悪鬼の俺と魔法使いの姉たち(円環少女・主人公ショタ化)   作:棚尾

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第1話

 小学校の音楽室、狭い密室で小学6年のひとクラス36人に同じ曲を歌わせるという曲芸に挑んでいる魔法使いがいた。

 

「ハウゼン先生はちゃんと歌ってください。ほんとは日本語完璧だってみんな知ってますから」

 

 合唱コンクールの練習にと4列に並んだ小学生の前、室内だというのに真っ白いスーツで、帽子までかぶった中年男性がいる。彼の名は王子護ハウゼン、この日本に百年以上昔から滞在している魔法使いだ。

 そんな彼が、小学校で教師をやっているには事情があるのだが、何も知らない子供たちは容赦がない。王子護は眼帯を撫でながら大人らしくそれっぽい言い訳を並べてみる。

 

「先生はちょっと歌が下手だからネ。君たちの邪魔をしないようにこうして見てるだけのほうが良いんダヨ」

「ここは先生として、下手でもやることに意義があるって姿勢を見せたほうが良いと思います」

 

 大人の言い訳じゃなくて、先生としての見本を見せろと子供たちが迫ってくるが、王子護はどこ吹く風である。彼は、夢見る理想主義者ではなく、現実主義の先生なのだ。

 

「どんなに頑張っても才能のないやつはどうしようも無いネ。それより他にできることがあるって教えることのほうが大事だって先生思うヨ」

 

 身もふたもない理屈で煙に巻く姿に、子供たちは呆れ気味だ。生徒の中にも緊張が切れたのかふざけて、周りにちょっかいをかける子が出る始末である。

 王子護は気が乗らずとも一応教師だから、魔法使いらしく注意する、

 

「あー、ミスタ、オチアイ、イデ。そんなことしてると、悪い魔法使いに連れ去られるヨ。不満に流されて、我慢せずに周りに迷惑をかけるヤツは、修羅場になったとき真っ先に消されるネ」

 

 インチキ外国人っぽいしゃべり方と、時おり見せる怖い雰囲気から、王子護は子供たちから外国の兵隊だったのではないかと噂されている。そんな噂に、王子護はサーカスで道化をやっていたのだと、手品に見せた魔法でごまかしている。

 

「さあ、みなさん始めるヨ。準備してくださいネ」

 

 王子護はそう言ってピアノに座る生徒に演奏を促そうとする。

 そのとき、携帯電話の呼び出し音が鳴った。音の出どころである一人の生徒にみんなの視線が集まる。

 

「ミス鴉木、授業中は携帯電話の電源を切りなさイ。取り上げてしまいますヨ」

 

 王子護の言葉に緊張が走る。普段は軽薄な先生だが、なぜかこの少女に関しては厳しさが増す。返す少女のほうも強気で退くことを知らないから、教室の空気はあっという間に重くなる。

 

「いやだって言ったら、どうするの。悪い魔法使いさん」

 

 素肌に直接着た黒いジャンパースカートから見せつけるように、携帯電話を取り出す少女の名前は鴉木メイゼルだ。彼女もまた、ここにやってきた魔法使いである。そして、その携帯電話の呼び出し音は、彼女が《魔導師公館》から連絡を受けるときに使っているものだ。

 

「未熟なうちは先生の言うことは素直に聞いておくべきダヨ。そうしないと、何かあったとき困ったことになるネ」

 

 世間には秘密だが、この二人は異世界人の魔法使いだ。この世界には異世界から魔法使いたちが到来し続けている。もっとも王子護のほうは、百年以上前からこの日本に滞在しており、現在では魔法使いの問題を解決する日本政府の機関《魔導師公館》の職員だ。

 彼にメイゼルともう一人の少年の保護監視のためニセ教師をすることになって、はや二十日たった。異世界人である小さな魔女はよく、日本語や風習を間違えてトラブルを起こしそうになるため、その度に王子護とにらみ合いになる。

 

