アド村での戦いからしばらく経ちました。
相変わらずユキさんのすることはすごいです。
他の村に捕らわれていたエルフの皆さんを次々に助け出して、今ではアド村の他にももう一つ、別の村に拠点を作っています。
ユキさんはずっと〝ゲリラ戦〟という戦い方をエルフの皆さんに教えていました。
なんでもひたすらこそこそする戦い方だそうです。
人間にエルフ側の情報が渡らないように。
人間の情報はなるべく多く手に入れるように。
〝自国の領地で戦うにはこの戦法が最強にして唯一だ〟って、リコには教えてくれました。
でも、それを説明していた時のユキさんは何だか悲しそうな様子でした。
その日の晩、リコはコップに紅茶を入れてユキさんと一緒に飲みながら、なんで悲しそうな顔をしていたのか聞きました。
「俺は人間とエルフの間に生まれる恨みを、なるべく減らしたかった。でも無理だ。ゲリラ戦はやられる側にものすごい恨みの念を抱かせる…………人間はエルフを恨む。エルフも人間を恨んでいる。くそ鬱展開待ったなし、だ」
コップに口もつけず、ポツリポツリと語ってくれました。
リコにはどうすればいいかなんてわかりません。ユキさんがやろうとしていることの半分もわからないからです。
でも、ただひとつだけ、リコには言えることがありました。
言って良いのか迷いました。これを言ってしまうと、リコはユキさんに嫌われるかもしれません。
それでも。……それでもリコは、こういうことでユキさんが少しでも楽になるかもしれないって思って、言ってしまいました。
「リコは、この世界のことがどうなってもあまり関係がないと思っています」
「…………」
「リコは元の世界に生きています。必ず帰ります。帰ってイェルサレムに行くことしか考えないようにしています」
「…………そう、だな」
「リコはひどい人間かもしれませんが、すべての人を助けられるのは神様だけです。リコは人間です。人間に、世界のことをどうにかするなんて、リコはできないと思っています」
「…………」
「………………ユキさんも、リコと同じ人間だと、リコは思っています。リコよりずっとすごくて立派な人だけど、でも一人の人間です。そう思っています」
ユキさんは何も言いませんでした。
頷くことも、首を振ることもしませんでした。
ただただ、黙って、一口だけ紅茶を飲んで、そのあとは眠ってしまいました。
リコとユキさんは別々の部屋で寝ています。
本当は離れるのが嫌だったけど、ユキさんが別々の部屋で寝たいって言ったので、アド村に来てからはずっとそんな感じです。
「…………でも今日だけは一緒に寝たかったなぁ」
リコのせいでユキさんはもっと落ち込んでしまったかもしれません。
○
あの日の晩のことを思い出しながら、リコは窓から外の景色を見ていました。
今日は夜ふかしです。
村のみんなはもちろん、ユキさんも寝てしまいましたが、リコはなんだか眼が冴えて眠れませんでした。
あの日ユキさんに言ったことはリコの本心です。これは変わらないので、別に言ったことに対しては後悔していません。
言わなきゃよかったなんて思いません。リコが〝この世界の事なんてどうでもいい〟と思っている以上、いつかはユキさんに伝えないといけない事だったと思います。ユキさんがどう思っていてもです。
だから後悔はありません。ユキさんに嫌われるのは少し怖いけど、リコは嫌われてもユキさんのことを守り続けます。この世界では。
ユキさんに命を救ってもらったんですから、それが恩返しです。
「…………ふぅ」
なんだか眠れないなぁ。頭がうわんうわん言ってる。
ちょっと、歩こうかな。お散歩行こうっと。
ユキさんに聞こえないようにそっと小屋から外へ出ます。
ひんやりとした冷たい空気がいっぱいです。冴えていた頭が、もっと冴えちゃった気がします。
「すー……はー……」
森に囲まれた冷たい空気を吸ったり吐いたりしながら、リコは村を見渡しました。
アド村の周りには大きな壁ができています。三日くらい前に完成しました。
頑丈な木の壁です。リコを縦に三人ぐらい重ねてやっと手が届きそうなくらいの大きな壁です。
上に登って弓矢で攻撃したり、槍で突いたりするそうです。
木の壁の向こう側には深い堀も三つあるので、もうこの村に攻め込むことは難しいって、ユキさんは言っていました。
