神の使徒
私にとって過去はトラウマだ。
街中であの男に声をかけられただけで、私は体が金縛りに会った様に動かなかった。
元々この男に植え付けられた恐怖や殺意は有ったのだが、お嬢様達との生活に幸せを見出していた私は腑抜けていたのだろう。殺意よりも今の生活を失う予感と目の前の男の恐怖に心が支配されてしまった。
その後どんな会話をしたか覚えていない。だけど、気がついたら路地裏でシャーキャと男が対峙していた。
男はシャーキャを見ている様で、実際は私を見ていた。
男が何を考えているか察してしまった。
『シャーキャを背後から攻撃しろ』
恐怖で震える。歯の根が合わず小さくガチガチと音を鳴らしていた。
友達に手をあげるなど、できるはずもない。でもこの恐怖から解放されたい。
2つの揺れ動く心境に私は板挟みになり動けなくなった。
男が「鍵爪」を取り出すのを見た時、とうとう私の中の恐怖心が決壊した。
この瞬間から私はただの薄汚い裏切り者になった。
その後私と彼は、超能力封じの手錠をかけられて車でエクソシストの教会に捕らえられた。
かなり移動した様に思う。いよいよ帰れそうに無い状況に絶望した。自業自得だと言うのに。本当に自分が嫌になった。
教会の地下についてから私は拷問にかけられた。気絶していたシャーキャは後回しにするつもりか牢屋に入れられていた。
ごめんなさい。
こんな事を言う資格などないけど、心の中で呟いた。
この期に及んで赦しを乞う自分の卑しさに自嘲の笑みが浮かぶ。
裏切り者。
それはエクソシスト側から見ても同じ事である。
吸血鬼討伐に出てから音信不通となり、ブカレストの街で何食わぬ顔で歩いているのだ。
記憶を消されているなら兎も角、私はあの男と顔を合わせた時に動揺していたのだ。戦闘不能になって帰還する訳でも無いのなら、それはすなわち裏切りだ。
裏切り者は殺すに限る。だが、私は超能力を持っている。だから殺すのではなく、再調教して手駒にしようとしたのだろう。それが不可能であれば殺されて脳をホルマリン漬けにされていた事だろう。
裸に剥かれ、鞭で叩かれた。神の洗礼とは聞こえがいいが、これは裏切り者へのただの拷問だ。
泣き叫んだ。すぐに声が枯れてしまった。
逃げようともがいた。すぐに心が折れて何も感じなくなった。
自分が確実に壊されていくのがわかった。でもどうしようもなかった。
意味もなく助けを呼んだ。声が出ない喉から叫んだ。
シャーキャをお嬢様をエクソシストを皆を裏切ってきた癖に無様に助けを叫んでいた。
きっとこれは報いを受けたんだと思った。誰かを裏切れば、それは自分に跳ね返ってくる。そんな当たり前の事を身を持って確認させられているのだ。
苦しみの中で、恐怖や諦めなどの感情から意識が朦朧とはした時、拷問部屋の壁が破壊された。
吹き飛ぶ瓦礫が室内に入ってくる。エクソシスト達は簡単に避けたり、砕いていたりした。ここにいるのは、大妖怪と単騎で渡り合える精鋭ばかりがいる教会だ。当然の光景だ。
対して私は瀕死状態で動けないまま瓦礫に押し潰されると思っていた。だが、何故か飛んでくる瓦礫は私を避ける様に飛び散った。
ぼやけ目で開いた穴を見るとシャーキャがいた。
彼らしいと思った。
反骨精神の塊の彼なら必ず報復にやってくるだろうと思った。
部屋を見渡すシャーキャ。すぐに私と目が合った。彼の目の瞳孔が開いたのがわかった。
どうやら相当怒っているみたい。
当然だと思った。自分が捕まった原因を見つけたのだから。彼はここにいる全員を皆殺しにする気でやって来たのだろう。もちろん私含めて。
でも彼になら殺されてもいいかもしれない。
何故かそんな風に思った。
でも次の瞬間には私はシャーキャの腕の中にいた。
訳が分からなかった。シャーキャは私を殺しに来たんじゃないの?どうして?これじゃまるで私を助けにきたみたいじゃない。
彼は何をしに来たのだろう?
