1) Call of ”ADMIN.”
リ・エスティーゼ王国西部、リ・ロベル。
西側に海を望むこの大都市の南東に、小さな森林地帯がある。
王国東部に広がるトブの大森林ほど広大でもなく、周囲の都市や村を往来する上でも問題になるようなことのない位置にあるため、この森林地帯を訪れるのは森に隣接している開拓村の狩人くらいのものだ。
村に近い位置はともかく、森の奥は人の手による整備も行われていないため、足場は悪く、自然に伸びた草や木々に遮られ、日差しも満足に通らず、非常に薄暗い。
来るものを拒むように鬱蒼と生い茂る木々の中、環境の悪さをものともせずに進む五つの影があった。
その中でもひときわ目を引く、すれ違った誰もが振り返るであろう美貌の持ち主――美しいブロンドの髪を揺らし、夜空のような深い闇をたたえる大剣を背負った少女がため息交じりに呟いた。
「やっぱり、大きな脅威になりそうなモンスターは見当たらないわね。偵察の時にも目立った強敵は見当たらなかったんでしょう?」
「
「静かな森」
少女の問いかけに答えたのは先頭を進む双子の少女。
物語に出てくる"女忍者"のような恰好をした二人は、音もなく森の中をかき分けてゆく。
「ってぇと、報告のあった遺跡ってのから何かが湧き出てるってわけじゃあないってわけだ。やられたのは白金級のチームだったか?」
最後尾を進むのは、巨石のような存在感を持つ筋骨隆々の
隣にいる人物が小柄であることを考慮に入れても、飛び切りの存在感を持っている。
「ミスリル級だ。オリハルコンへの昇格を間近に控えた、というオマケが付いていたようだがな」
隣の小柄な人物が無感情に答える。大ぶりの宝石が嵌った仮面をかぶり、体を覆うようなローブを身にまとったその少女は、その体格に似つかわしくないしっかりとした足取りで森の中を進んでいく。
彼女たちは、アダマンタイト級冒険者チーム"蒼の薔薇"。
他国にもその名の知れ渡る、リ・エスティーゼ王国に二組しかいない最高ランクの冒険者チームである。
人類の切り札とも呼べる彼女たちがこの森林地帯を訪れている理由は、数日前、冒険者組合に報告が入った時に遡る。
「ミスリル級の冒険者チームが全滅した?」
冒険者組合からの呼び出しに応じ、仮面をつけた少女と共に通された冒険者組合の応接間にて、担当者から告げられた内容にブロンドの少女――ラキュースは目を見開いた。
「……半月ほど前、リ・ロベル南東の森林地帯で古ぼけた石造りの建造物…遺跡が発見されたそうです。なんでも、森林に隣接した開拓村の人間が狩りに出た際に偶然見つけたとか。報告を受けてリ・ロベルの組合で文献などを調べてみたそうですが、そのような場所に該当する遺跡の記録はなく、村人もなぜ今まで気づかなかったのかと首を傾げているとか。不審に思ったリ・ロベルの行政が、組合に調査の依頼を出してきたというわけです」
「周囲に強力なモンスターの出現報告はなかったの?」
「調査の第一陣として、金級と白金級の冒険者チームが遺跡周囲の調査を行っていますが、目立ったモンスターの生息は認められなかったようです。……ですが、この調査に参加した白金級冒険者の斥候が、遺跡周囲に
「違和感?」
「この発言を考慮に入れ、リ・ロベルのミスリル級の中で最も実力があるとされていた"狼牙"に、オリハルコン級への昇格考査の一環として調査第二陣…遺跡内部の調査の指名依頼を出すに至ったそうです。ですが…」
「結果は全滅だった、と」
「死亡が確認されたわけではありませんが、状況からみてほぼ間違いないと思われます。遺跡突入から丸三日経ってもなんの音沙汰もなく……現状確認のためリ・ロベルの組合から斥候が出されたのですが、冒険者チームの足取りをつかむことはできなかったようです」
「それで、私たちにその遺跡内部の調査を依頼したい、と。……どう思う?イビルアイ」
