東方生還記録   作:エゾ末

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輪廻転生を捻じ曲げてでも

 振り下ろされた右腕は、翠ではなく制御を失った副総監の左腕へと直撃していた。

 

 骨が何重にも折れる音と肉が弾ける音が二人の鼓膜に響き渡る。

 

 

「はあうぁぁあ!!!?!?」

 

 

 状況も判らぬまま翠を掴んでいた腕のみならず、半身までもが弾け飛んだ衝撃と激痛が走り、辺りに転げ回る副総監。

 

 そんな無様な姿を晒す彼に対して、翠はお構い無しにと顔面を蹴り飛ばす。

 

 

「やはり理解しあえることはないですね。苦しんでいる人を見て、例えそれが恨むべき者であっても到底笑える気分にはならない」

 

「がほっ!!」

 

 

 顔面を蹴られ、軽い脳震盪を起こす副総監に霊弾を躊躇いなく放つ。

 

 

「どうでした? 私の名演技。見事に騙されて阿呆面かましてましたよね」

 

「はあ、はあ!」

 

「貴方の馬鹿力なんて大したことないんですよ。骨を折って左腕を身代わりにするなんて朝飯前なんですから」

 

 

 鬼にも引けを取らない怪力を持った翠の渾身の力は、遥かに副総監の想像を凌駕していた。

 全ては能力を引き出させるため、彼女は非力だという演技をしていたのだ。

 

 

「な、何故だ!? 何故幽霊である貴様がここまでの力を!」

 

「話す気力は残ってるんですね。偉い偉い」

 

「がはあ!!?」

 

 

 回復力は流石は大妖怪の力を持っているというだけはあり、吹き飛んだ身体が少しずつ修復していく___________が、再度霊弾で吹き飛ばされる。

 

 

「偉い貴方には褒美に教えてあげますね。私は複数の命を持つ熊口さんに何十、何百年と取り憑いてたんです」

 

「な、何!? く、熊口部隊長にか!」

 

 

 翠と生斗との関係性に初めて明かされたことにより驚きを隠せない副総監。

 彼にとって、翠は己が数多の人間を殺めてきた人間がタイミング悪く霊として出てきただけだと割り切っていた。

 それがまさかの、忌むべき生斗との関係があったのだとを明かされたことによりこれまでの顛末に合点がいくことを理解する。

 

 

「そうか、あの時熊口部隊長が逃げ出したのも、貴様があやつ、んぶ!?!」

 

「しーっ。まだ、私が話してるんですよ?」

 

 

 拳程の大きさがある岩を副総監の口には積める翠。

 どうやら彼女は、これ以上この男の声を聞きたくないのだろう。

 嫌悪感を露にしたまま彼を抑えつけ、話を続ける。

 

 

「生命力が他とは段違いにある熊口さんは、生気を吸う幽霊にとってとても有り難い栄養源でもあります。それに加え彼は旅に出ており、怪異にもよく出くわし、一時期は妖怪の住まう山に在住していた事もありました」

 

「ふーっ、ふーっ」

 

「そんな方々と常日頃から接してきました。私の霊体である特質上なのか、吸うつもりがなくともその方々の力を吸ってしまっていたんです。

 いわば今この状況まで持ってこられたのは、貴方を捜し、葬るまでに関わってきた方々のお陰でもあるんです」

 

 

 あらゆる者と関わり、僅かながら生気を吸ってきたからこそ、大妖怪を圧倒するまでの力を手に入れたーー元々吸わなくても鬼と張る程度の力を有していたが。

 

 

「さて、貴方を無力化することに成功しました。後はこの御札を貼れば晴れて私の復讐は終わりを告げます」

 

「!! ふーっ! ふーっ!?」

 

 

 抑えつけた状態で、懐から一枚の御札を取り出す翠。

 その御札から放たれる禍々しいオーラを感じ取った副総監は更に焦りを見せ、口に入れられていた岩を噛み砕いてしまう。

 

 

「これ、熊口さんからくすねてきた諏訪子様の御札です」

 

「!!!! や、止めろ! それをこの私に貼るな!!」

 

「もう、手遅れですよ」

 

 