「そんなこと、その時にならないとわからないじゃない。それに私は、せんせなんていなくても、一人で戦えるわ」

「ぼくは先生だから君に忠告して助けてあげらることもできるけど、その時がきたらなんて甘いこと言っていると、助ける前におっ死んでしまうヨ。君もそれは嫌でしょ。素直に言うこと聞きなさいヨ」

 

 メイゼルはすごい表情で睨みつけながら、納得した訳じゃないという様子で、携帯電話をしまう。

 王子護は、その様子を見届け、大仰に両手を広げ、歌を促す。こんな時、魔法で何もかも都合よく子供たちを動かせたらと、物騒に思うが、そうもいかないのだ。

 

「じゃあ、みなさん。楽しく元気に歌いましょう」

 

 

 

 

 

 

 

 放課後、校門のすぐそばの花壇の縁に、一人の少年が腰をかけて待っていた。

 赤茶けた髪と、まだ幼い瞳、手持無沙汰なのか、抱えたランドセルの表面で手で撫でている。少年の名前は武原仁、この小学校に通う3年生である。

 じっと座っていたところを何かにはじかれたように、突然跳ねとんだ。原因に思い当って、すぐ前に現れた少女を睨みつける。

 

「痛ってえな。お前、急になにすんだよ」

「あら、ちゃんと魔法消去が止まっているじゃない。あいつが言ったこと、ちゃんと守ってるのね」

 

 現れたのはメイゼルだ。仁に向けられている指先には、小さな紫の光が明滅している。彼女は円環大系という周期運動をするものに《魔力》を見出し、魔法を行使する魔法使いであり、主に電子の扱いに長けている。座っていた仁を打ったのは、少女の指先から放たれた小さな電撃だ。

 メイゼルは仁の抗議も意に介さない。3年という年齢差は、大人から見ればわずかだが、子供から見ると大きい。けれども、仁はもっと怖い大人と姉を知っているからこの程度ではくじけない。

 

「だって、これ消しちゃうと、王子護のやつが怖いんだよ。友達に見られてもダメだから、本当に大変なんだよ。お前もちょっかい出すなよな」

 

 胸ポケットにしまったカードを、取り出して見せる。それは魔法での加工が施されたトランプのカードだ。

 

「お前じゃないでしょ。メイゼルお姉ちゃんでしょ」

「痛ったい。痛い。お前は家族でもなんでもないだろう。やめろって」

 

 仁が騒いでいると、下校途中の生徒の注目が集まってくる。仁は慌てて、手のひらの中にカードを隠す。

 この世界に、魔法使いが昔からやってきているが、世間に知られていないのには理由がある。この世界の住人は観測することで《魔法》を《魔炎》として燃やしてしまう力、いわゆる《魔法消去》を持っているため魔法を直接見たり、感じたりすることができない。

 だから、一般の人間は魔法がそこにあることに気づけないから、魔法は世間に知られていないのだ。

 この世界が魔法使いにとっての《地獄》と称されており、住人を《悪鬼》と呼び蔑まれるようになっているのも、このあたりが理由となっているのだ。

 仁もいわゆるこの世界の住人で、悪鬼の一人なのだが、彼はその《魔法消去》を止めることができるのだ。ただ、幼いためかその力は安定せず、今こうして訓練を受けている最中である。

 メイゼルは下校途中の生徒の視線から逃れるかのように、仁に近づき、手を取った。そして、あろうことか仁にそのまま微弱な電流を流しはじめた。

 仁は痛みに耐え、痙攣する手の隙間からカードをはみ出して、燃やしてしまわないように必死だ。

 メイゼルは、その様子が何かを刺激したのか、顔をとろけさせ、仁の耳元で囁く。

 

「ほら、許して、メイゼルお姉ちゃんって言ってみなさい。目に涙を浮かべちゃって、仁。とってもいいわ。そのまま、その調子よ」

 