イビルアイと呼ばれた仮面の少女は、考え込むように仮面の下部に手を当て静かに首を振った。
「今の時点では情報が少なすぎるな。その遺跡に何かがいるのは間違いないにせよ、情報がなければ対策の立てようがない。リ・ロベル側で追加調査は行われなかったのか?」
組合の担当者は、仮面越しの責めるような視線に若干たじろぎつつも、肩を竦めながら口を開いた。
「リ・ロベルの組合も、有望なミスリル級の戦力を失ったことで及び腰になっているようです。特にこれからの時期、マーマンの繁殖期に入りますから……備えとして置いておく戦力を考えると、これ以上の喪失はしたくないのでしょう」
「だから王都の組合にお鉢が回ってきたのね。私たちへのご指名はリ・ロベルからかしら?」
「いえ、こちらの組合長からです。オリハルコン級の昇格が見込まれていたチームが失敗しているので、アダマンタイトを投入して確実に済ませたい、と。"朱の雫"は先日長期の依頼から戻ったばかりでしたので……」
「なるほどね。私たちも大きな依頼は抱えていないし……いいでしょう。その遺跡調査、"蒼の薔薇"でお受けします」
組合の担当者はラキュースの言葉に笑顔を見せて大きく頷くと、必要な契約書類の準備をし始めた。
「歴史的にも記録のない遺跡なんでしょう?……"血"が騒ぐわね」
目を輝かせて自分の世界に入りかけているラキュースを見てイビルアイは嘆息しつつも、掘り出し物を求めて市場に繰り出している女戦士――ガガーランと、宿で留守番をしている二人の忍者――ティアとティナに集合の連絡を取るべく動き出すのであった。
――数日後、リ・ロベル南東の開拓村
「
「ティアは少し違った気もするけど……」
開拓村までの道のりを走破した馬たちの世話をしながら、ガガーランが笑った。
村へはまだ日が高いうちに到着することができたが、遺跡までの移動や調査の時間などを考えた結果――開拓村で夜を明かし、明朝出発することになった。
村長が手配してくれた空き家への案内を買って出てくれたまだあどけなさの残る姉弟に対し、ティアとティナが完全に獲物を見る肉食獣の目をしていたので――
先行偵察と称し、二人に遺跡の周囲調査を命じたのである。
『着いたばっかりなのに。鬼。鬼ボス』
『ドイヒー。だがそれがいい』
そう言い残し、旅の荷物をガガーランに任せ、風の様に森の中へ滑り込んでいった。
「案内してくれた子たち、涙目だったもの。見ていられなかったのよ」
「理由はともかく……どっちにしろ事前の確認は必要だっただろうからな。問題ないだろう」
「俺らも遺跡を見つけたっつー村人に話を聞いとくくらいはしとこうぜ」
――その後、三人は遺跡を発見したという村人に話を聞いたが、事前に得られていた以上の情報を得ることはできなかった。
偵察から戻ったティアとティナからも有力な情報を得ることはできず、おとなしく休息を取ることになる。
仲間たちが寝静まる中、イビルアイは異常なほど情報の少ない遺跡について一晩中考えを巡らせていたが、何かに思い至る前に夜が明け――
冒頭の場面へ繋がる。
「見えてきた」
「噂の遺跡」
森の中を進んでいた五人の視界が急激に広がった。
ここまで進んできた道とは対照的に、まるで円形に切り抜かれたように不自然に木々のない野原が広がり、太陽が主張するように光が降り注いでいる。
日光が遮られた薄暗い道を進んできたこともあり、急な日の光にラキュースは思わず目を細めた。
「思ったよりも……というよりかなり小さいわね、これは」
「遺跡っつーよりは墓とか祭壇って言ったほうが近そうだな」
開けた空間の中心には、小さな馬小屋程度の大きさの石造りの建造物が鎮座している。
切り出した石をそのまま積み上げたようなその建造物は、彫刻や装飾の類がほとんどされておらず、一目見ただけでは武骨な印象を受ける。