 翠が取り出したのは、以前諏訪子が別れ際に、生斗へ渡した御札であった。

 その御札には、神の怨念が詰まっており、一介の妖怪であればまず耐えることもできず消滅する代物。

 大妖怪並みの力を得れど、己の技で自爆し、立つこともままならぬほど弱っている今の副総監も例外ではない。

 

 

「お願いだ、私がした行為には反省している! そうだ! 財宝を渡そうではないか! これまで私がかき集めた金品の全てを貴様に渡す! だから_____」

 

 

 副総監が我が命欲しさに必死の命乞いをする。

 その姿は、過去に登り詰めたであろう地位、そして威厳を微塵にも感じさせない、哀れな一介の妖怪であった。

 

 だが、そんな彼を見て翠の手が止まる。

 

 命乞いが効いたのかと、希望を見出だした副総監は翠へと顔を向けたのだが、彼女の表情を見て絶望の淵へと叩き落とされる。

 

 

「被害者は、加害者の反省は求めてないんですよ。欲しいのは加害者の断罪のみです」

 

 

 にっこりと、優しい微笑みを見せる翠。

 その瞬間、全てを悟った副総監は______

 

 

「こんのぉ小娘があああああぁぁぁぁぁぁあああああああ!!!!!!!!」

 

 

 大地を揺るがすほどの副総監の怒号が響き渡る。

 

 悪の断末魔というものは、どれも酷いものが多い。

 特にこの男の断末魔と来たら、聞くに耐えるものではない。

 

 

 本当に、この男____副総監の断末魔であればなの話だが。

 

 

 

「なっ!!?」

 

 

 

 逸早く異変に察知した翠は、思わず副総監から距離を取った。

 

 叫び声とともに、訪れた副総監の身体の変化。

 先程、能力を発動させたときに起きた肉体の膨張が全身で現れているのだ。

 

 

「(大きさも先程の倍以上はある。これは……)」

 

 

 全身が青黒く変色し、身体は以前より三倍程巨大化する。

 再生はまだ間に合っていないのか、半身はまだ削れたままであるのは、翠にとって唯一の救いなのかもしれない。

 

 

「ぐあああああ!!!」

 

 

 悲鳴ともとれる咆哮を上げる副総監。

 地に這いつくばり、四足歩行で動く様はまさに原始的____だからこそ、翠の危険信号が大音量で逃げろと報せてくる。

 

 

「あが、ぐあ、ぎ」

 

「自らの能力を暴走させた……」

 

 

 諏訪子の御札を構え、立ち向かう覚悟をする。

 

 _____副総監を自爆に追いやった演技を見せた翠。

 あの時実は、敢えて演技をしたのではなく、()()()()()()()()()()()()

 

 そう、翠に残された霊力はもう、雀の涙程しか残されてはいない。

 

 理由は様々ではあるが、一番はやはり『戦闘経験』の少なさ。

 戦えばその分消えるリスクが高まるため、極力戦闘を避けていたツケが今に来て猛威を振るっていたのだ。

 これまで生斗の戦いを見ていたが、見るのとやるのとでは勝手が違う上、一度の失敗が死に直結する緊張感。

 そんな状況で練習なしの一発本番、幾ら冷静さを保っていたとしても、ペース配分を見誤ってしまうのは、もはや必然であった。

 

 だからこそ、一度勘づかれれば終わりの大演技を打ってみせた。

 その博打に勝ち、終わりを確信した途端に起きた異常事態(エラー)。

 

 残された手立ては諏訪子の御札三枚と、霊弾十数発分の霊力のみ。

 

 

「がぐお、が!」

 

 

 身体中から皮膚と同じ青黒い、まるで獣のような毛が生える。

 四足歩行___正確には左腕が欠けているため三足歩行であるが、そんな姿も相俟い、巨大な狼と言わんばかりの姿となり、眼球も充血し、血涙を流す。

 

 

「そんな醜い獣の姿になってでも、貴方は死にたくないんですね。これまで数え切れない人の命を殺めておいて」

 

 

 月の民や洩矢の国を襲撃し、天魔の左眼を奪い、村々を荒らし、沢山の命を弄ぶように奪ってきた。

 それだけの悪行を犯して尚、この人間は生き永らえようともがいている。

 その姿を見て翠は、己でも抑えきれぬほどの憤りを感じていた。

 

 