 ここは、本当に魔法使いにとっての《地獄》なのかと問いたくなるくらい、何かいけない快楽に浸るメイゼルと、その感情の正体を掴みかねる仁が必死に耐えるという形容しがたい状況ができあがっていた。

 

「そこらへんにしといて下さい。じゃれるのもいいけど、仁に変な癖がつくの、消去に影響の出ない範囲なら構いませんが、僕は嫌だからネ」

 

 王子護が現れて、仁を打つ電撃が止まった。仁はようやく息をついてその場に座り込む。メイゼルは少し名残惜しそうにその様子を見降ろしていた。

 おおよそ、小学生らしくない不健全な光景も、ニセ教師の王子護は意に介さない。

 

「目的地は、二人とも分かりますネ。じゃあ各自、出発してください。獲物は早いもの勝ちだヨ」

 

 王子護が所属する魔導士公館は、魔法使いの諸問題を取り扱う。魔法使いはこの世界に、おとなしく順応するやつばかりじゃないから、《専任係官》である王子護のような実行部隊は出向くことになるのだ。

 

「待てよ、各自でって、お前ら魔法を使うんだろ。俺はどうするんだよ。」

 

 仁とメイゼルは、名目上公館の監視保護下になっているが、王子護は付きっ切りになることはほとんどない。むしろ、担当外であるはずの別の魔法使いのほうが仁にべったりだ。そして、メイゼルは王子護と徹底的にそりが合わない。

 

「うーん、仁は電車でも使ったら良いんじゃないですかネ。これも社会勉強だヨ」

「お前、一応俺たちの先生だよね」

 

 放置されるのは心外と仁が抗議するが、王子護は聞き届けない。変わりに、胸ポケットからトランプを一枚差し出した。

 

「仁、手のひらのものダメになってるネ。代わりをあげるけど、この一件が終わったら、また地下で訓練だからネ」

「あら、メイゼルお姉ちゃんって呼んでくれるなら、私が一緒に行ってあげるわよ」

「おれ、この魔法使いたち嫌い」

 

 小学3年生の仁に、魔法使いたちは容赦がない。年齢に関係なく、実力が問われる魔法使いたちの理屈で攻め立てる。

 

「じゃあ、僕は先に行ってるネ。君たちは出番ないと思うから、ゆっくり来てよ」

 

 王子護が、木の陰に入ったと思ったら姿を消した。魔法による転移を使ったのだ。

 

「ああもう、あいつ、本当に行っちゃったわ。じゃあ、私も先に行くわね」

 

 メイゼルも、それを追うように校門に向かって駆け出す。魔法の使い方は、魔法使いそれぞれだから、メイゼルも自分が魔法が使いやすいところに行くつもりなのだ。

 ひとり置いてけぼりにされた仁は、悔しさに泣きそうになりつつも、彼は魔法使いたちと暮らしていくと決めたから、携帯電話を取り出して、電車の乗り換えを調べ始めた。

 魔法を消去する悪鬼だが、魔法使いに振り回される仁の、これが日常である。

 

 

 

 

 

 

 

 目的地は、銀座にあるマンションの一室だった。中には入れない。先に入った王子護が、魔法を使ったのか、扉の奥は真っ黒で、一歩も先に進めなかった。

 メイゼルは仕方なく、マンションの入り口に立ち、銀座の街へ続く道をぼんやり眺めていた。隣には仁がいる。メイゼルから遅れてやってきた彼は、扉の奥に魔法消去をかけろとメイゼルにけしかけられていたが、次にトランプをダメにしたら王子護に何をされるかわからないからと全力で拒否した。そのすったもんだした様子を、近隣住民にイタズラにきた子供かととがめられそうになって、逃げるようにここにいたのだ。

 

「もう、仁のせいよ。ほら、お姉ちゃんにごめんなさいをしなさい」

「なんで、俺がお前をお姉ちゃんって呼ばなきゃいけないんだ」

「舞花やキョウカは、お姉ちゃんって呼ぶじゃない。私だけ、お前って呼ばれるのは不公平よ」

 

