「ふぅ」
まだ夢見心地な意識の中、おれは珍しく縁側から日の出を拝んでいた。
いつもなら昼前まで寝ているんだが、怠け過ぎの影響か妙に早く起きてしまった。
「いやぁ、綺麗ですね。空を見ていると、その壮大さに全ての嫌な感情が浄化されるようです」
「ならもう成仏してるだろお前」
「物の例えですよ」
尤も、おれが熟睡しているところにこいつが腹を踏んで外に出ようとしたのが発端なんだが。
だが、踏まれるのもたまには悪くないかもしれない。いや、そういう直接的な意味ではなくて。
太陽は長い眠りから目を覚まし、星空広がる無限の宇宙をその圧倒的な光を持って飲み込み、地上の生物に己の存在を誇示している。
その過程がなんとも幻想的で、おれ一人の生命が、なんとも小さいものかと見せつけられているようだ。
家を壊された事を未だに根に持っていたのも、なんだか馬鹿らしくなってくる感覚さえある。
「だからもう機嫌を直してください。萃香さん達だって悪気があって壊したわけではないんですから」
「四股踏んで壊した本人が何をほざいてる」
「訂正します。許しましょうよ、私を」
何さらっと萃香達のせいにしようとしてんだこの怨霊め。
眩い光が妖怪の山を照らし、小鳥のさえずりが辺りに響き渡る。
そんな光源を背に、飛んでくる一人の妖怪が眼に映りこんだ。
「えっ、生斗さんがこの時間帯に起きてるなんて珍しい。今日傘持ってきてないんですけど」
「文、今日は生憎の晴天だから雨が降る心配はしなくて良いぞ」
そこまで珍しいわけでもないだろうに。
まあ、この山に来てから日の出に起きた事はないが。
それにしてもこんな朝早くに文が来るなんて、友達になった初日以来だな。
なにか用でもあるのだろうか。
「今日は熊口さんが文さんに命じていた仕事の期日ですよ」
「あれ、そうだったっけか」
「忘れないでくださいよ。結構奮闘したんですからね」
確か料理を人が食べられるまで上達させることと、友達を一人作ることだったよな。
家の再建について色々手間取ってたからすっかり忘れていた。
「それで、その小包の中にいるのが友達か」
「ち、違いますよ! これは今日作る食材です!」
「なんだ、てっきり喋る友達は無理だから何かしらの小動物を拉致ってきたのかと」
「酷すぎますよ! 私だって意志疎通の図れる友達の一人や二人ぐらい簡単に作れます!」
「実際は?」
「……一人が限界でした」
それでも一人は作れたんだ。
そこには少しながら感心した。
「それで、その友達はどこにいるんだ?」
「後から来ますよ。なにやら発明品が出来上がりそうとのことなので」
「発明品? そいつは何かしらの発明家か何かなのか?」
「らしいですね。私も彼女に会うまでその種族が何をしてたかなんて知りませんでしたし」
文の発言から、友達は女で天狗とはまた別の種族らしい。
鬼は論外とか言ってたし、妖怪の山に住む天狗下の妖怪か何かだろう。
「とりあえず、立ち話もなんだし上がれよ。茶ぐらい翠が出すぞ」
「どうぞ上がってください。お茶は熊口さんが丹精込めて淹れて下さるそうですよ」
「お、お気を使わずに。私は生斗さんの部下なんですから、私がお茶淹れますよ」
「なんか悪いな。この怨霊が役立たずなばっかりに」
「すいません、熊口さんが愚図なばっかりに……」
「「……」」
おれと翠が無言で頬を引っ張り合ってると、苦笑いをしながら文は縁側から家へと上がり、台所へと向かっていった。
「初めて会ったときと比べて大分丸くなりましたよね、文さん」
「まあ、変なセクハラ上司が成敗されたから吹っ切れたんじゃないか」
「それだけではないみたいですけど……」
しがらみが消えて本来の自分を取り戻しつつあるのだろう。
前の文がどんなだったのかは知らないが、今の彼女を見る限り、良い方向へ進んでいるのは確かだ。
「それよりもおれらも上がろうぜ。まだこの時期は冷え込んでるからな」
大分寒さは引いたとはいえ、未だに吐く息は白い水蒸気となって辺りに溶け込む。
「私は寒さを感じないんですけどね。まあ、熊口さんがどうしてもというのであれば上がってあげますよ」
しかし隣にいる翠の口からは白い水蒸気は発生しない。
それどころか息をしているのかも怪しい。
そう、翠はこの世のものではない。
生命の理から外れ、怨みを晴らす為にこの世にしがみつく怨霊である。
そんな事をふと考え、ほんの僅かながら胸が締め付けられるおれがいる。
「どうしたんですか?」
「いや、よく考えるとほんとお前人間じゃないんだなって」
「何を今さら。排泄をしない、鼻もほじらないし汗もかかない。そんな欠点のない完璧美少女が普通の人間なわけないじゃないですか」
「性格が致命的なんだよなぁ」
汗かかないわりにはよく泣くし、食事も必要ない筈なのに普通に食べてたりもする。
翠自体少し謎な部分が結構あるが、別に気にする事でもないし言及することもないだろう。
「性格も良いんですからね!」
「そう自分で言ってる時点で駄目なんだよ。ほら、入るぞ」
さっ、まずは文の料理がいかほどまでに上達したのか見ようじゃないか。
おれの舌はどっかの怨霊のおかげで肥えてるからな。審査は厳しく行かせてもらう。
とはいえ、食材に罪はない。早恵ちゃんのような化学物質でない限り、完食する所存だ。
なあに、舌は肥えてるとはいえ、下手物料理もこの世界に来て大分慣れてきている。
どんとこい! 部下の失敗は上司であるおれの責任でもあるからな!
