「……どこ行ったんだろう?」
キョロキョロ辺りを見回しても、比企谷君は見当たらない。どこに行ったのかなぁ、せっかく声をかけようと思ったのに。
もう諦めて引き返そうかと思ったその時、誰かの話し声と走る足音が同時に聞こえてきた。
「どうやら屋上にいるみたいだ。誰かが上がっていくのを見たらしい。行こう!」
「うんっ」
「早くしないと……」
誰かを探してるみたい。そういえば、比企谷君も焦っていたような……もしかしたら、同じ人を探してるのかな?
だとしたら比企谷君に教えないと……そう思い、電話をかけてみるけど、出る気配がない。
……もしかしたら、もう見つけたのかな?
私は足音を追いかけることにして、さっきよりスピードを上げた。
「……あ」
すぐに3人組の背中が見えた。
背の高い男の子と2人の女の子は、薄汚れた階段を駆け上がっていき、ドアを開けて、屋上へと出ていった。
私もすぐにドアの前まで駆け上がり、ドアノブに手をかける。
……でも、この後どうしよっか?
勢いだけでここまで来たけど……ていうか、目的が変わってるような……。
ドアノブを握ったまま、どうしようかと悩んでいると、聞き慣れた声が聞こえてきた。
「結局お前は……」
比企谷君……。
扉に耳を近づけると、普段の比企谷君とは違う声のトーンで、相手の悪いところをひたすら並べていた。
私はただただ耳を傾けることしかできなかった。
ドクン、ドクン、と胸が高鳴る。
やがて、何かが壁にぶつかる音がした。
誰かが比企谷君を止めたみたい。大丈夫かな?
考えている内に、すぐに誰かがドアを開けて出てきた。さっきの3人と、多分皆が探していた人だ。女の子だったんだ……。
女の子は泣きじゃくっていて、慰められながら階段をゆっくり降りていった。
誰もいなくなったタイミングで、何て声をかけようかと悩んでいると、また比企谷君の声が聞こえてきた。
「……ほら、簡単だろ?誰も傷つかない世界の完成だ」
「っ!」
私は反射的に扉を開けていた。
*******
いきなり勢いよく扉が開き、ビクッとなってしまう。だ、誰だよ……びっくりするだろうが。
出てきたのは、意外にも顔見知りだった。
「……高坂」
「う、うん……」
高坂はばつの悪そうな顔をしながら、屋上のドアを閉める。その表情から察するに、多分さっきのやりとりを聞かれていたのか。
「「…………」」
沈黙する二人の間を風が通りすぎていく。
座り込む俺を見下ろす彼女の視線は、何かを探すような目つきだった。初めて見る表情に何だか切ない気持ちになってしまう。
やがて、彼女は右手をこちらに差し出した。
「はい。立って」
「……悪い」
俺は独り言のように謝りながら、その手をとった。
彼女の温もりを右手に感じながら立ち上がると、彼女はきっぱりと告げた。
「私、見てるから」
「…………」
「比企谷君が、あの時私を見てくれたみたいに……見てるから」
「……そっか」
そう告げた高坂の笑顔は優しい笑顔だった。
彼女は決して甘やかすような言葉はかけない。
しかし、突き放すでもない。
そんな距離感が今は心地よかった。
それに見ているというのなら、あまり情けない姿を晒すのも気が引ける。
「じゃあ、仕事に戻るわ」
「うんっ、いってらっしゃい!」
「いや、その……だから、手……」
さっきから高坂の手はきつく繋がれたままだった。
高坂もやっと気づいたのか、ほんのりと頬を赤く染め、じっと繋がれた手を見つめた。
「ひ、比企谷君から離してよ……」
「いや、そっちから思いきり握られてるんだが……」
「違うもん!私じゃなくて、比企谷君が離してくれないんだよ!」
な、何だ、このくだらない言い争い……。
でも、本当は心のどこかで思っているのかもしれない。
俺は、この手を……。
「比企谷君っ、大丈夫!?」
「「っ!?」」
慌てて互いに手を離す。
とてつもない勢いで入ってきたのは絢瀬さんだ。今、風が巻き起こったような……。
そして、なんか物凄い勢いで詰め寄ってくる。
「比企谷君、大丈夫!?文化祭実行委員の人達が色々話してたけど!私は……」
「はいはい、エリチ。どうどう」
「チカ」
「…………」
「え、絵里ちゃん?」
緊張した空気が解れていくのを感じる。
右手に微かな熱を残したまま。
俺は三人に礼を言い、一緒に屋上をあとにした。
*******
屋上の一件で、名実共に学校一の嫌われ者になったらしい俺は、仕事の後始末を終えると、すぐに帰路についた。
