専任係官、神和瑞希の実家は公館から徒歩20分ほどの場所にある。高さ3メートルに達する堅牢な石壁に囲まれ、街の一区画を完全に占拠するそれは《悪鬼》との関わりを拒否した小さな城だ。
魔法使いにしか開かれない松材の大扉から、神和邸に踏み入れた上条は、学園都市で慣れ親しんだ高層建築とは違った古い光景に圧倒された。
「お前、絶対、私の家族に、触れるな。消去で、一族が消える」
訥々した声でそう忠告された上条は、おとなしくうなずく。平安の時代から《協会》と繋がりのある退魔の家系の歴史の重さか作る雰囲気のせいか、普段の軽口もでてこない。
そんな何やらもの凄く緊張した状態で、案内された部屋の襖を開けたらあの全裸がいたのだ。
「ふはははははっはははははっははは!!」
縁側に向かってポーズを決めながら、大きく高笑いする全裸の男。上条の緊張などそこで一気に吹っ飛んだ。
「伐折羅、《染血公主》を、探す。行って」
「承知した。《魔獣使い(アモン)》どの。ふはっふははははは!!」
全裸の身体が宙に浮く、そして飛んだ。茫然とする上条をよそに、星の輝く地獄の空へと、全てから解放された全裸が飛び出していく。
「あの、……あれは」
上条は口を開けたままようやくそれだけ言えた。
「……伐折羅」
「ふーん、頭が禿げてるのもきっと空気抵抗を少なくするためなんだろうなぁ」
遠い目で、全裸が飛んでいった方向を眺める上条。もう学園都市で培ってきた常識だとかの概念はめちゃくちゃに破壊されていた。
「いらっしゃい、新入り」
「いらっしゃいな、新入りさん」
部屋の隅から輪唱するような囁きとともに現れたのは、手をつないだ中年の男女。顔つきが似ていることから、たぶん姉弟なのだろうと察する。
同時にどんな変態なんだろうとビクビクしながら、傍らにいる瑞希に一応尋ねてみる。
「あの……この人達は」
「宮毘羅」
「だからそれがわかんないんだって。何その固有名詞、二人合わせてひとつの名前ってことですか!!」
神和家は代々管理する刻印魔導師を式神と呼び道具として使役してきた。その習慣から、魔法使いのことを十二神将に当てはめた呼び名で呼んでいる。十二神将は仏教の信仰の対象だが、ごく一般的な日本人である上条はそんな知識は持ちあわせていない。
神和瑞希は、刻印魔導師を道具だと思っている。そんな彼女が、式神と同じ扱いでいいと言われた上条に丁寧に解説するはずもないし、実際しなかった。替わりに後頭部にチョップを見舞うことで上条を黙らせた。
「ごちゃごちゃ……うるさい。今日はもう、寝ろ」
スタスタと去っていってしまう瑞希を、恨めしそうに見送る上条は一人取り残された。ちらりと中年兄弟の方を見やると目があった。
「よろしく」
「よろしくね」
すでに目つきがどこか危ない二人組に迎えられ、上条は朝まで無事にいられるのか心配になる。
「はあ。なんというか、不幸だ」
後戻りなど出来ない。ここ以外に行くあてなど無いのだ。上条は自棄になって大声を出す。
「ああ、もうよろしくお願いします!! 上条当麻です。変態はもうこりごりです」
あくる日の朝を、上条は案の定一睡もできないままで迎えた。あの姉弟は一晩中手を握り合い、何やら金属で出来た鋭い円輪を空いた手で投げ合っていたのだ。命の危機を感じたのは二度や三度じゃすまない。朝方に全裸男が帰ってきたことで、姉弟はおとなしくなったから安心したものの、冷や汗のせいで風邪をひきそうだ。
疲れた身体を起こすと、全裸男が庭で凄い速度で腕立てふせをしていた。
「ふははっ。上条どの。昨日はよく眠れましたかな」
「ええっと。……まあ一応は」
本音は違うが、男の爽やかな笑顔につられて思わず愛想を返す。全裸男は運動をした後だからか、額にうっすらと汗が浮かんでいた。見た目とは反対に、随分まともそうな印象を受ける。
「おおっと、名乗りを忘れておったな。錬金大系魔導師スピッツ・モードだ。《大気泳者(エアダイバー)》とも呼ばれておる」
「なんで全裸なんですか」
「それは、戦士だからだ」
「…………」
当然のように即答されるが、理由にまったくつながらない。
そんな上条の後ろで、あの姉弟が歌うようにくちずさんだ。
「全裸と言えば錬金大系」
「錬金大系と言えば全裸」
どうやら錬金大系という魔法は全裸とは切っても切れない関係にあり、魔法使いの間での常識らしい。
