至る《鍵》。ここまで素材がそろっていて引き起こされる問題が小さくなるはずがない。
「彼もこの一連の事態に関連している可能性はあると思いますか」
「まだ、なんとも言えないな。だが彼は少なくとも《協会》圏の魔法使いではない」
「英語をごく自然に会話に混ぜていました。《協会》に問い合わせてみますがそこから素性を調べるのは難しいでしょう。溝呂木さんは《茨姫》の魔法の線から探ってくれませんか」
「了解した。だが公館にしては、随分扱いが優しいのではないか。厄介事が起きる前に処分なりすればいいものを。私はあれの魔法について実験したくてたまらないのだが」
溝呂木は人間の人権だとか倫理など気にしない。悪鬼でありながら魔法学者になった変わり種は、とことん魔法の研究にしか興味を示さないのだ。
京香は上条が日本人を名乗ってくれてよかったと思う。溝呂木はデータを取るためなら、拷問まがいの実験も平気でやる。
「何もわからない現状でうかつに手を出すことはできません。それに記憶の混乱や思惑があるにしても日本人を名乗る以上、むげな扱いはできません」
彼は見た目にはまだ少年であり、おおよそ魔法使いらしい様子もなく間諜をやれるほど器用にも見えない。だが、事態が異例なことだらけなこともあり、全容を見極めるまでは慎重に扱うべきだ。
なにより、公館は幾多の死体を積み上げ異世界人からこの日本を守ってきた。だからこそ、必要以上の犠牲を、ましてや日本人を名乗る人物の遺体を自らころがすなどということはできない。
「だが、彼が何かしらの問題を起こしたらどうするのかね」
「この世界のルールを守らない異世界人に対して、公館がすべきことは一つです」
しかしそれも、必要ならば無視される。公館は倫理ではなく、この国を守るという目的で動く組織だからだ。
そして、警察が関われない治安維持の間隙を闇から闇へと埋めてきた魔導師公館がやることはいつの時代も変わらない。
魔法使いにとっての《地獄》、《公館》はその恐怖の象徴として君臨し続ける。