しかし、外壁や柱に使用されている石材は、まるで複製したかのように一つ一つ同じ形状をしており、切り出された際に出てしまうであろう歪みやヒビは全く見当たらない。
王都を探しても、これほど精度の高い石材を使用した建物を見つけることはできないだろう。
遺跡は草原の中に広がる泉にある島の上に建造されていた。まるで遺跡を中心に描かれたようにきれいな円形のその泉は、水面が太陽の光を反射しきらきらと輝いている。
足元を見れば、柔らかな土肌を一片も見せぬように小指程度の長さの細い草が生い茂っている。
広がる草原には小さな石ころの一つも落ちておらず、高名な貴族の庭園に迷い込んだのではと錯覚を覚えるほどである。
その生まれから、多くの貴族の邸宅を見たことがあるラキュースでさえ思わず息を飲む、ある意味幻想的な光景ですらあった。
「この周辺に何かがいる気配はない」
「罠の類も特になし」
「魔法的な罠も特に感じないな」
三人の言葉を聞き、警戒したままその空間に足を踏み入れる。
短くそろった草の柔らかな感触を踏みしめながら、中央の遺跡へ歩を進めていった。
「……拍子抜けするくらい何もないわね」
五人は警戒したまま、泉の麓まで歩を進める。
泉には中央の島へ向かうまっすぐな石橋がかけられており、そのまま遺跡の入り口とおぼしき空間まで石畳が続いていた。
絵画を切り抜いたようなその光景から幻想的な雰囲気を感じつつも、幾多の修羅場を掻い潜ってきた五人の本能は、猛烈な違和感を訴え続けていた。
「明らかに異常だ。整いすぎている。草地は恐ろしいまでに均一に切り揃えられ、小石のひとつもない。泉の形状も自然にできたとは思えないし、何より水が綺麗すぎる。どこかから流れ込んでいるわけでもなく、流れ出ているわけでもない、そのうえ生き物のひとつもいやしないのに……この水質が保たれるなんてあり得ない。その癖、泉から魔法的な反応は何一つ感じられない。どうなっているんだ?」
イビルアイは、自分の経験や知識にない現状への困惑を吐き出すように早口で呟いた。
「……異常なのは確かなようだけど、止まっていても仕方がないわ。先に進みましょう」
普段とは違うイビルアイの様子に少し驚きながらも、ラキュースは石橋を渡り始めた。
五人は全力で警戒を続けながら進んだが、泉を渡りきり、遺跡の入り口にたどり着いてもなお異変が起きることはなかった。
遺跡の入り口は、大人二人分程度の高さに、五人が横並びで進めるほどの大きさの石造りの両開きの扉であった。扉は既に外向きに大きく開かれており、動かすにはかなりの力が必要であろうと見てとれる。
扉の上部にはプレートのように切り出された部分があり、その中にはいくつかの図形が並んでいた。
「入り口の上になにか彫られてんな。文字か?」
「……見たことの無い文字ね。イビルアイはわかる?……イビルアイ?」
ラキュースからの問いかけに答えず、扉の上に彫られた図形を見つめながら考え込む。
――何処かで、見た事があるような気がする――
必死の思いで記憶をたどるが、モヤがかった記憶が輪郭をはっきりとさせることはなかった。
気を取り直すように頭を振り、心配そうに見つめる仲間達になんでもないとだけ言うと、扉の奥へ目をやった。
遺跡の内部は、外観から想像できる通りの広さしかなく、扉の中に見えるのは地下へ繋がる階段だけであった。
周囲には特に何も仕掛けがないとティアが判断し、階段の下へ慎重に歩を進めていく。
十段ほどしかなかった階段を降りると、そこには上のフロアと同じくらいの大きさの小部屋の中央に二メートル四方ほどの石碑がおかれているだけであった。
小部屋に採光のための窓や穴がなく、明かりの類いも見当たらないにも関わらず、日中と変わらず周囲を見渡すことができた。
「小部屋全体に<永続光>の魔法がかかってる?」
「手で目を覆っても影ができない。不思議」
「<永続光>というよりは魔法的な闇視に近いな。……原理は分からんが」