「貴方のせいで、皆死んだ。あんたのせいで

 母上や父上は死んだ。お前のような屑のせいで、私や熊口さんは大迷惑してるんです」

 

「ぎぎぃ、ぐゃば」

 

 

 幽霊から流れる筈のない涙が、ほろりと翠の頬を伝う。

 しかし、副総監は一歩ずつ、着実に翠へと接近する。

 

 翠は判っていたのだ。

 この状態では、副総監に勝つことができないことを。

 

 副総監から溢れでる、先程までとは比較にならないほどの妖力。

 まるで神奈子と対峙した諏訪子の時のようなどす黒い力が彼から発せられており、周辺の草木は養分を吸いとられたように朽ちる。

 

 

「ふっ、こんな獣に愚痴を言っても仕方無いですよね」

 

 

 頬を伝う水分を拭き、改めて身構える翠。

 

 

「熊口さんなら、こんな状況でも諦めませんよね。大丈夫です、ちゃんと勝って貴方の元へ戻りますから」

 

 

 生斗はこれまで、あらゆる大妖怪に対して一矢を報いてきた。

 掠ればそれだけで重症になりかねないほどの強敵に対して、彼は口では無理だ無理だと言いつつも決して諦めなかった。

 

 だから翠も諦めない。

 誰よりも彼を見てきたからこそ、誰よりも彼の心を聞いていたからこそ、彼女には不屈の心が宿っていたのだ。

 

 

「が、がが……がああああ!!」

 

「……!」

 

 

 お互いの射程距離へと副総監が踏み入れた瞬間、その時は訪れた。

 

 

 

 

 

 

 肉眼では捉えることが出来ぬほどの速度を有した副総監に対して、全身を低く構え、前方へ諏訪子の御札を掲げる翠。

 

 ____そこへ現れるのは無数の白蛇。

 其々が行く手を阻まんと副総監の全身へ絡み付き、動きを封じる。

 

 副総監の動きを封じられた千載一遇の好機。

 畳み掛けるように懐へ潜り込む翠であったが、ある異変に気付いたのは、副総監の脇腹を殴打する瞬間であった。

 

 絡み付いた筈の蛇達が、血反吐を吐いて消滅していったのだ。

 

 そんな異変に気付きつつも時既に遅く、全霊力を込めた拳が脇腹に触れる____瞬間、骨が砕ける音とともに、翠自身が背後の結界に衝突した。

 

 

「がはっ!?」

 

「くぎゃあああああ!!」

 

 

 激痛に悶え、悲鳴を上げる副総監に、突如として理解の外からの攻撃を受け、その場で膝をつく翠。

 

 

「(今、私は何をされた!? いや、それよりも_____)」

 

 

 己の眼に映る身体が淡く霞がかり、地面が透けて見えている。

 この現状が何を意味しているのかは、翠自身が誰よりも理解していた。

 

 

「ぎぎぎ、ぎゃお」

 

「負傷は、与えられてるみたいですね」

 

 

 身体は痛みに震え、副総監の口から血が止めどなく垂れ流さる。

 だが、それ以上に重症であったのは翠であった。

 

 

「(身体が、動かない……)」

 

 

 身体が数十倍の重力が働いているかの如く、身動きの制限を余儀なくされていた。

 

 先程放った殴打により、霊力を枯渇させた代償であるのは間違いないのだが、それとは別にもう一つの原因が降りかかっていた事を翠は把握していた。

 

 

「あの一瞬で呪いですか……」

 

 

 生斗を戦闘不能に追いやった毒牙が翠にも犯されていたのだ。

 

 幽霊は生物ではないため毒は効かない。だが、呪いは万物に有効な手段であるため、翠にも生物と同様に呪い()が回りだす。

 

 

「(先程までは殴っても呪いは掛からなかった。恐らくはあの形態になったからでしょうね)」

 

 

 呪いとは本来、神や悪霊等の力を借りて間接的に掛けられるものだが、副総監は己の怨みの念を力に変え、敵対する相手を直接的に呪い殺すことが出来る。

 以前に、天狗の長である天魔が左眼を呪いにより失明したのも、この毒(呪い)が原因であり、副総監が死なない限り生涯治ることはない。

 

