小説 眠り姫 THE SLEEPING BE@UTY   作:つっかけ

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序 章〜すべての始まり〜

ここは異能の能力を持つ者たちが集まる、とある学院。

丘の上に創設されたその学院は、西洋風の校舎で、周囲には自然に覆われた森や湖、川もあれば控えめではあるが草原もある。

少し離れた場所に人々が賑わう大きな街があり、街の北にある草原を4キロメートルほど進む。

その先には深い森があってその入り口から更に3キロメートルほど真っ直ぐ進むと緑の木々から打って変わって満開の桜並木が姿を現す。その桜の木を抜けていくと開けた小高い丘の上にその学院が聳え立っている。

 

 

洋館のような校舎がある。

 

 

赤レンガの壁に覆われ屋根には青みがかった木材が使われている。

この校舎は3階建てで空から見ると四角い形の建物になっている。

中央には縦40メートル、横が20メートルほどのフットサルコートとほぼ同等の広さの中庭がある。殆どが芝生で覆われていて建物の入り口から2メートルで芝生に変わり、芝生の間には補整された石の床が張られ、2階部分を支える石柱が何本も等間隔で並んでいる。壁際に大きな鉢に入った植物が等間隔で置かれ、各校舎へ入るための扉やガラス窓がある。陽気で長閑な中庭は学生に人気の場所で、芝生部分は何も置かれておらず広々とした空間で地べたに座っての談笑やレッスン、能力の訓練なんかにも使われている。

校舎の北東には約1ha(ヘクタール)程の大きさの円を描いた湖があり、畔に4人ほどが乗れる手漕ぎの小船が2隻置かれている。

そして校舎の北には、周りの桜とは比べ物にならないほどの立派な一際大きい桜の木が生えている。樹齢幾百年という太い幹に力強く咲き誇る白桃色の花からヒラヒラと花びらが宙を舞っている。

 

この学院は主に異能の力である『能力』を育てるための場所だ。国中から集められた能力者を選抜して、特に秀でた才能ある者だけが入学することを許される。

世界では一般的に子供からお年寄りまで能力を使うことが出来る。しかし、自分の能力をしっかり理解することも含めて能力を使うために必要な『魅力』と呼ばれる体内要素の違いや、修錬の仕方がわからないなど多くの者は能力をうまく使いこなすことが出来ず、結果的に日常生活で使用することは殆どない。だがそんな中でも少しの可能性があるのならばと入学を希望する者が後を絶たない。

入学は3年に一度の少人数制で全員卒業できる年もあれば1人も卒業できないこともある。そして卒業生の中でも特に優秀な成績と実力の持ち主には3年次での特別受験資格『アイドル選定試験』を受けることが出来る。そのテストはこの世界の人間の誰もが羨む栄えある職業『アイドル』になるための試験で、それに合格することで卒業後にアイドルとしての資格が与えられるのだ。

 

 

 

 

 

3年前の春。入学したのは11名の将来有望な少女達。入学時の能力や実力を審査する、能力値試験によって選ばれた子供達だ。この11名の内卒業出来たのは8名。

そして中でも特に優秀な成績で卒業したのが今、校舎の入り口前に佇む二人の少女。

 

「こんなに朝早くから呼び出すなんて律子先生は鬼軍曹なの。」

 

「まぁティーチャー律子も楽しみにしてたみたいだし、せっかくだから見せてあげないと悪いよ美希。」

 

美希と呼ばれた彼女は先日、優秀な成績で卒業した一人だ。

腰近くまである綺麗な金髪に少し眠そうな顔をした美少女で、フレッシュグリーンのリボンが付いた黒の大きな薔薇のヘアアクセサリーがついている。

黒い生地で、黄色いボタン留めのある袖から服の側面にかけて赤いラインが太めにひかれ、肩に付くエポーレットは黄色く軍装飾のような作りで、赤・黒・黄の三色のヒラヒラが付いたスカートを履いている。