部屋に仕掛けがないことを確認したティアとティナが、小部屋の光源について首を捻る。イビルアイも、魔法的な視点から調べようとしてみたが、何もわからなかった。
「……まあ、あからさまに何かあります、って石碑が真ん中にドンとあるしよ。取りあえず見てみようぜ」
そう言って、ガガーランは中央の石碑に近付いていった。仲間達も、他に見る場所はないと判断したのか、石碑に近づいていく。
石碑には、遺跡の入り口に彫られていたのと似たような図形が大量に彫られていた。
中程には直径三〇センチほどの円形の紋様が描かれている。一度でも魔法を学んだことがあるものであれば、この紋様が何らかの魔法円であると気づくだろう。
「……一番上に彫られてるのは入り口にあったのと同じ形してんな。やっぱ文字か……」
「長めの文章に見えるわね。箇条書きみたいなところもあるわ」
「普通に考えればこの遺跡をたてた人たちの文字」
「やけに種類が多い気がする」
「ラナーに見せたら何か分からないかしら……一応、メモを取っておきましょう」
四人が石碑の文字について話し合うなか、イビルアイは再度記憶のモヤを振り払おうと思考を巡らせる。
――ふと、はるか昔の記憶かよぎる。
記憶の中で、イビルアイが"誰か"のそばへ近づいていく。
岩に腰かけ、何か作業をしている"誰か"の手元をのぞこうとし――
「――ルアイ。イビルアイ、大丈夫?」
ハッと顔を上げると、ラキュースが心配そうに顔を覗き込んでいた。
奥を見ると、他の三人も少し心配そうにこちらを見ている。
「体調が悪い……ってことはないわよね。聖のエネルギーが満ちている場所、って感じでもないし……」
「あぁいや、なんでもない。その文字に見覚えがないか考えていただけだ」
「……そう?その様子だと……覚えはなかったみたいね」
「あぁ、残念ながらな」
イビルアイの様子に、ラキュースは少し気になったような顔をしつつも、困ったような表情で首をすくめた。
「とすると……困ったわね。隠し扉のような仕掛けもないみたいだし、あるのはこの石碑の……魔法円みたいな紋様くらいかしらね」
と言って、石碑を見やる。イビルアイも、改めてその紋様を眺める。
「石碑自体からは若干魔力が感じられるな。試してみるか……<
イビルアイは石碑に近づき、慎重に鑑定の魔法をかける。魔法の対象になったことによるなんらかのアクションを警戒したが、特に何も起こることはなく石碑の情報が頭の中に流れ込んでくる。
「……む。どうやら、その魔法円に触れることで石碑の仕掛けが起動するようになっているみたいだな。肝心の仕掛け部分に関しては……ダメだ。見えない」
「周りに全滅したっつーチームの痕跡がないのが気になるな。やっぱ石碑を動かすことで別の部屋への道が開く感じじゃないか?」
「
「偽物と入れ替わってる?」
「オイコラ」
「茶化さないの。……でも、実際ガガーランの言う通りかもしれないわね。ここで戦闘が起きたような跡もないし……」
「石碑を動かした先にいた何かにやられた」
「もしくは通り抜けた後に仕掛けが戻ってしまったことで出口がふさがれて帰れなくなった」
「そのどちらかだろうな。警戒するのは当然として、後者の場合は再度仕掛けを起動できるようにチーム分けをする必要があるが……最悪、私が転移魔法を使えばいいだろう」
「決まりね。一応、すぐに戦闘に移れるようにしておきましょう。石碑には私が触るわ」
ラキュースの号令でそれぞれ配置につく。
ガガーランは
「行くわよ」
合図とともに、魔法円に手のひらを合わせた。
――瞬間。
石碑の紋様が強く輝きだし、膨大な魔力があふれ出した。それと同時に石碑を中心として小部屋の床全体を覆うような魔法陣が現れる。
その魔法陣が現れたとたん、五人は石碑を通じて全身を
イビルアイは、とっさにラキュースを石碑から離そうと試みるも、魔法円に触れた手のひらは石碑と一体化したように強く固定され、引きはがす事はかなわなかった。
