悪鬼の俺と魔法使いの姉たち(円環少女・主人公ショタ化)   作:棚尾

2 / 2
-2-

 倉本きずなは、そこにいた小学生たちを思わず歩きながら振り返ってしまった。夏物のジャンパースカートを翻し、長い黒髪に臙脂色のリボンを結んだ、まるで妖精みたいにきれいな女の子だったのだ。可憐な唇を不機嫌そうに尖らせ、とことこと歩いている。その後ろに、少しうんざりした顔をした幼い少年が付いて歩いていった。お転婆なお姉ちゃんに振り回される弟といった具合で、その雰囲気にほのぼのする。見た目が似ていないから、きっと幼馴染とか、そんな関係なんだろうなあと、きずなはぼんやりと思う。

 金曜日の夕方に、高校二年生の彼女が、湿っぽい夏の空気すら趣味のいい銀座の街を歩いているのは、彼女の父親が開いていた個展を見ていた帰りだからだ。彼女の父親は、不思議な音色の楽器を作っており、これが評判なのである。見た目はちょっと似ていないけど、個展を開くほど本格的な趣味人である父親は、彼女にとって自慢である。

 見た目だとか、似ているかどうかは家族にとってあまり関係がない。あくまで、一緒にいて、ごはんを食べて、暮らしているから家族なのだときずなは思う。そう考えると、先ほどの小学生たちも家族のようだと感じたのは間違いではないかもしれないと思った。

 電車を乗り継いで、慣れ親しんだ自宅の最寄りの駅にたどり着くと、もう日が落ちて空に星が輝いていた。とても静かな夜だった。

 

『魔法は本当にあるんだよ』

 

 彼女は、父がかつてそう言っていたのを思い出していた。こんな夜に、魔法の一つもあってよいと、きずなは空を見上げて思う。

 

 夜は魔法に近いから、奇跡は起こった。

 

 駅から徒歩十五分のアパートに、スーパーで買い物をして、夜道を帰る途中のことだ。夕飯のにおいにつられた野良猫が、塀から飛び降りて、きずなの前を通って十字路に差しかかったとき、交差点の右側から、強烈なライトが指した。

 このままでは、ひかれると、きずなは握った手を、猫を引っ張るように手前に引き寄せた。その仕草が魔法を呼び、猫の尻尾がまるで《見えない手》に引っ張られたかのように、彼女のそばまで引きずられてきた。

 

「……これって、ひょっとして、……魔法!」

 

 あまりのことにあっ気にとられつつも、確かに手ごたえがあった気がした。足元の猫は、何かに尻尾を掴まれたかのように、その場で地面をこするが動けない。

 

「すごい、魔法だ」

 

 握ったままの手を、思わず振り上げてしまった。猫がふわっと浮くのに驚いて、手を放すが、もう遅かった。びっくりして、気が立った猫が、地面に着地するや、彼女に襲い掛かってくる。

 かばんで猫パンチを受けながら、倉本きずなは興奮していた。魔法は本当にあるといっていた父に話をしたら、なんと言うだろう。ほめてくれるだろうか。それとも、信じてもらえなかったりするのだろうか。少し不安があっても、家族だから、話をしたかった。

 こんな素敵な夜を、家族と共有しないのは、もったいないと思った。

 

 

 

 武原仁は、幼いながらも、魔法使いたちと関わることを自ら決めた。それは、魔法がないと生きられないたった一人の家族と付き合っていくうえで必要だと思ったからだ。昨日の戦いのことを思いだしていたから、突然かけられた声に思わず足を止めてしまっていた。

 

「こんにちは」

 

 制服を着た女の人だった。姉の舞花より大人っぽく見えたから、女子高生だろうと推測する。何か、嬉しいことがあったのか弾むような笑顔で、道行く小学生につい声をかけてしまったのだろう。うかつな人だなと、仁はなんとなく思う。

 

「あ、ごめんね。別にあやしい人間じゃないよ。お願いだから防犯ブザーは鳴らさないで」

 

 仁が止まって黙り込んでしまったからか、戸惑った様子で、かがみこんで目線を合わせてくる。仁の姉にはない、胸のふくらみが目の前に現れて、気恥ずかしさに目をそらしてしまった。

 

「何やってるの、仁! 早く行くわよ」

「お姉ちゃんかな。呼んでるよ」

 

道の少し先にメイゼルがいた。口を不機嫌そうに尖らせている。王子護は、戦闘でも学校でもメイゼルを助けないから、たまった不満は仁にぶつけられるのだ。

 

