眼が醒めた時、そこに親友の姿はなかった。
妖怪の軍勢が都へ侵攻を開始したのを受け、私達は住民の月移転までの都防衛任務に従事していた。
父上は大妖怪の毒に侵され瀕死の重傷を負い、前線に出ていた兵の六割が殉死する程の大戦の最中、私は親友の手によって無様にも気絶してしまった。
何故あの時、熊口君は私を気絶させたのか。
それは私に力がなかった事に他ならない。
あの時、私に彼と肩を並べるほどの力を有していれば、熊口君が犠牲になることは無かったのに。
皆はそんな事はないと言ってくれたが、そんな事が無いわけがない。
汎ゆる要因があったとしても、その状況に直面した際に何も出来なかったのは紛れもない事実。
自分の無力さが憎い。
何故親友が犠牲になる必要があったのか。
何故最先端武具が月へ転送されたタイミングで妖怪の襲撃にあったのか。
そんな疑問も、私が強ければ全て解決できていた話だというのに。
そんな自責に念に苛まれながらも、私は一縷の望みに賭けていた。
熊口君は複数の命を持ち、増やすことも出来る。
毒抜きを終え、無事回復した父上を主導に、綿月家は総出で熊口君の捜索を開始した。
最初は熊口君に救われた人達も集まり、大規模捜索が行われていた________が、何年経っても亡骸すら見つからない。
生きていれば簡単に見つかるものだと考えていた皆は、一人、また一人と捜索の手から離れていく。
そんな中、上層部よりあるお達しが月の民の知らしめられた。
『外患誘致罪による現副総監 〇〇の月外永久追放処分及び月移住防衛任務隊務違反者 熊口生斗の処罰に関する達』
そう書かれた文面が各広報機関を通じて報じられたのだ。
大妖怪からの証言を下に捜索された副総監の悪事は白日の下に晒されたことは納得出来た。
元より彼は選民思想の強い過激派であったからだ。
だが、以降の文面に関して私は理解を拒んだ。
なんで、熊口君が処罰を受けなければならないのか。
あの行動が正しかったとは私も思わない。
自己犠牲の精神は、守られた側からしたら苦痛でしかない。
それが近しい者ならば尚更に。
それでも……それでも熊口君は、国の皆の為に文字通り命を賭して沢山の命を守り抜いたのに。
だというのに仕打ちは、余りにも無情が過ぎる判断ではないだろうか。
_____後に判明したが、この時の達は熊口君に逆恨みした副総監が裏で手を引いていたことが判明した。
自身の失墜を悟った彼が、最後に足を引っ張る為に熊口君を世紀の大戦犯として仕立て上げたのだ。それは副総監が裁かれた後も、意志を継いだ派閥が力を失うまで徹底的に行われた。
勿論、私達は熊口君の処遇について抗議した。
だが、防衛任務時の件で綿月家には発言権は無いに等しく、私達の叫びはただ虚しく響き渡る騒音でしか無かった。それもそうだろう。防衛任務に就いた総隊長とその副官が活躍することも無く気絶し、無様にも生き残ってしまったのだから。
それでも父上の信頼が落ちることはなかったのだが、あの時の防衛任務だけはその信頼あっても覆らなかった。それだけあの防衛任務は多くの民の心身を傷つけたシビアな内容だったのだ。
だから私は駄目元で月読命様の屋敷を訪れ、達を取り下げて頂くよう提言した。しかし______
「僕が一個人の為に民意を書き換えるような真似はしません。それに生斗が犯した罪自体は妥当なものでしょう」
至極真っ当な返しを受け、私は押し黙ることしか出来なかった。
この月の統治者とは言え、月読命様は都の政に基本的に関与しない。それは月移住前から変わっていない事実。
そもそも神は分け与え導く者では無い。
私達が勝手に月読命様を信仰し、その恩恵を享受しているに過ぎない。
元々高天原と同一の地に住まう事が許される事でさえ破格の対応なのだ。これ以上月読命様に何かを求めるのは厚顔無恥にも程がある行為。
自身の行動に恥じながらも、私は後悔はしていない。
1か0かで0だったのは結果論。こうして行動してなければ1になる可能性は絶対にありえなかったのだから。
そして0だと思われた行為も、1とまでは行かなくとも実を結ぶ事となる。
「しかし、隊務違反者である生斗の捜索活動の延長をすることは出来ますよ」
