「あんな状態で、勝てるわけないじゃないですか」
辺りが暗闇に包まれる中、私は熊口さんの身体を操り、あの妖怪がいた村から少し離れた納屋まで逃げ延びていた。
「何が皆に報いるためですか。自分を一体何様だと思ってるんです。自惚れるのも大概にしてくださいよ」
魘されながら眠っている熊口さんに、血だらけとなった顔を拭いながら悪態をつく。
「貴方が自分で勘違いしていた役目は、私の役目です。熊口さんは指を咥えて寝ていれば良いんです」
熊口さんの全身に回りつつある
後はこの人の生命力に賭ける他ありません。
「……一人で、抱え込もうとしないでくださいよ」
痛みに悶えるような唸る寝息を立てる彼の髪をそっと撫でる。
こんなにも突然、別れが来るなんて思っても見なかった。
この人は、あの屑を見つける為だけの通行手段と考えている私がいた。
妖怪の山で生活していたとき、こんな生活が一生続けば良いのにと考える私がいた。
あの屑を早く見つけたいと思う反面、ずっと見つからなければ良いと考えてしまう私がいた。
_____復讐なんかより、この人とずっと一緒にいたいと思う自分がいる。
それは叶わぬ夢だというのに、そんな空想を何度も、何度も考えてしまう。
それが嫌で、私はこれまで彼に辛辣な態度をとっていた。
「……」
けれども、見つけてしまったからには、後戻り等出来ない。
こんなにも呆気ない別れとなることなんて想像もしていなかったが、この状況で悠長に熊口さんの回復を待つわけにはいかない。
先程は運よく逃げられたが、すぐにでも追っ手が来る筈だ。
妖怪の山を出てからどれぐらいの年月が経ったのだろうか。
何度か熊口さんの寿命が来て仮死状態になったこともあった。
兎に角、両の手では到底数えきれないほどの年月は経っている。
そんなに年月が経っているのなら、熊口さんの命は上限に達しても可笑しくない筈なのだが、熊口さんはお人好しだから、人のために平気で命を使っていたおかげで四つしかない。
常々己の命をもっと大事にしろと言ってきた。
けれども、熊口さんはおれの自己満足だからいいんだよと笑いながら一蹴してくる。
そんな彼の姿が格好良くもあり、嫌いでもあった。
「……そろそろ、行かないと」
何十、いや百年以上見てきた熊口さんの顔。
お世辞にもイケメンとは言えないのに、今ではとても恋しく思ってしまう私がいる。
______もう、終わらせよう。
食事や睡眠をする必要もなく、汗や糞尿等の排泄物も出ない。
なのに涙は止めどなく溢れでてくる。
汗と成分は同じ。
だが、この永い時を経て理解したことがある。
幽霊であっても、人間のように感情の昂りがある。
生前の最後に私は涙を流していた。その時の名残が今の私にあるから涙が出るのだろう。
ならば、その涙を枯らしてしまおう。
別れに涙なんて必要ない。
最後に彼に別れを告げるときには、笑って逝けるように。
「──! ~~!?」
「~ー!!」
納屋の外から複数人の怒号が響いてくる。
どうやら、あの屑は自分で捜さず村人に熊口さんの捜索をさせているようだ。
慌てぶりからみて、人質をとられたか実際に何人か殺されたのだろう。
その予想は熊口さんの身体を乗っ取ったときには既にできていた。
だからこそ熊口さんは退くという選択肢を放棄した。
でも私は違う。
私が判断するに、あの時熊口さんが戦えば確実に共倒れになっていた。
ただでさえ残り少ない命をこんなことで落としてほしくはない。
そこには明確に命の優先順位があり、私はこの村の住人よりも熊口さんの命を選んだ。
でもそれが、被害を最小限に済ませる最善の手だとも思っている。
熊口さんの命があの時点で果てれば、私自身もこの世にいることができなくなり、最悪の事態を招きかねなかったからだ。
「ここが怪しいぞ!」
____時間がきたようだ。
もしかしたら、
そうだ、聞いていないだろうが、最後に言わなければならないことがある。
「熊口さん、______しましょうね」
___そう言い放つと同時に、納屋の戸が開かれた。
______________________
夕暮れをとうに越え、辺りが闇へと覆われる森の奥地。
そこへはある一人の村人と、大妖怪の力と精神を乗っ取った副総監が共に歩いていた。
「本当にこの道であっているのか。もしこの私を遠ざけるのが目的ならば、また犠牲者が増えることになるぞ」
