捻くれた少年と純粋な少女   作:ローリング・ビートル

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第50話

「ご、ごめん!」

 

 高坂が慌てて部屋を出ていく。

 ドアが閉まり、静寂が訪れると、途端に心臓がバクバク鳴り出し、甘い残り香が鼻腔をくすぐりだした。

 高坂の無防備すぎる寝顔が……長い睫毛が……薄紅色の唇が……。

 もし自分が訓練されたボッチでなければどうなっていたかは、想像に難くない。

 俺は気持ちを落ち着けるべく、頭をかきながら、窓を開けた。

 

 *******

 

「うぅぅ、もう……こんな時まで寝ぼけるなんて……」

 

 わ、私……何で比企谷君のベッドに入って……しかも……。

 まだ手のひらには比企谷君の頬の感触と温かさが残っていた。

 私、何しようとしてたんだろ……すごくドキドキしてる。

 あの時、頭の中が真っ白になって、比企谷君しか見えていなかった。

 ……私……もしかして……。

 

 *******

 

 いつもより一時間ぐらい早く朝食を摂り、身支度を整え、高坂と一緒に駅まで向かう。誰から言われるでもなく、自然とそうしていた。

 休日の早朝ということもあり、いつもより人通りは少なく、不揃いの足音がよく聞こえる。

 朝食中も、バスの中も、駅までの幅の広い道でも、俺と高坂はあまり言葉を発しなかった。目も合わせなかった。

 理由は言うまでもなく、昨晩から今朝にかけてのアレやコレである。

 しかし、駅の構内に入り、彼女の横顔を盗み見ると、偶然目が合ってしまう。

 

「「…………」」

 

 どちらも目を逸らさないのか、逸らせないのか、そのまま立ち止まる。

 今は人目も気にならなかった。

 だが、いつまでもそうしているわけにはいかない。

 

「「あの……」」

 

 狙いすましたかのように声が重なり、どちらも続きが言えなくなる。

 気まずい時の言葉の持ち合わせが少ない俺は、彼女に先に言ってもらうことにした。

 

「……悪い。先に言ってくれ」

「え?う、うん……その……」

 

 彼女はしばらく宙をぼんやり見てから、申し訳なさそうに笑う。

 

「あはは……思いつかないや」

「何だ、それ」

「自分だって何も思いついてなかったじゃん!」

「……よく気づいたな」

「気づくよ。比企谷君のそういう時わかるようになってきたもん」

「……そっか。まあ、あんま意味ないと思うんだが」

「そんなことないよ」

「?」

「私は……嬉しいかな」

「……そっか」

 

 何故……とは聞けなかった。

 そこまで鈍感なわけではない。ただ、そこに過剰な期待をするほど幼くもないわけだが。

 むず痒い気持ちになっていると、高坂が躊躇いがちに口を開いた。

 

「えっと……は、八幡君」

「……あ、ああ。どうしたんだよ、いきなり」

「き、聞かないでよ!別にいいじゃん!比企谷って名字じゃ分かりにくいでしょ?」

「全然そんなことはないと思うが……」

「あるよ!ウチの学校にも三人くらいいるかもしれないし!」

「いや、いないだろ。多分……まあ、別に……いいけど」

 

 そうこうしていると、構内にアナウンスが響く。

 それを合図に、俺達は会話を打ち切った。

 どちらからともなく頷き、彼女は改札に向かい、たったか歩き始める。

 俺はその背中に声をかけた。

 

「じゃあな…………あー、高坂」

「……八幡君のバーカ!そこは呼び方変えるところじゃん」

「いや、無茶言うな。あと声でけえよ」

「ふんっだ、八幡君の照れ屋さん!」

「いや、照れてるとかじゃないから……高坂」

「なぁに?」

「……帰り、気をつけてな。あと、約束……覚えといてくれ」

「…………うん。またね」

 

 控え目な笑みを見せた彼女は、改札を通り抜け、エスカレーターに乗り、少しだけこちらを振り返った。

 俺はしばらくその場に立ち尽くし、その背中を見つめていた。

 彼女が名前を呼んだ時の照れくさそうな表情が、少し躊躇うような声が、確かに甘く胸を締め付けていた。

 そんなふわふわした感情に浸っていると、彼女の姿はいつの間にか見えなくなっていた。

 …………帰るか。

 

「ちょ、ちょっと待って!」

 

 くるりと踵を返すと、背後から聞き覚えのある声がかけられる。

 振り返ると、そこにいたのはクラスメートの川……何とかさんだった。

 


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