ジリジリと焼けつくような暑さを、少しの間だけ忘れてしまうような、そんな衝撃的な瞬間。ボッチとして訓練されていなければ、間違いなく惚れていただろう。
しょうもない事を考えていると、割と近い距離から、ぱっちりとした二つの目が、心配そうにこちらを見上げてきた。
そして、薄紅色の唇がそっと動いた。
「君、大丈夫?」
その言葉に、はっと我に返り、何だか気恥ずかしい気分になる。
「あ、はい……あー、そ、そっちは……」
「こっちは全然平気よ。ごめんなさいね。急いでたから……」
「…………」
二の句が継げず、視線をあちらこちらにさ迷わせてしまう。
なんかこう、あれだ。芸能人を生で見た時のような感覚だ。まあ、この人もスクールアイドルの中ではかなり有名人で、雑誌に特集組まれたりしてるからかもしれんが。
ふわふわした長い茶髪は、夏の風に揺れる度に甘い香りを飛ばし、鼻腔を優しくくすぐってくる。
お嬢様風の雰囲気とは対照的に、白いTシャツに青いデニムというラフな出で立ちは、その起伏の激しいボディラインが強調されていて、うっかりすると、視線を吸い寄せられそうだった。
兄の緊張した姿を見かねたのか、小町が背中をちょいちょいとつついてきた。
「ちょっとお兄ちゃん、いつまで見とれて……あっ、それって……」
小町が何かに気づいたように、彼女の手元を指差す。
目を向けると、その手には今日のイベントのパンフレットが握られていた。
すると、小町が何かを企んでいるのか、急に人懐っこい笑顔になる。俺はその隙に、彼女と少し距離を空けた。
「そのイベント今から行くんですか?」
「ええ、そうよ。あなた達も?」
「はい、そうなんですよ♪お姉さん、A-RISEの優木あんじゅさんですよね?」
「あら、私の事知ってくれてるの?」
「はい~、A-RISEの曲大好きですよ!」
「ふふっ、ありがと。二人も喜ぶわ。あなたもスクールアイドル?」
「いえいえ、違います。」
「そう……あなたと、そこのあなたもスクールアイドルやったら人気でると思うのだけれど」
急に視線を向けられた戸塚は、少し緊張気味に俯き、俺の時のようにやんわりと事実を告げた。
「えっと……僕、男の子です」
「ふふっ、面白いジョークね」
「いえ、冗談じゃ……」
「冗談じゃないですよ」
「あら……そうなの?ごめんなさい……あまりに可愛い顔してたから」
「だ、大丈夫ですよ……たまに間違えられるんで……」
「…………」
いかん。うっかり戸塚のスクールアイドル姿を想像しちゃったじゃねえか。これは推すしかねえな。
戸塚の可愛い姿を妄想している内に、二人はドンドン話を進めていた。あら、優木さんがこちらを見てらっしゃる。小町ちゃん。何を言ったのかしら?
「君、μ'sの高坂さんの知り合いなの?」
「え?ああ、まあ……」
小町が何を話したかと思い、戦々恐々としていたが、どうやら杞憂だったようだ。
すると彼女は妖艶な笑みを見せ、また距離を詰めてきた。
ガラリと変わった空気に、緊張のせいか背中を汗が伝った。
そして、さっきとは違い、艶かしく唇が動く。
「私の動画もたまに見てくれてるんだ?」
「…………」
だから動画の再生履歴は消せとあれほど……。
しばらく俺の顔を見ていた優木さんは、妖艶な笑みから爽やかな笑みに戻り、俺達を促した。
「ふふっ、あなた達もスクールアイドルのライブ観に行くんでしょ?じゃあ行きましょ。早くしないと、遅刻しちゃうわ」
「はいっ♪」
「楽しみだね、八幡!」
「あ、ああ……」
この時の俺は、会場に行くまでの短い時間に、やたらからかわれるとは思ってもみなかった。
ちなみに、材木座はメイドさんからティッシュを貰い、ホクホク顔で空を仰いでいた。
*******
ライブ開演の30分前。私は会場のエントランスで皆を待っていた。絵里ちゃんも一緒に待とうとしたけど、希ちゃんに止められていた。なんか「自重せなあかんよ」とか「そろそろ最新話やろ」とか言われていた。何の話かな?
そこで、入り口の方から声が聞こえてきた。
「穂乃果さ~んっ!」
「あっ、小町ちゃん!戸塚君に材木座君も!」
「久しぶり、高坂さん。材木座君、何でそんなに挙動不審なの?」
「けぷこん、けぷこん。この建物内には特殊な結界が張られていてな」
「結界?」
「いや、真面目に考えなくていい。スクールアイドルが大勢いて、無駄に緊張してるだけだからな」
「あっ、比企谷……君?」
比企谷君の声がしたので、そっちの方に目を向けると、隣にとっても美人な女の子がいた。あれ?この人、どこかで……
「初めまして、高坂穂乃果さん。A-RISEの優木あんじゅです」
「えっ……えええ~~~~!!?」
ア、A-RISEの、ゆ、ゆ、優木あんじゅさん!?
な、なな、何で比企谷君と!?知り合いだったの!?
優木あんじゅさんは、私に微笑んでから比企谷君の方を向いた。
「へえ、君って本当にμ'sの高坂さんと知り合いだったんだぁ」
「いや、嘘つく理由もないでしょう……」
比企谷君は優木あんじゅさんが顔を近づけると、そっぽを向いた。耳まで真っ赤になってる……ちょっと顔が疲れ気味だけど……。
「もしかして、君って結構モテるの?」
「……モテてるなら今頃渋谷でデートしてますよ」
「あははっ、照れちゃって可愛い♪」
「…………」
優木あんじゅさんにからかわれ、八幡君は顔を赤くしている。やっぱり、憧れのスクールアイドルが近くにいるから緊張してるみたい。
……でも、ちょっと顔近いんじゃないかなぁ。いや、別にいいけど……。
「穂乃果、どうかしたのですか?」
「え?」
「ちょっと怖いというか……不機嫌そうな顔してるかも……」
「ええっ、ウソっ?」
思わず顔をペタペタ触ってしまうけど、もちろん何もわからない。
でも何だか海未ちゃんの言う通りな気がした。
何で……いやいや、今はそれどころじゃないよっ。今からライブだもん!皆を笑顔にしなくちゃ!
私は頭をぶんぶん振って、すぐに気持ちを切り替えた。