リコもそう思います。リコが百人いてもあの壁は突破できそうにありません。溝をせっせと越えているうちに上からサクサク刺されそうです。
「…………」
空を見ると、きれいな月が出ていました。
明るいです。アド村はあれからも武器や小屋がちょっとずつ増えていって、そこら中に槍や弓矢が置かれていてなんだか物々しいですが、夜はとっても静かです。
エルフの人たちはすごいですよ。あっという間に木を切って、きれいに整えたと思ったら次の日には小屋が一つできているんです。
ユキさんも驚いていました。
「きっとエルフが魔法を使えなくて、力も弱くて、戦い方が伝えられていなくても長年生き残れたのは、この器用さがあるからだろうな」
って。
十字軍にも何人かいたら、もっと楽に旅ができたかもしれませんね。でも向こうの世界に連れて行くのは可愛そうなのでダメです。
特に何も考えず、ぶらぶらと村の中を歩いていると人の気配がしました。
後ろからです。リコは反射的に短剣を抜いて、振り向きざまにその気配に向けて突き付けてしまいました。
「わわわ! リ、リコさん待って、僕だよ僕!」
アシエ君でした。
○
「なぁんだアシエ君か。どうしたの? もう夜中だよ?」
「なんだか眠れなくて……リコさんは?」
「リコもだよ」
そっか、と言ってアシエ君は肩をすくめました。
こうして正面から見るとアシエ君は本当に小さいです。リコより背が小さいです。
絶対に年下だって思ってたのに、この子二十歳だなんて……信じられないです。
見た目はリコより年下だし、リコが〝アシエ君〟って呼んでも怒らないのでそう呼ぶことにしています。
リコとアシエ君は一緒に、木の壁の上へ来ました。はしごを使って簡単に上がれます。
森の木よりは低い壁なので、森が見渡せるほど高くはありません。
でも森の中の様子はよく見えます。高いところが有利って本当なんですね。
「……リコさん」
「なに?」
もしリコが槍を持ったらどの位置の敵をぷすっと刺せるかなー、って考えていると、隣のアシエ君に話しかけられました。
「リコさんはずっとこの村に居るの?」
「いないよ。ユキさんが次に向かう所に一緒について行くつもり」
「どうして?」
どうしてって言われても……。
「うーん、リコはユキさんを守るって決めたんだ」
「そっかぁ……」
何が聞きたかったのかな?
リコはアシエ君が、本当は何を聞きたかったのかわからず、自分で考えても思いつかなかったのでもう質問することにしました。
「どうしたの? なんでそんなこと聞くの?」
「え、いや、べつに…………なんとなく、かな」
「せっかくだしさ、リコとこうやってお話したの初めてでしょ? ほら、いろいろあって大変だったし、お話ししようよ」
いろいろ、というのはアシエ君のことも含んでいます。
アシエ君のお父さんとお母さんがどうなったのか、実はちょっと気になっていました。
アド村での防衛戦の後、アシエ君に聞こえないようにユキさんに訊いてみると
〝父親は死んでいるかもしれないが母親は生きている可能性が高い〟
って教えてくれました。
でもユキさんの読みは外れていたんです。
どっちも生きていました。アド村から北西の方の村につかまっていて、ほんの四日前くらいにエルフの夜襲&救出作戦で助け出せました。
アシエ君は大喜びです。奇跡的にアシエ君の家族はみんな無事です。
そんなこともあって、ここしばらくアシエ君は家族と一緒に過ごしていましたから、実は今日リコと会ったのは三日ぶりだったりします。
この際ですから、リコもアシエ君に訊いてみましょう。
「アシエ君はどうするの? ずっとアド村に住むの?」
「僕は弓で戦えるから、しばらくはアド村を拠点にして夜襲隊に参加するといいって、ユキさんに言われたんだ」
「じゃあ残るんだ」
「あ、でも……その……」
アシエ君はうつむいてなんだか口ごもっています。どうしたんだろ。
「アシエ君?」
「リコさん、僕、ユキさんとリコさんについて行きたいんだ」
「え」
何言ってるんだろこの子。
「僕、ユキさんにはとっても感謝してるんだ。僕の命を助けてくれたし、お父さんもお母さんも助けてくれた」
「お父さんとお母さんを助けたのはエルフの夜襲隊の人たちだよ?」
「いやそうだけど、なんていうか……あ、そうだ、夜襲の仕方を教えてくれたのもユキさんだし」
