「妹紅、これからこの妖忌がお前のお目付け役だ」
「よろしく頼む」
とある昼下がり。
私は天変地異でも起きたかのような衝撃を受けていた。
「(父上が、私に話しかけてくれてる……!)」
「どうした。何を呆けている」
「あ、あ、ありがとうございます!」
なるべく目立たないように、部屋の掃除をしていた私の下へ、妖忌を連れたこの屋敷の主____藤原不比等が現れたのだ。
「少々服装もみすぼらしいな。後で新服を用意させよう」
「え、あっ、え?」
なんでこんな急に、これまで私の存在すら知らぬ存ぜぬを貫いていたというのに。
「主殿、妹紅殿が戸惑っておられる」
「妖忌、いつから貴様は我に意見できる立場となったのだ」
妖忌の質疑を咎めたが、何を思ったのか跪く私に目線を合わせるように、しゃがみ込む父上。
「顔を上げろ」
「は、はい!」
命ぜられるまま、私は顔を上げる。其処には見間違う筈もない、私の父上の姿が眼に映った。
「これまで相手にしてやれなくてすまなかった。我にも思うところがあってな。妾の子であろうと、これからは御主も別け隔てなく接そう」
「!!」
こんな事が、あってもいいのだろうか。
何度も希望を抱き、砕かれ、諦めていた。
家出をしても見向きもされなかったというのに、なんで今更……でも、それでも、許されるのなら、私も____
___兄上達のように、甘えたい。
「勿体なき……御言葉です」
視界がぼやけるのを我慢しつつ、父上に対し失礼のないように応答する。
「うむ、それでは我は失礼する。妖忌、後は任せるぞ」
「御意」
父上が部屋を後にし、残るのは私と妖忌の二人のみ。
父上は妖忌をお目付け役と言っていたが、何故剣達者である妖忌を抜擢したのだろうか。何か目的があってのことであろうが、私では検討もつかない。
「急にすまないな、妹紅殿。私は妖忌だ。主殿から聞いたとおり、これから妹紅殿のお目付け役を仰せつかった」
「えっと……」
「こう見えて教養はある方だから安心してほしい。勿論、剣術を学びたいというのではあれば喜んで引き受けるが」
「……あ、うん」
「とは言いつつも、先ずは心身を鍛えるところからだな。取り敢えず私が愛読していた文書を幾つか取り寄せたんだが……」
矢継早に話し始める妖忌。
私の生返事に意を返さず話し続ける妖忌を呆然と見つめていると、それに気付いた彼が話を止める。
「どうした、妹紅殿」
「えっ、いや、妖忌ってもっと寡黙な印象だっからつい」
「なっ!?」
私の発言に妖忌は驚愕し、頬を赤らめながらしゃがみ込む。
あれ、私今変なこと言ったかな。
「そうか、私が……すまない、柄にもないことをしていた」
「謝ることはないと思うけど」
柄にもないって、妖忌も自分がいつもと違うことをしているという自覚がなかったのか。
「正直、妹紅殿に話すのもなんだが、年頃の少女との付き合い方が分からなんだ」
「ぶふっ!」
毅然とした態度を貫いていればいいのに、まるで初な青年のような事で悩んでいることに思わず吹いてしまった。
「ははっ、普通でいいよ。あんたが私を嫌いにならない限り、私があんたを嫌いになることはないから」
「それは本当か! ありがたい……よく子供から怖がられるから心配していたのだ」
「いやまあ、そりゃあね」
高身長だし、白銀の髪だし、目つき鋭いし、催し物以前は近寄ったら斬られる雰囲気が凄かったし。子供どころか大人ですら近寄り難かったのではないだろうか。
でも今はそんな雰囲気は感じられない。催し物の中で心境の変化でもあったのかもしれない。
「それは兎も角として、これからはもし妹紅殿が虐げられそうになったら私を呼んでくれ。其奴を罰する許諾は主殿より得ている」
「父上がそんなことを……?」
「私にも分からん。だが、妹紅殿に不利益になることでもないだろう」
気が変わったからなのか、自身のこれまでの行動を省みたのかは分からない。
けれども、父上は間違いなく私のことを見てくれている。
私にはそれが堪らなく嬉しい。
「それじゃあさ、まずは読み書きを教えてよ。少しでも私に学があればさ、父上も喜ぶと思うんだ」
「あい判った。私は厳しいから覚悟するんだぞ」
父上の計らいの上私と妖忌の生徒と先生の関係ができた。
それから程なくして父上から生斗のいる屋敷へ赴くようにと指示が来たのは別の話。
ーーー
「生斗の、分からず屋」
なんで、私はあんな事を言ってしまったのだろう。