問いかけるも彼は答えてはくれない。でも強く抱きしめられた。それが答えだと言わんばかりに。
疲労困憊だった私はシャーキャの念に当てられて簡単に気絶してしまう。
でもいつもは威圧感ばかりだった念もこの時はとても暖かく感じた。
「大丈夫。君は護ってみせる。俺の命にかえても」
普段の彼はこんな事は言わない。きっと私の願望がみせる幻聴だろう。私はどこまでも惨めな女だった。
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目が覚めると知らないベッドの中にいた。
側にはシャーキャが立っていた。その姿を見てとても安堵した。
どうやら彼のツテを使ってホテルで匿って貰っているようだ。
それにしても彼は本当に私を助けたのだろうか?一晩寝ていた私を殺すなんて簡単だったはず。殺されずにベッドに寝かされていたのだから、助けてくれたんだろう。
理解できなかった。私なら裏切られて命の危険に晒した相手を許すなんてできない。
問いかけるが、またも彼は答えずに部屋を出てしまった。
彼は粗暴な振る舞いが目立つが、意外と本心は語っていないのかもしれない。
ベッドからでると気が付いた。服を着ていない。
ベッドに運んだのは彼だろう。
そう言えば拷問を受けてた時から裸だったのだ。もしかしたら、裸の私を担いで街中を走り回ったのか?
顔に熱が集まるのを感じ、慌ててベッドに戻ろうとする。
ベッドから彼の上着が出てきた。さっき見た時も上着はなかった。だとしたら、これで私を包んで運んだって事かしら?
ギリギリのところで私の尊厳が守られた事に安堵の溜息が溢れる。
それと同時に気がつく。傷が無いのだ。治療とかではなく、全くの無傷。拷問なんて無かったかのようだ。
彼は確か傷を治したと言っていた。念能力だろうか?でも、それならお嬢様や妹様と戦っていた時に使ってるよね。
考えてもわからないなら仕方ない。
シャワーを浴びてシャーキャを呼ぶ。
彼は紅茶を片手に入ってきた。渡された紅茶を飲む。インスタントだけど、少し考えがまとまってきた。
それから彼は今までの状況を説明してくれた。概ね予想通りだった。私はずっと疑問に思っていた事を口にした。
何故裏切り者の私を助けたのか?
すると彼は軽い口調で、元々喧嘩してたからおあいこだと言った。あまつさえ仲間なら助けて当然と言った。
信じられ無かった裏切り者を仲間と呼ぶなど。
そして彼は私の心を見透かすかのように、慰めてくれた。
エクソシストに怖がる事は無い。お嬢様を頼れ。
ぶっきらぼうだけど、確かな優しさを感じた。彼は一切怒ってはいなかった。許してくれた。守ってくれた。
それでもこれだけは言わないといけないと思った。でも怖くて言えないから、小さくごめんなさいと言った。
聞こえていただろうけど、聞こえないふりをしてくれた。
そしてありがとうと同じように小さく言った。
まだ理解できない事は多い。だけど、同時に怖くもあった。世界を旅してきたからか、彼の行動は兎に角早かった。置いてかれるかもしれないと思った。だから彼の側にいた。
移動は早かった。行動が早いシャーキャと空を飛べる私だ。彼は先に行けと言っていたが、勝手に居なくなってしないそうな気がしたから離れなかった。
その後は変わらず移動とホテルでのミーティング。
自分を犠牲に私を助けようとする作戦を聞いて思わず怒鳴ったり、急な私を守る宣言に取り乱したりした。
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精神的な苦痛が和らいだ事で、少し気を緩めてしまっていたのだろう。
次の移動で敵と遭遇した。私は全く気が付かなかった。シャーキャが私の盾になってくれた。
だけど、眼鏡越しに見えたシャーキャの左手にピンク色の何かが着いていた。多分敵のオーラだろう。
作戦ではすぐに離脱する手筈だけど、シャーキャは動かない。
現れた敵は兎に角、気持ち悪くて怖かった。直感だけど、教会のエクソシスト程度の実力があるように感じた。念能力の事はあまりわからないからそれ以上は未知数だけど。
