「戦闘報告は手早くに済ませましょうか。長考しても、気休めにしかなりません」
昨晩の騒ぎから夜が明けて、公館の薄暗い会議室では今後の方針を決める会議が行われていた。参加者は事務官の十崎京香、専任係官の武原仁と、《魔獣使い》神和瑞希、そして魔法学者の溝呂木京也だ。芳しくない報告ばかりが続くなかで、会議は進み、公館のするべきことは決まっていく。
目下の問題は侵攻してきた聖騎士と《染血公主》、ならびに所持している神人遺物の《鍵》の確保、そして聖騎士の襲撃の際に姿を消した倉本きずなの父、倉本慈雄のことだ。
会議に一区切りついたところで瑞希が昨晩の戦闘報告に入る。公館側に特に被害は無いから、話は短く済むはずだった。
「専任係官、神和瑞希……。《染血公主》ジェルヴェーヌ・ロッソを追跡中、……エレオノール・ナガンら聖騎士六名と交戦。使った式神は、宮毘羅が二体、伐折羅が一体。……あと、あの『ウニ頭』」
上条の式神としての呼び名を決めかねていた瑞希は、めんどくさくても報告には不便だからと、外見的特徴で済ますことにした。
「ウニ頭って、あの上条って子のことか。彼を戦闘に使ったのか」
一応、武原仁が瑞希に確認を取る。ウニと言われて連想する人物は、あのツンツン頭の少年のことしか思い当たらない。
「勝手に戦って、勝手に死にかけた。でも、足止めくらいは役に立った」
「おい。こういっちゃあれだが、彼を戦わせるのは無理があるだろう」
仁は、上条に魔法使いとの戦いに耐えられる力が無いとを見抜いていた。魔法使いと生身で戦うことの厳しさは、専任係官になってからの5年間で味わいつくしている。
右手に特殊な能力があるらしいが、それでどうにかなるわけが無い。彼は未成年で、どうしようもない戦いの場に駆り出すことにも迷いがある。命のやりとりが職務になる公館だからこそ、未成年の少年を無駄死にさせてしまっては士気に関わる。公館の人員の半数以上を占める事務職員は、戦いとは無縁なただの一般人なのだ。
「武原係官、彼についてはあまりにも不確定な部分が多いのが現状です。彼はあくまで、なにかしらの“魔法使い”であると認識してください」
素性のわからない上条が今後どう転ぶかわからないから、余計な感情を抱くなと京香が釘を指す。やりきれなくても、仕事だからと割りきるしかない。仁は公館という組織の一員だからだ。
「悪い、続けてくれ」
「溝呂木さん。彼について、何か新たにわかりましたか」
京香が通常は会議にあまり参加することのない溝呂木に話の水を向ける。上条当麻に関しては、《公館》や《協会》の資料もほとんど役に立たない。まともな判断材料を提示できる可能性があるのは魔法学者の溝呂木くらいしかいないのだ。
「いや。全くさっぱりだ。あれから、《茨姫》を使ってなんどか実験を試みているがまったく成果が無い。彼という存在を創り出す、もしくは呼び出す索引を引いたと考えるのが妥当だが、“彼”という存在がすでにこの時間軸にいる以上、重ねて彼を創造させるのは不可能だという可能性もある」
神音大系の魔法で《聖霊騎士》という、過去の英雄をその索引を奏でることで召喚する魔法がある。この魔法では、同じ索引を持つ《聖霊騎士》は複数同時に存在できない。
《茨姫》オルガ・ゼーマンの聖痕大系も索引型だ。魔法構造体の生成なら、複製を創り出すことなど造作もないかもしれないが、上条当麻のような《人間》を記述する索引となると、《聖霊騎士》と同じ問題をはらんでいても不思議ではない。
溝呂木の興味は、再現性の難しい上条当麻の召喚魔法よりも、彼の右手に宿る能力《幻想殺し》に移っていた。
「彼の右手に宿ってるものはそうだな“神”に近いものだと私は考えてる」
あまりの突拍子の無さに会議の参加者全員が呆れ返った。そんな反応は百も承知とばかりに、溝呂木が半ば投げやりな推論を述べる。