次の瞬間、床に現れていた魔法陣がひときわ強く輝き、小部屋全体を立体的な紋様が覆った。
同時に、急に足場が崩れたような浮遊感と共に視界がゆがむような感覚――まるで転移魔法を使用したときのような――を受ける。
「バカな!転移の罠だと!?マズ――」
想定外の出来事に、何も対処することができぬまま意識が遠のいていく。
白く染まりゆく意識の中で――個性を感じることのできない機械的な声が頭に直接しみ込んで来るのを感じた。
【ご協力、感謝します】
どれだけの時間がたったのだろうか。
自分が何者だったのかもあやふやなまま、永遠のようにも、一瞬のようにも感じられる時間の後に、少しずつ自分の輪郭を取り戻していく。
――気が付くと、先ほどと変わらぬ格好で立ち尽くしていた。
イビルアイは、慌てて周囲の様子をうかがう。
一見すると、先ほどと変わらない小部屋にいるようだった。ラキュースが触れた石碑も、触れている彼女と同様そのままそこにある。
少し違うのは、石碑の奥に円形の低い台座が現れていることと――
後方にあったはずの、自分たちが下りてきた階段がなくなり、その場所に長い廊下につながる通り道ができていることくらいだ。
イビルアイは自身が使用できる転移の魔法を使おうとしたが、何らかの阻害を受けているらしく、魔法式が完成することなく魔力が霧散してしまうのを感じた。
仲間たちも、視点が定まらないかのようにぼんやりと中空を見つめていたが、イビルアイが動き始めたのを皮切りに、ハッとして同様に周囲に注意を払う。ラキュースも覚醒したのか、石碑に触れたままになっていた手を慌ててひっこめた。
「みんな大丈夫みたいね……いったい何が起きたのかしら」
「魔法陣が光った後、転移魔法に近い感覚があった。どうやら、まとめてどこかに飛ばされてしまったらしい。元の場所に戻れないか転移魔法を試してみたが……かき消されてしまった。どうやら、相当にやばい場所へ飛ばされてしまったようだぞ」
その言葉を聞いて、全員が驚愕を隠せなかった。
人類の切り札といえるほどの戦力である蒼の薔薇の中でも、一人飛びぬけた実力を持つイビルアイ。
その正体は、かつて国を一つ滅ぼしたとされる伝説の吸血鬼"国堕とし"その人である。
イビルアイ以外の蒼の薔薇のメンバー四人を相手にしたとしても完勝できるほどの実力を持っている。
それだけかけ離れた実力を持つイビルアイの魔法が阻害されたということは、この遺跡を作り上げた存在は少なくともイビルアイと同等以上の存在であるということに気が付いてしまったからだ。
「転移の罠といい、とんでもない存在であるのは確かみたいだな」
「とにかく、この後どうするかを考えないといけないわね……。進めそうなのは後ろの通路くらいだけど」
「ボス、石碑が」
「奥の台座も光ってる」
二人の言葉を受けて先ほどの石碑に目を向けると、触れていた魔法円の外側から中心に向けて、少しずつ光が広がっていた。
同じように、奥に見える円形の台座の上面も光が広がっている。
いつから光が広がり始めたのか、既に円のほぼ全てが光に包まれていた。
「これ、円の中が光で満ちたら何か起こるヤツじゃねぇか?」
「やっぱりそう思う?」
「何を呑気なこと言っているんだ!」
イビルアイが二人を諌めた次の瞬間、円の中が完全に光で満たされた。
石碑はとたんに光を失ったが、円形の台座は一瞬光を強くしたあと、真上に向かって光の柱が立ち上った。
光は少しずつ弱まり、徐々に光の柱が消えていくのと共に――
光の中に、異形の姿が見えた。
二メートル程の身長、鋼色に鈍く輝く鱗に包まれた人のような体、背中には禍々しい形の翼爪をたたえた翼。額の左右から後方に伸びる黒く歪んだ角……大きな口からは鋭い牙が覗いている。眼光は鋭く、黄金に輝く瞳の中には、縦に割けたような瞳孔が見えた。
(無理だ)