 メイゼルは少し前から、仁に姉と呼ぶように迫ってくるようになった。

 メイゼルはもといた魔法世界から、この《地獄》に望んできたわけではない。

 幾数千を数える魔法世界には、大罪人を刻印を押して《刻印魔導師》として地獄に堕とす刑罰が存在している。その罰は大多数の魔法世界が参加している《協会》の敵や犯罪魔導士を百人倒さなければ終わらない。

 

「舞花姉ちゃんは、本当の姉ちゃんだし、キョウカ姉ちゃんも家族みたいなものだからだよ。お前は本当になんでもないだろ」

「ここでは、親しい年上の人間をお姉ちゃんとかお兄ちゃんとか、家族みたいに呼ぶそうね。そこに私も入れてもいいじゃないかしら」

 

 メイゼルもある罪のせいで地獄に堕とされたため、地獄の風習や家族観は勉強中だ。しかしながら、魔法世界の常識が抜ける訳じゃないから、仁に迫ってくることはいつも突飛で、幼い仁には、すべて拒否の一択である。

 

「こんなお姉ちゃん、俺はいらない」

「あなたの二人のお姉ちゃんは、甘やかしすぎなのよ。こんなかわいい顔するのに、気付かないなんて、もったいないわ」

「お前は痛いことばっかりするから嫌いなんだよ。わかれよ」

「仁は痛いのが嫌いなの。じゃあ、特別に私に痛くしていいわよ。二人で痛くなったら、嫌いも好きになるわ」

 

 メイゼルはこの地獄で初めて触れた家族が仁たちだから、その関係を見本としているのだが、認識が少しずれているのか、痛みを与えあうことのできる関係こそ家族と信じ切っている。

 

「どこの理屈だよ、魔法使いってこれだからいやだぁ」

 

 メイゼルに電撃で小突かれ、とろけた目で迫られながらも、仁には何がなんだかわからないから、どうすることもできない。

 現実から逃げ出したくて、通りを見やると、どこかで見た顔が横切った。隣にいるメイゼルにも見るように促す。

 

「あれって、あいつだよな。どうする。王子護を呼んでくるか」

 

 二人が見つけたのは、金髪を後ろになでつけた身長198センチ近い大男だ。その正体はラグランツ・ヴェイル。《公館》の犯罪魔導士リストに載っている《染血公主》ジェルヴェーヌ・ロッソの部下の一人だ。このマンションで起こった強盗殺人事件の容疑者の一人でもある。

 

「必要ないわ。あれなら、私一人でだいじょうぶよ」

 

 メイゼルはそう言って、つかつかとマンション入り口から出てしまっていた。仁も慌てて後を追う。

 

「まちなさい!」

 

 男が振り向いて、こちらを見降ろした。仁は、反射的にびくりと身体を震わせるが、メイゼルは動じなかった。

 

「宣名大系魔導士ラグランツ、でしょ? あれだけの事件を起こした現場に、よく抜けしゃあしゃあと戻ってこれるわね」

 

 メイゼルはそういうと、足元に魔法陣を展開した。そして空気中の電子を《魔力》として認識し、一斉に励起させる。同時に魔炎が上がって奇跡が焼き尽くされる。

 仁は知っている。これは、あえて魔炎を出現させることにより、魔法消去の死角を探しているのだ。

 地獄に住み着いた魔法使いたちが、街中で魔法をつかおうとするときの一つの方法である。

 

「こんな子どもが刻印魔導師か」

 

 魔法使いたちは、人目に付くことを避けるから、ラグランツは逃げるように駆け出す。

 だが、それをメイゼルは逃がさない。少女は足元に展開していた魔法陣を導線のように、縦に伸ばして、ラグランツの足を捕捉する。

 

「疾れっ!」

 