 しかし、そんな事は微々たる要因に過ぎない。呪いに精通している翠にとって、取り除くことはできなくとも進行を止めることは可能である。

 

 

「……」

 

「ぐぐぐぅ」

 

 

 翠の出来うる術を用いてもこの化物に通用していない。

 あろうとことか自身が動けなくなる始末。

 

 

「ふふっ」

 

 

 自身の醜態に思わず失笑する翠。

 

 霊力が尽き、毒に犯され、身体は言うことを聞かない。

 絶体絶命と言っても過言ではない状況であるのは明らかだ。

 傍から見れば誰もが諦めの笑いだと感じるであろう。

 だが_____

 

 

「なんだよ、一人で出来るからおれを置いていったんじゃないのか」

 

「一人で出来ますよ。後少しで仕留められるんです。だから熊口さんの霊力分けてください」

 

 

 翠が笑ったのは、『彼』を目視したから。

 結界の中へ躊躇いなく入り、そして完全に癒えている彼の姿に対しての、呆れと安堵の笑みであった。

 

 

 

「馬鹿か。その様子じゃ後一発でも受けたらお前が消えるだろうが」

 

「じゃあ生気も」

 

「嫌だ。お前は大人しくそこで見てろよ」

 

 

 再生した左手で剣助を抜き、副総監に向かって構える。

 

 

「熊口さん」

 

「なんだ」

 

「不服ですけど、お願いします。どうにも、私では力不足だったようです」

 

 

 口では軽く言ってはいるが、表情はなんとも悔しげに歯噛みしていた。

 生斗自身、彼女がどれだけ副総監に対して怨み、復讐の達成を祈願していたのかを知っている。

 だからこそ、彼女のこの言葉によって更に生斗は身を引き締め、己の両頬を平手打ちする。

 

 

 

「任せとけ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

_________________________________

 

 

 

 

 薄暗い森の中でも、翠の貼った結界は淡い光を発しており、敵の姿をやんわりとだが照らしてくれる。

 

 

「あれが副総監か? 最初見たときよりも大分ゴツくなっているけど」

 

 

 まるでゾンビ化した獣だな。

 半身が吹き飛んで、もう半身の胸から肋骨が突き破られており、口から血を垂れ流しながらふらふらと四足歩行で近付いてきている。

 

 

「手負いだからと油断しないでくださいね。恐らく、攻撃をそのまま跳ね返って来る上、触れるだけで毒に犯されますよ」

 

「はっ? なんだよそれ」

 

「あの屑の能力です。姿が変わっているのも、能力を暴発させた成れの果てだと思われます」

 

 

 なっ、なんて出鱈目な能力なんだ。

 ダメージ反射ーー攻撃自体は見る限りでは効くようだが。だけでも厄介なのに、触れるだけで毒になって、形態変化も可能である。

 これ、絶対複数の能力持ってるよね。狡いだろそれ、チート疑惑浮上してるぞ。

 

 

「それをあそこまで瀕死にさせているお前も大概だけどな」

 

「今の私にとって、それは褒め言葉ではないですよ」

 

「大丈夫、そもそも褒めて言ったつもりはない」

 

 

 さて、そろそろ話をしている暇は無くなりそうだ。

 もう側まで狼擬きが接近している。 

 

 

「翠、おれの中に入っておけ。流れ弾が当たりでもしたら目も当てられないからな」

 

「私に触れないでください。折角解呪された呪いにまた掛かってしまいますよ」

 

「呪い? おれなんか呪いに掛かってたのか」

 

 

 呪いというものにあまり詳しくないおれは、翠の発言に首をかしげ、後ろにいる翠の方へ振り向く。

 

 

「毒のような性質の_____熊口さん!!」

 

 

 何かを目視した翠が声を荒げ、おれの名を呼ぶ。

 

 分かっている。油断して隙を見せた訳じゃない。

 

 軽く十尺を越える巨大な影がおれを覆う。

 

 いつものおれなら、反応出来るか怪しい程の速度。

 だが、今のおれなら的確に捉えることが出来る。

 

 

「ぐおああああああぉああああああぉああああああああああああ!!!!!!」

 

 

 

 

 お前なんて、幽香や萃香と比べたらその辺の雑魚と変わりないからな。

 

 

 

 

 

 

 

 

「流石はカワシロ特製と言ったところか」

 