「……はい、重々承知しております。
もう暫く歩きましたら、奴のいる納屋へと到着しますゆえ、もう少しの辛抱でございます」
一本の松明が二人の位置を把握する唯一の手段であるほどの漆黒。
副総監は元々夜行性である妖怪の眼を持っているため、月明かりさえあれば昼間と変わらぬほど冴えて視ることが出来るのだが、この村人は違う。
普通の人間であり、瞳孔も他と変わりない。
だというのに、迷う素振りもなく一直線に目的地へと向かうその村人の姿に副総監は不審に感じつつも、歯向かったところでこの村人にどうにかする力はないと判断し、言われるがままについていく。
「この辺り、ですかね」
「何がだ。貴様の言った納屋とやらはまだ見えんぞ」
怪訝気に思っている最中、村人が言い放った発言に疑問をぶつける。
「(何かが怪しい____!)」
副総監は村人から距離をとり、臨戦態勢へと移行しようとする____が、村人から放たれた
「舐めてかかってこないんですね。そっちの方が早く済んだのに」
「……!? 何者だ貴様!!」
先程まで、全くと言っていいほど感じられなかった憎悪の念が、副総監に向かって放たれる。
「(こいつは、あの村にいた人間ではない……!!)」
姿形は以前村を襲ったときにいた人間と同じであった。
だが、中身は全くの別人。
己と同じく、この人間の意思を乗っ取ったのではないかと、副総監は思料する。
「避けても結局詰みですよ。
「なんだとっ!!?」
放られた何かは、一枚の御札であった。
その一枚が地面へと貼り付き、村人と副総監を囲んだ六角形の紋様が浮かび上がり、木々の高さまで伸びていく。
「(……これは、仕込んでいたな)」
「これで中から外への干渉は出来なくなりました。
逆に外からなら中に干渉することは可能ですが」
「何を言っている。貴様、霊術等で私に勝てるとでも思っているのか」
二人を囲んだ結界。
その硬さを確認するように、副総監は何度か光の壁を小突いてみる。
「ふむ、これは自力では不可能だな、拳が壊れる。術者を殺めなければ解けそうにないな」
「何をそんなに余裕ぶってるんです。貴方は今から私と一緒に地獄へ墜ちるのに」
「ふむ、確かにこの私に働いた無礼は重罪だ。貴様は確かに地獄へ墜ちるだろう。そう、貴様だけだ。私はこの地に君臨し続ける」
「貴方は頭が弱いようですね。君臨ではなく、地べたに這いつくばっているの間違いでしょう。荷車に轢かれた蟇のように」
村人の背中からぬらりと出てくるのは、生気を失った一人の少女。
少女が抜き出た後、村人は力なく倒れ伏し寝息を立て始める。
「この姿、見覚えありますか」
目の前で起きた異様な現状に眼を丸くしていた副総監だが、持ち前の脳の回転を活かし直ぐ様事態を把握する。
「なるほど、貴様がそこの人間を操っていたのだな。
何故そんな面倒なことを。やろうと思えば村の中でもやれていただろうに」
「今質問をしているのは私なんですが。人の話を聞かないと周りから言われたことありませんでしたか?」
副総監が言い放った面倒なこと。
村に被害がでないよう森の奥地に態々赴かせ、結界を貼って逃がさないようにする。
それ以外にも翠にはこの手順を踏む必要があった。
_____翠は家でしか、正確には他人の敷地内でしか行動ができないこと。
これまでもそれが理由で生斗とともに旅をしてきた。
だからこそ人間を拉致し、その者の霊力で結界を貼る必要があったのだ。
結界の中はいわばその術者の敷地内であり、結界内であれば翠の行動が制限されることもない。
「生憎、たかが一人の小娘の事など一々覚えていない」
「……!」
「推察するに、以前この私によって葬られた人間だな? 判らん。この私の手で死ぬことができたというのに、何故光栄と思い潔くあの世へ行けかぬのだ」
一言一言に、それが本心から言っていることを理解し、翠の眼に光彩が失われていく。
______判ってはいたが、こんな奴に私は……こんな奴に洩矢の皆は……
「今からでも遅くはない。今すぐにこの結界を解き、地獄へ堕ちるのだ。さすれば、この度の無礼を許してやらんこともない」
「……大丈夫です」
もう、こいつと話すことはない。
話すだけ無駄だ。話の通じる相手ではない。
元々話だけで済ませるつもりもなかったし、この方がかえって罪悪感無くやれる。
翠の思考の中で、副総監を理解することを放棄した。