イビルアイには、目の前に現れた異形の力の底が見えなかった。
自分は世界の中でも強者の部類であるという自負があった。そんな自分をもってして底の見えない相手。
これまでの長い生涯でも感じたことの無い、圧倒的強者を前にしたことによる恐怖に、足は震え、膝をつきそうになる。
(せめて、こいつらだけでも)
ラキュースに<
<
「撤退。後ろの通路へ走るわよ」
仲間達にだけ聞こえるよう小さな声で指示を出すと、ティアとティナが音もなく通路へ向けて走り出し、ガガーランとラキュースが後を追う。
イビルアイは、すぐにでも後ろを向いて逃げ出したい気持ちを抑えながら、異形の姿を視界に収めたままゆっくりと後退する。
幸いにも、異形の姿は未だぼんやりと輝く光の柱の中で焦点が合っていないかのように虚空を見つめており、こちらへ襲い掛かってくる様子はない。
このまま動き出さないでくれ、と強く祈りながら、少しずつ出口へ向かった。
ラキュースの指示の直後に出口に向かい動き出したティアは、出口から廊下に出たとたん自分を取り囲む空気が一変したのを感じた。
暖かな室内から雪の降る屋外に出た時のような、肌を刺すような緊張感に、思わず足が遅くなる。後ろに続くティナも同じ感覚に襲われたらしく、顔をゆがめていた。
廊下には、罅一つない磨き上げられたような白亜の石畳が広がり、廊下の側面には等間隔で大きな柱が並んでいる。
壁面に窓はなく、柱の間に一つずつ、光源であろう球体を収める台が据え付けられている。
先んじて廊下に出た四人は、罠を警戒しつつも可能な限りの速度で先を目指す。二〇メートルほど進んだ先には十字路のようになっている箇所があり、
ひとまずそこまで進んで先ほどの異形の姿の視界から外れよう、とラキュースが考えていると、突然先頭を進んでいたティアとティナが止まった。
「左から何か来る」
ティアがそうつぶやいた次の瞬間、角の柱を青白い巨大な腕が掴むのが見えた。
掴んだ柱を引き寄せるように、十字路の左から大きな顔が覗く。
身長は六メートル近く、青白い肌に巨木と見まがう腕にその腕よりも太いこん棒を持ち、額に小さな角を持つ一つ目の巨人がそこにいた。
あまりに巨大で強烈な威圧感に四人は思わず動きを止め、体中を悪寒が駆け巡る。
その大きな目がギョロリとこちらを向き、顔が裂けそうなほどの大きさの口を三日月のような形に開き、笑った。
ガガーランは血路を開くべく、一歩前に出る。同時にティアとティナが一歩後退し、戦闘の隊列を取った。
<
<
<
ラキュースからの支援魔法を受け、巨人に向け地を蹴った。
緩慢に見える動きで振り上げられたこん棒を見て、武技で受け流した隙への最大火力攻撃を打ち込もうと考えたが――
「受けるな!避けろッ!!」
後方から聞こえたイビルアイの叫びを聞き、とっさに行動をやめ、飛びのいた。
一瞬前にガガーランが踏み込もうとしていた箇所に、想定よりも明らかに速く振られたこん棒の一撃が撃ち込まれ、大地が大きく揺れた。
発生した大きな揺れに思わずたたらを踏むが、もう一歩後ろに跳び、巨人から距離を離す。
一撃目を空振りした巨人は、これまた緩慢に見える動きでこん棒を持ち直し、ゆっくりと体を起こしていた。
ガガーランは、相対した巨人の力量を読み間違えていた……というよりも、自分が力量を読めないほど相手が強いことに戦慄していた。
「オイオイオイオイ冗談だろ……武技を使っても受けきれねぇぞあんなの!ちびさんに言われなきゃもう死んでるぞ!」
「間一髪だったわね……イビルアイ、さっきの部屋の怪物は大丈夫だったの?」
「警戒しながら下がったが、今のところ光の柱の中から動いていない。早い所前のデカブツを倒して遮蔽の取れる位置に移動したいところだが――」
そう言って大きく息を吸って巨人を一瞥し、震えを隠せないままため息交じりに呟いた。
「このデカブツも十分ヤバい。どう低く見積もっても難度一六〇は超えるだろう」