「こちらの姉弟は相似大系魔導師のネリム・エンドとクラム・エンド。我らは《魔獣使い》どのに管理されている刻印魔導師だ」
昨晩は上条が名乗っただけだったので、改めて紹介される。昨日会った魔法使いは円環大系と聖痕大系だと言っていた。上条にはわからないが魔法使いにも色々あるのだろう。
「そういえば昨日聞きそびれたんだけど、刻印魔導師ってのはなに?」
「ふむ。上条どのは何も知らないのであったな。刻印魔導師とは、もといた世界で極刑を言い渡され《地獄》へ堕ちた罪人のことだ。その罪はこの《地獄》で《協会》に敵対する魔導師を百人討伐することで償われる」
「罪人? あんたも。……この人らも?」
明らかに怪しい雰囲気のエンド姉弟はまだしも、昨日会った小さな少女やスピッツはとても極刑を言い渡された悪党には見えない。
「そうだ。拙者は故郷の錬金世界で政争に敗れた末に地獄に堕ちることになったのだ。エンド姉弟は確か子供と女性ばかり25人を惨殺した罪であったな」
「そうだね。ふふふ」
「そうだよ。ははは」
「へー。そうなんですか。変態だけでなく悪党もデフォルトですか」
平然と説明するスピッツに笑顔で肯定するエンド姉弟に上条は苦笑いするしかない。住む世界が違いすぎるというのが率直な感想だった。というか、そんな凶悪犯と一夜を明かして無事だったのは運がいいのか悪いのかよくわからない。
「上条どの。大体の事情は聞いておるが、言葉づかいを少し改めたほうがよいのではないだろうか」
「へ、なんで」
短いやり取りの中でいったい何が悪かったのか、カタカナ語をはじめとした英語を普段の会話に日常的に用いる典型的な日本人である上条にはピンとこない。
上条はまだ和製英語も含めた英語が魔法使いの間でどういった意味を持つかは知らない。
「変態!仲間!」
「仲間!変態!」
エンド姉弟がクスクスと囃したてる。律義な性格のスピッツが、言いにくそうに説明する。
「英語は《協会》の魔法使いの間では最低の卑語なのだ。ちなみに先ほどの言葉の意味は……」
スピッツが躊躇いながらも、小声で上条の言った『デフォルト』の意味を耳元にそっと囁く。
妙な熱さが身体中を駆け抜け、上条は思い切り叫んでいた。
「なっ、なあぁああ!!違う違う全然そういう意味じゃないから。俺はノー……、いや普通だから!!変態じゃないから!!そんな同類を見る目で俺をみないでええぇ!!」
汗が全身から吹きだす。涙も出そうだ。この恥ずかしさも一緒に流れてくれないかと思ったがそうはいかない。いっそこのまま脱水症状で死んでしまいたいとさえ思った。
スピッツは軽く咳払いをすると、取り乱す上条の肩にたくましい腕を乗せた。
「上条どの。誰にも譲れないものを持っていてこそ、魔法使いですぞ」
「あれ、もしかして俺いま全裸に同情されてる」
一生立ち直れない傷になりそうだった。不幸だ。いや、地獄だ。
「本来、刻印魔導師は公館の官舎に押し込まれるものなのだが……」
スピッツが優しい眼差しで話を急に変えた。その気遣いが余計にきつい。
「上条どのは少々特殊な存在であるため、《魔獣使い》どのの邸宅に預けられることに決まったのだ。そこで、刻印魔導師の中で比較的まともとされる我々が上条どのの保護と世話も兼ねてここに派遣されることになったのだ。上条どのには今日からしばらく行動を共にしてもらう」
比較的まともで全裸と殺人鬼とか、刻印魔導師ってどんなだよ。それに同情される俺ってどんなだよと心の中で悶絶する。
だけど状況を知らないで今日のような地獄を見るのはごめんだ。だから、気持ちを強引に切り替える。
「んで、俺は具体的にどうすればいいの」
「《魔獣使い》どのには上条どのと一緒に責務を果たすように言われておる。しかし、問題があるのだ」
スピッツの真剣な表情に上条も身を強張らせる。命の危険も怖いが精神へのダメージももっと怖い。全裸で怖いものなどなさそうなスピッツのいう問題とは、どんなものなのだろう。
「拙者は下手に昼間に外に出てしまうと《悪鬼》に通報されてしまうのだ」
全裸で魔法使いでも、警察はやっぱり駄目みたいだった。
「服を着れば大丈夫なんじゃないかと」
「馬鹿者! 服など子供の着るものだ!!」
真顔で断言されて、一瞬上条もその通りだと錯覚した。そして無意識にシャツの裾を握って脱ごうとしてしまったことを、まだ混乱中だということにして無かったことにする。