「彼の右手は魔法を無効化した。しかも、魔炎を出さずにだ。彼の話が真実だとするとだが、彼のいる世界では様々な能力を持った『超能力者』がいるらしい。これを、単純に多様な発現の仕方がある一種の魔法だとする。魔法を許容する世界の中で、彼の右手だけがそれを拒絶する。これは彼の右手が、世界が許容できない魔法だけを選択的に拒絶するためのモノ、秩序を維持するある種の装置ではないのだろうかとも推論できる。そう仮定したとき、彼は自然秩序の調整者、《神》に近い役割を担っているということになる。魔炎が出ないのも、魔法消去とは違った秩序に則った力だと考えれば説明がつく。もっとも、そんな魔法世界が存在したとしたら、それは既存のどの魔法世界とも根本的なものが異なる法則性を持っている世界となるがね。こういう言い方は好かないが、設定自体が違うのだ」
全ての魔法世界の共通していることは、自然秩序の歪みと魔法、それを調整する世界の秩序そのものである《神》の関係だ。上条当麻という存在や、それが語る世界はこの関係に当てはまるとは到底思えない。
「つまり……どういうこと」
「すまん。俺にも話がさっぱりだ」
専門的な話になると、優秀だが経験不足な瑞希も、まだまだ若造の仁もついていけなくなる。なにより溝呂木の語ったことは魔法の常識とは程遠くて、ただの妄想にしか聞こえない。
「溝呂木さんはこう言いたいのですか。茨姫が、偶然彼と言う《神》に近しいモノの索引を引いたのだと。それはあまりにも暴論のような気がします」
「言っただろう。あくまで、仮定の話だ。確証は皆無に等しい。だが彼の右手、《幻想殺し》と言ったか、その力だけは確かに存在している。詳しい実験さえさせてくれれば、より正確なことがいえるのだがね」
溝呂木も自分の考えが、妄言の類だと承知していた。それでも上条当麻という人間と、その右手に宿る能力への興味は捨てきれない。
溝呂木は暗に人体実験の許可を催促している。倫理を平気で飛び越えようとする変態魔法学者に京香は政府機関の官僚として正当な理屈で返した。
「彼は、出自はどうあれ日本人を名乗る未成年です。それに、この世界に順応できる魔法使いを普通に暮らさせることも《公館》の仕事です」
実験の可能性を拒否され、言葉の裏を読み取った溝呂木が皮肉気に口の端を歪める。
「なるほど。十崎君の言葉は彼に元の世界に戻ることをあきらめてもらうつもりのように聞こえるが。間違っていないかね」
「彼の言う学園都市なる場所がある魔法世界が存在する確証が無い以上、そうしたほうがより現実的だと思います」
「おい、待てよ。これは彼がいない場所で決めていい問題か? 俺たちは魔法使いから『日本人』を守る組織じゃないのか」
武原仁は小学生の幼い刻印魔導師を管理している。必要とあらば倫理をたやすく飛び越える公館だからこそ、通すべき最低限の道理が必要なのだと思った。
どこまでも異質な存在である少年に対する処遇は、前例も確かな方向も無いせいで内輪でも意見が割れる。溝呂木は研究者として、京香は実務家として、仁は人間としての道理を通そうとするからだ。
「現状に進展が無い以上、彼がこの世界で暮らすことも真剣に考えてもらわなければなりません。神和係官、彼の様子はどうですか」
この厄介な問題の中心になっている上条当麻は、いったいどうしているのだろうと、全員の視線が上条を管理する瑞希に集まった。
瑞希は訥々と、無関心そうにありのままを告げた。
「あの『ウニ』は……。……伐折羅と、かなり仲良くしてる」
全員が微妙な表情になった。
上条当麻は腕立て伏せをしていた。隣には肌に滴る汗を陽光に照らした全裸のスピッツがいる。
寝起きにこの全裸の男がトレーニングをする姿を見るのが日課になりつつあった。なんとも嫌な日課だが、生活している場が一緒なのだから仕方がない。ただ今日は何故だが上条も付き合わされる羽目になってしまっている。
「ふはっふはははっ! どうだ上条どの、気持ちいいか! 鍛え上げた肉体こそが世界の声を聞き、空へと届くのだぞ!」
魔力を見出す己の肉体を《対象》として特別視する錬金大系魔導師にとって全裸は正装だ。だからいつ見られても恥ずかしくないように身体を鍛えるし、肉体の完成度を高めることを戦士として誇りにしている。
スピッツは幼いころ浮き船を見て以来、空の虜だ。地獄に堕ちて《大気泳者》とも呼ばれるようになっても、空を飛ぶことをためらわない。