脂汗が止まらない。敵のオーラが只々恐ろしいのだ。シャーキャの真っ直ぐな闘志を感じる念でもなく、私を護ろうとした時の暖かさがある念でも無い。無邪気に昆虫の足を捥いで遊ぶ子供の様な邪悪な悪寒だ。
すぐにシャーキャが盾になってくれた。
ずっとあのオーラを浴びていれば、私は廃人になっていたかもしれない。
あの男以上に怖い存在がこの世に存在するとは思わなかった。
碌に動けない私を見越してか、シャーキャは私に手出しさせなかった。
恐怖でいっぱいいっぱいだった私はそれに従った。今思えば、それは失敗だった。
ここまで上手くやってきた彼なら、これ程の相手でもすぐに隙を作ってくれると思っていた。
彼と敵の力量差は圧倒的だった。なんとか致命傷にならない様に立ち回っているが、どんどん血に濡れていくシャーキャ。それを震えながら見ているだけの私。
とうとう彼は左手を捨ててしまった。
私は最後までお荷物だった。
彼のカウントダウンですぐに時間を止めて逃げった。時間が止まった世界で全力で逃げた。霊力が尽きかけ、時が動き出す。
瞬間、後方で爆発音が聞こえたと思ったら、衝撃を感じた。音速で飛ぶシャーキャと衝突したのだろう。
目まぐるしく変わる景色の中、気がつくと森の中にいた。もうどうなっているのか訳がわからない。だけど、霊力も体調もなぜか治っていた。
助かったことの安堵と彼を傷つけた事への罪悪感。足手まといだった自分への嫌悪感。
様々な感情がごちゃ混ぜになって涙が溢れた。
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紅魔館について落ち着いてきたからか気が付いた。彼は普段通り振る舞っているが酷く疲れた顔をしていた。彼自身自覚があるのかわからないけど、目の下に隈ができていた。もしかしたら、寝ていないだろうか。
手首から先が無い左腕も痛々しい。早くパチュリー様の所で傷を治して欲しい。
そういえば私は一切怪我や疲労が無い事が気になった。あれだけの出来事があったのに。おそらくシャーキャが何かしてくれてるんだろうけど、自分は治せないのかな?
......いや、質問は後からでもできる。早く彼をパチュリー様の所へ行かせるべきだろう。
彼と別れてお嬢様に報告した。
シャーキャを裏切った事。彼に助けられた事。許された事。守ってもらった事。自分はお荷物だった事。仲直りは有耶無耶になった事。お嬢様を裏切った事。
偽りなく語った。
シャーキャには何故か許された。でも一度忠誠を誓ったお嬢様を裏切ったのだ覚悟は出来ている。
「そう、わかったわ。」
それだけだった。
本当に軽くお嬢様はそれだけを言って話が終わってしまった。
「....それだけですか?」
「それだけとは?」
「私はお嬢様を裏切りました。一度忠誠を誓いました。裏切り者はここで殺すべきです。吸血鬼の誇りに傷がついてしまいます。」
「貴女もシャーキャも随分と大人びてると思ってたけど、案外そうでも無いのかしら?」
お嬢様は呆れた目で私を見ている。
「わざわざここに戻って来て、今から私を殺す訳じゃないでしょう。」
「そ、そんなつもりはありません!」
「なら、いいじゃない。」
理解できない
「何故、お嬢様もシャーキャも.....」
「貴女、本当に気付いてないのね。......簡単な話よ。私や彼にとって貴女は大事な仲間で家族だからよ。掛け替えの無い存在だからよ。裏切ったとかどうでもいいわよ。私達は家族。なら理屈抜きで護るのは当然よ。」
驚きのあまり固まってしまう。
同時にようやく納得する事ができた。
同時に今の今まで心の奥底では彼の事を信用していなかった事に気が付いた。
申し訳ないと思った。あんなにボロボロになりながら、護ってくれた彼に酷い仕打ちをしていた事に気が付いた。
涙が溢れてくる。
「はあ。貴女もシャーキャもいつも喧嘩ばかりで好き勝手言い合っているけど、肝心な事は口にしないわね。........本音を隠す嘘吐き同士仲がいい事で。」
肝心な事。
そうだ。私は今までここに帰って来るまでちゃんと謝っただろうか?ちゃんとお礼を言っただろうか?