「……あんなの……姉ちゃんじゃない」

 

 つい、声を出た。その様子を見て、うかつな女子高生はあいまいな笑みを浮かべる。

 

「大変だろうけど、家族は大切にしなきゃだよ。頑張って、行っておいで」

 

 励まさて、仁は複雑な気持ちをしまいこんでうなずいた。メイゼルが仁にぶつけてくる感情の正体を掴みかねているから、仁も三つ年上の魔法使いとどう付き合うか決めきれていない。

 

「うかつなお姉さんも、知らない小学生に声をかけると通報されるから、気をつけてね」

 

 わきを抜けて、駆け出す。うかつな女子高生は口をぽかんとあけたまま呆然としていた。うかつでも、優し気な雰囲気と、胸のおおきさにドキドキしたのは内緒だ。仁のまわりには、ああいう女の人はいない。

 

「なに、仁はあたしと一緒じゃ不満なわけ」

「そんな訳…………ないだろ」

 

 答えるまでに間があったことをメイゼルは見逃さなかった。仁の腕をつかみ、お仕置きとばかりに電撃を通す。実際、不満は多かったが、王子護に二人一緒に管理されている以上、仕方がない。それに仁は、前から少し考えていたこともあった。

 

「なあ、昨日のことなんだけどさ。俺たちは、ひとりひとりだとやっぱり戦うには大変だと思うんだけどさ」

 

 魔法使いはこの《地獄》の住人である悪鬼を人間扱いせず、傲慢な者も多い。そして、そういった連中はしばしばトラブルを実力行使で解決しようとする連中ばかりだ。王子護の下について、《公館》に関わる以上、戦いに発展する場面も多く、そうした場合では仁は一人ではほとんど役に立てない。

 魔法消去を止められる《真なる悪鬼》とはいえ、仁はまだ9歳の子供なのである。

 

「あたしは、一人でも戦っていけるわ。仁はそうでもないかもしれない。けれどだったら、あたしが守ってあげるんだから」

 

 メイゼルは実力では高位に数えられる魔法使いだ。並みの魔法使いに遅れを取ることはまずない。ただの一人で魔法と世界と対峙する魔法使いにとって誰かの手を借りて戦うという選択肢はない

 メイゼルは、幼いながらも魔法使いなのだ。

 

「そういうことじゃなくて、二人だったら、もっと色んなことができると思うんだ。王子護は何も言わないけど、二人一緒にされてる理由があると思うんだ」

「違うは仁。あいつは、仁のことが大切なだけで手元に置いているだけ。あたしはおまけで、いなくてもいいのよ。だから、あたしは一人でも強くならなきゃいけないの」

 

 仁は一緒に戦う相手として、メイゼルにもちゃんと見てもらえていなかった。実力もなく、幼いこころでは戦いに対する向き合いかたも未熟だから、味方にも相手にされないか、守るべき荷物としか見てくれない。

 仁の立ち位置は中途半端で、実力がないのは事実だから、悔しさに手を握りしめるだけで言い返せない。あるのは、何か役に立ちたいという気持ちだけだ。

 

「それで、あいつも、舞花も京香も、仁も、みんなあたしに屈服させて、あたしなしじゃ生きていけないようにするんだから。仁はそうなったら、あたしのこと、お姉ちゃんってちゃんと呼ぶのよ」

 

 仁の葛藤など知る由もなく、メイゼルは自ら望む未来に思いをはせる。

 メイゼルのことを姉と呼ぶ未来は、仁にとって良いのかわからないが、屈服させられるのは何となく嫌だしかっこ悪いと思う。仁はもっと強く、大人になりたかった。

 

 

 

 多摩川流域にある、広大な敷地をもつ古びた洋館が、魔導師公館の本拠地だ。仁とメイゼルは、《公館》から呼び出しを受けて、到着したところである。メイゼルは到着するなり、魔法使いだけが立ち入りを許されている《奥の院》に消えていった。魔法使いだけの話に、仁は入れないから、おとなしく一人で応接室に向かう。

 公館本館の広々とした身内用の応接室には、よく知った先客がいた。

 赤茶けた髪を邪魔にならないように短く切りそろえた少女が駆け寄ってくる。意思の強そうな瞳に、少し下がった眉が、仁に似ている。

 

「舞花姉ちゃん」

 

 仁の中学二年生の姉、武原舞花が、仁のことをぎゅっと抱きしめていた。毎度のことだから、もう慣れてしまったが、このスキンシップは姉弟とはいえやり過ぎだと、仁は同じように姉がいるクラスメイトの話を聞いて最近知った。