「あー……うん、ほんとだ、たしかに」
「だから、僕はユキさんについて行きたい。ユキさんの役に立って恩返しがしたいんだ」
「うー……ん」
これはリコが決めていいことじゃないんだけど。
…………ないんだけど、アシエ君が付いてくるのはやめたほうがいい気がするなぁ。
とりあえず、話すだけ話とこう。
「アシエ君、よく聞いてね」
「うん」
「リコたちはね、異世界から来たの。それでリコとユキさんは異世界に帰るために、旅をすると思うんだ」
「うん、ユキさんから聞いたよ。帰るための情報がいるって」
「だからね、たぶんだけど……行き先は、亜人種の人たちの住むところだけじゃないと思うんだ」
「あ…………」
「リコはわからないよ? もしかしたらユキさんは人間のところにはいかないかもしれないけど、でもたぶん、行かないなんてことはないと思う」
そうなるとエルフであるアシエ君を連れて行くのは、たぶん問題になります。
ユキさんなら何とかしてくれるかもしれないけど、でもそのためにユキさんが頑張るのはおかしいと、思う。
アシエ君を連れていくことは――――リコは、なんだかダメな気がします。
言い方とか遠慮とかを含まないことを言うと、アシエ君は〝お荷物〟です。
戦いにはリコがいます。最近、リコは周りの人の動きが遅く感じます。
一度だけ夜襲に参加したこともあったけど、人間の兵士たちはなんだかのろのろしていました。
あんな遅い剣には当たりません。鎧のない隙間さえ見つけられれば、すぐにでもそこへ短剣を滑りこせることができるようになりました。
だから、戦えます。ユキさんを守れます。
リコだけでもきっと十分です。
それに、そんなことよりももっと大事なことが。
「アシエ君には家族がいるよ。旅ってね、本当に危ないし大変なんだ。死ぬかもしれないんだよ」
「…………」
「リコもね、前の世界で旅をしたんだ。リコと同じくらいの年の人と。たくさん死んだよ」
アシエ君は落ち込んだように口をつぐんでしまいました。
言い過ぎたかなぁ……。
「だからね、アシエ君。アシエ君にはあまり無茶をしてほしくないんだ。アシエ君のことも心配だし、アシエ君が死んでしまったときに、アシエ君のお父さんとお母さんはどんな気持ちになるかな?
「それは……きっと、悲しむと思う」
「うん、だよね。だからリコはダメだと思う。本当は夜襲隊に参加するのもリコはダメだと思うんだけど、〝戦いたい〟っていう気持ちはよくわかるから、それを止めることはしないよ。リコだって神様のために戦いたいって言ったとき、お父さんとお母さんに許してもらったしね」
だからおねがい。旅に付いてくるのは考え直してほしい。
リコが言えたことじゃないかもしれないけど、今のリコだからこそ、アシエ君にはちゃんと言えるんだ。
○
それからさらに一週間。
リコとユキさんは、アド村から旅立つことになりました。
突然のことでびっくりしたんですが、なんでも〝ドワーフ〟という人たちがアド村にやって来たんです。
凄い人です。髭がボーボーで、おっきな斧と頑丈そうな鎧で全身を守っていました。
でも何が一番びっくりって、背の高さがリコと同じくらいなんです。
腕とか足がぶっといのに背がリコと同じくらいなんて、なんだかいろんな意味で笑いそうになりました。
そのドワーフの人たちがエルフの戦いに加勢してくれるそうなので、ユキさんは指揮権と戦法を全部そのドワーフの人たちに渡して村を出発することにしたそうです。
ドワーフの人たちは戦いの経験が豊富らしくて、来てくれた人数は十人ほどなんですがそれでも十分に戦えるらしいです。
ユキさんはドワーフの人たちに〝ゲリラ戦〟のやり方を教えながら、今のドワーフの人たちが住む場所が、どうなっているのかを聞き出しました。
リコも気になったので横で聞いていると、なんでも人間はドワーフの住む鉱山街を落とせないとわかって一旦退いたそうです。
鉱山街と人間の住む土地の間には平原があって、そこを通れないようにドワーフは砦を造ったそうです。
その砦が急造の割にかなり頑丈で、実際造った本人たちが思ったよりも人間を食い止められたのでびっくりしているそうです。
攻撃が止まって人間は撤退したので、ドワーフの人たちはエルフの人たちを助けに来た、というわけです。