「覚悟した顔してますね。文さんの料理がそんなに失敗すると思ってるんですか?」
「そんなそんな、おれは文を信じてるぞ」
ーーー
「まだかなー、まだかなー?」
机の上に顎を置き、足をバタバタさせる萃香。その行動はまるで年相応の少女の動きを彷彿とさせる。
「そういえば萃香、お前自分の家とかないのかよ」
「ないね。強いて言えばこの妖怪の山にある家全部が私の家さ」
「そのわりにはおれん家に入り浸ってるよな」
「だって居心地良いんだもん」
その気持ちは分からないでもない。
この家の立地は良いし、何もしなくても美味い料理を作ってくれる奴もいる。
それに入り浸るのはおれもよくするしな。それで出禁を食らったこともある。おれはそんなことしないが。
「だからと言って酒は呑むんじゃないぞ。ここは飲酒禁止だからな」
「良いんじゃん、ここは私の家でもあるんだから」
「家主の言うことを聞かないやつは井戸に投げ込むからな。寝ている隙に」
「寝ている隙にってところが何とも狡いですよね」
正面でやりあって勝てる相手じゃないからなお前らは。逆におれが山の外へ放り投げられてしまう。
「……おっ」
「良い匂い……」
台所から出汁の効いた吸い物の良い匂いが漂ってくる。
これはよく翠が作るときに嗅ぐ匂いだ。この匂いを嗅ぐと大人しかったおれの胃が今すぐ中身を入れろと暴れだす。
「流石は文さん、飲み込みが早いようですね」
そういえば、翠が文に料理を教えてたんだな。おれが命じてたのにそんなことも忘れているとは。
余程適当に決めてたんだな、おれ。
「美味そうな匂いだね。昨日から何も食べてなかったから、腹が鳴りっぱなしだよ」
「吸い物はお酒に合うんだよね。河童もそう思うだろ?」
「うんうん、合う合う。まあ一番は胡瓜の浅漬けだけど」
「それであればこれから漬けましょうか? 少し時間はかかりますが文さんが食後ぐらいにはできると思いますよ」
「いいよ、悪いし。そんなこともあろうかと持ってきたし」
「昨日から何も食ってないのならそれ食えばよかっただろ______ってあれ、なんか一人多くないか?」
台を囲んでいたのは元々三人だったはず。
そして今、ここにいるのはおれ、翠、萃香……と、青髪のツインテールの少女。
「んーと、あんた誰?」
「あっ、私かい?」
その少女はなんというか、羞恥心という物があまりないらしい。
上半身は胸元にさらしを巻いている程度でほぼ裸同然、下は流石に履いているようで、青色を基調とした作業ズボンを履いていたが、サイズが合ってないようですぐにでもずり落ちそうになっており、現段階で恥骨部分を大分露出させていた。
頭に被っている青色の帽子もそうだが、この少女の姿はあまりこの世界じゃ見ないような格好だな。
「私はカワシロって言うんだ。この妖怪の山で昔から住んでる河童って種族の長さ。さっき玄関叩いたんだけど、誰も出なかったから勝手に上がらせてもらったよ」
「かっぱ……?」
河童っていうのは、あれだよな。おれの世界では全身緑色で頭に皿が乗って亀の甲羅を背負ってる水生生物みたいなやつだよな?
