あれから何日が経過したのだろうか。
目的もなく私はただただ樹海を彷徨っていた。
死にたいのにお腹が減る。死にたいのに水を求める。
死が間近に迫る度に私は生を求めてしまう。
自身の覚悟がどれだけ軽く、紙のように揺らぎやすいのかが分かる。
死ぬ覚悟を固める為に入り込んだ樹海の中で、恥も外聞も捨て虫や雑草すら食し延命を図っている矛盾。
「はあ、はあ……」
今ここが、山のどの辺りに位置しているかすら把握できていない。意外に標高は高いのか、微かに息がし辛い。
「……」
眼線の先には、先程まで登っていた舗装もされていない山道。
ここから転げ落ちれば全て終われるのかな。
そう思ってはみたものの足が竦んで動かない。
本当に私は何をやっているんだろう。
二度も家出をした父上は私を許してくれるだろうか。
それどころか帰る手立てもない。
生きようにも死のうにも八方塞がりなこの状況。
妖忌は怪我した脚を引き摺りながら私を止めようと追ってくれていた。あの時踏みとどまっていれば、こんなことにはならなかったかもしれない。
「ほんとに、私って馬鹿」
やる事成す事空回りで中途半端。
一度思い込んだら相手の反対を聞き入れず突っ走って失敗する無能の典型であり手本のような事を何度もしている。
「うぅ……」
楽しかった。
催し物の模擬戦は心躍ったし、皆で夜まで話し込んだのも初めてだったし、都の外の草原で遊び回ったのは自身でも引くぐらいはしゃいだ。
「うぐぅ、ふっ」
輝夜姫は嫌いだけど、他の皆は好きだった。
でも離れていった。私から引き離していた。
「ああぁ」
あの時……生斗から否定された時、素直に聞き入れてれば。ちゃんと謝っていれば!
少なくとも……あんな別れ方はしなかった。
「なんだ。こんなところに女子がいるぞ」
「待て、気を付けろ。近くに賊共が潜んでいるかもしれんぞ」
獣道と思しき山道から、聞き覚えのない二人の浪人が近付いてくる。
一人の手には煌びやかな包装を施された箱が握られている。
……こんな所に人? それに何故あんな綺麗な重箱を携えてるのだろうか。
「そこの者、何故泣いていたのだ」
「おい! 近付くな!」
「良かろう。この辺りに人の気配はない。それに見てみろ。大分傷だらけとなっているが、其処らの女子供の服装にしては着飾っている。もしかしたら野盗に襲われた役人の子供やもしれんぞ」
「それは、そうかもしれんが」
無遠慮に近付いてくる一人の浪人。
足場も悪いのに、大丈夫なのか。いや、それよりも_____
「来ないで!」
近付いてくる浪人を制止させる。
彼等の話を聞く限り、もしかしたら助けてもらえるかもしれない。
でもその手を握ったら……握ってしまったら、また繰り返してしまう。
「何故だ。こんな所にいては飢え死にするぞ」
「いいから、それが目的なの」
「子供がおいそれと死にたいなどと語るな!」
小走りとなり、私との距離をさらに縮めていく。
……お節介焼き。なんだか、似てる気がする。
「ほら、ついて来い。我等は命があってこの富士の山へ来ている。お前を同行させるが、それが終われば家へ送り届けてやろう」
「お、おい。大丈夫なのかそれ」
私の下へ辿り着いた浪人は私の手を引き、立たせようとする。
今の私に抵抗するだけの力はない。
為されるがままに立ち上がろうとした瞬間____
「!!!?」
「きゃっ!?」
浪人が立っていた足場が崩れていき、彼は私の手を掴んだ状態で膝をつく。
「っっつ!!」
共倒れになることを察したのか、浪人は私から手を離し自身はそのまま転げ落ちていき、受け身を取れぬまま木々へ何度も激突する。
「あっ、あ……」
途中で頭部を強打したからか、数十間離れた位置で樹の幹に引っ掛かったまま動かなくなった浪人。
その姿を見て私は再び尻餅をつく。
「おい! 何をした!!」
心の整理が付かぬ内に、少し離れた獣道で傍観していたもう一人の浪人から怒号が響いてくる。
「よくも貴様……!! やはり野党の手の者だったか!」
「ち、ちがっ」