「我々魔法使いはこの世界の風習と合わずに変態扱いされ、果ては警察の厄介になることもしばしばだ。ただ、魔法使いらしくあろうとしているだけであるのに」
スピッツの悔しさが、上条にもわかる気がした。今まさに、異世界との風習の違いの辛さを思い切り味わったからだ。
「故に出歩きたいのなら夜間にしてもらいたい」
「じゃあ、昼間はずっとここにいて欲しいってこと」
「さようだ。しかし、それでは上条どのも退屈であろう。そこでだ、上条どのは魔法に関しての記憶を一切失ったと聞く」
本当はなにも知らないのだが、魔法使いなのに魔法を知らないという理屈は、記憶を失ったことにしておけば説明がつく。上条の特殊性をわずかながら軽減する効果はあるし、こういった情報を流しておけば、上条に関わりのある人物がいたとき敵であれ味方であれ、何かしらのアクションが起こるだろうという京香の処置だった。
「ここはひとつ、私たちが、魔法使いとはなんであるか、魔法使いにとってこの地獄とはなんであるのかを講義しよう」
嫌な予感がしながらも、ここでは常識が通用しないのは明らかだった。なら、この申し出は渡りに船のはずだった。
錬金大系魔導師、スピッツ・モードを講師とした、魔法の授業が始まった。スピッツが“先生”になり、上条は“生徒”になった。
スピッツに魔法使いの常識や心構えを習った。内容はどうあれ、スピッツは真剣だった。これ以上、精神的に追い詰められたくないという思いが、上条を真剣にさせた。普段勉強が苦手で成績も下から数えた方が早い上条だが、魔法という、馴染みの科学から離れた分野に好奇心も手伝ってどんどん知識を吸収した。
「もし魔法使いと戦うことになったら、まず服を脱ぐといい。ケンカになれば全裸のほうが強いからな」
「はあ。なるほど」
「錬金大系だけよね」
「錬金大系だけだよね」
ただ、決定的な間違いを誰も気づけていないことが、問題だった。
昼間のうちに仮眠をとって、夜には空を飛んだ。
「ふはっふはははは。上条どの空はいかがかな」
スピッツは“もの”と“もの”との境界に魔力を見出す錬気大系の魔法使いだ。当然、自分の体表面とそこに触れている空気の《境界》にも魔力はある。スピッツは空気の中を水の中にいるように自在に泳ぐことができるのだ。
《大気泳者》に左手を引かれて、人気のない山間を低い高度で飛ぶ。初めはスピッツが上条の右手を持って飛ぼうとしたのだが、幻想殺しのせいかやはり墜落した。
そのことにスピッツから『上条どのが服を着ているからだ。さあ脱げ』と迫られたが、人として大事なものを無くしそうで、さすがに拒否した。
「なあ、魔法消去ってやつは大丈夫なのか!」
襲ってくるか風に目を細めながら、上条は疑問を叫んだ。この世界の一般人は《魔法消去》を持っていると聞いた。人気のないところを飛んでいるとはいえ、観測される可能性はゼロじゃない。
「ふははっはは。悪鬼が怖くて空は飛べませんぞ。ふははっふははははは」
全ての魔法が燃え尽きるこの《地獄》であっても魔法使いは魔法使いらしくあることにこだわる。生まれたときから魔法が当たり前の世界で育った彼らにとって、魔法や奇跡の奮い手あることの自負は捨てられない。
スピッツは隠すことのないその身一つで世界と相対する。全てをさらして、空を飛ぶその姿は上条の目にも清々しく映った。
「悪くないかもな。こういうのも」
この地獄に堕ちて、上条は初めて自然に笑えていた。この《地獄》でなんとかやっていけそうな気がした。
上条は基本的に神和邸でも指定された場所しか出入りは許されていない。幻想殺しで、魔法で姿を保っている神和家の人達を消してしまうおそれがあるからだ。だから、上条の周りにいるのはスピッツとエンド姉弟だけということになる。
神和邸の隔離された上条達の部屋に瑞希が訪れたのは翌朝だった。
瑞希は、どこかの高校の制服を着ていた。上条がこの地獄に堕ちた時には学園都市は7月19日と夏休みに入ったところだったからあまり気にしていなかったが、地獄ではまだ6月で、今日は月曜日で平日だった。
ふと、学園都市にいたら今頃どうなっていたのかを想像する。たぶん補習だな。そんでもって、ベランダが何だか危ない気がする。ビリビリのせいで、またなんかひどい目に合う。たぶん平穏無事な夏休みではなくなると思うな。
「あれ、不幸な自分しか想像できないぞ」