この少女が河童? いや、まあ天狗でも同じような例があるということだろう。
大分イメージが崩れてしまっているが、この世界ではこの少女の姿こそが河童としての正しい姿なのだろうな。
「そ、それで、その河童の長とやらがなんでうちに来たんだ」
「あれ、文の奴言ってなかったんだ。確かあんた……生斗って言ったっけ? に友達紹介したいから来てくれと言われたから来たんだよ」
「あっ、カワシロが文の友達なのか」
そういえば後から来るとか言ってたな。
玄関まで来てたなんて気づかなかった。だからと言って勝手に入ってくるのも如何なものかと思うが、この中には勝手に布団の中にまで入ってくる不届者もいるので眼を瞑ることにする。
「にへへ、まさか文の上司が人間なんてね。そうだ、相撲でも取るかい? 」
「やだよ、おれが敗けたら尻子玉取るんだろ」
「おっ、よく知ってるね」
「何逃げてんだか。ようは勝ちゃ良いんだよ。生斗ならいけるって」
「ああもう面倒だから萃香は黙っておいてくれ、ハウス!」
萃香は勝負事になると自分の事以外でも無理矢理やらせようとする節がある。理由は単純、面白いから。
そんなのに付き合ってられるか、おれの命が何個あっても足りやしない。
「そういえば、文の奴が発明家とかなんとかいってたが、カワシロはなに作ってるんだ?」
「色々だよ。大体はその時に思い付いた物が多いんだけど、今作ってるのは自動揚水機だね」
自動揚水機? 水車とかの事をいってるのだろうか。
そういえばまだこの世界で水車は見たことない。
そうなると今カワシロが考えているのは大分画期的なのではないだろうか。
「あれか? 大きい歯車みたいのを川の流れとかで動かす的なやつか?」
「いや、圧力を用いて井戸の水を揚げるんだよ」
「おい待て、時代がおかしすぎるぞそれ」
圧力を使って揚水するやり方は、おれが元いた世界で主流のやり方だ。
それをこんな古墳時代と飛鳥時代の間ぐらいの文明でその発想になるのは流石に可笑しい。
先見の明が臨海突破してる。
「それが結構良い感じなんだよね。私ら河童は元々水を操れる種族でね、その要領を機械的に用いれば結構現実味があるんだよ。皆は不可能だって匙投げてるけど」
「そりゃ材料からないだろうしな……」
最近漸く製鉄技術が確立され始めたというのに、そこで水道用の配管やらそれを圧力で送り届けるポンプその他諸々、前の世界でざっくりと仕組みだけなら分かっているおれですら現実的でないことは明らかだ。
「ま、頑張れ。今は難しくてもいずれは出来ると思うよ。おれが保証する」
それが何百、何千年かかるだろうが、いずれはこの世界でもその揚水方法は確立されるだろう。もしかしたらもっと早く使える日が来るかもしれない。
とりあえず、おれもそんなに機械関係に詳しいわけではないから、この話は一端お開きにしておこう。
この部屋にいる他の連中は揃いも揃って興味なさそうに欠伸してるし。
「まあ見てな、いつかは完成させてみせるよ。他にもやりたいことあるから間間になると思うけど」
「ほんと発明好きなのな。正直おれが当初想像していた河童とは大分かけ離れて軽く衝撃的だけどな」
「一体どんな想像してたんだい?」
「口が嘴がついていて全身緑色で水生生物みたいなの」
「あんたは私らを何だと思ってたの? それただの身体を緑で着色した変質者だよ」
「あと、胡瓜が好き」
「それだけは合ってる。胡瓜美味いよね、永遠に食べていられる」
変なところは前の世界と同じだからなぁ。
ああ、あれか。この世界では有名どころの妖怪は人間化して現れてる感じかな。鬼とか天狗もそうだし。
名前のよく分からない妖怪とかはわりと奇形型のが多いけどな。
「そういえばそろそろ出来上がる頃ですね。私ちょっとお皿運び手伝ってきます」
「皿落とさないようにね~」
「はい、気を付けます!」
「手とか怪我しないようにな」
「熊口さんじゃあるまいしそんなヘマしませんよ」
なんか萃香の時と比べて辛辣じゃない?