「すぐに死ねると思うなよ!!」
逃げる事も出来ず押し倒される。
反論しようにも口が上手く回らない。
「うっ!!」
まずい、抵抗しようにも腕を抑えられて何もできない。
誤解を解こうにも上手く言葉に表せない上に相手は頭に血が上っている。
まずい、このままじゃ_____
「あ"っ」
碌な抵抗もできないまま、浪人の拳が私の顔に向けて振り下ろされる。
「うっ、う"」
鼻が折れた。
只でさえ心身ともに疲弊しているこの状態での暴力は_____
「あ"が」
左眼が激痛で見えなくなった。
痛い、痛い、痛いよ。
「あ"あ"あ"!」
歯が何本も折れ、ろくに話せない。
口の中はぐちゃぐちゃで、鉄の味で充満している。
「はあ! はあ! はあ! はあ!」
何度も、何度も、何度も。
殺意の籠もった拳が私を破壊していく。
兄上達の暴力がまだ優しかったのかと感じてしまうぐらい死を実感する。
「……」
意識がぼやける。
これが、死。
漸く死ねるのか。
自身ではどっちつかずで今日まで生き永らえた。
その生き汚さで優しい浪人を一人失わせてしまった。
自身ではなく、他者から惨たらしくやられる方が、今の私にはお似合いなのかもしれない。
「まだ死んでくれるな!! お前が手にかけたのは俺の親友なんだからな!」
そう言いながらも振り上げる拳の速度は落とさない浪人。
もはや痛みは感じない。
もう既に手遅れなのだろう。この状態で暴力を止めたとしても、遅かれ早かれ私は死ぬ。
最後は少しでも人の為に___親友を亡くした浪人の……憂さ晴らしを、して……死ねるなら……少しは……ましには、なる、だろ…………う。
………………
…………………………
嫌だ。死にたくない。
生斗に、もう一度会いたい。
紫や妖忌、父上にも会いたい。
皆に、謝りたい。
手遅れになったからこそ分かった。
皆とまた会いたいから、死のうとしたのに無意識に生へしがみついたんだ。
「……あえか、はふ、へて」
歯が折れ、口の中がズタボロであったため上手く発音できない。
もう意味なんてないのに。最後まで私は生にしがみつく。
生き永らえたら、また私は自己嫌悪するんだろうな。そんな未来、来ることさえ叶えられないけれど。
「なんて言ってるのか分からんぞ!!!」
私の発言が余程気に障ったのか、浪人は紅く染まった両手を組み、私の顔面へ向け思いっきり振り下ろそうとする。
「……!」
酷く腫れているが、辛うじて右眼で目視した光景。
それは、振り下ろされた両手ではなく_________
_____顔が真っ二つになった浪人の姿と、白銀の髪をなびかせた強面の侍の姿であった。
ーーー
「すまない、妹紅殿」
胸に抱いた妹紅殿の顔は酷く腫れ、息も絶え絶えで生きる事のままならない状況。
足場の悪い坂路から獣道へと運び、彼女をそっと地面に降ろす。
「……」
なんと痛々しい姿。
私がもう少しだけ早く駆けつけていれば、このような結果にはならなかった筈だ。
「……くそっ」
これではもう、手の施しようがない。
彼女は確かに言った。
『……
____と。
それは妹紅殿が生きたいという意思の表れ。
彼女は自棄となって屋敷を飛び出したが、やはり生きたかったのだ。
それでも、こんな樹海まで足を踏み込んでしまったばかりに……
「____! これは……」
自身の無力さに打ちひしがれていると、少し離れた先に妹紅殿を襲った輩の持ち物と思しき包装された箱が眼に映る。
「あの包装___そうか、あの輩共は帝の使いか!」
あれは輝夜姫が残した帝に対する献上品。
輝夜姫が月の連中に出くわした際に持っていた包装を施された箱と同じ柄だから間違いない。
確か行方不明となった輝夜姫に怒り、この富士の山へと捨てるよう命を下したという話を都へ出る前に耳にした。というか手掛かりが何一つとして無かったため取り敢えずで私もこの富士の山へ向かったのだ。
その使いがなんの因果か妹紅殿と接触した。
そこで何があったかは知らない。
だが、その使いが一方的に友人である妹紅殿を殴殺しようしていたのだ。