見た目はそれこそ軍服に近いが、スカートの存在がこれは軍服とは言えないと主張しているようだ。

その美希が少しばかりふて腐れながら口を漏らす。

 

「だからって朝の6時は無いの。そんなに早くなくてもいいって思うな。春香だってそう思うでしょ?」

 

春香と呼ばれた彼女は、もう一人の優秀成績者だ。リボンがとっても似合う見た目は普通の女の子。

 

「・・・こほんっ」

 

・・・・・・可愛い女の子。

こちらも服の形こそ同じだが真っ赤な薔薇のヘアアクセサリーを乗せ、白い生地にピンクのラインで黄色の袖にボタン留め、エポーレットも同じく黄色で軍装飾のような仕様になっており、ピンク・白・黄色と美希の服とよく似たデザインになっている。

 

二人は入学当初からその才能を魅せた言わば天才だ。3年間の授業とそれ以上の成果をアイドル選定試験で発揮して魅せた。友人にも良く恵まれ歴代アイドル合格者の中では珍しい二人同期アイドル合格者として祝福された。

3日前の卒業式で学院を卒業し、寮の荷物も全て整理して苦楽を共にした学友達は一人一人と故郷に帰って行った。

そしてこの日、先日届いたばかりの『アイドルの制服』を着た二人の晴姿を是非見たいと言ったのが、二人の恩師である『律子』と呼ばれる学院唯一の講師だ。

学内ではティーチャー律子と呼ばれていて、とても人気がある。

3年間、誰よりも親身に能力や友人達の相談に乗ってくれていた彼女を二人はとても信頼していた。その人が自分達の晴姿を見たいと言ってきたのだ。そのくらいの気前を持たないでいては律子に受けた恩など返せはしないだろう。

 

「美希ってば今更だけど本当にアイドルが務まるのか不安になってくるよ。」

 

「む、春香だってよく転んだり忘れ物多いんだから人のこと言えないの。」

 

「・・・・・・・ぷっ」

 

「・・・・・あはっ」

 

「「あはははははは」」

 

二人は姉妹と言ってもいいほどの親友同士だった。親兄弟の居ない二人は幼い頃から施設で育ち、17歳になる春香は美希からすれば自分の面倒を良く見てくれるお姉さんのような存在だった。ドジでマイペースだけど、どんなことにも一生懸命な春香をとても尊敬していた。

 

春香にとっての美希は、14歳ながらもドジな自分を助けてくれる妹のような存在だった。すぐに欠伸をして中々やる気が起きないのが玉に瑕だが、本気になった美希は誰も敵わないほどの能力を持っている自慢の妹だ。

施設で出会ったときから衣食住を共にし、プライベートも難なく打ち明けられる仲だ。

才能に愛された美希と挫けない強い心を持った春香は二人同時に『Idol』の資格を得ることができた。

 

Idol(アイドル)とは専門の学院卒業生から特に秀でた能力を持つ者をアイドルに任命。国家公務のための資格を持ち、世界犯罪に対抗し得る組織の地位。

その所属と栄誉を半永久的に持つものとする。ただし、当人が死亡または10年間の消息不明や犯罪を犯した場合、剥奪するものとする。組織の自主的な退役は基本的に出来ないが、相当の理由がある場合は止むなし。というものだ。

アイドル当人が築いた地位、財産は他人【当人と直接の血縁関係者以外】が着手してはならない。つまり友人や親戚、孫より先の子孫に財産が受け継がせられないのだ。

二人は卒業式が終わり、友人と別れ二人で湖に向かうサクラ並木を歩いているとティーチャー律子に呼び止められた。

ティーチャー律子は8年前からこの学院の講師をしている。若干11歳でアイドルの資格を修得してからこの学院の講師を自ら志願した。厳しくもそれ以上に優しい性格から人望も厚く、彼女は友人や生徒の親族からも信頼されてる。

ティーチャー律子というのは律子が生徒に友人扱いされることが多かったために自分でつけた呼び名だ。本人は気に入っているのだが、彼女のネーミングセンスの無さをからかう生徒もいたりする。