あの聞こえたかどうかもわからない小声で相手に伝わった気になっていたのではないのか?
もっと本音を口にしてお互いが信頼し合えていれば、彼も私を頼ってくれたのではないのか?あんな怪我をしなかったのではないのか?
「話はお終いよ。貴女も今日は休みなさい。」
「.........ありがとうございます。」
私は深々と頭を下げた。
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休暇を貰った。でもそれはきっとただの休みじゃなくて、シャーキャと本当の意味で腹を割って話す時間を貰ったという事だと思う。
彼はもう治療が終わっただろうか?
大図書館に入る。
「彼はもう此処にはいないわよ。」
さすがパチュリー様。
何も言っていないのに私が来た理由を察している様だ。
「.......そうですか。」
「どうやら本当に無傷なようね。」
「ええ、彼が助けてくれました。」
「不思議ねぇ。彼は誰かの為に力を貸す様な性格には見えないのだけど。」
「ですが、事実私は彼に助けられました。」
「傷を癒す能力も自分には使って無いのよねぇ。」
「あれは自分には使えないのでは?」
そう言うとパチュリー様は呆れた目で見られた。
「何でそんな思い込みをしてるのかわからないけれど、それは間違いだわ。さっきも言ったけど、彼の性格的に自分を治す事を前提に能力を行使する筈よ。」
「では何故......いえ、私の為ですよね。」
「少しは反省したみたいね。レミィに何か言われたかしら?」
「お叱りを受けました。」
「ならシャーキャも叱られないとね。」
「彼は今どこに?」
「さあ?レミィに呼び出されたか自室にでもいるんじゃないかしら。」
「すれ違わなかったので自室だと思います。」
「じゃあ行ってらっしゃい。引き止めて悪かったわね。」
「いえ、シャーキャを治していただき、ありがとうございます。」
「それは私じゃなくて、貴女が本当にお礼を言うべき相手に言いなさい。」
「はい、わかりました。」
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彼の部屋の前に来る。
すぅー
『ありがとう』『ごめん』
お嬢様やパチュリー様には簡単に言えるのに、彼を前にすると素直な言葉が出ない。
でも逃げてちゃダメなんだ。ここで逃げたら一生後悔すると思うから。
コンコン。
「...........」
返事が無い。寝ているかもしれない。かなり疲れてるみたいだったし、今日はやめておいた方が..........
いや、逃げない。
「入るわよ。」
扉を開け、中に入る。
部屋の中が視界に入った瞬間、背筋が凍りついた。
ベッドに横たわるシャーキャ。彼の目元には隈あり、青白い顔にこけた頬。
まさか死んでいるのではないか?
頭が真っ白になりながらも彼に近付き、首に手を触れようとする。
脈はある。
一気に血の気が戻り、安堵する。
でもすごく熱い。熱が出ている。
疲れが限界に達したんだろう。
私はすぐに濡れタオルを用意し、お嬢様にシャーキャの事を伝えた。
彼が治るまで私も休んでいいと言われた。この3日間2人居なかったのだ。今更変わらないそうだ。
私はお嬢様のお言葉に甘えて、付きっきりで看病した。