それだけで十分に斬り捨てる理由と成り得よう。
「これなら……これなら助かるかもしれん!」
中身がどんな物かは正確には知らない。
噂では永遠の若さを手に入れられる妙薬だとか。にわかに信じられないが、今は一刻を争い、藁にも縋る状況だ。
このまま黙って友人の死を見届けるわけにはいかない。
生きたいの望んでいるのならば、尚更。
「……兵糧丸?」
箱を開け、中を見るとそこには漆黒の玉が煌びやかな装飾の施された布地の上に置かれていた。
大きさは小粒並み。これぐらいの大きさなら丸呑みさせれば服用できる。
「妹紅殿」
布地ごと妹紅殿の元へと持っていき、慎重に顔を上げさせる。
「……」
これを飲めば、助かるかもしれない。
だが、この丸薬を飲めばただでは済まないだろう。
私は月の技術を目の当たりにした。
あれは人間の成せる域を優に超えている。
そしてこの薬はその月の民であった輝夜姫が献上したもの。
我々の考えに至らない何かが起こるかもしれない。
だが、やるしかない。
助かる可能性が僅かでも残っているのであれば、私はどんな手を尽くしても執行する。
それで妹紅殿に何かしらの因果を背負うというのならば、それは私のせいだ。
そもそも、私がもっと早く妹紅殿を見つけていれば___いや、骨折していた脚なんぞ庇わず屋敷の中で引き止めていればこんなことにはならなかったのだ。
それが
因果なんぞ、私が一緒に背負う覚悟はできている。
「頼むぞ」
丸薬を妹紅殿の口へ含ませる。
異物が入った喉が拒否反応を起こし咳き込もうとするが、私は彼女の口を無理矢理閉じさせ、引き止める。
「飲んでくれ、妹紅殿……!」
「んふっ! ん"ん"」
________ゴクン。
丸薬が喉を通る音が鳴り響く。
____瞬間、妹紅殿から烈火の炎が舞い上がる。
比喩でもなんでもなく、胴体から激しく火柱が舞っているのだ。
そのあまりの熱さに私は思わず妹紅殿を手放してしまう。
「なんだ、これは」
炎が全身を緩徐に巡っていく。
全身は炎の光に照らされ、状態が分からない___が、とある異変に気付き、私は驚愕した。
「(髪が白くなっている!?)」
炎が巡り髪を侵食していくとともに、まるで焼け野原の跡地のように純白へと染まっていったのだ。
これは、妖となったのか?
これまで感じたことのない気質。何処となく妹紅殿の面影はあるが、姿を見るまで気づかない程にまで変化している。
妖怪化によく似た兆候。だが、明らかに妖怪の気質からはかけ離れており、神秘性すら感じる。
____いや、そんなことよりも。
「妹紅殿!!」
炎の巡りが収まり、地に伏していた妹紅殿を抱きかかえる。
本当に、本当に良かった。
帝の使いに付けられた傷が、跡形も無く完治している。
「すまなかった……!!」
妹紅殿からの返事はない。
だが、先程のか細い息遣いとは違い、一定の間隔で寝息を立てている。
山は越えたはずだ。
「良かった……!!」
涙腺は枯れたと思っていたが、分からないものだ。
妹紅殿の心情を考えず発言をしてしまった罪悪感。
怪我を理由に妹紅殿を追い掛けるのが遅くなってしまった自身の不甲斐なさ。
心の何処かで、己は何も悪くないと考えていた未熟さ。
そんな中でも妹紅殿を救えたことによる安心感。
ありとあらゆる感情が入り乱れた末、一筋の雫が頰を伝っていく。
「こんな姿、皆には見せられないな」
目頭を拭い、自身の羽織を下敷きにして妹紅殿を寝かせる。
夜も近い。取り敢えずはここで野宿することにしよう。
そして妹紅殿が起きたら腰を据えて話をする。
妹紅殿の今の立ち位置と、
「その前に飯だな!」
きっと妹紅殿は腹を空かせているはずだ。
起きたらまず腹に何か入れさせよう。
生まれてこの方料理というものをしたことはないが、何、亡き嫁の調理姿をよく見ていたのだ。私にだって簡単にできるだろう。
ふふふ、きっと妹紅殿も舌鼓を打つことだろう。
これからその姿を見るのが楽しみだ。
「だから妹紅殿、また笑ってくれよ」