 

「仁、大丈夫。王子護さんにひどい目にあわされてない?何かあったら言うんだよ。姉さんはね、仁のためだったら誰にだってなんだってするからね」

 

 たった一人の家族だとしても、舞花が仁に向ける愛情は過剰だった。けれども、ちょっと恥ずかしくても、仁はそれを振りほどけない。仁にとっても、舞花は大切な家族だからだ。

 

「八咬はいないの?」

 

 いつも、公館に詰めている同い年の少年の姿を探す。仁と似た境遇の、公館において気を許せる数少ない友人だ。

 

「東郷先生と一緒に北海道に出張だって、さっきでかけていったよ。熊と戦うんだって、喜んでたよ」

 

 東郷先生は、王子護と並んで、公館に長く専任係官として在籍する重鎮だ。専任係官として若手の舞花や、修行中の仁と八咬を指導することも多く、先生として慕われている。

 

「《蛇の女王(アスタロト)》、じゃま」

 

 入り口で抱き合ったままの姉弟に冷たい言葉をかけたのは、人形のように体温を感じさせない白磁の肌と、清冽な雰囲気をまとった少女だった。誰もが目を奪われる美しい容姿と、無駄のない顔のパーツが揃っているが、今は不機嫌そうに眉を寄せている。

 

「姉弟揃って中途半端で、目障り」

 

 彼女の名前は神和瑞希。魔法使いたちの間では《魔獣使い(アモン)》とも呼称される、公館が今の形になる明治以前から、《協会》と同盟関係にあった古い一族の末裔で、本人も昨年最も多くの敵対魔法使いを狩ってきた優秀な狩人だ。

 そして《蛇の女王》とは、舞花のことを指す。公館の専任係官たちは、魔法使いを狩る者として忌み名ともとれる二つ名が付いていることがほとんどだ。

 

「そんな中途半端な新人に、実績抜かれそうな古い家系だけが取り柄の人に言われたくありません」

「口が減らないやつ」

 

 舞花と神和のにらみ合いが続く。《魔獣使い》の家系は、似たような魔法の特徴を持つ《蛇の女王》をよく思っていないうえに、神和と同じ若手として競い合っていることも合わさって仲が良くない。専任係官が、共闘を基本的にしないということもそれに拍車をかけている。

 気がつけば、神和の周りに霧のようなもやが集まり始めているし、舞花の身体の周りには光の泡のようなものが浮いていた。今にも戦い始めそうな雰囲気に、間に挟まれた仁は気が気でない。

 一触即発の雰囲気を破ったのは、熱を持たない赤い炎、《魔炎》だった。仁は魔法消去を使っていない。

 

「そこまでにしてくれませんか、二人とも。ここで、暴れられては困るのですが」

 

 あらわれたのは、魔法使いの問題に対処する組織を束ねる悪鬼、魔導師公館の事務官を務める十崎京香だ。後ろに王子護も付いてきている。京香は、仁にとっては、近所に住む幼馴染のお姉さんなのだが、仕事のときは近づきがたい雰囲気をもつ。悪鬼を忌み嫌う魔法使いにさえ《氷の事務官》と、一目置かれているのだ。

 

「競い合うのは良いことだけど、もうちょっと仲良くしようヨ。みんな同じ職場で働く仲間じゃないの」

 

 年長者らしく、仲裁しようとしてみても、軽薄さとうさんくささが隠せない王子護に対して、若い女子たちは容赦がない。

 

「お前がそれを言うの、一番ない。嘘だらけの《魔術師(マジシャン)》」

「王子護さんはかがみ見て出直してください」

「公館の女性たちは手厳しいネ。慎ましやかな大和撫子はどこいったんだロ」

 

 この場で最も古株な王子護が、過去にあったかどうかわからない大和撫子を想い返して悲嘆に暮れる姿に、女性たちの冷たい視線が刺さる。仁がその思いを代弁してみた。

 

「王子護、そういうのセクハラって言うらしいぞ。あとオッサンくさいぞ」

「仁、生意気にそういうことばっかり覚えてると、僕のような良い大人になれないヨ」

 

 王子護が珍しく真剣な表情を浮かべ、仁の頭に手をのせる。何を言っても、本気かどうかわからない。

 

「お前がもう一人いたら、やってられない」

「大人の責任として、仁ちゃんをあなたのようにはしたくはないですね」

「仁があなたのようになったら、仁を刺して私も死ぬと思うし、絶対にそんなことはさせない」

 