数ヶ月前、湖の畔で美希と春香は、律子に今までアイドルになった教え子の晴れ姿を見てきたことを聞かされていた。

それを毎回楽しみにしていると語った律子に春香が見せますと断言してしまった。美希は持ち前の面倒くさがりが発揮され、今日の呼び出しを拒否しようとしたのだが春香に押し切られてしまった。

 

「おっそーい律子先生!」

 

学院での思い出や律子への愚痴を零しながら、律子は時間きっちりに姿を現した。

いつも通り、まるで財閥の家庭教師のような格好をしている。少し長い髪を後ろでまとめ、長円形のレンズを使ったリムレスのメガネはテンプルにチェーンをつけて首の後ろに回してぶら下げられる様になっている。

襟付きの純白ブラウスを着てその襟の繋ぎ部分には大きなエメラルドブローチを付けている。ブローチの下からは細長い赤のリボンの端が5センチほど伸びている。キュっとした腰から下は膝下くらいまで裾が伸びる抹茶色のロングスカートと、3センチほどのヒールがある茶色のブーツを履いている。

 

「待たせたわね二人とも。見せたいものがあるからついていらっしゃい。」

 

「え? この制服を見たかったんじゃないの?」

 

「ちょっとした贈り物を用意したのよ。取りに来てちょうだい。」

 

贈り物と聞いて美希は笑顔になったが、春香は逆に首をかしげていた。

律子と美希の会話に違和感を覚えたからだ。いつもなら『律子先生』と呼んだ美希に『ティーチャー律子って呼びなさいっ!』と注意するのだが、今日くらいは多めに見ているのかと思った春香は特に追及せず歩き出した。

 

校舎の入り口から入ると、レッドカーペットが奥まで敷かれて中央で3方向へ分かれる。左右に分かれたカーペットはそのまま通路に消え、奥まで伸びたカーペットは中庭に続く扉で止まり、左右に広めの階段があって左側の階段の裏に地下への入り口が隠されていた。この校舎がお気に入りだった美希と春香は3年間、この地下の入り口にまったく気付かなかった。

螺旋階段を下りていくとまっすぐ20メートルほどの直線通路に出る。

この時、美希も春香も妙な感覚に囚われていた。一般的に『嫌な予感』と呼ばれる感覚だ。だが理由が判らない感覚に抗う理由が見つからずそのまま律子についていく。

壁にたいまつが灯っていてその先に一つの木で出来た扉が姿を現した。

 

「さぁここよ。入って。」

 

扉を開いた律子に促され部屋に入っていく。そしてその部屋を見て春香と美希は頭の芯からサーッと冷えていくのを感じた。薄暗い15畳ほどの広さのこの部屋はさまざまな実験が行われているであろう機材と薬品、無数の本に埋め尽くされた不気味な空間だった。

壁の亀裂や地面の隙間から植物の根が這い出していてあまりにも不気味なその場所に春香は少し身震いした。呆然としていた春香たちの後ろからサッと二人の肩に手が置かれた。呆気に取られていた美希とは違い、春香はゆっくり振り向くと、そこには人に出来るとは思えないほどの身の毛も弥立つ笑顔があった。

その顔を見た春香は、今まで呆然としていた美希も石のように身動きができなくなってしまった。

 

「ちょっ! 律子先生!! 美希たちの行動を封印するなんてどういうことなの!?」

 

自分達の後ろから前へと歩いていく律子を目で追う。春香は首が横を向いたまま動けなくなったため前の状況があまり視界に入ってこない。目の端で何かをしているのだけを見ることが出来た。

 

「・・・・・・あなた、誰?」

 

「・・・どういうことなの?」

 

「本来、攻撃型であるティーチャー律子がこれほど強力な補助型の封印術を使うことは出来ないはずだよ。つまりこのティーチャー律子は。」

 

「偽者・・・なの?」

 