話を聞いているときのユキさんの顔が険しかったです。
ドワーフの人たちの話が終わって、ユキさんが訊きました。
「それでドワーフの連中は今何やってんだ?」
「いつも通り鍛冶と採掘に戻っておるぞ」
「砦の補強は?」
「ちまちまやっとるがあの調子で人間どもが来るようなら何年かかってもわしらの街は落とせんわい」
「…………なぁ、人間たちは魔術を使っていたか?」
「いんや、騎兵と歩兵だけじゃったのう。じゃが魔術の対策もしておるし、どのみちあの程度の攻撃じゃ砦は落とせんわいガハハハハ」
ユキさんが小さく「やばいなぁ……」と呟いたのが、リコには聞こえました。
○
アド村から旅立つために荷物をまとめている最中、リコはいろいろと疑問に思ったのでユキさんに訊いてみることにしました。
「ユキさん、次に向かう場所は?」
「ドワーフの砦だ」
やっぱりそうですよね。
リコが聞いていてもドワーフの人たちが油断しているのはまるわかりでした。
昔、騎士様が言っていました。
〝油断がどんな手練れをも殺す〟って。
鍛錬と修練と心構え。
騎士は絶対にこれらを怠ってはいけない。怠ると死ぬって教えてくださいました。
「ドワーフの人たちが油断してて危ないから、助けに行くんですか?」
「んん、まぁ大体そうだな。〝油断してて危ない〟ってのは違うけど」
「へ?」
またまたリコにはなんだか理解できないことを言われたような気がします。
「お決まりっちゃお決まりだがドワーフってのは良くも悪くも陽気な連中だ。剣を作る笑顔と人を殺す笑顔は一緒だろう」
「は、はい」
「だから油断とか警戒とかそんなんでどうにかなる問題じゃなくってだな……まぁ詳しい人間側の地図とか状況とかがわからんと確定はできないんだけど」
あぁそうだ、となにかひらめいたのか、ユキさんはすたすたとパシクさんのところへ行くと言伝をしました。
そして戻ってきます。なんかリコ、置いてけぼり感がしますよぉ。
「えっと、ユキさん?」
「エルフ達が得た人間側の情報を、これからも伝えてくれるように頼んでおいた」
なんかユキさんがエルフの人達を手足のように使っています。妙に慣れているところがこの人ほんとに何者なのかわからなくなります。
それはそうとして。
「それでユキさん、リコたちはどうするんですか?」
「ドワーフのところへ行って調査だ。それをしつつエルフからの調査報告を待ち、可能ならドワーフのトップと話を付ける」
「でもエルフの人たちがドワーフの町へ行くのって時間がかかりますよ? 逐一報告なんて無理じゃないですか?」
「そこでだ。アシエを使う」
「?」
なんでアシエ君の名前が出てくるんだろう。
「ここ数日、アシエには馬に乗る練習をしてもらった。上手いもんだぞ。アド村で乗馬の練習をしている奴らの中じゃトップクラスだ」
「へぇぇ……馬に乗れて弓が使えるなんて、結構強いですね」
「結構どころか地球なら最強クラスだ。っとまぁ、その才能を見込んで〝エルフと俺たちの橋役〟になってほしくてな」
アシエ君は先日、リコたちに付いて行きたいと言っていました。それはユキさんも知っているようです。
でも、やっぱりリコが予想した通りの理由でアシエ君を連れていくことはできず。
とはいえユキさんは、そのままアシエ君を放っておくのは良くないと思ったのでしょう。まさかの〝連絡役〟に任命するなんて。
これなら確かにアシエ君からしてみると〝ユキさんの役に立っている〟という実感が得られると思います。リコたちについてくるよりはるかに安全ですし。
うまいなぁ。ユキさん、人を使うのが上手だなぁ……。
○
その後、ユトピーにひとしきり荷物を括り付け、リコとユキさんはアド村の人たちに見送られながら出発しました。
去り際にリコは、アシエ君からもう一本短剣をもらっちゃって、今では三本になっています。
騎士様に言われた〝短剣を多く持つ理由〟って、なんとなくわかってきました。
投げて良し。刺して良し。切って良し。
そして何より、短剣の数だけ誰かを確実に守れるような気がするんです。
両腰と後腰の計三本。後ろの短剣はアシエ君にもらったやつです。大切にしますね。
村から旅立つとき、なんとなく空を見ると、黒い鳥がゆっくりと飛んでいました。
――――さて、出発です。
第一章 完