 悪い大人から守ろうという姿勢はありがたいが、流石に姉の愛は重すぎるのではないだろうか。王子護が苦笑して、おおげさに肩をすくめてみせる。

 幼さに甘えるのは、正直悔しい。守られるだけでなく、ここで役に立ちたいと思うのは、わがままなのだろうか。歳の近いメイゼルも、姉の舞花も、神和も大人とは呼べないのに、戦いに身を投じている。

 仁はそれを指をくわえて見ているだけだ。そんな姿が情けないと思うから、食い下がっているのだ。すぐには無理かもしれないが、いつか必ずともに戦うのだと決めていた。

 それが、仁の小さな意地だった。

 

 

 

 東京の地下には第二次大戦中に掘られた広大な通路が存在する。《公館》では《武蔵野迷宮》と呼ばれるこの場所は、魔法使いたちが作り出した壮大な夢の跡だ。地上には、悪鬼がうごめき魔法使いは自由にできない。だから魔法使いは、地下へ自分たちの都市を作ろうとした。《公館》でさえもこの巨大な構造物の全容は把握できていない。

 ここは魔法が存分に使えるから、魔法戦闘の修行にぴったりなのである。

 いつもは仁だけが王子護に呼ばれることが多いが、今日はメイゼルも一緒だった。

 王子護は、幼い彼らに一切の容赦がない。おそらく、この世界で魔法戦闘に誰よりも詳しい男の修練は、実戦形式だった。

 

「僕は、あまりスマートじゃないのは好きじゃないんだけど。今回は、ちょっと相手が悪いから、仕方ないネ」

 

 暗闇の中から、王子護の声だけが聞こえる。メイゼルと二人で三十分近く相手をしているが、傷一つどころか、まともに姿さえ見ることもできていない。魔法消去を常時発動したとしても、魔炎はその姿を照らしてはくれない。

 この暗闇は、魔法使いの独壇場なのだ。始めて王子護と出会ったときを嫌でも思い出す。

 

 王子護ハウゼンは“怪物”だ。

 

 本当は、味方だとわかっていても、本能が恐怖する。悪鬼の先祖たちも、奇跡の使い手たちを、暗闇の中でこんな風に恐怖したのだろうか。

 仁は身体中が痣だらけだ。隣でメイゼルの荒い息づかいが聞こえる。

 

「君たちは、まったく二人でいることの利点を生かせていません。いいですか、数は力ですが、それはお互いに連携が取れたときだけです。足を引っ張りあってしまっては、その力は一人前どころか、半人前も出せません」

 

 通路の中で、音が反響するから、王子護がどこにいるかもわからない。視覚による魔法消去は期待できない。王子護の隠ぺいは巧妙で、気配どころか攻撃の正体すらわからない。

 いい加減に痛めつけられて、メイゼルは頭に血が上っていた。

 

「仁、魔法消去を止めなさい。一切手出ししないでいいわ。あたし一人の力で、あいつにひと泡吹かせてやるんだから」

 

 このまま地面に這いつくばることは、魔法使いとしての誇りが許さなかった。大気中の魔力が励起され、メイゼルの周りを電光がまとわりついていく。

 

「相手が半端な犯罪魔導師であれば、仁はダメでもあなた一人で何とかなるでしょう。けれど、今度の相手はそうはいかないヨ」

 

 視界が膨大な電子の帯電で、白く照らされていく。その熱の中心にあって、メイゼルの表情は鋭い。地下で魔法消去の影響がほとんどないことをいいことに、強力な魔法を使おうとしているのだ。

 姿が見えないならばと、めぼしいところをすべて破壊してしまえば良い。円環大系の魔法は、数千の魔法世界の中でもトップクラスの火力を誇るから、それが可能だ。

 

「待て。それはさすがにまずいんじゃないか」

 

 メイゼルや王子護は、魔法で自らの身を守ることができるかもしれないが、仁はそうはいかない。ここが崩れてしまったら、生き埋めになってしまう。

 命の危機に震える仁のことを、魔法使いたちは意に介さない。

 メイゼルは、魔法の制御に集中している。

 王子護はその様子をどこかで見ているはずなのに、メイゼルに講釈を続けていた。

 

「神聖騎士団は。その魔法の汎用性と、集団としての力で《協会》と戦い続けている相手です。よっぽど強くないと、一人で立ち向かっては、数の力に押しつぶされるだけだネ」

 

 公館で仁たちも説明を受けていた。公館と協力関係にある最大の魔法使い組織《協会》と敵対関係にある《神聖騎士団》の精鋭部隊が、この東京に侵入してきたのである。

 総勢12名の神聖騎士。王子護は、その対処を命じられたのだ。メイゼルが来てからのこの20日間に相手にしたのは犯罪魔導師がほとんどだったが、今回の相手はそれとは別格とのことだ。