「さあ早く、この結界を______」
______「黙れ」_______
瞬間、副総監は腹部の陥没とともに結界際まで吹き飛ばされる。
理解の外からの規格外の衝撃に、副総監は肺に溜まった空気の全てを吐き出す感覚に見舞われる。
「き、貴様!!」
そんな状態でも反撃の姿勢をとる副総監。
もう目前まで肉薄していた翠に、生斗の左腕を抉り取った鋭い爪で襲い掛かる。
「なっ!?」
「……」
巨木のようや腕が翠に向かって振り下ろされる。
しかし、その攻撃は彼女の姿が霞のように淡く消えたことにより空を切り、地面に叩き付けられた衝撃により小規模の地震を発生させる。
「ぐあっ!!」
側頭部へ鋭い衝撃が走る。
姿を現した翠の蹴りが、見事副総監の頭部へ直撃したのだ。
脳が揺れ、正常な判断を欠かれた副総監を前に、翠は追撃にともう三発、霊弾を顎にお見舞いした。
「っつ……!」
「調子に、乗るな!!」
だが黙って受けられるほど副総監は甘くない。
畳み掛けようとした翠の腕を掴み、まるで鞭でも扱うかの如く地面に叩きつけようとする。
「……小癪な!」
それを先程と同様に姿を霞のように消えたことによってかわされる。
「(可笑しい……あれだけ叩き込んだのに、ダメージの蓄積が感じられない)」
腹部が陥没するほどの殴打、人体の急所となる側頭部への蹴り、脳機能を停止しかねないゼロ距離からの霊弾。
どれも並の妖怪ならば致命傷足りうる攻撃を受けきって尚、副総監はよろけることもなく平然とその場に立っている。
「耐久だけは一丁前ですね。私からすれば、沢山痛め付けられるので好都合です」
翠の挑発に副総監は聞き耳を持たず、先程蹴りを入れられた首を鳴らしながら、ある確信をしていた。
「ふむ、軽いな。この程度の力でこの私に歯向かうとは_____その無謀な挑戦に免じて、この私の能力を教えてやろうではないか」
「……何を」
「どうせ貴様では対処できぬことだ。教えたところで、何の支障もきたすことはない。さあ、この私の能力を聞いて絶望するが良い」
能力を敵に向かって公表するというのは、とてもではないが馬鹿のすることだ。
余程己の能力に自信があるのか、それとも翠を敵とすら見ていないのか。
____恐らく両者。
そのことを理解した翠は、眉間に皺を寄せる。
「私が神より授かったのは『受けた力を蓄積・流す程度の能力』。私が受けた如何なる攻撃を蓄積し、相手に流すことが出来るのだよ。つまり、貴様がこの私に攻撃すればするほど、何れは己に返ってくるのだ」
「……!!」
翠はこの時、外見では平静を保ってはいたが、内心では戦慄していた。
翠は痛みは感じるが怪我を負うことはない。
だが、攻撃を受ける度この世へ留まる力が弱まっていく。
あの異常な頑丈さを誇る肉体に、一体どれ程の攻撃を与えれば倒すことが出来るのだろうか。
そしてもし、倒しきる前に蓄積された力を返されたら_____
幾らこれまで攻撃を受けないよう立ち回ってきた翠と言えど、この世に留まれる自信がない。
「熊口部隊長と同じく逃げ出すか。尤も、先のようにいかぬと思うが」
翠に逃げるという選択肢はない。
この結界を出てしまえば、自分は動けなくなってしまうことを理解しているから。
自らの退路を断ち、この場にいる。
「逃げる? それはお門違いも良いとこですよ」
髪を紐で結び、半身の構えをとる翠。
「貴方の身体が蓄積しきれない程痛め付ければ良いんでしょう。簡単明快翠ちゃん名推理ですね」
「ほざけ、この私に歯向かったことを心の底から後悔して往ね!」
そう言い交わした後、目に留まらぬ攻防が再開された。
生還記録の中で一番立っているキャラ
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熊口生斗
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ツクヨミ
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副総監
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翠
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天魔