「「…………」」
すぐ目の前に高坂の顔がある。
ぱっちりとした目は驚きに見開かれ、薄紅色の唇は微かに震えていた。そして、そこから漏れる吐息が鼻先をくすぐり、胸が高鳴るのを感じる。
さらに、彼女の体の柔らかな感触をあちこちに感じ、微動だにできずにいた。
何よりさっきからなるべく見ないようにしていた高坂の顔が、こんなにも近くにあるという事実が胸の奥を甘く締めつけた。
……何で俺はさっきから、こいつの顔を見れなかったのか。
多分俺は何かを恐れていたのだ。その何かとは……
ぼんやりした視界の中、よく見ると高坂は目がとろんとしていて、今の状況が上手く呑み込めていない気がした。
「は~い、お二人さ~ん!いちゃつくのは構いませんが、次の方が滑れないのでプールから上がってくださ~い!」
「「っ!!」」
係員の声に二人同時に体が跳ね上がり、慌ててプールから上がる。
そしてすぐに早歩きでその場を後にした。
*******
「「…………」」
二人してベンチに腰かけ、黙って俯いている。別に落ち込んでいるわけじゃない。
……さて、どう声をかけたものか。
いつもの自分なら、このまま黙って気まずさをやり過ごすなんてのは余裕だった。
しかし、今は何か言わなければなんて柄にもないことを考えている。まあ、そもそもさっきみたいなハプニングに遭遇するのが人生で初だったからか。こんな偶然に俺は……いや、今はいい。
俺はかぶりを振って、思考を断ち切る。
「なあ」「ねえ」
こんな時に声をかけるタイミングが重なってしまう。
「ひ、比企谷君、どうぞ!」
「いや、悪い。何も考えてなかった。先に言ってくれ」
こんな時までレディファーストしてしまう紳士な俺。情けなすぎる。
高坂も何も考えてなかったのか、しばし考えてから、おずおずと口を開いた。
「あの、比企谷君……さっきはごめんね?」
「お、おう……だだ、大丈夫だ……」
うわ、めっちゃ声震えてんじゃん……全然大丈夫じゃない。自分が普段言っていることを思い出し、苦笑していると、高坂は何か思いついたように手をパンっと叩いた。
「比企谷君!お腹空かない?」
「そういやそんな気もしてくるな……」
本当はそうでもないが、高坂の気遣いに全力で乗っかることにしよう。
俺達は立ち上がり、ベンチを後にした。
*******
「……お前、本当にパンが好きなんだな」
「うんっ、比企谷君も毎朝和食だったらこうなると思うよ♪」
まだ人の少ない休憩コーナーで、美味しそうにホットドッグにかぶりつく高坂を見ていると、さっきまでの時間が止まったような緊張感が嘘のように思えてくる。まさかこいつの無邪気さに救われる日が来るとは……
「どうしたの、比企谷君?」
「……いや、口にケチャップついてるぞ」
「えっ、本当!?」
自分の唇の左側を指差してやると、高坂はそこをペロリと舐めた。
ほんのり赤い舌がやけに艶かしく見え、ドキリとしていると、高坂は視線をおとし、目を合わさないまま口を開いた。
「そ、そういえば比企谷君……」
「どした?」
彼女はゆっくりと顔を上げ、こちらを窺うような視線を向けてきた。
「……その……似合ってる?」
「……やっぱりほむまんの方が似合ってんな。和菓子屋の娘だからか」
「えっ……ち、違うよ!そっちじゃないよ!比企谷君のアホ!」
「……高坂に……アホって……言われた……」
「ど、どうしたの、比企谷君!?初めて見るリアクションだけど!私にアホって言われたのがそんなにショックなの!?なんかひどいよ!」
高坂はブツブツ文句を言った後、自分の胸元に手を当て、自信なさげに呟く。
「その……この水着、似合ってる?」
「いや、それPVで着てただろ」
「そうなんだけど!よくわかんないけど恥ずかしくて……この前見られたからかな……」
「この前……」
「お、思い出さないでよっ、比企谷君のエッチ!」
「ちょっと待て。今のは俺は悪くない。てか、そんな大声で……」
ぷいっと顔を背けた高坂に声をかけると、たまたま近くを通った家族連れから、クスクスと笑い声が漏れ聞こえてきた。「かわいー」とか「初々しいわね」とか、小さな女の子がキスがどうとか……プールにお魚さんはいませんよ。
もちろん隣にいる高坂にも聞こえていて、その頬はさっきより紅く染まっていた。
またさっきみたいな沈黙が訪れる前に、俺は何とか言葉を紡いだ。
「……その、まあ、あれだ……いいと思う」
「え?……あ、ありがとう」
「「…………」」
それから、どちらも食べ終わるまで一言も喋らなかった。
*******
もう!比企谷君のせいだよっ。私達そんなんじゃないのに!
でも……そっかぁ、似合ってるんだ……よかった。ふふっ♪