 だから、王子護は珍しくメイゼルを連れてきたのだと仁は理解していた。それなのに、まったく協力できていない。仁が不慣れなのもあるが、一人で存分に魔法を使いたいメイゼルとまったく噛み合ってないのだ。

 

「あたしは一人でも、全てを戦って手に入れるわ。相手がだれであってもよ。それが、魔法使いでしょ」

「その誇りを抱えたまま死んで満足ですか。アリューシャの娘。願いを奇跡で叶えることが出来る僕ら魔法使いが、たかが誇りを守るために全てをふいにするんですか。それは、ナンセンスで、愚かなことだヨ」

 

 王子護が、暗がりのなかから姿をあらわす。白いスーツが、この空間の中で不自然に浮いている。

 一人で戦っては死ぬだけだど告げられても、メイゼルは退くことはしない。それは幼さゆえの傲慢で、無鉄砲さだが、前を向いて進んでいくのに必要なことだ。

 

「アリューシャの娘。ひとつチャンスを与えましょう。それを全力でぶつけてください。僕はここから一歩も動かないと約束しましょう。君が僕に傷一つでも負わせることができたら合格です」

 

 王子護が両手をおおげさに広げて挑発する。円環大系の高出力の魔法を真正面から受け止めるつもりだ。

 メイゼルの目が鋭さを増す。ただ、挑発に乗るだけではない。魔法使いとして、相手の実力を計算する冷静さがそこにはあった。

 

「あんた、完全大系の“弱点”を私が知らないとでも思っているの。魔法使いだって”恐怖”から逃げ切ることなんてできないわ。あんたんとこのてっぺんが、それを証明しているじゃない」

 

 完全大系の魔法は。自らのうちに秘める印象を魔力として魔法を行使し、己がイメージのままに世界を書き換える魔法だ。この魔法は、自らの意思で制御できるうちはいいものの、過大な自然現象をはじめとした、外部の刺激によって容易に侵略され制御を失う。

 つまり、術者本人の想定を上回る現象や、苦手として”恐怖”を引き出す事象に対しては極端に弱いのだ。現に、完全大系の最高位魔導師である《魔王子》バレアルは、自身が最強である完全大系世界から一歩も出てこない。

 ”弱点”を指摘されても、王子護は動じることはない。いつも通り軽薄な仕草で、帽子を掲げて見せる。

 

「“弱点”というものは克服するためにあるんだヨ」

 

 王子護の帽子から、黒い波濤があふれ出した。王子護が人を食べるときに使う、術者自らを記述した《化身》、《万有の化身(ユニバーサルアバター》だ。完全大系は、その化身に、自らのイメージする秩序を内包した、もう一つの世界を作り上げる。

 

「仁はそこを動かないで。いい、絶対よ」

 

 まばゆい光に仁の視界がゼロになる。メイゼルの魔法が、王子護を包んだ。それは全てを焼き尽くす、電子の奔流だ。

 熱の余波は、不思議と感じなかった。傍らに、メイゼルの気配を感じていた。王子護の姿は完全に見えなくなった。魔法の余波が、通路を焼きつかせ、焦げ付いたにおいが鼻につく。

 この熱の奔流を浴びて、まともに姿を保てるものなど、存在はしない。ただの自然現象ではありえないエネルギー量を精密に制御して、対象にかぶせる円環大系の高度な魔法はメイゼルの実力の高さを物語っていた。

 光が去り、そこには黒い影だけが残っていた。あまりの熱量に人影だけが残ったのかと思ったが、その影は不自然に脈動している。

 

「《天使の輪》ですね。この期に及んで仁を気遣って、威力を抑えましたカ」

 

 王子護の声が、黒い影の中から聞こえた。顔の部分から、順番に影が去って、いつもの軽薄な白いスーツが出てくる。そこには、傷どころか埃一つ、ついていなかった。

 あらゆるものを焼き尽くす光を受け止めるそれは、人の所業ではない。

 ”怪物”が為せるわざだった。

 

「正解は、仁の魔法消去を使って、僕を丸裸にすること。そして、その消去の死角から、僕の心臓を、そこらへんの小石でも磁力を使って飛ばして、打ち抜くことだね」

 

 呆然とするメイゼルと仁に対して、王子護は何事もなかったように平然と言ってのける。

 

「君たち、いい加減に”二人”で戦いなさいヨ」

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。