「先輩、先輩」
「何だ?」
「お腹すきませんか?」
「まあ……少しは」
「実はですね……」
一色が鞄から取り出したのはピンク色の布で包まれた二重になってる弁当箱だった。そういえばこいつ料理はどちらと言えば得意な方なんだよな……。
「急いで作ったんであんまり凄いものじゃないですけどね」
「いや別に……作ってくれただけでありがたいし」
「……っ!」
一色は顔を赤くしながら視線を逸らした。いや自分で言っといてあれなんだけど、俺も恥ずかしい。てか女の子が弁当作ってくれたってだけで結構嬉しいんだよな。
「え、えーと……とりあえずどーぞ!」
「あ、ああ。いただきます……」
恥ずかしながらも箸を受け取って、さっそく蓋を開ける。からあげに卵焼き。それに懐かしいウインナー。もう一つの箱は具材盛り沢山の焼きそばであり、海らしい。
とりあえず卵焼きを口に運んでみる。
「ど、どうですか?」
「……甘いな。そしてこれめっちゃうま! なんだこれ!?」
「お、おいしいですか? 先輩、甘いのが好きだから、いつもより甘めに作ってみたんですけど」
「いやかなり美味しいわ、これ。ありがとな」
思わず笑みがこぼれるくらい美味しかった。さっきまでの海の会話を忘れたかのように笑えるくらいなんだから。
「好きですよ、私。先輩の事」
好き……か。そもそも好きっていうのはなんなのだろうか。相手の事を常に考えたり、自分以外の人と話してたりすると嫉妬したり、自分だけの物にしたいと考えることなのだろうか。
昔、好きになった女子には振られて、その事はすぐにクラスに知れ渡っており、そして失望した。つまり人を好きになるということは誰かが傷つくことが前提の行為なのだ。それがどういう経緯で傷つくかは人それぞれだし、もしかしたら傷つかないで平和に終わるかもしれない。でももし平和に終わらせることができるなら、是非とも方法を教えてほしい。
由比ヶ浜を振ったことで少なからず俺にも思うものはある。そして今日だって目の前の後輩の期待を壊しにきているのだから。
「なあ一色」
「何ですか?」
「……なんでもない」
不思議そうにこちらを見る彼女は可愛かった。会ってからまだ一年も経っていないのにどうしてこの子は俺を好きになってしまったのだろう。初めは葉山の事が好きで、俺に協力を求めてきたただの恋する女の子の一人だった。けどそれは時間が進むごとに変わってしまい、こんな俺なんかを好きになってくれたのだ。
だけど俺は好きなんだ。一色いろはではなくて、あいつが好きなんだ。好きという想いを自分なりに伝えようとして、失敗して、けど諦めずに頑張って……。
そうだ、俺は雪ノ下雪乃に信じてもらいたいし、好きになってほしいんだ。
「さてと……先輩、先輩」
「ん?」
「私、飲み物買ってきますけど何かいります?」
「あー任せる。冷えたマッ缶あるならそれで」
「ないですよ、そんなの。適当に買ってきますね」
呆れながらもそれでいて口元は笑っている彼女は海の家へと向かって行った。その様子を遠目から見ながら、思わず笑みがこぼれてしまう。
思えばこんな未来もあったのかもしれない。俺が雪ノ下ではなく、一色を好きになって、両想いになって、こうして海に遊びに来ていたのかもしれない。先輩と後輩という関係ではなく、恋人として。