ここでようやく春香の中での違和感と嫌な予感の正体がわかった。身動き出来ない二人は、こちらに向き直った不気味に笑う律子を見て恐怖した。何とかして封印術を解除しようともがく春香たちにゆっくりと近づく律子の右手には机から取り出した注射器が黄緑色に発光していた。

律子の視線はまるで品定めをするように春香と美希を交互に見て、数秒の間のあとに美希の前へと歩き出した。金縛りのごとく動きを封印されてしまった美希は目で恐怖を訴えながら自分に迫ってくる注射器を見た。

その中に入っている黄緑色に発光する正体不明の薬品を自分に投与するつもりなのだと察してしまった。春香もようやく視界にその注射器を捉えた。これがイタズラならばまだ良い。しかし、律子が先に使った封印術はどう言い訳しても『これは律子では無い』と証明している。正体不明の偽律子が持つ詳細不明の薬品など、無害とは到底思えない。

ゆっくり、ゆっくりと真っ直ぐに美希に向かって歩いていく。

 

「お願いやめてっ!! くっ、私の身体でしょ! 動いてよ・・・動けぇっ!!」

 

「や・・・やだ。何するのティーチャー律子? 怒ってるんだよね? 美希がちゃんと呼ばなかったから。これからちゃんと呼ぶから・・・ねぇ、だから・・・美希、注射嫌い! やめてよっ。やめ・・・っ!」

 

美希の悲痛な声も聞かず、律子はとうとう美希の首に針を当てた。

さっきまでとはうって変わり、まるで面をつけたような無表情の律子の顔は冷たいなどという表現を超越していた。

目の淵から涙が流れる美希は、ガタガタ震えたいほどの恐怖を感じているのに身動き出来ず目を見開き引きつる笑顔で最後のお願いをした。

 

「・・・・・・っ」

 

そのお願いに声はなかった。頭も心も恐怖で埋め尽くされた美希は、ほんの少しの声も出すことを叶わず口だけが小さく動いた。

 

『助けて・・・』と。

 

1秒も無かった。美希がお願いしたのと同時に注射器の針が美希の喉に突き刺さった。

本意でない涙を流す美希の隣で、春香が涙を流してしゃがれた声で美希の名前を呼び続けた。注射器の薬品を投与されてしまった美希は一気に力が抜けたようにダランとして動かなくなった。その姿を見て春香の声も小さくなり最悪の想像が頭をよぎる。

 

「み・・・美希・・・? 美・・・。 ね・・・希・・・?」

 

力ない声で美希を呼ぶ中、突如として美希の身体が大きく跳ね上がったと同時だった。

 

「あ・・・・・ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああっ!!!!!?」

 

喉がはち切れんばかりの叫び声を上げて美希の身体から電流のようなものが迸った。

身体全体を強張らせて白眼をむきガタガタと音がなるほど震えた。

放出されている電流は美希の魅力と同じ色のフレッシュグリーンから真っ赤になり、やがて真っ黒に染め上がっていく。美希から放つその電流は室内の机も本棚も研究の道具も何もかも大破させた。

 

「美希っやめ・・・・美希っ!」

 

美希の眼はグリンっと白眼をむいていたのが何時の間にか両の眼を真っ赤にギラつかせて息も荒くなっていた。震えが徐々に収まり、やがて静けさが戻る。

シーン・・・と静まった室内で春香は美希の顔を覗き込んで目が合った。それは春香の知っている美希の顔ではない。息をフーフーと獣のように荒げ、吸い込まれるようなフレッシュグリーンの瞳は純粋な赤になって春香の瞳を捕らえていた。

そして本当に唐突に、美希が春香に向かって襲い掛かった。右の肩で突進した美希の攻撃に、春香は守る動作が間に合わず突進を受けてしまった。

春香は壁に叩きつけられ、かなりの勢いで吹っ飛ばされたためダメージが大きい。美希は更に勢いをつけて春香に攻撃しようとしている。何とか回避しなければと思って身体を動かしてみると、これがあっさりと思い通りに身体が動く。何時の間にか封印術が解けて身体が自由に動くようになっていた。