生斗は私の為を思って反対してくれた。
私があの性悪女もとい姫様に文句を言ったところで状況が悪化するだけであるのは自身でもよく分かっていたのに。
身体が勝手に動いて不法侵入までしてしまった。
「送るわよ」
「……紫」
屋敷を出るため、塀を登ろうとする私の肩を叩いたのは紫であった。
「貴女が行動を起こす気持ちも理解できないわけでもないわ」
塀を二人で越え、帰路までついてきてくれる紫。
途中まで無言を貫いていた中、紫がポツリと私に同情する。
「父上が本当に好きなのね」
「!! ……ううん。好きというよりは……尊敬してる」
「尊敬?」
「うん。一父親としては正直私も思うところはあるよ。でも、父上の公務に対する姿勢は凄いと思う。向上心っていうのかな。どれだけ人を効率的に動かし自身の利益に還元するかを常日頃から考えてる」
「へえ」
「たぶん、あの性悪女を手籠めにしようとしているのもきっと容姿以外にも理由があるはず」
例えば箔をつけるとか。
都一と謳われる程の美女を嫁として迎え入れたとすれば一目を置かれるだろう。
私からしたらあんなのが身内に来るのは嫌なんだけど。
「よく見てるのね」
「屋敷にいたら嫌でも目につくよ。それだけに父上は影響力が大きいんだから」
そんな人が最近では魂が抜けたように呆然としている姿が散見している。
絶対にあの女が関係している。
あの父上があんな骨抜きな姿になるなるなんて見たくなかった。
「ねえ妹紅」
「なに?」
「私が言えるのは一つだけ_____現状を謳歌しなさい」
「……?」
その他にもまだ言いたそうな素振りをしてはいたが、結局藤原邸へ着くまで教えてくれなかった。
結局この時紫がそう発言した真意を私は理解することが出来なかった。
何故現状を謳歌しろだなんて。確かに少し前と比べれば天と地がつくほど違うけれども。
しかしその真意を理解する日はそう遠くなかった。
_______そう、私の人生を大きく変えたあの日に。
ーーー
「輝夜姫が月の民で明日帰る?」
蒸し暑いある日の夕方。
妖忌が身支度をしているところを発見し、問いただしたところ思わぬ発言が飛び出してきた。
「そうだ。私は明日守衛の為に輝夜姫の屋敷へ行くが、妹紅殿はついて来られるなよ」
「そ、それには生斗も参加するの?」
「無論」
なんで、なんで生斗はそんな大事な事を___いやそうか。
私から避けていたのだ。生斗は何度も私に話しかけようとしてくれていたのに、私はそれを無視し屋敷の奥へ逃げていた。
直接教えようも避けられたら不可能だし、私自身には関わるものでもないのに無理に教える必要性もない。
「妹紅殿。熊と何があったかは分からんが、事が済んだら場を設けよう。そしたらまた仲直りをするんだぞ」
「なんで妖忌がそれを……」
「熊が先日私に頼んできたのだ。妹紅殿を頼むと」
「えっ……」
妖忌に私の事を頼む……?
なんでそんなことを生斗が態々……生斗も妖忌が私のお目付け役である事は知ってるというのに。
「私にも分からんが、寂しそうな顔をしていた。恐らく散々無視をされて悲しかったのだろう」
「……」
生斗にはこれまで色んなものを貰ってきた。
なのに私は何を意地になっていたのだろう。
これまで他人であったはずなのに、色々してきてもらってきた立場なのに、自分の我儘が通らなかっただけで勝手に拗ねて、勝手に無視して。
「……こんなの、身の程を弁えない子供と同じ所業じゃん」
「んっ? 何か言ったか」
「いや、何も」
まだ生斗と紫に何も返せてないのに。
このままじゃ駄目だ。
あの性悪女がただの人間じゃなく月の民だとかはどうでもいい。正直あの雰囲気は普通じゃないとひしひしと感じていたし。いなくなって清々するぐらいだ。
それよりも生斗と紫。
あの二人は元々あの姫の用心棒として雇われたと聞いた。その役目が終われば二人はまた旅に出てしまう。
だからその前に何か、返さないと。
二人に目一杯の感謝を伝えないと。
その前に謝らなければ。
「それよりも楽しみだ。あの帝の鼻っ柱を折れるのだから」
「……?」
「ああすまん。これは秘密にしてほしいんだが、実は月の民が迎えに来るというのは嘘でな。そういう体で帝の兵共を出し抜いてやろうって作戦なのだ」
「えっ、なにそれ」
「心配するな。生斗共々、行方を晦ませる予定だが、ちゃんと妹紅との場を設けられるよう計らおう」
「もしかして月の民って嘘だったの?」