「生斗、一つ賭けをしないかい? 文の料理が美味いか不味いかの」
萃香からそんな賭け事の申し出が来る。
ほう、不味いか美味いか、か。まさか萃香から仕掛けてくるのは少し驚いたな。萃香はそういうの嫌いなのかと思ってた。
「見返りは?」
「賭けに勝った方が、敗けた相手の料理の一品を上げるか貰うことが出来る」
「乗った」
不味ければ上げれば良いし、美味ければ貰えばいい。
意外と利に叶った賭けだ、ただ不味いか美味いかの判断するより、此方の方が断然楽しい。正直な話、萃香の事だからおれが賭け事に勝ったら萃香と戦う権利(義務)を押し付けてくると思ってた。
「そうだな、おれは____」
以前のド底辺であった料理スキルの状態からまだ一週間も経ってない。
現実的に考えておれが選ぶのは、
ーーー
「どうぞ、御召し上がりください」
緊張した面持ちで、食事を促す文。
卓上には何ら変わらない朝飯が並び、焼き魚や吸い物の匂いが食欲をそそる。
たった数日でここまで見た目もよく匂いまで食べられそうなものに出来たな。
前は見た目も匂いも味も全てが駄目だったというのに。
「……いただきます」
おれがそう言い放つが、おれ以外に箸をつけようとする者はいなかった。
やはり、まだ皆警戒しているのだろう。
見た目に反してとんでもない味付けだったというケースも十分にあり得るのだから。
「え~! これ文が作ったの!? 意外だなぁ、文は料理全然出来ないもんだと思ってた!」
そんな緊迫した食卓に、一筋の光が差す。
____そう、文が初めて自分から作った友達、カワシロだ。
彼女はまだ、以前に文が作った料理を知らない。
「今すぐ食べたいけど、確かこれ文の料理の試験って言ってたよね。私が最初に食べるのはまずいよね」
「ここは言い出しっぺであり、審査官である熊口さんが最初に食べるべきでしょう」
その一筋の希望はおれをスルーし、翠がとどめに何処かへ蹴飛ばしていった。
畜生! あわよくばカワシロの反応を見て食べようと思っていたのに!
「ささ、冷めないうちに食べなよ、私らもお腹空いてるんだからさ。ねっ、審査官」
「くうぅ」
行くしかない。大丈夫だ、見た目も匂いも申し分ない。これで不味いなんて早々ない筈だ。
せめて味かない程度であれば食べられる。
大丈夫、大丈夫。そう心の中で自分に言い聞かせつつ、震える手付きで大根の和え物に箸をつける。
「いくぞ、おれはいくぞ!」
各々が喉を鳴らし、おれが挟んだ和え物を見守る。
そしてついに、おれは覚悟を決め和え物を口に含み、咀嚼した。
「……」シャキシャキ
「「「「……」」」」
静寂に包まれたこの空間で、おれが咀嚼する音だけが周りに響き渡る。
一通り噛み終えたおれはそれを喉へ通し、胃袋の中へと収めていった。
「か、感想は……?」
「……」ゴトッ
「えっ」
文が感想を聞いた。
しかしおれはその質疑をあえて口で答えず、行動で示すことにした。
「私の、敗けみたいだね」
萃香の小鉢がゆっくりとおれの卓へと運ばれる。
おれと萃香が賭けていた内容を覚えているだろうか。
賭けの勝者は、不味ければ一品を敗者に渡し、美味ければ一品を敗者から取る事ができる。
不味いと賭け、それで勝てば一品食べずに済む。
美味いと賭け、それで勝てば一品多く食べる事ができる。
おれが萃香の和え物をとったということはつまり、そういうことだ。
「おれは文を信じていたぞ」
「じゃんけんで負けたから仕方なく美味いで賭けてたでしょうに」
「えっ、えっ、まさか美味いか不味いかの賭けをしていたんですか? それに、じゃんけんで敗けて仕方なくって……」
「そ、そんなことはどうでもいいんだ。文、この和え物梅肉使ってるだろ。しゃきしゃきの大根と絡み合ってめちゃくちゃ美味いぞこれ。それに大根の葉で彩りを入れてるのも改めて見るとすごい見栄えが良い。まさかこんな短期間でここまで成長するとは思わなかったぞ」
「そうですか? ほんとに美味しいですか?」
「ああ! ほら、皆も食べよう!」
「やったー! いただきまーす!」
翠の失言で裏事情が文に勘づかれそうになったが、なんとかこの和え物を褒めちぎる事で難を逃れる事に成功した。
結局和え物以外の料理も高水準の出来で、とても美味しかったのは驚きだったな。
今回作ったのはどれも何度も練習したからとの事だったが、こんな短期間でこの出来なら一年をまともに料理の勉強をすれば店を出せるレベルまで行くのかもしれない。
何はともあれ、文は己の任務を全うしたんだ。
おれもそろそろ、自分のやれること、いや
生還記録の中で一番立っているキャラ
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熊口生斗
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ツクヨミ
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副総監
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翠
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天魔