すぐに律子を捕まえようと周囲を見回したが既に遅く、姿が影も形もない。偽物の律子は逃げ出した時に春香のの封印術も解いたのだ。何のためにと訊くまでもない。

 

「私を・・・囮に、使った・・・?」

 

今の美希には偽律子の封印術でも抑えることは出来ないだろう。

偽律子は暴走した美希に春香が襲われること前提で、春香の封印術を解いて逃走した。

春香が抵抗するであろうことも計算した行動だ。ならば思惑通りに動かず逃げるのが一番なのだが、そんな時間も与えてくれないほどに美希は素早く襲い掛かってくる。

 

「美希っ! ダメだよ!! 正気に戻って美希!」

 

荒れ狂い暴走する美希は全力で周囲を破壊していく。それは春香も例外ではなく、目に付くものは何でも壊すという無差別なものだった。その本気の攻撃を何とか掻い潜り続け、春香は旧校舎の1階であるホールへと逃げ延びていた。

だが息をつく暇も無い。美希がすぐさま追いかけて攻撃をしてくる。首を狙った手刀を避けて3メートルも離れた壁に亀裂が入り、階段の手摺りを背にした時に右足で繰り出してきた回し蹴りを回避すると手摺りの細い柱ごとそのまま階段を2、3段ほど削り飛ばしてしまった。距離をとって入り口側に飛び退くが、目にも留まらぬ速さのタックルに防御も空しく吹っ飛ばされて入り口から外へとはじき出された。

受身を取って着地してもすぐに追い討ちが来る。その場をすかさず右へ跳ぶとドシュッという音を響かせ、自分の居た場所に美希の手が突き刺さっていた。

息を切らせてその場から走った。方向も考えず桜並木を走って辿りついたのは朝日に照らされて舞った花びらが、まるで冬に起きる雪の結晶の輝き。ダイヤモンドダストの如く輝く大きな桜の木だった。

桜の木に手をついて荒い息を整える。急激に消費したスタミナは春香の呼吸を中々に整えてくれなかった。そして頭が冷静になり始める。美希の顔も目も動作も能力も、彼女自身の意思でないことは明白だった。見たことも無い彼女の暴走にどうしていいかわからず、涙がこみ上げてくる。

 

「一体・・・どうすれば・・・」

 

こんな状態の美希を放っては置けない。もしも浮遊術で街になど下りた日には地獄絵図とも遜色ない光景が広がってしまうだろう。無差別に破壊を繰り返す美希は今や簡単に命を奪ってしまうほどに凶暴化している。衣食住苦楽を長く共にした春香にすら容赦ない攻撃をするのだ。赤の他人だったら躊躇いなど塩の一粒分もありはしないだろう。

そして春香の頭の中には最悪のワードが繰り返されていた。

 

 

・・・・・・美希を・・・殺す・・・・・・?

 

 

もはや止める手立てはそれしかないように思えた。だがそれは春香が一生苦しむことになる道だ。自分の最愛の義妹を手に懸け、その罪と彼女の居ない人生を一人歩み後悔を背負って行かなくてはならない残酷な道だ。

 

 

 

『彼女を生かせて世界の崩壊を見届けるか。』

『彼女を死なせて世界の崩壊を防ぐか』

 

 

 

今春香は、まさに究極の選択を迫られていた。

必死に他の方法が無いか。本当にそれしかないのか。何度も何度も考えて考えて、10秒にも満たない時間で考え抜いて、そして。

 

「ぐっ!!」

 

背後からの強烈な一撃。浮遊術で飛んできた美希の気配に気付かず、頭上から地面に殴りつけられた。地べたに沈んだ身体が言うことをきかない。

背中を殴られ地面に叩きつけられた春香は呼吸が出来ず、顔面を強打し脳震盪を起こして這い蹲る。真横に立った美希は右手で春香の首を掴んで持ち上げ、そのまま桜の木に押し付けた。

 

「うぐぅぅぅっ・・・はる・・・がぁあぁぁぁっ!!」

 