「いやあのそういうのまじ困るんで」
「違うんだって! 別に俺達ナンパとかじゃないし!? ただ声をかけただけなんだけどー!?」
ふと我に帰ると一色の声が聞こえる。声のする方に向くと、缶ジュースを二本持った一色が三人組の男に絡まれている。男達は笑いながら話している様子で、一色の顔色を伺っている様子もない。つまり自分達だけが楽しんでいる様子なのだ。
ってそんなふうに考えている場合じゃない。立ち上がって一色の元へ駆け寄っていく。
「遅い。どんだけ待たせんだ」
「あ……先輩」
「いいからいくぞ」
さっさと離れようと一色をの手を握って、その場から離れようとするが、
「おいおいおいおい。先に話しかけたのこっちなんですけどぉ?」
「あーすいません。こいつ俺の連れなんで」
「いやいや。そういうのいいから」
リーダー格と思われるがたいのいい男は立ちふさがるように目の前に立ち、その様子を他の二人はニヤニヤしながら見ている。
「とりあえず君、彼氏? まあ彼氏じゃなくてもいいけどさー邪魔だからどっか行ってくれない?」
「あーまあその辺は想像に任せますけど一応後輩なんで」
「いやだからさー」
あーしつこいな。やっぱ夏の海ってこういうDQNが沸いてくるからめんどうだよな、本当。てかさっきから周りの人がじろじろ見てるんだから少しは察しろよ。
すると後ろで隠れるように様子をみていた一色がぐいっと前に出て、男を睨んだ。
「あのーいい加減にしてもらえません?」
「は? いやいやだから」
「そうやって笑って否定すればなんでもなると思ってるんですか? てかナンパする前にちゃんと日本語使えるようになるのと少しは気を使えるようになったらどうですか?」
いや~黒はすが相変わらずだね。もう言葉の節々から色々滲み出て来てるし。男はただ唖然とした様子で見てて、ようやく自分らが注目浴びていることにも気付いてらしい。
「え、えーとあのその」
「あ、謝ろうとしなくていいんで二度と私の視界に入らないでくださいね。彼氏との時間を邪魔されたんだからそれくらいはできますよね?」
「あ、ああ。てかやっぱりそいつ彼氏?」
「はい! 何か問題でも?」
笑顔で答える一色に男達は逃げて行った。俺、いる意味あったかな?
「先輩。助けに来るのが遅いです。困ってる彼女を見たら、すぐ助けにくるのが彼氏の役目ですよ?」
「いやなんか考えてたら遅くなって……って彼氏?」
「そうですよ。ま、冗談ですけど」
そう言って微笑む後輩は楽しそうだった。本当にこいつと付き合っていたらどんな幸せな日々になっていただろうか。
そう考えたくなったけどきっとそれを考えれば今以上に辛くなる。そう思いながら笑う彼女を見つめた。
夕陽が海の中に沈んでいこうとしている午後六時。ビーチの客もほとんどおらず、俺達も帰ることにして、着替えを終えて、一色を待つ。
「お待たせしましたーじゃあ帰りましょうか」
「ああ」
横に並びながら駅へと向かってゆっくりと歩いていく。暑い。夏だから当たり前だけど日中よりも暑く感じる。理由はもちろんわかってる。隣にいる一色が手を握っているからだ。
「何で握ってるんだ?」
「えーいいじゃないですか。こういうのもこれで最後なんですから」
最後…..? 今、こいつ最後って言わなかったか? 最後? 最後って?