まあ、どうせすぐに忘れ去られるだろう。そんなもんだ。
ぼんやり考えている内に、いつの間にか我が家の前に到着していた。もしかしたら、しばらくこんな日が続くのかもしれない。
とりあえず冷蔵庫に冷やしてあるマッ缶を飲んで、今日1日の疲れを……
「おかえり、お兄ちゃ~ん!」
「おかえり、比企谷くーん!」
「おう、ただいま……はっ!?」
何故か高坂がソファーに座り、お茶を飲んでいる。いつか見た光景そのままだった。
「お前……何でいんの?」
「え?え~と……何となく来ちゃった♪あははっ、本当は絵里ちゃん達も来たがってたけど、用事があって帰らなくちゃいけなくて……」「チカ」
「……そっか」
とりあえず俺は自分の部屋に戻ることにした……が、小町に腕を引かれ、強引にソファーに座らされた。
「じゃ、私二階で受験勉強してるから、邪魔しないでね~!」
そう言い残して、小町はぱたぱたと階段を上がっていく。二階には上がってくるなと遠回しに言われている気がするのは気のせいではないだろう。
リビングに二人だけになり、急に静かな空気が立ち込める。
普段、電話で話すことはあるのに、こんな時に言葉は出てこない。
それでも何かを言わなければと、心の奥で何かが俺を急かしていた。
「「……あの」」
まさかのタイミング。
高坂は苦笑しながら、視線をあさっての方向に向ける。
だが、沈黙は訪れなかった。
「お疲れ様」
「……おう」
「あはは、何でだろうね。電話で言えばいいのに、直接言いたくなっちゃって……」
「そ、そっか」
「ふふっ、優木あんじゅさんからの方が嬉しかった?」
「……別に。んなことねえよ」
「そっかぁ。よかった」
高坂はいつもより穏やかな笑みを浮かべ、再びお茶に口をつける。
その微笑みに、何故か頬が熱くなるのを感じたので、話題を変えることにした。
「まあ、その……次のライブは来週の日曜だっけ?」
「うんっ、そうだよ!絶対に観に来てね!」
「……今日わざわざ来てくれたから、俺も行かないと釣り合いが取れない」
「もうっ、素直じゃないなぁ!」
「いや、別に……」
「素直にしないと~……こうだっ!」
「っ!」
高坂はいきなり距離を詰め、俺の脇腹をくすぐりだした。
いきなり甘い香りが近づき、細い指の感触が脇腹を伝いだしたせいで、笑いやら何やらが零れる。
「ちょっ、お前……くくっ、い、いきなり何を……!」
「ふふん!素直にμ'sのライブが観たいって言うまではこうだもん!」
「や、やめ……っ!」
くすぐり方が絶妙すぎて耐えきれなくなった俺は、バランスを崩し、ソファーから滑り落ちる。
「きゃっ!」
それに引きずられるように、高坂も滑り落ち、俺に覆い被さってきた。
背中が少し痛いが、それよりライブを控えた高坂に怪我がないかが気になった。
「……だ、大丈夫か?」
「う、うん。こっちこそごめ……ん」
高坂の声が途切れる。
こちらも何も言えなくなる。
息をするのも躊躇うくらい近くに高坂の顔があり、その瞳は静かに揺れていた。
リビングに射し込む斜陽が、赤く淡く彼女を照らし、彼女をいつもとは違う儚げな美しさに彩っている。
のしかかってくる重さと、じんわり伝わってくる体温に、胸が急激に高鳴り出した。
「えと……その……」
「…………」
俺は彼女の肩に手を置いた。
彼女も同じように俺の肩に手を置いた。
多分、お互いに体を離そうとしているのだろう。ただ、動けずにいるだけで……
高坂の目は少しとろんとしていて、いまいち現実を呑み込めていない気がした。
そして、薄紅色の唇は微かに震え、こちらの唇に熱い吐息をかけてくる。
「比企谷……く、ん」
「…………」
「二人共、大変大へっ!?」
「「っ!」」
小町がいきなり入ってきて、驚きに体が跳ね上がるが、この体勢ではすぐに動けない。
「しっつれいしました~♪」
「こ、小町ちゃん、違うんだよ!」
「小町……っ」
*******
「はぁ~、びっくりしたよ……小町の知らない間に二人が付き合っちゃってるのかと……」
「いや、違うから」
「そ、そうだよ!」
「てか、何か用があったんじゃないのか?」
「あっ、そうそう!これ!」
小町が向けてきたスマホの画面を見ると、そこには東京、千葉間の電車が事故の為、運転見合わせになっているとのニュース記事が表示されていた。
「「……え?」」