「勿論だろう。そんなものを信じるのは女性に対して盲目となる帝ぐらいなものだ」
そう妖忌から知らされた瞬間、私の顔がぼんっ、と赤くなるのを感じた。
「(す、すんなり受け入れちゃってた!)」
言われてみればそうだ。月の民なんて浮世離れした話、疑念を持つのが普通だ。あの姫の放つ雰囲気が異常すぎて納得していた自分がいた。
「どうした妹紅殿。顔が赤____」
「そそそそうだよね! 月の住人なんて馬鹿な話あるわけないよね!」
「? ああ馬鹿な話だ。それを信じる帝もな」
赤らめた顔を隠すように裾で頭を搔く。
でも、生斗はまた表舞台から退けてしまうのか。
最近では都でもちらほら噂されるほどには名が知れ渡って来ていたというのに。
少し勿体ない気がするが、生斗からしたら権力争いから遠のけられるから願ったりなのかな。
「私はこれから諸事情で出掛けるが、妹紅殿はこの書物を読んでおくこと。帰り次第問題を出すからな」
「はーい」
一冊の本を渡され、妖忌は軽い身支度を済ませて部屋を後にする。
最近漸く読書ができるようになったが、妖忌から出される登場人物の心情がどれも単調過ぎて最近飽きてきた。
だって大体『斬ればどうにかなる』が正解だもん。
それにしても、突然別れが訪れることになるなんて。
心の何処かで、いつまでも生斗は居てくれるものだと思っていた。
それがただの希望的観測であることを知っている筈なのに。
まだ身に余る恩を返せる程私は何もできない。
だから少しでも、二人のおかげで成長できた証を示したい。
心から笑えるようになったのも、前向きに物事を考えられるようになったのも生斗と紫がいてくれたから。
そうだ、お守りも作ろう。
折角紫から編み物を教えて貰ったんだ。下手くそかもしれないけど、思いは伝わる筈。
二人の旅路の安全祈願するものだから、刺繍も頑張らなければ。
場を設けてくれると妖忌が言ってくれはしたが、いつになるかは分からない。だからいつその時が来ても良いように今から取り掛かろう。
書物はどうせ答えが同じだから後回しでいいや。
謝って、ありがとうを伝えて、これからは大丈夫だと安心させる。
二人の旅路を祝福するにはそれが必要だ。
そんな今後起こるであろう事柄に胸を膨らませる。
「ありがとうの気持ちをいっぱい込めないと!」
さあ、やることが決まれば行動あるのみ。女中さんに材料を貰わないと!
「うそ、でしょ」
そんな私の考えは、次の日の満月とともに崩れ去る。
都で突如として発生した浮かぶ大船に大洪水。そして神の怒りの叫びのような轟音と砂塵。
まるで天変地異でも起きたかのような光景から二日後。
「……すまん」
「ごめん、もう一度だけ。何が起こったのか、話して」
私の前には、二日間行方不明となっていた妖忌が、ボロボロの状態で跪く。
「月の使者という話は本当だった。そして_____熊は、その月の民に攫われた」
両手に握り締めた不格好なお守りが床に落ちる。
輝夜姫と紫は行方不明。妖忌は月の使者に敗北を喫し、森の奥地で意識が混濁している中、生斗が肩に担がれ、連れて行かれる姿を見たらしい。
「生斗とは、もう会えないの? 紫は?」
「……本当にすまない」
駄目だ、これ以上は八つ当たりになる。
でも、でもでも……
「なんで! なんでなんで!!!」
涙が止め処なく溢れ出てくる。
なんで私はいつもいつもいつもいつも!
後悔するような事ばかりするんだ!!
あれで終わり?
『生斗の、分からず屋』
あんなのが最後の会話?
『生斗の、分からず屋』
嫌だ嫌だ嫌だ!!
『分からず屋』
もう嫌だ!!!
「!!!」
「妹紅殿!!?」
巫山戯るな! 消えろ! こんな私なんて消えてしまえ! 誰からも! 迷惑をかけないところで勝手に!!
妖忌の制止を振り払い、私は走った。
屋敷を出て、都を抜け、ただ森の奥地へと。
その考えが、生斗達にとって最も望んでないことであるのは分かってる。
この行動自体がこれまで親身になってくれた人達の思いを裏切りとなっていることも。
でも、もう駄目だ。
私が何をしようとしても誰かを不幸にする。
手を差し伸べてくれた人に対して仇しか返せない。
それならいっそ、私自身がいなくなった方が世の為だ。
脚の裏が血だらけになっても、構わない。死ぬまで走れ。
ごめんなさい。私、こんなに悪い子で。
産まれてきて、本当にごめんなさい。
妹紅回次話まで続きます。