 メイゼルが、数秒でその手のひらに蓄えた高電圧の電を魔法陣に向かって流し込んだ。導線は、道路の舗装から電子を遊離させており魔力がとおり易くために作られたものだがら、流れる高圧電流を瞬時にラグランツを捉え昏倒させる。

 

「素直に捕まったら、ちょっと泣かせるくらいで勘弁したげる。観念しなさい」

 

 メイゼルが身長の低さをごまかすように、見下すように胸を張る。ラグランツは子供にいいようにされる屈辱を味わいつつも、この場は不利と悟ったのか足を引きづりながらマンションの地下駐車場へ転がるように逃げ込んだ。

 ラグランツが地下駐車場の入り口のシャッターを操作して開けて中に入っていく。

 

「待ちなさい。逃がさないんだから」

「ここまで追い込んだんだから、さすがに王子護を呼んだほうがいいんじゃないか」

 

 仁はいやな予感がしていた。魔法使いが人目を避けるのは、自由に魔法が使えないからだ。ラグランツの逃げ込んだ先は、薄暗く監視カメラが破壊されていれば、人目もまったくない。メイゼルが優秀な魔法使いなのは知っているが、ラグランツの魔法によってはこの優位が覆される可能性だってある。

 

 『君は魔法と、戦いを見極める能力を養いなさい。魔法を使えない君が、誰よりも魔法を理解しないと、何も守れずに死ぬだけだヨ』

 

 王子護が訓練のときに言っていたことを、仁は思い出していた。魔法も使えず、ただ魔法消去を止められるだけの力を持つ仁は、それでも何も考えず魔法使いと戦ったら死ぬだけだと、幼い頭でも理解していた。

 

「仁、あいつは獲物は早いもの勝ちと言ったのよ。それに、私はひとりでも戦えるわ。家族にだって頼らない。魔法使いは、ううん、あたしは、欲しいものは一人でだって戦って手に入れるわ」

 

 仁を放って、メイゼルはラグランツを追って地下駐車場に向かった。

 メイゼルは、幼くても魔法使いだった。そして、魔法使いはときに自分の命を危険に晒してでも、その誇りのために曲げられないものを持っている。

 メイゼルが地下駐車場に入ると、シャッターがおりて、魔法使いたちは閉じ込められた。空気中の魔力を励起させても、魔炎は上がらない。

 なんの変哲もない駐車場が、魔法使いの戦場に形を変えていく。

 

「幼い魔導師よ、いい度胸だ。命取りなほどに無謀ではあるがな!」

 

 停まった車の陰から、その手を魔法で黒曜石の剣に変えたラグランツが飛び出した。

 メイゼルは不意を衝かれ、魔法での迎撃が間に合わないから転げるようにその剣戟を交わす。

 ラグランツがそれに追いすがるように、大きく踏み込んで迫ってくる。感電した足も、もうなんともないようだった。これも、魔法で治療したのだ。

 メイゼルは転がりながらも、手のひらには迎撃用の電撃を蓄えていた。

 

「こんなので勝とうなんて、甘いのよ!」

 

 ほどんど抜き打ちのようにかざれた手から、電撃が放たれなかった。そして、ラグランツの剣もメイゼルに届くこともなかった。

 

 代わりに視界が赤く染まった。これの正体を、地獄にきた魔法使いたちは知っている。

 

 音もなく舞った《魔炎》が、魔法を焼いたのだ。

 

 ラグランツの腕から、血が舞った。手を剣に変えた魔法が急に焼かれたから、手を元に戻すこともできず、変化させなかった腕の断面から血が噴き出たのだ。

 あまりのことに、魔法使いたちが声をなくす。さっきまで、悪鬼の影も形なかったのは、二人とも確認済みだった。それが、突然焼かれた恐怖に、魔法使いは動けなくなる。

 

 ただ、“沈黙”が訪れた。ここが、お前たちにとっての“地獄”だと、沈黙が告げているかのようだった。

 

「仁! 余計なことしないで!」

 