私は、妹紅殿が無邪気に笑う姿が好きなんだ。
まるで産まれてくる筈だった我が子を見ているようで…………少しだけだがな。
ーーー
燃え盛る紅蓮の炎の中、私は佇む。
不思議と熱いとは感じない。
辺りは暗く何も見えない。
ただ、この先に何があるかは、なんとなく予想ができる。
まるでこれまで、頭の中でもやがかかっていたかのように、今はスッキリとしていた。
私は馬鹿だ。
父上が私に対して優しくなった理由も、生斗が輝夜姫への直談判を強く否定したのも……そして紫が言い放った今を謳歌しろという意味も、死の淵を彷徨って本当の意味で漸く理解することができた。
利用されていることにも気付かず、私は生斗に酷いことを言って自ら関係を絶ったのに、生斗は藤原邸へ通ってくれた。
それが私の為だけではないにしても、父上から私がまだ利用価値があると認識させる為にしてくれた事には変わりない。
本当に私は大馬鹿だ。
"父上は、利用価値がある私でなければ《愛を表せない》事を理解できなかった。"
帰らねば。
今なら出来る気がする。
これまでにないくらい、胸の奥底から燃え上がるように活力が漲ってくるのを感じる。
父上に、面と向かって言わなければ。
分かる。
私は生きている。
何度も死を願ったけれども、結局私は生きたいのだ。
死に近づく程生を強く願っていた。
どういう原理かは分からないが、感覚が私は生きていると告げている。
この紅蓮の炎の先は、全身が爛れる程度では済まない無間地獄かもしれない。
けれども進む以外の選択肢はない。
生きているのであれば尚更だ。
進んだとしても上手くいくとは限らない。
けれども、進まなければ何も叶わないのだから。
そう覚悟を決めた私は一歩、また一歩と紅蓮の炎を掻き分け前に進む。
すると暗闇は徐々に一筋の光に包まれていく。
そして徐々に面積を広げた光が全身を覆い尽くしたその時________
「妹紅殿! 起きたか!」
「よう、き……?」
_______私は目醒めた。
辺りは暗く見辛いが、焚き火の光と川のせせらぎから得られる情報からあの傾斜地から離れた川辺まで移動していることが分かる。
「なんで妖忌がこんな所に……」
寝起きである筈だが、妙に頭が冴えている。
恐らくここまで運んでくれたのは妖忌。そしてあの浪人から助けてくれたのも____
「もこ「ありがとう」」
話し始めが被ってしまった。
妖忌がここまで来たのかもおおよそ予想がついている。
それも踏まえて私は妖忌にお礼を言わねばと事を急いでしまったようだ。
「礼を言うのは私だ。よくぞ生きててくれた。だが……」
「だが……?」
バツが悪そうに口籠る妖忌。
何をそんなに_______ああ、そうか。
ふと私の眼に映ったのは、白銀になった自身の頭髪。
肌もまるで生気が失ったかのように白い。
「妖怪化してしまったんだね」
正直、驚くほどではない。
私の肉体は、浪人から暴行を受けた時点で限界を迎えていた。
それこそ人智を超えた何かが介入しない限り、まず助からない程に。
地獄を覚悟した私からすれば、これも許容範囲だ。
そして、妖怪化した事による起こるであろう事柄も。
「いや、妖怪ではないんだ。仙人とも、ましては神とも違う。どれも見てきたが、妹紅殿の気質はそれのどれでもない。どちらかというと輝夜姫のような……」
「輝夜姫? あの性悪女に私が似たの?」
「可能性は高い。妹紅殿がこうして生きているのは、輝夜姫が帝に対しての献上品を私が妹紅殿に食べさせたからだ」
「えっ!?」
それは予想していなかった。
帝への献上品を私が食べてしまったの?! それ、食べた私どころか食べさせた妖忌も唯では済まないんじゃ……
「ま、まさか、あの浪人達って帝の使いだったの?」
「大丈夫だ。証人はもういない」
「そ、それは……そうだけどさぁ!」
妖忌が私の為に帝の使いを斬り捨てたのは意識を落とす前に見ている。
それについて糾弾するつもりは更々ないけど、それ、私達とんでもない大罪人にならない?