これは事実上、都の刑事組織を挙げての大捜索を意味していた。
月読命様は最初からこのお考えを持たれていたのかもしれない。
しかし、その事実を逸早く知れたことだけでも、私にとっては救われる代物だった。
____月読命様も、まだ熊口君の生存を諦めていない。
それだけでも心強かったから。
しかし、当時の私は致命的な思い違いをしていた。
月読命様程の御神が、月の技術力を用いざるを得ない程、追い詰められていたことを。
それが判ったのは、数万年の末捜索が打ち切られた時のことであった。
熊口生斗の死亡が確定され、月読命様は御自身の屋敷から月の民に御顔を見せる事が極端に減ってしまったのだ。
やはり、月読命様も気になされていた。
神として一個人に対して公に肩入れすることは出来ない。だから遠回しに事を運んでいたというのに、その甲斐虚しく全て空振りに終わってしまった。
自責の念を抱くのも致し方ないのかもしれない。
そんな折、穢土では神々による国譲りが開始された。それに伴い、月の民にも一部派兵が要請され_____
「俺とトオルは行くぜ。依姫もそっちで待ってやってくれよ」
熊口君の友人である小野塚さんとトオルさんが派兵に名乗り出たのだ。
二人は綿月家と共に熊口君の捜索を積極的に行ってくれ、私自身精神が追いやられた時にも随分と助けられた。
そんな二人は、熊口君を探す為一度捨てた地へと足を踏み入れに行く。それも穢れに染まる事も恐れずに。
私も勿論志願した。しかし、立場と家柄がそれを良しせず、二人にまで止められてしまった。
その時、私は二人と約束した。
____二人は穢土で探し、私は月で彼を待つこと。
恐らく、小野塚さんとトオルさんは月に帰ることはない。
国譲りが終われば、次はその統治に伴う管理者に人手が必要になる。
それが判っていて二人は志願し、そして私は止められた。
本当に、運命とはままならない。
神すらもその因果を覆すことが出来ない程に。
それでも諦めることは出来ない。
熊口君と過ごした年数は20年と少し。
とても、とても短い時間。
そんな者に時間をそこまで割く必要はないと周りは言う。
違う。時間じゃない。
熊口君は私にとって初めて出来た友達であり、月の民の悪意を一身に受け止め、沢山の人々を救った英雄なのだ。
時間とともに風化して良い訳がない。
それから数千年の時を経て、熊口君はあっさりと見つかった。
輝夜姫の流刑による監視者が二人の接触を確認したのだ。
これまで数万年に渡る捜索を持ってしても見つけられなかった人が、間接的に映った監視映像に見間違いのない姿がそこにはあった。
何故これまで発見出来なかったのか。
生体認証式の衛生探知にすら掛からなかったのに。
ただ、一つ判ったことは一個人で保有できる衛生探知では絶対に見つけられなかった事だ。
何故なら、今の彼は霊力の質が変わっていたから。
昨今の月の機器は燃料・電子の代替となる生命エネルギー即ち霊力を原動力として稼働している。
それに伴い一個人で持てる衛星探知機は霊力の質を元に生体照合を行うため、質の変わった熊口君はその網を掻い潜っていたのだ。
何故霊力の質が変わってしまったのかは分からない。
別の存在に成り代わるか等の異常が起きない限りはあり得ない現象だ。
けれども______
『……無いな? よくよく考えたら断る理由なさ過ぎますわ!』
褒められたらすぐに調子に乗り。
『おれの試合、面白かったか?』
可哀想な子を放っておけなくて。
『此処から先は戦争ですよ、綿月隊長』
身内の為なら、己の如何なる不幸も厭わない無鉄砲さ。
彼の一挙手一投足の全てが、熊口生斗が熊口生斗である事を物語っている。
熊口君はあの時から良くも悪くも何も変わっていない。
自然と涙が溢れてくる。
幾度も諦め、その度に再起を繰り返し、遂に見つけた相手が、遥か太古の昔のまま現世に健在していたのだから。
画面は熊口君と父上が闘う姿が映し出されている。
彼が父上に刃を向けた事は別段驚いてはいない。
熊口君は身内を守る為なら自己を度外視する。親友だからこそ、彼の行動原理は見て取れる。
それに父上は熊口君と戦いたいと常々仰っていた。