 ラグランツより一瞬早く、その正体に気づいたメイゼルが動き出す。魔炎は声と同時に止んでいた。

 

「どこかに悪鬼がいるのかあああ――」

 

 叫ぶラグランツが、引っ張られたかのように地面に突っ伏した。ラグランツの腕の傷口を流れる血中鉄分の電子を操作し、S極に磁化させ、同じくN極に磁化させたコンクリートの地面を無理やりくっつけたのだ。

 そして同時にメイゼルは、ラグランツの腕の断面の細胞周期を操作して動脈をはじめとした大きな血管を塞ぎ、出血を抑えていた。

 電子をはじめとした周期運動をする物体や、法則に魔力を見出す円環大系で、高位の実力者に数えられるメイゼルにとっては、いずれも容易だった。

 ラグランツは理由のわからない魔法の沈黙と、幼い魔導師に情けをかけられている現実に打ちひしがれていた。地面に磁石でくっつけられ、魔法使いの誇りも地に堕ちる。

 

「どうして、こうなった。一体何が起こったというのだ」

 

 理解が追い付かず、地面に這いつくばる格好になったラグランツをメイゼルが見下ろす。

 

「あたし、背の高い人がそうやってはいつくばるとこ見るの大スキだわ。はぁっ、もう、そういう目はもっとスキ!」

 

 屈辱に震えるラグランツを、メイゼルは嗜虐的な喜びに目を蕩けさせいた。そしてラグランツを見つめたまま、誰もいないはずの地下駐車場に声だけを投げかける。

 

「仁、出てきなさい。余計なことしたのは、特別に許してあげるわ、私はいま、とっても気分が良いのよ」

「お前、もう、それくらいにしとけよ。王子護は、今から呼んでくるから」

 

 仁が、車の陰からおずおずと出てきた。さっきまで隠れていたのだ、そして、ラグランツの魔法が致命的なタイミングになるまで、息をひそめ、魔法消去を発動した。魔法の正体を見極め、消去が致命的になるタイミングで魔法消去を発動させる。これが、まだ9歳の仁が目指している戦い方だ。

 

「お前が悪鬼か、なぜ魔法消去が止まっていた。お前は何なんだ」

「地獄には先祖返りの悪鬼がいるって、覚えとけよ。まだ修行中なんだけどさ」

 

 はるか昔に魔法使いが到来していたころは、魔法消去を止められたり、そもそも魔法消去を持っていない人間たちがこの地獄にいた。仁のような能力者を、魔法使いの間では、先祖返りの悪鬼、“真なる悪鬼”と呼び、悪鬼以上に忌み嫌う。

 ラグランツは魔法使いだから、原因がわかればそれに対処しようとする。魔法消去をある程度自分の意思で操作できるといえど、メイゼルの魔法も消去していたように、対象を厳密に操作できるはずがない。

 

「あ、鴉木メイゼルの嗜虐的変態性を名付け『S』と定義する」

「魔法か!」

 

 ラグランツの扱う宣名大系という魔法は、術者自身が想起したイメージを媒介に索引を引く索引型の魔法だ。円環大系のように、自然秩序の乱れを《魔力》として感知し自然を操作して魔法を行使する魔法を《魔力型》と呼ばれることに対して、《索引型》は世界の構成要素を、《索引》を頼りに引き出して魔法を行使する。つまり、特定の索引さえ引けれだ、あらゆる魔法を行使できる。

 先ほどラグランツが手を剣に変えた魔法は、剣の構成要素を索引から呼び出し、手にかぶせることによって行使された魔法だ。

 宣名大系は、索引行為が術者の脳内で完結してしまうため、奇跡を発現するためには、対象を術者の脳内イメージを記述した《化身》で捕獲し、名付けを行う必要がある。

 宣名大系の《化身》、《貪欲の化身》がメイゼルに、その変態性を捕捉しようとからみつく。宣名大系は、索引型の魔法の中で、感情のような抽象概念でも名づけさえ成功すれば操作できる強力な魔法だ。