「どうしたんですか?」
「……最後ってなんだよ」
「そのまんまの意味ですよ」
手を離して、彼女は一歩前に出て、くるっとこちらに振り返る。
「本音を言うとちょっとだけ期待してたんですよ? 先輩がもしかしたら私を選んでくれるんじゃないかなって。でもやっぱり先輩は先輩でした」
ぎこちなさがにじみ出る笑みを浮かべるこの表情を俺は知っている。前にあいつが見せた笑顔だから。そしてこいつもあいつと同じだから。
「本当は地元に帰ってから聞こうかなと思いましたけどやっぱり終わらせるならここで終わらせたいです。だから先輩……聞いてくれますか?」
知っている。一色がこれから何を言おうとしているのか。そしてそれに対する答えがどういう答えになるかも知っている。そう、全て決まっている。
どうして恋愛っていうのは簡単な仕組みじゃないんだろうなと心から恨みたい。大切な友達と後輩の想いを答えられないのなら初めから誰かを好きになりたくなかった。そう何度も思った。由比ヶ浜を振ってしまったあの日からずっと、ずっと。でも俺自身が諦めきれないのだ。雪ノ下雪乃が好きな自分を捨てれないのだから。
きっと俺は今にも泣き出しそうな無様な顔で一色を見ているのだろう。それを察したかのように彼女は微笑んでいる。今日一日彼女はずっと笑ってたんだ。
「そんな顔しないでくださいよ。これで会えなくなるわけじゃないんですし。こういうのはきちんとさせとかないと駄目なんですよ?」
どうしてこの子はこんなに強いんだろう。俺はいますぐにでもここから逃げ出したい。由比ヶ浜の時だって逃げ出したかった。だけど足は動かない。
「葉山先輩の事が好きになったのがきっかけで先輩と知り合って、それからずっとですね。先輩といる時間が私の中でいつの間にか大切な時間になって、あの二人に負けたくない。先輩の傍で一緒に笑って過ごしたい。そう思えるようになって、好きになったんです」
「そうか……」
「それにしても私が一番最初に告白したんだけどなー。なんでだろう……私が......わた……私が……」
顔を逸らしたかった。大粒の涙を目に溢れんばかりに流しているこいつに俺が何かすることはできないのだから。ただその様子を見ていることしかできないのだから。
だから……もう気遣わせたくない。
「一色。もういい」
「え?」
「そんな前振りはいいんだ。思い出話なんか話したところで、お前の気が治まるならそれでいい。ただすっきり終わらせたいなら…….思ってる事、全部ぶつけろ。お前の気の済むまで、俺の事をいくらでも罵れ。殴ってもいいし、恨んだって構わない」
それでお前の気が済むなら俺はいくらでも受け止める。それがこんな俺を好きになってくれた彼女達に少しでも未練が残さないようにできる、せめてもの方法だから。
そして一色は大きく叫んだ。
「何でもわかった顔して、どうしていつも肝心な事に気付かないんですか!? 誰かを助けるためなら自分が傷ついたって構わない。なんですか、それ!? 偽善ですか!?」
「……ごめん」
「先輩は私の初恋を奪った! 初めて……だったんですよ? 人を好きになるって毎日が楽しくて、嬉しくて…….たまに辛くて。でも先輩の事を考えたら、どんなに辛くても平気で……なのに……なのに」
「……ごめん」
馬鹿の一つ覚えみたいに謝罪の言葉を呟くことしかできない。もしここで俺がこいつを抱きしめたら、こいつは考え直してくれるか? 答えは否だ。
だって今、一色は俺に対する気持ちと戦ってるのだから。声に出して、押しつぶそうとしてるのだから。
「それにあれだけ勇気だして告白したのにやり直しって最低です! なんなんですか先輩は! 全部自分の都合だけで決めて……雪ノ下先輩の事が好きって分かったら、私達の事なんかどうでもいいんだ! 大っ嫌い!」
声に出して、違うと言いたい。お前らの事をどうでもいいと思ったことなんかない。じゃなかったら、こんなにも痛いと思わない。どうでもいい他人だったらお前の気持ちなんか理解したいと思わない。
大切だからこんなにも辛いんだぜ、一色。
「大っ嫌い! 大っ嫌い! 大っ嫌い! 大っ嫌い!……だい……きら……」
大粒の涙は止まることなく、溢れてくる。一色の苦しそうな嗚咽も聞こえてくる。
そして一色は一層大きな嗚咽を漏らしながら、
「……大好き!」
「……え?」
「大好きに決まってるじゃないですか! やっぱり私は先輩の事が好きなんです! どんなに悪く思っても、好きで好きで仕方ないんです! 先輩がいなきゃ、私は駄目なんです!」
一色は一歩歩み寄って、俺との距離を縮めて、服の裾を掴んで、俺の顔をじっと見て……。
「私の事を……好きですか? 先輩」
「……ごめん。俺、好きな奴いるんだ」
夕陽は海に沈もうとしており、辺りは暗くなろうとしている。わずかな夕陽の光に照らされた俺達はどのように映っているだろうか。言葉を失った彼女と言葉を奪った少年はどんな風に見られてるのだろうか。
何でだろうな……。どうして人は誰かを好きになるんだろうな。