「美・・・希っ」

 

出来るわけがない。例え正気を失っていても美希は美希だ。彼女の姿形を見て義姉である春香が美希を殺害することなど、どうして出来ようか。

首を持たれている今、頭に血液が廻らず徐々に身体の感覚がなくなって頭がボーッとしてくる。このまま何も出来ずに美希に殺されてしまうのか。

助けられない悔しさと近づく死の恐怖。偽者の律子へと怒りで様々な感情が一気に噴出する春香の心は目から流れる涙となって形を成した。

その涙が頬を伝い顎の先から滴って首を掴む美希の手を濡らした。

 

「あ・・・るが・・・に・・・げ・・・・・・。」

 

ハッ!と春香は薄れる意識を無理やり引き戻した。美希の発した声に言葉を感じたからだ。

 

『はるか、にげて。』

 

まだ微かに残っている。美希の意識が春香への想いという細い糸で繋がれていた。

朦朧とする頭を必死に働かせて、この状況で美希を止める方法を考えた。

そして美希の手が自分に触れていることにようやく気付いた。

 

 

 

春香の能力は特質型に分類される『支配』と呼ばれる能力だ。

この世界には魅力の無いものは存在しない。人間はもちろん、動物や草木にまでそれは存在する。『支配』はその魅力に干渉できる。自分以外の魅力を吸い取ったり、送り込んで操ったりすることができる。相手の魅力を支配するという春香の能力は前例の無い最強クラスの能力。

その能力を使って美希自身を支配する。自分の魅力を流し込んで、そうやって流し込んだ魅力を操作して美希の身体を操作するのだ。こうすれば、美希の体内に循環している魅力の動きがストップする。あとは美希の身体に残った春香の魅力が消えるまでの一時的な仮死状態のようになる。

そうなれば後は鎖で繋ぐなり閉じ込めるなりで対処のしようが出てくる。場合によっては春香が一生の美希の傍で魅力を操作し続けて仮死状態から生還させない方法もあるが、そうなるともはや死んでいるのと同義なので春香は意地でもその選択はしない。

 

(意識のあるうちが勝負だ。早くしないと・・・っ)

 

春香は美希の手を掴んで能力を発動させた。蛇口を一気に捻ったような速度で手や首から魅力を全力で送り込んで行く。

数秒後、徐々に春香の魅力に侵され始めた美希の足が一瞬だがカクッと折れた。

 

(今だ!!)

 

春香は更に流し込む魅力の量を増やした。

あと一歩で美希を完全に制御できる。そう思って出しうる限りの力で美希の魅力を侵していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

痛みが走った。目の前には美希の顔。赤い綺麗な瞳の傍から大粒の涙が滴り落ちる。

首を掴んでいた右手が放された。放されたのに地面に落ちなかった。

突如として襲った嘔吐感から堪えることが出来ずせり上がってきたものを口と鼻から吐き出す。吐き出した真っ赤な液体が地面に落ちた。美希の左肩から自分に向けて伸びた腕は真下を向いた所で自分の胸の中に消えていた。夥しいほどの液体が胸部から落下し、ビシャビシャっと音を立てて地面を濡らした。

 

「は・・・る・・・がぁぁっ! ああぁぁぁぁっ!!」

 

神はどれほど残酷なのだろう。意識が残っている美希は今、自分の腕が誰に突き刺さっているのかハッキリと自覚している。

怪我どころか致命傷。一目見ただけでわかる生命の危機。美希は涙を流し震えながらさらに腕を押し込む。

呼吸が出来ない。痛覚が既に麻痺しているのか痛みはない。だが身体の震えが止まらない。

寒さなどの震えとは違って激痛に襲われたときに出てしまう震え。それが今、私の身体を襲っている。美希の腕を掴むけれど、力なくただ乗せているだけ。

 

「み・・・き・・。だい・・・じょ・・・・だよ・・・・。」

 