 消去をしないと、メイゼルの嗜虐的変態性とやらが、操作されてしまう。仁は明らかに危険だと考え、魔法消去で止めようとするが、それをメイゼルが止めた。

 

「仁、大丈夫よ。あたしは、強い相手やきれいな子の泣き顔を見たい気持ちが、人よりちょっとはげしいだけなんだから! 変態なんかじゃないわ!」

 

 自信満々に胸を張って答えるが、大丈夫じゃなかった。これ以上なくがっちりと、メイゼルのジャンパースカートの下の素肌に化身が定着し、定義つげが完了した。

 

「わが定義済み概念『鋼鉄』を、『S』に加算する。……我を苦しみから解き放て!」

 

 そして、仁が魔法消去を発動するより早く、ラグランツが魔法を完成させる。

 大男を屈服させるというメイゼルを突き動かしていた感情が、鉄のように重くなり静止した。そして、ラグランツの言葉通りに魔法を解除してしまう。

 仁が魔法消去を発動して、メイゼルを正気に戻したときには、ラグランツは立ち上がり一目散に駆け出していた。ラグランツは魔法のまともな打ち合いではすでに不利と悟っていたのだ。

 

「あ、あ、あ……」

 

 天使のようにあどけない頬を真っ赤に染めて、少女は絶句しその場に座り込む。

 横で仁が、同情したように肩に手をかけた。この魔法のかかり方は、魔法大系そのものから、『お前は変態だ』とお墨付きをもらったようなものだ。

 

「仁、あいつを追いなさい。泣くまでひどいことしてあげるんだから!」

「無茶いうなよ。ここでまともにやり合って一番弱いの俺だぞ」

 

 仁はまだ9歳で、ここでは一番幼い。魔法消去があるといえど、単純な身体能力で最下位だから、不意を突けなければ為すべもない。

 それに仁はラグランツの向かった先に、一人の影を見つけていた。

 

「君たち、ほんっとに綺麗じゃありませんネ。こんな雑魚に、一々手間取るんじゃありませんヨ」

「そこをどけええ!」

 

 ラグランツがなりふり構わず突っ込んで行く。影の正体は王子護だった。わざとらしく、帽子を手に取り、それを大仰な仕草で高く、振り上げる。

 

「いいですか、初見の相手にむやみやたらに突っ込むのはいけません。何故だがわかりますか」

 

 王子護の中から、黒い影が波濤のように噴き出る。何も見通せない、真っ黒なそれは、王子護が創り出すもう一つの世界、そのものだ。

 

「相手の実力が上だったときは食われるだけ、下でもより冷静な方が、勝負をひっくり返します」

 

 駆け出していたラグランツは急に止まれず、影に突っ込んでいった。何か、言葉を発しているようだが、それも世界には届かない。王子護の影に取り込まれ、魔法から切り離された世界に喰われていく。それは、魔法使いにとって、地獄と同じくらいどうしようもない恐怖だった。

 

「戦いはまず冷静に、相手の戦力を分析してネ。感情的なのも自信過剰なのも、ましてや人を信じるのもダメだヨ。いち早く正解にたどり着いた者だけが、最後には立っていることになるんだから」

 

 人ひとり喰らいつくしても、王子護は眉ひとつ動かさない。魔法使いにとって、戦ったら殺したり、殺されたりは当たり前なのだ。

 わかっていても慣れるものではない。そして、魔法使いは、決定的に価値観の異なった異世界人だということに気付かされる。仁は、となりで強張った表情を浮かべるメイゼルが、自分と同じ思いでいたら良いと少し思った。

 ここは、地獄じゃないと、仁は信じている。もし、魔法使いの中でもそう信じてくれるやつがいるのなら、仁は一緒に暮らしていきたいと思っている。

 まるで家族みたいにみんな仲良く暮らせたらと、幼い仁は願う。

 そうなったら、姉の一人や二人は増えても良いとさえ思った。

 

 

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