「それよりも、焼き魚がそろそろ食べないと焦げそうなんだ。まずは腹を拵えてから話さないか」
「……う〜ん。そうだね」
正直、妖忌は私の為にしてくれた事で、現に私がこうして話せているのも妖忌が行動を起こしてくれたおかげだ。
それをされるぐらいなら死んだ方がマシだと前の私なら言ってただろうな。
色んな人の気持ちが分かった今はもう、自身の命をそんなに粗末に扱うつもりはないけど。
「ちょっと焦がしすぎたな」
「いいよ。私が起きるまで待っててくれたんでしょ。それより食事を用意してくれた事に感謝だし嬉しいよ」
食事は生きる上で大切な要素の一つ。
起きるかも不明だった私の為に食事を用意してくれた妖忌から、生きてほしいという気持ちが強く伝わってくる。
本当に、私は良い友人を持った。
「ふふ、焦げの味がする」
「!! ……妹紅殿のそれ、半身炭になってるぞ」
「あっ、ほんとだ」
嬉しさのあまり気付かなかった。
でも、それでもこれは美味しいよ。
「妹紅殿」
「ふぁあい?」
焦げ魚を頬張る私に対して、正座する妖忌。
腹拵えしてから話をするって言ったのに、食べる様子がない。
「妹紅殿がそうなってしまったのは私の責任だ。一生を尽くして償わせてくれ」
「ぶっ!?」
妖忌は深々と私に向かって土下座する。
その素っ頓狂な行動に私は折角のご馳走を吹き出してしまう。
なんで土下座を……そもそもご飯にしようと言ったのは妖忌なのにこれは食べさせる気無かったでしょ。
「謝るのは私だよ。そもそも私が皆の厚意を無碍にした結果だし。そんな私を見捨てず助けてくれた妖忌には感謝以外の感情は持ち合わせていないよ」
「私の責任だ。無碍にせざるを得ない程妹紅殿は思い詰めていたのに、私はそれに沿ってやれなかった」
妖忌は、なんでこうも自身のせいにしたがるのだろう。
人ならざる者へ変えてしまった負い目もあるのだろうが、結局は私が勝手に家出をしたのが悪いし、妖忌の行動は私にとってはだが褒められこそすれ責められる謂れはない。
それでも、妖忌は納得しないんだろうな。
この人は真面目で頭が固いから。もう少し生斗を見習った方が良いと思う。
でもでも、それが妖忌という人間であり、友人として誇らしくもある。
妖忌が納得しないのであれば、私が引き下がるしかないよね。
「よう___魂魄妖忌様」
「急にどうした……!!」
私の改まった態度に妖忌は怪訝気に顔を上げたが、眼に映った光景に言葉を失う。
「妖忌様からの御提案、とても魅力的で胸の高鳴りが収まりません」
私も妖忌に対し姿勢を正し、深々と頭を下げた。
妖忌が一生を掛けてくれると懸命に訴えてくれたのだ。生半可な態度は、友人だとしても失礼だろう。
「しかしながら___恐縮ではありますが、お断り申し上げます」
でも、一生なんていらない。
妖忌の一生は妖忌の物だ。誰かに縛られるものではない。
「そんな! それでは私は……」
「でもさ、妖忌」
「!!」
「私が独り立ち出来るまでは、一緒にいてくれない?」
私も顔を上げ、頰を掻きながら提案する。
断るだけでは妖忌は納得してくれない。それなら、少し甘えさせて貰おう。実際独りは怖くて寂しいし。
「……妹紅殿の気持ちはよく分かった」
体勢を起こして胡座をかき、少し考えていた妖忌は観念したように口を開く。
お互いが譲歩した上の提案。その事を理解した上でもやはり妖忌の中で葛藤は有ったらしい。
「妹紅殿、成長したな」
「なんだよ急に。否定はしないけどさ」
私も体勢を戻し、同じように胡座をかく。
あーあ、焼き魚五匹が見事に全部炭になってる。
「そんな妹紅殿に朗報だ。熊と紫殿は生きてるぞ」
「えっ」
私今、何を聞いた?