そんなスピッツの情熱に、寝起きからハードなトレーニングを休みなく強要された上条は息も絶え絶えで、流石にうんざりしていた。
「いや、もうなんか。それどころじゃ、ねえ」
「ふむ。それなら今すぐ服を脱げ。そんなものを着ているから世界の声が聞こえぬのだ。全てを晒し己が身ひとつで世界と対峙してみせろ!」
「そんな熱血変態の価値観押し付けられても困るわ! なんだよ、近づいてくるなよ、お前さわっただけで服脱がせられるんだろ。男にそんなラッキースケベ強要して面白くないだろ!」
瞬間脱衣機能を持った右手なんて、ある意味男の子の夢だが、実際に被害者にされると思うとゾッとした。毒手に掛かって脱がされていくたくさんの人の幻影が一瞬見えたような気さえした。
「……お前ら、いったい何してる」
スピッツの魔手から身をよじって逃げようとして、襖の奥から高校の制服姿の神和瑞希が現れた。いつもの無表情だが、若干、汚いものを見るような目になっているのは気のせいだと思いたい。
「《魔獣使い》どの。拙者は上条どのに、ちと魔法の指導をしていたまでのこと」
「助けてくれ、脱がされる。全裸に剥かれて俺の貞操が大ピンチ!」
この全裸の暴走を止められるのは瑞希だけだ。一縷の望みを掛け、必死に訴える。だが瑞希は上条の願いをバッサリと叩き切った。
「別に……それはどうでもいい」
「ぎゃああ! ちょっと予想してたけど、もう少し俺に優しくして!」
即答されて、上条は思わず叫んだ。瑞希が自分にそれほど関心を持ってないのは感づいていたけれど、こうもはっきりと示されると涙がでてくる。
スピッツの目が熱に浮かされたように蕩けて焦点が合っていなかった。息を荒くして迫ってくる全裸の姿に、身の危険を感じて鳥肌が立った。
「上条どの、そろそろ覚悟を決めるべきだ。なに脱ぎ去ってしまえばそこに開かれるのは空を舞うように心地のいい、楽園だ」
「やめてくれ! 全裸だけはやめてくれ。俺はまだ“普通”でいたい」
「ふふふ。脱いだらいいんじゃないかな」
「ふふふ。脱ぐといいと思うわ」
「おいそこ! 何急に便乗してんだ!」
さっきまで部屋の隅で無関係を装っていたエンド姉弟に激怒していたら、今度はどさくにまぎれて瑞希が聞き捨てならないことを言った。
「お前、元の世界に戻れないかもだから。色々、あきらめたほうがいい」
「おい待て! 今大事なことさらっと言ったよな」
明らかに上条の今後に関わる大問題だった。
公館にとっても上条の処遇は悩みの種だが、瑞希にとっては学校に行く方がよっぽど大事なことだった。そこにはできたばかりの『友達』がいるからだ。だから、明らかに面倒臭そうな状況を、とりあえず放り投げておくことにした。
「伐折羅、こいつまかせる」
「まかされた! 完璧な戦士に仕上げてしんぜよう」
「ぐわああ。だれか助けてくれええぇぇ」
上条はもといた学園都市から異世界に来ても、身近な人間にどうしようもなく振り回されて、結局はいつものように悲鳴をあげることになる。
「だー、不幸だーっ!!」
何度か意識を失って、上条はようやくスピッツから解放された。もう夕暮れだが、動く気力もわかない。枕に顔を埋めたまま目を閉じて、日本家屋の特徴でもある畳の匂いを鼻いっぱいに吸い込む。懐かしい心地よさにこのまま、眠ってしまいたかった。
静かに縁側に続く障子が開いて、人の気配が部屋に入ってくる。倒れた上条を気遣っているのか足音も無く、その気配は上条の枕元で止まった。
どうせ目を開けたら、全裸待機のスピッツが笑顔でいるのだろう。あの全裸はあれで、律義で気のきく男なのだ。
薄眼を開けると、紺の靴下に包まれた細い脚が見えた。靴下に準じるものは衣服扱いだったかと疑問が浮かぶ。正体を確認しようと人影を見上げて、思わず息をのんだ。
その少女の神様が祝福を与えたような白磁の肌は、驚くほど透き通り、完璧なほどに整いすぎた顔の造作は、どこか作り物めいていて綺麗を通り越して神秘的ですらあった。
まじまじと見る機会がなかったから意識しなかったが、神和瑞希はとびきりの美少女だった。