 

 やはり、カワシロがくれた剣助の切れ味は凄まじいな。

 

 

 いとも容易く屑を一刀両断できた。

 

 

 副総監はおれと翠を二体に分身して通り過ぎ、障壁に激突し、間もなく断面部から地面へ崩れ落ちていく。

 

 

「力を跳ね返してくるのなら、跳ね返される前に絶命させれば良い。極論だけど」

 

 

 改めて見ると副総監の奴、完全に人間をやめた姿をしているな。

 前の姿も大概だが、まだ人間の形状は保っていた。

 

 

「……こんなにあっさりやられると、横取りされた感が凄いんですが」

 

「戦闘は刹那の間に決まるもんだぞ。あれでおれが反応が遅れていたり、屑の攻撃が掠りでもしたら結果は逆だったろうよ」

 

 

 おっと、死体をそのまま放置したら疫病にかかりそうだし、熱処理しておくか。

 

 そう判断したおれは、頭サイズの爆散霊弾を生成し、其々の身体に放って爆散させていく。

 

 

「この威力、やはり命を使ったんですね。しかも腕が治っているということは…………」

 

「ああ、一回自刃したよ。おかげでおれの命は今の分だけだ」

 

 

 そもそも剣助を扱うには命一つ分の霊力水増しがないと到底扱える代物ではない。

 

 でもそんな事はどうでも良い。

 今おれが危惧しているのは_____

 

 

「翠、早くおれの中に入ってくれ。今日ぐらいは特別におれの生気を吸わしてやるから」

 

「……」

 

 

 奴も死んで呪いも解けた筈だ。

 なら今翠がおれに触れても何も問題はない。

 

 絶賛霞がかっている翠を見ていると、なんでか不安になってしまう。

 そのまま消えていなくなってしまうのではないかという、そんな不安が。

 

 

「……確かに、呪いは消えたようですね」

 

「何話し始めてるんだ。熊さんの気が変わらないうちにさっさと入ることをおすすめするけど」

 

「あの屑も呆気なく消えて無くなりましたね」

 

「おい」

 

「ここまで、短いようで大分長い旅路でした」

 

「おい!!」

 

 

 翠の肩を掴み、早く入れと促す。

 だが、翠はゆっくりと横に首を振り、滅多に見せない笑顔をおれに見せた。

 

 

 その瞬間、全てを察してしまった。

 これまで、考えないようにしていた事を、妖怪の軍勢が押し寄せてくるより何倍も恐ろしい現実を今、受け止めなければならないのだと。

 

 

「熊口さん、これまでありがとうございました」

 

「なんだよ。復讐が達成できたら、それで終わりなのかよ」

 

 

 分かっている。翠がそんなに薄情な奴ではないことなんて。

 副総監を倒すことを繋ぎに、なんとかこの世に留まれていたってことも。

 その繋ぎが無くなった今、この世に留まる力が、翠にはもうないってことも、全部分かっている。

 なのに何故、思ってもないことを言ってしまうんだ。

 こんなことを言った所で、翠が困るだけ_____

 

 

「ほんとに馬鹿ですよねぇ。熊口さんは」

 

 

 そう言いながらも、くすっと笑ってくれる翠。

 

 _____そうだ、翠は、誰よりも、もしかしたらおれよりもおれの事を知っている真の理解者であることを忘れていた。

 

 最初は心を読まれることに嫌悪していた自分がいた。

 何時如何なる時にも、頭の中からその響く声が喧しくてならなかった。

 自分勝手で毒舌で自己評価が高いことに腹が立った。

 

 だけどそんな悪い所を踏まえても、おれは_____

 

 

 

「お前と、まだ旅がしたいんだよ……」

 

 

 おれは翠の肩を掴んだまま、顔を伏せる。

 その一言を皮切りに前がぼやけてきたからだ。

 

 

「熊口さん、私……後悔はしていないんです」

 

「……」

 

「勿論、本当は私の手で終わらせたかったのもあるんですけどね! でも、これで良かったんです。これで心置きなく、成仏出来ます」

 

「……」

 

 

 地面にぽたぽたと浸たる音が、翠の声よりも大きく聞こえてしまう。

 もう分かっているのに、現実逃避をしているということは理解している筈なのに、どうしても受け止めきれないおれがいるからだろう。

 