じゃあ、楽しかった過去を振り返ろう。とりあえずどんな学園都市の生活だったのかを思い出そうとして、失敗した。ここ数日の出来ごとのインパクトが強すぎて、うまく思い出せない。
「お前、……馴染んでる」
上条はハッとして振り返った。部屋の隅ではエンド姉弟が不気味に微笑んでは手を握り合っている。そのすぐ近くで、スピッツが全裸で筋トレに勤しんでいる。
こいつらと、馴染んでいるだって。
「……ないない。……俺は変態じゃない、俺は変態じゃないよな。俺はもっとまともで普通なはずだよな。“普通”だ“普通”なんだ」
昨日のトラウマがよみがえる。自分に言い聞かせるように、“普通”という言葉を唱え、“普通”とはいったいどんなものだったのかを思い出そうとする。
ええと確か、ケンカは全裸の方が強くて、服は子供の着るもの。俺はまだ高校生で未成年、つまり子供で服を着ているは普通だ。
よし、問題ない。
「もう、……手遅れ」
上条は完全に“普通”を見失っていた。
「《魔獣使い》どのは、これから新しい仕事ですかな」
瑞希はこれから、ある高校に仕事で編入する。そこには再演魔導師倉本きずなが通っており、彼女を監視、護衛するためだ。
「うん、そう。これの面倒、よく見といて」
「これって。上条ですけど、上条当麻って名前なんですけど」
「めんどい。我慢しろ」
上条はなんとなく『これ』扱いに納得できない。学園都市にも、無能力者を人間扱いしない、研究者や能力者はたくさんいた。だが、同じくらい大切にしてくれる人達もいた。落ちこぼれの集まる上条の高校の担任の小さな先生や、そこの友人たちを今度は正確に思い出せた。ここでこの扱いを認めてしまうのは、なんだかその人たちまでも否定してしまうようで嫌なのだ。
瑞希はついっとそっぽを向いて、部屋から出ようとする。それをスピッツが呼び止めた。
「《魔獣使い》どのは、上条どのをどう呼んだものか何も考えていないのでありましょう」
スピッツの指摘は瑞希の図星だった。従来の十二神将に当てはめた呼び名では、上条は分類できない。式神として扱うにしても、呼び名をわざわざ考えるのが瑞希は面倒だったのだ。
「だったら、普通に名前で呼んでくれればいいんじゃねえのか」
「それでは、我々刻印魔導師に示しがつかないのだ。《魔獣使い》どのは我々を式神として、敵を倒す道具として使役する。道具に名前など付けて、特別扱いは出来ないということでしょうな」
神和家にとって、刻印魔導師は使い捨ての道具だ。同じ人間を使っていることを理解しつつも、そこに感情は宿らない。《魔獣使い》はある者との古い契約を果たすために存在するからだ。
「なんだよ、それ。あんたにとっちゃ、俺も、スピッツもただの道具ってことかよ。おかしいじゃねえか、同じ人間なんだろう。立場の違いっていうのはあるかもしれねえけど、それが道具扱いしていい理由にはならないんじゃないのか」
上条はこの地獄に来たばかりだから、当たり前の倫理が言える。いくら奇跡をふるう力があったとしても、風習の違いに戸惑い苦しみながら、それでも自分のありかたを貫こうとしている魔法使いは、自分たちと変わらない人間なのだと思える。
でも結局、上条は《偽善使い》なのだ。どんなに綺麗事を並べても、最後は自分が納得いかないから、喰い下がっている。無理矢理実力行使するほどの力も、この地獄に放り出されて生きる覚悟もないから、綺麗な言葉で相手が揺らいでくれることを期待するせこい悪党だ。
「式神と、私たちは、対等じゃない。……伐折羅も、余計なこと、言うな」
上条はこの地獄に来たばかりだから、知らない。魔法使いが、《悪鬼》に日陰に追いやられて千年以上の間で、その確執は深くなり、彼らは悪鬼を人間扱いしない。そんな異世界人に対抗するために、公館が使い潰してきた刻印魔導師たちの数も、公館以前から魔法使いを狩ってきた神和家の血の歴史の暗さを、まだ垣間見てはいない。
「対等じゃないって、訳わかんねえよ」
「お前も、そのうち、わかる。お前の右手、魔法じゃなくても、力がある。力のふるい手は、その宿縁から、逃げられない」
《魔力》型の魔法使いは、世界秩序の乱れを鋭敏に感知せずにはいられない。《索引》型の魔法使いにとって生きるとは、まるだしになった世界の索引と直面することだ。
それでは、幻想殺しをその右手に宿した少年は、その身を何と相対することになるのだろうか。
日ごろの『不幸』など序の口で、《地獄》での生活もまだ序章にすぎない。