なんかとんでもない事をさらっと言われた気がするんだけど。
「言っただろう。熊は月の連中に連れ去られたって」
「えっ、あっ、うん。イッテタヨ」
連れ去られたって、つまりもう手遅れだってことじゃないの? 生斗が生きてるって事には繋がらないんじゃ。
「あの後、少しして森で紫殿と出くわしたのだ。お互い酷く負傷をしていたが、なんとか歩けるまでには回復していた状態でな」
「紫と!?」
行方不明となってた紫と会ってたの!?
なんでそれを早く言ってくれなかった……って事情を深く聞かずに突っ走った馬鹿のせいだったね。
「あの屋敷では深く言えなかった。すまない。紫殿から面倒事に巻き込まれるのは御免だとかで行方不明という形を取ったそうだ」
紫がそんな事……あの思慮深い紫が単純に面倒だからという理由だけで行方を眩ませるとは考えづらい。何か事情があったのだろう。
「その時に紫殿から聞いた。月の民は殺生とは無縁の、穢れ無き浄土であると。そこには寿命という概念が薄く、無限に近い刻を送れるそうだ」
「_____それって」
「ああ! 私達が生きている限り、熊とまた会える可能性が残っているって事だ!」
____また生斗と会える。
半ば目を背けていた現実が、私に手を差し伸べてくれた。
全身が震え上がるような感覚。
そうなんだ。人ならざる者へと変わった私の寿命は人間の寿命の尺度では測れない。
つまり、そう簡単に死なない。
私に生きる意思がある限り、可能性はどこまでも続いているということだ。
「あと私と紫殿も妖怪みたいなものだからそう易易と死なないぞ」
「ええ!?!」
さっきから妖忌は爆弾発言を続けてくるのはなんなの?
私を混乱させて楽しんでるでしょ絶対。
「えっ、てことは妖忌のその白玉って……」
「これは私の半身だ。普段はお洒落と言い張って肩に乗せてるが普通に浮く」
何それ!
白玉が妖忌の半身って! 確かにたまに不自然に動くなとは思ってたけど、まさか生物だったなんて。
でもなんか納得した。
紫も妖忌も、どこか浮世離れしたような風格と容姿をしていた。
紫はたまに神出鬼没なところもあったし、妖忌は人智を超えた剣の達人。人間と評した方が不自然なぐらいだ。
「……紫は他にはなんて言ってたの」
「驚いた? と言伝っている」
「ぷふっ」
そりゃ驚くでしょ。
知ってる人が妖怪だったんだから。
___でも不思議と不快感はない。私も同じ存在になったからではない。
そんなことよりも、それまでに私にしてくれた全てが、私の事を思って接してくれた。
今更皆が人とか人じゃないとか、微々たる問題じゃない。
皆の本質が、私は好きだから。
今もこうして笑っていられる。
「あと、『またね』。だそうだ」
「ははは! 紫らしいね!」
私が妖怪にならなかったらどうするつもりだったんだろう。
また屋敷に潜り込んで会いに来てくれたりしたのかな?
何方にせよ、お互い時間はある。行方が分からなくとも、生きていれば縁がまた結んでくれるだろう。
「次会うときは私が驚かせてやらなきゃね」
「幾らでも強力するぞ」
「頼りにしてる! もし鼻で笑われたら妖忌のせいにするから」
「ま、任せろ!」
生斗の安否は心配だけど、今の私達じゃどうしようもない。
ただ、無事にこの地に帰ってくることを毎日祈ろう。
それが今の私に出来る事だ。
何れまた会うその時まで、立派な大人になって生斗を驚かせてやるんだ。
「ねえ妖忌」
「なんだ?」
そして最後に、私にはやらなければならないことがある。
とても不器用で、立場に雁字搦めとなっているもう一人の人物に。
「もう一つ、私の我儘に付き合ってもらってもいい?」
ーーー
「妖忌貴様、これまでどこをほっつき歩いていた」
都でも数少ない大屋敷の門前。
なんの変哲もない筈の昼下がりに、屋敷の当主である藤原不比等のドスの効いた声が眼前で跪く二人に向けられる。
「先程も話したが、御主の御息女を探していた」
跪いていた一人____妖忌が悪怯れず返答する。