彼は必ず己を越えてくれると。
父上は仮死の腕輪をはめているし、熊口君も殺されることはないだろう。
お互い守るべきものがあるものの、内心純粋に戦いを楽しんでいるに違いない。
どちらかというと永琳様が月の民を裏切って輝夜姫と亡命したことの方が驚きだ。
姫からは常々穢土へ行ってみたいと聞き及んでいたからもしやと思っていたが、まさか永琳様まで巻き込むとは……しかし、私は永琳様の意思を尊重する。
あの方にはこれまで数え切れない程助けられてきた。抜けた穴を埋めることは決して出来ないが、なるべくマシになるよう私の方で尽力する所存だ。
熊口君は少ししか永琳様と話せなかったが、大丈夫。
お互い不老不死みたいな者同士、いずれまた会うこともあるだろう。
だから今は、月に来て再会による喜びを分かち合いたい。
積もりに積もった土産話がいっぱいある。
何なら私から行きたいくらいだった。父上とお姉様に止められたが。
小野塚さんとトオルさんに会わせられないのは残念で仕方ないが、その事も含めて熊口君と話したい。
私を気絶させたことを怒りたい。私は共に戦いたかったと。そして月に来てからどれだけ私が強くなったのかを知らしめたい。もう私は庇護対象ではないのだと。
また一緒に剣を交え、お酒を飲み交わし、他愛もない事で笑い合いたい。昔に戻ったみたいに。
あらゆるしたいが溢れてくる。
それだけ熊口君の帰還を待ち望んでいたのだ。その思いは私だけではない筈。
月読命様も、父上やお姉様、元熊口君の部下達、Aクラスの同期達、他にも彼を知る者達。
一時期は戦犯者として歴史に悪名を刻んでしまった熊口君も、今では存命である事実を知れ渡るとともに皆が奮起し、少しずつイメージは回復しつつある。
ちょっと父上と喧嘩したからまた揉めてしまう事になるだろうが、問題ない。
また何万年と再会できなくなるよりかは、火消しをする方が圧倒的にマシだ。
だからもう少し。
もう少しだけの辛抱で______
______あれ、私は熊口君とどう接してたんだっけ。
記憶は確かにある。
訓練生時代、昇任試験、合同訓練、私生活、防衛任務。
その時、私はどのようにして熊口君と話していたのか。
楽しかった記憶はある。なのに何の話をしていたのかが思い出せない。
どんな顔で私は……分からない。笑顔か、怒りか、悲しみか。
あらゆる感情が私の中にある。
どれかを抑制して顔を作れるだろうか。
否、絶対不細工な顔になる。
熊口君が月に近づいてくるに比例して、私の頭は混乱していく。
____時間が欲しい。そう思う間もなく、父上が熊口君を月に連れ、帰還した。
当時は上層部も慌ただしく、蓬来山家への対応と熊口君への処罰について追われていた。
そんな中、月の政に長く不干渉を貫いていた月読命様が腰を上げ、瞬く間に事態を収められた。
その補佐を務めたのが稀神サグメ様。その流れで熊口君の監視役となった。
本当は今すぐにでも会いたい。
しかし、私の脚を何かが掴んで離さない。
この期に及んで足踏みをしてしまう。
こんなにも私は人見知りだったのか。
熊口君が月に来て1年という年月が経とうとするのに、私は未だに彼に顔を見せていない。
不甲斐がなさ過ぎる。
自分の意外な弱さに苦悶し、枕に顔を埋め、自分への不満を爆発させる。
副総監兼月の使者筆頭となったというのにこの体たらく。
こんな情けない姿、お姉様や玉兎達に見せられない。
「依姫?」
「依姫様……?」
時折顔を見せる運命はままならないという事実をこんな形で再認識ささせられるとは思わなかった。
何故こんな時に限ってお姉様がレイセンを連れて私の寝室に……
「依姫、忙しい所申し訳ないけれど、お客様よ。とびっきりのね」
「……こんにちは」
綿月家の屋敷へと訪れたのは、稀神サグメ様であった。
私から接触を図ろうとしていたのに、まさかサグメ様から来られるなんて。
「……『君には熊口生斗と面会してほしい』」
何故サグメ様自ら私にそんな事を____
そう疑問を口にする間もなく、サグメ様が回答する。
「『今、熊口生斗は精神的に参っている。友人である君の力を貸してほしい』」
熊口君が、精神的に……?