笑う。笑ってみせる。気休めにすらならないとしても、意地でも笑ってやる。

息が出来なくても、どれだけ血を流しても、美希に私の苦しむ姿なんか見せたくない。

汗も震えも止まらない。傷口が熱い。美希の腕の上に置いていた腕を、ゆっくりと震えながら持ち上げ、力なく美希の頬を手で包む。そのまま重力に身を任せ前屈みになった私は、美希の額にキスをした。まるで眠りに付く子供にするように。優しく。

そしてそのまま、魅力を美希へ全力で流し込んだ。

美希の身体がビクッと強張った。眼の力が抜けていき、眼が閉じられたと同時に私の胸に突き刺さる左腕も力をなくして身体から腕が抜けてその場でうつ伏せに倒れこんだ。完全に身体の力が抜けて意識が無くなった美希もそのまま仰向けに地面へ吸い込まれていった。

 

「は・・・る・・・・・・。」

 

ドサッと倒れた美希の顔を間近で見ながら目からは涙が流れていた。

どうしてこんなことになってしまったのだろう。今朝は美希よりも早く起きて朝食の準備をして、美希を起こして一緒に食べて。纏めた荷物の最終確認をして、アイドルの衣装を着てそのまま校舎に来て・・・。

 

(私達が何をしたの・・・?)

 

桜の木にうつ伏せのまま左手で触れた。その反対方向にある美希の顔を見ながら。

 

(酷いよ・・・・・・神様・・・。)

 

桜の木だって立派な生物だ。間違いなく魅力は存在している。

ならばこの木に自分の魅力を流し込んだらどうなるんだろう。この木に魅力を全て注ぎ込んだらどんなことが起きるんだろう。

 

(もしも・・・もしも奇跡を起こすことが出来るのなら・・・・・・神様・・・私達にここまでのことをしたんだもの・・・私のお願い・・・聞いてくれるよね?)

 

 

 

桜の木に自分の魅力を流し込んだ。目が霞み、意識を保つのでやっとのこの状況で最後の最後まで残った魅力を流し続けた。

 

身体が冷たくなっていくのを感じていた。

もう助からない。私は死ぬんだ。不思議と恐怖も悲しみもない。ただ、悔しかった。

私が律子に衣装を見せるなんて言ったから。いつもと違う律子を偽者だと見抜けなかったから。偽律子の封印術を解封出来るほどの力が私になかったから。

美希の人生を・・・私の人生を弄び、そして奪った彼女を許せはしない。

このままでは終われない。

仮死状態になっている美希はいつかきっと目覚める日が来る。私の魅力が美希の中でなくなるのが明日なのか10年後なのか、それとも100年後なのか。とにかく目覚めたときにまた暴走してしまうことがないように、誰かが美希を外に出さないようにと祈りながら瞼を閉じた。いつも笑顔だった美希を瞼の中で思い描いて、今この瞬間を心に深く刻みつけた。

 

(神様・・・天海春香、最後のお願いだよ・・・。この魅力は私の魂。いつか・・・美希が目覚めたとき。もしもいつもの美希じゃ無かったら、そのときは私も目覚めさせて。私の魂と思念を宿したこの木の下で・・・。)

 

 

 

そう願い、春香の魅力はとうとう底を尽いた。眼は見えず、何も聞こえず、どれだけ力を入れてももう二度と動くことの無い身体の冷たさを感じながら涙を流し、まるでテレビを消したときのように意識も無くなり。

静かに立つ桜に最後の一滴まで生命を注ぎ込んだ若きアイドルの鼓動は完全に停止した。

 

息絶えた春香の傍で、しゃがんで二人の様子を見た律子がニヤッと笑った。

律子はそのままその場で穴を掘り、春香の遺体を桜の木の傍に埋めて仮死状態の美希を担いで、そのまま校舎の中へと消えていった。

 

その後、美希と春香は律子の手によって失踪という形で闇に葬られた。

施設で育った二人の消息を知るものも探すものもいない。

 

この惨劇を誰にも知られることもなく年月は経ち、100年後にその惨劇が扉を開くことになる。

 

 

 

序章

 

 

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