地獄にでも落ちてしまったのか、と吐き捨てるように言いながら、ガガーランの前に出た。
「私が注意を引いて十字路左の道にあいつを誘う。隙を見てお前たちは一度右の道へ、先に行ってくれ」
「大丈夫なの?協力して倒してしまったほうがいいんじゃ……」
「この遺跡の主が後ろの化け物か前のデカブツかは知らんが、あれを倒し切ろうとしたら限界までの消耗は避けられないだろう。脱出ルートがわかっていないこの状態でそれは可能な限り避けたい。……なに、棍棒の振りはともかく、移動速度自体はそこまで速くなさそうだし、適当なところまでひきつけたら<
吐き出すように一息でしゃべりきると、すぐに巨人に向き直った。
巨人はニタニタと笑いながら、ゆっくりとこちらへ歩き出してくる。
仲間たちの準備ができたことを確認すると、イビルアイは<
(また空振りさせ、左側から顔に一発くれてやる)
巨人がこん棒を振りかぶったのを見て、集中する。
こん棒が振り始められた瞬間、急速に高度を上げる。恐ろしい速度で振られたこん棒に怯みそうになったが、こん棒はイビルアイの人一人分下をかすめていった。大ぶりの一撃が外れたことにより、巨人も少しバランスを崩した―――かに見えた。
<<複数回攻撃>>
「なッ!?」
再度回避しようにも、急激に高度を変えたためにイビルアイも空中で若干体勢を崩してしまっている。
「マズい!<
防御のための魔法を唱え終わるが早いか、壮絶な衝撃が襲った。
地面すら揺らしたその一撃は、<水晶盾>ごとイビルアイを吹き飛ばした。そのまま側面の柱に強く打ち付けられるも、勢いは収まらずに地面を跳ねるように転がり、ラキュースたちのすぐ近くの柱に打ち付けられて止まった。
「イビルアイ!!」
想定外の出来事に一瞬固まった仲間たちであったが、慌ててイビルアイのもとへ駆け寄る。
かろうじて五体満足ではあったものの、ずれた仮面から覗く口からは大量の血を吐き、とっさに体をかばったのであろう両腕は関節が二か所ほど増えていた。
「ッぐアッ……ッ……」
口に止めどなく血があふれてきてうまく発声できない。
アンデッドであるため痛みはないが、体中をとてつもない不快感と脱力感が襲い、体もまともに動かせない。
駆けつけてきた仲間たちがこちらに大声で何かを呼び掛けているようだが、頭もうまく働いておらず、何を言っているか聞き取れない。
ぼんやりとした視界の中で、ラキュースが後ろを振り返って硬直しているのが見えた。
視線の先をそちらに向ければ、巨人がとどめを刺さんとばかりにこん棒を振り上げているのが見えた。
ガガーランはその一撃を武技で受けようと前に立ち、ティアとティナは援護すべく飛びのきながらも<不動金剛の術>の印を結ぼうとしていた。
しかし、こん棒は間違いなく丸ごと自分達を叩き潰すだろう、という確信めいた感覚が蒼の薔薇全員に感じられた。
振りかぶったこん棒が振り下ろされていく。圧倒的な速度であるはずのその動きは、まるでスローモーションのようにゆっくりと自分たちに迫ってくるように感じられた。死を目前に控えた脳の
こん棒がガガーランたちを叩き潰さんと迫った、その時。
<羅刹衝>
<竜爪>
鋼色の風が吹いた。
後方から鋼色の影が飛び込み、その勢いでこん棒を打ち返し、次の一息で腕を振りぬいたかと思えば、一つ目の巨人は縦に裂けていた。
ゆっくりと倒れ伏す巨人の前に立っていたのは、鋼色の鱗を持った――
先ほどの部屋で光の柱から現れた、異形の怪物であった。
怪物は倒れた巨人を一瞥すると、ゆっくりこちらを振り返る。
黄金の瞳が蒼の薔薇を捉え、全員が再度死を覚悟した次の瞬間、口を開いた怪物から出てきたのは――
「あっぶねー。ロードのラグで開始直後にゲームオーバーとかいうクソゲーになるところだった」
気の抜けた男の声だった。
「ちょっと運営ー?サーバー貧弱すぎんよー」