私の記憶の中ではあの人はとても強かで、とても神経が図太い人だった。
そんな人が精神的に参っている?
一体何が起こっているのだろうか。
「『今、彼は能力が消え、穢土の人間と同じ状態となっている。それが彼には相当応えたらしい』」
「熊口君が……」
熊口君は命を増やす事が出来る能力を持っていた。
恐らくその能力で生き延びてきただろうし、私達もそれがあったから一縷の望みを持ち続けられた。
言ってしまえば一心同体。私で言えば神降ろしが無くなってしまうのと同義。精神的に参ってしまうのも無理はないだろう。
「わ、分かりました。私が力になれるかは分かりませんが……」
正直心の準備は出来ていない。
けれども、熊口君が困っているのであればそんな甘えたこと言ってられない。
少しでも友の支えになるのであれば、私は______
『この変態が!』
『……いい度胸ね』
私は一体何を見せられているのか。
精神的に参っているということで重い足を引っ張って来たというのに、モニターに映し出されているのは、サグメ様と熊口君が楽しげに雑談している姿。
本当に精神的に参っているとは思えない程の軽快な喋りっぷりに私は拍子抜けしていた。
なんならこれが五度目。その度に二人の何の変哲もない会話を眺めている。
『〜〜ー?』
『ー〜ー!!』
「熊口、君」
都での録画映像を見返した時と変わらない、どちらかというと少しテンション上げめな姿に、私は少しばかり安堵する。
ここに来て五度も引き返しているが、そろそろ腹を決める必要がある。
私は綿月依姫。月の使者筆頭であり綿津見大神の娘。
稀神サグメ様より拝命した表面上の任務は、穢土の咎人、熊口生斗の経過観察及び記録。これ以上滞らせるわけにもいかない。
「ねぇ〜え、依姫」
「はい、なんでしょう。お姉様」
「そんなに恥ずかしいなら、手伝ってあげましょうか?」
「……?」
お姉様の発案により、私は能面に僧兵の姿をすることになった。
確かにこれならば相対しても変な顔を見せないで済む。
それに______
「あれ、なんで模擬刀なんて持ってるの?」
「……私と熊口君に、言葉は必要ありません」
考えに考え抜いた上、私が導き出した答え______それは立ち合いであった。
私が熊口君に教えた剣技。それを彼は独自に進化させていた。
何億年も前だというのに、熊口君は教えた剣技を主体に戦ってくれていたのだ。
そんな彼なら、言葉がなくとも伝わる筈。私の剣戟に籠もった想いが。
面と向かって話せなくとも、剣術はとても素直だから。その方がきっと腹を割って話せる。
「(格好からして完全に辻斬りね)良いと思うわ」
お姉様も理解してくれたようだ。
これなら気兼ね無く熊口君と立ち合える。
そう決心し、私は熊口君のいる異空間へと足を踏み入れた______
「はぁ、はぁ、はぁ」
「はあ……はあ……」
刀身は幾度となく繰り広げられた剣戟の応酬によりボロボロとなり、握る掌は握力を失い模擬刀は地面に転がっていく。
何分……いや何時間? 立ち合ったのだろうか。
お互いの体力が尽き、二人揃って大の字で床に仰向けとなっていた。
とても、楽しかった。
話したい事、謝りたい事、怒りたい事。
いっぱい話せた。
熊口君も負けじと色んなことを話してくれた。
内容の詳細までは分からなかったが、それがとても濃密で過酷で、それでいて有意義なものであったのは、彼の剣戟が教えてくれた。
「はあ、はあ……依姫」
熊口君が上半身を起こしながら、私の名前を呼ぶ。
悲鳴を上げる身体に鞭を打って。
「熊口、君」
私も負けじと大の字からなんとか腰を上げ、それに応える。
「ただいま」
拳を突き出す熊口君。
そう、
ならばそこに住まう私がするべき事は________
「お帰りなさい、熊口君」
拳を合わせ、親友の帰りを労うことであった。