 

「でも、心残りはありますよ。諏訪子様や妖怪の山の皆さんに最後にまた会いたいし、海にもまた行ってみたいです」

 

 

 海……ああ、そういえば翠の奴、以前行った時に眼を輝かせてたな。無理矢理おれの身体を乗っ取って泳がされたのはまだ記憶に新しい。

 

 

「熊口さん、顔をあげてください」

 

「嫌だ」

 

「ほんと、いつまで経っても子供ですね。これまで沢山出会いと別れは繰り返してきたでしょうに。私とのお別れは、その中の一つに過ぎませんよ」

 

「違う。お前との別れは、これまでしてきた別れとは訳が違う」

 

「……」

 

 

 これまで、親しい者との永遠の別れは何度か経験してきた事はある。

 だが、明確にこれが最後だと確信しての別れは初めてだ。

 その中でも、自分が別格なのは、翠自身が一番知っている筈だ。

 

 

「_____それじゃあ、約束しましょうよ」

 

「……約束?」

 

「そう、約束です」

 

 

 今更、約束なんてして何になるんだ。

 これからいなくなる翠と約束した所で______

 

 

「何百年、何千年とかかるかもしれません」

 

「何千……まさか」

 

 

 _____そうか。翠が言わんとしていることが、なんとなく分かった。

 でもよ、それはいくらなんでも無謀過ぎなんじゃないだろうか…… 

 

 

 だけど、可能性は0じゃない。

 

 

 そんな何兆分の一の可能性であれ、翠、お前になら賭けられる。

 

 

 

「そのまさかです。

 

 もし生まれ変わった私が、熊口……生斗さんに出会うことが出来たのなら______」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今度は、永遠に貴方の隣を歩かせてください」

 

 

 

 

 

 

 この時おれは初めて、現実を受け止めることが出来た。

 今まで地面を濡らしていただけの顔を上げ、真っ直ぐな眼で翠を見ることが出来た。

 

 

「ふっ……地面を濡らしてたのおれだけじゃなかったのかよ」

 

「生斗さん程じゃないです」

 

 

 そして眼の前に映る光景に思わず失笑する。

 眼前には、おれ以上の大粒の涙を流している翠が一生懸命笑顔を作っていたのだ。

 

 

「それで、答えはどうなんですか」

 

「答える必要もない、分かりきった質問をするよな」

 

「貴方の口から聞きたいんです」

 

 

 

 答えてしまえば、翠は満足して逝くだろう。

 まだ話していたい。

 だけど、それでは決心が揺らいでしまう。

 

 良いじゃないか。幽霊としての翠とは永遠の別れとなるが、生まれ変わった翠に会えば良いのだから。

 いや、会って見せる。

 輪廻転生の輪をねじ曲げてでも、必ず。

 

 

 

()()()、翠。仕方ないから、またお前に会うまで、独り身でいてやるよ」

 

 

 おれの回答を聞いて、翠は先程までの作った笑顔から満面の笑みへと変え、

 

 

「生斗さんは、私のような物好き以外貰われることなんてないんですから、安心して逝けますよ」

 

 

 そう言い放った後、翠の姿がぼんやりと透けて消えていく。

 

 

 ありがとう、翠。

 

 暫しの別れでも、もう寂しくはない。

 

 笑って見送るのが、おれの役目だ。

 

 

「あの世で一人だからって泣くなよ! もしも泣きそうな時はこの愛しの熊さんの顔を思い浮かべるんだぞ!」

 

「その時は______」

 

 

 おれが檄を飛ばすと、翠は肩に置かれていたおれの腕を退け、そのまま抱き締めてきた。

 

 体温はない筈なのに、何故かほんのりと暖かい。

 

 

「生斗さんの泣き面を思い出して、笑ってやります」

 

 

 なんか違う気がするが、お前が笑ってくれるなら、それで良いよ。

 

 

 

 

 それじゃあな、翠。

 

 また会う日まで、おれは探し続けるから。

 

 

 

 

 

 

 

 _____そして翠は、安心したように安らかな表情のまま淡い光とともに旅立っていった。

生還記録の中で一番立っているキャラ

  • 熊口生斗
  • ツクヨミ
  • 副総監
  • 天魔

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