その姿に周りにいた藤原家の家臣がどよつく。
「……」
藤原不比等の眼線は妖忌からもう一人___同じく跪いている妹紅へ向けられる。
「二度もこの屋敷を抜け出した輩に開く門など無い。そもそもその髪の色、まるで妖の類ではないか。まるで妖忌、貴様のようにな」
「……っ」
藤原不比等は妖忌が半人半霊である事を承知している。
その上で自身の従者として迎え入れていた。それは人間ではないデメリットよりも、有り余るメリットが妖忌にはあったからだ。
「おい、顔を上げよ」
帰ってきたというものの、先程から一度として発言していない妹紅に怪訝に思ったのか、藤原不比等は彼女に声を掛ける。
「ふん、その奇眼も相まって実によく似合っているではないか」
「……」
侮蔑の言葉に、顔を上げた妹紅は特に反応することもなく藤原不比等の眼を見やる。
「もう、私の名すら呼んでくださらないのですね」
そして先程まで沈黙を貫いていた妹紅の口から、本音が漏れ出す。
「ふん、金輪際会うこともない化物を覚える脳は持ち合わせていないんでな」
「!!」
隣で聞いていた妖忌の腕が思わず鞘へと充てがわれる。
「この都から一刻も早く立ち去れ。そして二度と顔を見せるな」
しかし、そんな妖忌の動きを気に留めることなく、妹紅からの視線を真っ直ぐに受け止めながら藤原不比等は追放を命じる。
だが、妹紅はさもそう告げられる事が分かっていたかのように、微動だにしない。
「何をしている。早く去れ、『化物』」
「主殿」
静かく、そして冷たい口調で名前を呼びながら立ち上がる妖忌。
「誰が立ち上がって良いと言った。妖忌」
藤原不比等は眼線を変えることなく、妖忌の言動を戒める。
それに呼応して周りの家臣らが捕らえにかかろうとするが、藤原不比等本人が手を横に振り制止させる。
「跪け無礼者」
「主殿。これまで世話になった」
「なにを_____」
_____瞬間、藤原不比等の身体が宙に浮く。
そのまま家臣達とともに雪崩れるように倒れ伏す。
「貴様ぁあ!!」
家臣の一人の怒号が二人の耳に届く。
それもそのはず。屋敷の主が、一従者に殴り飛ばされたのだから。
「妹紅殿! 逃げるぞ!!」
「____うん!」
妹紅を担ぎ、妖忌はそのまま走り去っていく。
あまりの唐突な出来事に、藤原不比等の家臣達は追い掛けるという選択肢をほんの少しだけ遅れてしまったのが運の尽き。
妖忌の脚力は常人の比ではない。あっという間に差が開いていく。
そんな中でも、一際透き通る大声が都中に響き渡り、雪崩のように倒れ込んだ藤原不比等達の耳まで届いた。
「行ってきまぁ──ーす!!!」
______________________
「今すぐ討伐隊の編成を致します。もう暫くお待ちを」
「いらん。向かわせたところで返り討ちにされるのが関の山だろう」
倒れ伏した藤原不比等は、起き上がることもなくそのまま仰向けの状態で眼を覆っていた。
家臣達が起き上がらせようとするも拒否され、ならばと殴った張本人である妖忌を討伐しようと上申するがそれも却下される。
「貴様らは持ち場に戻れ。我も少ししたら戻る」
「「「はっ」」」
躊躇いながらも、家臣達は持ち場へと戻っていく。
門が突き破られた先で倒れ伏したままの主。
傍から見なくとも異様な光景ではあるが、それを疑問視すら許させないほどの権力を藤原不比等は持っている。
「…………ふふふ」
近くにいる門番にも悟られない程小さな声で笑う藤原不比等。
その笑みが何を意味しているのかは、聞くことさえ野暮というもの。
「達者でな、妹紅」
娘の旅路に、押し殺した声で健闘を祈る父親。
立場からこれまで側室でもない妾の子であった為、大っぴらに構うことさえ出来なかった。
別れの挨拶すらまともに出来ない不器用な父親。
それでも、娘には伝わっていた嬉しさに、彼の目頭は既に限界を迎えていたのだ。
それから数刻の間、藤原邸の門中にて目頭を抑えながら倒れ伏した当主の姿が目撃されたという。
その珍事が妹紅達の耳に届いたのは、そう遠くはなかったそうだ。