こちらを覗きこむように見ているせいで、頭の両側に縛った鞭のようにしなる長い黒髪が上条の顔にかかりそうになる。まるで人形のような瑞希だが、ちゃんと女の子の匂いがした。夕焼けが、彼女の顔にはっきりとした陰影を創り出して、薄赤く染まった頬がなんだが色っぽかった。気恥ずかしくなって視線を落とすと、今度はスカートの裾から伸びる陶器のような白い脚に目を奪われる。
「な、なっ、何か上条さんに用ですか?」
顔が火照って心臓が早鐘を打つ。明らかに動揺していた。
「これ、お前にわかるか」
瑞希が難しい顔でずいっと差しだしてきたのは高校の教科書だった。起き上がって受け取ると、表紙に数Ⅱとある。高校二年の範囲だ。ちなみに上条はまだ高校に上がったばかりの一年生である。
「自慢じゃないけど、上条さんの成績は学年でも下から数えた方が早い赤点補習組ですよ。それに、これ二年の範囲だろ。予知能力者でもない上条さんには無理な相談」
自嘲気味な言葉が口を衝いてでる。本当に自慢にもならなくて、軽く自己嫌悪だが、浮ついた心を落ち着かせるには丁度いいと、自分に言い訳する。
「やっぱりお前、役立たず」
「うわっ。はっきりぐっさりと、上条さんの心を抉っていきますね、この人は」
容赦のない言葉に上条は思わず引きつった顔になってしまう。
対する瑞希は眉間にしわをよせて教科書を見つめたまま、淡々と口を開いた。
「……お前……元の世界に戻れないとしたら……どうするつもりだ」
今朝、スピッツとのゴダゴダでうやむやになった話だ。元の世界に戻れないという可能性について。魔法があると言われたこの世界でも、薄々そんな気がしていた。だって上条は奇跡にも幸運にも見放された人間だから、都合よくことが運ぶ訳が無い。
あきらめることには慣れてしまっている。けれど、現実と折り合いをつけて進んで行く前向きさを得たのだ。
「どうって。そうなったらここで生活するしかないんだろうけど。高校とかどうすんだ。それとも働き口をさっさと探したほうがいいのかな」
何はともあれ、生活の拠点は必要だった。このままこの屋敷に住まわせてくれるならいいのだろうけど。スピッツとの同居は正直きつい。
「お前の右手は……ちょっと駄目。一族を危険にさらすわけにもいかない……だから、うちでは面倒見れない」
「そっか。なら仕方ねぇな」
期待していただけに、ちょっと落胆した。だったら、どうするべきなのか。これはもう一度公館の十崎とかいう美人の事務官に相談するしかないのだろう。
そんなことを、ぼんやり考えていると、瑞希がまだこちらを見ていることに気がついた。
「なんだ、まだなんかあるのか」
「今日、きずなが、お前の話してた」
倉本きずなは以前公園で話をした瑞希と同じ高校に通う新米魔法使いの少女のことだ。タレ目で優しそうな雰囲気を持った彼女のことを思いだすだけで、変態ばかりですり減った心が温かくなって、思わずにやけてしまう。
「いてっ」
そんな上条の頭を、瑞希がすかさずチョップした。顔に珍しく表情が出ている。怒りの表情だ。殺気も放っている。
「きずなに何かしたら、お前、大変なことになるぞ」
「大変なって……具体的にどういう?」
ドスの利いた声に、思わずたじろぐ。発した声は少し上ずってしまった。
「伐折羅を、お前にずっと付けさせる」
瑞希の目は本気だった。そして伐折羅とはスピッツのことだ。あの全裸が一日中一緒になる。そんなことになれば当然この世界でのまともな生活などできなくなる。
「なっ! やめてくれ、それだけはやめてくれ」
「お呼びのようですかな。《魔獣使い》どの」
「呼んでない! 呼んでないから!!」
全裸の乱入で、また部屋は騒がしくなった。だがこの喧騒も、もう少ししたらお終いになる。上条がこの屋敷を出るということは、瑞希や、その管理する刻印魔導師達とも離れるということだ。刻印魔導師や専任係官がどのようなことをしているのか知ってしまったから、一度別れたらもう会えなくなる可能性が容易に想像できた。
そんなことに、一抹の寂しさと不安を覚えながらも、今はこの心地良い喧騒に身をゆだねる。
この世界にきたことには、何か意味があるのだと思っていた。でも実際には、上条当麻にできることなど、この《地獄》にはほとんどない。