リ・エスティーゼ王国。
バハルス帝国。
そして、スレイン法国。
蘇生した騎士たちの話から得られた情報を精査すると、この村の置かれた立場は少々複雑なようだ。
このカルネ村はリ・エスティーゼ王国領の開拓村だそうだ。
リ・エスティーゼ王国とバハルス帝国は戦争状態にあり、毎年カッツェ平野と呼ばれる場所で戦いを繰り広げている。
村を襲った騎士たちは、バハルス帝国の紋章が入った鎧を身に着けていたものの、その実はスレイン法国の尖兵。
スレイン法国がどのような思惑で周辺の開拓村を襲っていたのかは末端である騎士達には知らされていなかったようだが、戦争状態にある相手国の身分を偽り、抵抗手段を持たない村人たちを一方的に虐殺する指令を出すような国だ。
間違いなくろくな国ではなさそうだ。
ゲームが現実になったようなこの現状、しかも寄る辺もない孤独な今の状態で、国のような大きな集団と敵対するのは避けなくてはならない。
村を襲っていた騎士たち程度の実力の兵士であれば、どれだけいようがモモンガにはキズ一つ与えられない。
しかし、軍という単位で見た時に、相手の最大戦力がその程度であるわけがないだろう。
80レベル程度ならば相性が悪くても倒すことはできるが、数が増えてくると簡単ではないし、それ以上ともなれば一対一でも敗北が見えてくる。
この体で死亡するとどうなるのかわからない現状で命の危機に陥るようなことは避けたい。
状況からして、帝国とは今のところ関与なしの状況を貫けていると考えて良さそうだ。
王国から見て悪感情を持たれる行動もしていないだろう。問題はスレイン法国だ。
今回の行動は心情的にスレイン法国が悪となる状況であったことは間違いない。
法国側からはマイナスだろうが、周囲から見て悪行と呼ばれる行為は行っていないと言えるだろう。
しかし、スレイン法国の教義は"人間種至上主義"のようだ。
苛烈なまでの異形種・亜人種の排斥、ユグドラシルでは人間種に分類されていた
単純な
(それに、騎士の正気を失わせた咆哮も気になるしな)
騎士によると、翌日の襲撃に備えて夜営をしていた際、突如頭上から響き渡った咆哮を聞いたとたんに体が恐怖と狂気に支配され、気づけばカルネ村を襲撃していたのだと言う。
これまでの襲撃では後方で逃げ出した村人を襲っていた者達すら後先考えずに突撃したらしい。
騎士達にとって意図せぬこの襲撃を仕組んだものがいるなら、今もこちらの反応をうかがっている可能性がある。
(相手の意図がいまいちわからないけど……用心に越した事はないな)
得られた情報を整理し、考える時間が必要だ。
ひとまず、不意を打たれることだけは防がなくてはならない。
モモンガは、索敵に優れるアンデッドモンスターを生み出し、不可視化の魔法をかけて村の周囲に放った。
村人たちの葬儀が終わり、人々が悲しみにくれている中、モモンガは村長を名乗る中年の男性と相対していた。
「この度は村を救っていただき、本当にありがとうございました……。改めてお礼を申し上げます」
そういいながら頭を下げる村長の体はまだ若干震えている。恐る恐る言葉を選んでいるところから見ても、モモンガに怯えているようだ。
「いや、構わない。困っている人を助けるのは当たり前……と言いたいところだが、見返りを期待しての事だからな」
「み、見返り……」
その言葉を聞いて、村長の体がピクリと跳ねる。
助けてやった礼に命を差し出せとでも言われたかのような反応だ。
「何、命をとろうとかそういったものではない。私は
何かを与える見返りとして、こちらには望むものがあり、村にはその望みを満たす条件が整っていることを強調して告げる。
営業職として培ってきた、立場に差がある時の営業手法を発揮する。入社したての頃に学んだ交渉術がここで活きるとは思わなかった。残念ながら、彼の立場では現実の世界でこの方法をとることはなかったが。
しかし、村長と村人たちの反応はあまりよくない。なぜだろうか、と首をかしげていると、若い村人がぼそりと呟いているのが聞こえた。
「全ての生きる者を憎むアンデッドが、なぜ……」
(そういえばあったなぁそんな設定)
モモンガは、ユグドラシルにおけるアンデッドのフレーバーテキストの中に、"アンデッドは生きとし生ける者すべてを憎む"という文言があったことを思い出した。
体がアンデッドとなり、人間としての心が歪み始めている自覚はあるものの、現状特に生者に対して思うところはない。
「む……。アンデッドの多くが生者を襲うのは、理性がなく本能のままに動いている場合と、理性はあるが生者に対して同族意識を持たない……言い換えれば、どうなろうと関心を持たないが故のことだ。自分で言うのもなんだが私はそこそこ理性的だし、自分に益があるならば他者との取引も辞さないとも。……それに、人間だった頃を忘れたくはないしな」
一瞬だけ遠くを見た。今のところ、状況を脱して
しかし、あまり帰りたいとも思わない。何もないあの世界よりは、今の自分のほうが持っているものが多いから。
きっとモモンガは、これからも帰る方法を探そうとはしないだろう。
「は、それであれば……。こんな村でよければ、是非お使いになってください。……何と言いますか、空き家も、増えましたし……」
村長は辛そうな表情を隠しきれず、かすれるような声でつぶやいた後、顔をしかめて俯いてしまった。ただでさえ人口の少ない村で、決して少なくない人数を失ったこの村の未来は暗い。
今年の徴税を乗り越えられたとしても、冬を越す蓄えができるとは限らないのだ。
「何、言った通り私も協力させてもらうとも。まずは、この周囲の地理や常識について教えていただきたい」
騎士達から得た情報とのすり合わせと、立場による違いを知るべく、モモンガから村長への質問攻めは長きに渡って行われた。
日も傾き始めた頃、村長の休憩もかねて得られた話の整理をする。肉体的な疲労がなくなったせいか、気がつくと長い時間作業を続けてしまう。
(大きな情報に関しては齟齬はないな。騎士の方が国同士の情勢に詳しかったのは直接国に仕えていたからか……)
モモンガの個人的な印象としては、リ・エスティーゼ王国よりもバハルス帝国の方が
国民への扱いもそうだし、何より正規の騎士の数が多いのが大きい。
作物の収穫期に戦争を仕掛けられている王国は、その度に農村から民兵を徴集しているようで、戦争の回数を重ねるごとに国力が下がっていっているのは明らかであった。
その分、身分不詳の者が入り込むならば王国の方がやり易いかもしれない。
モモンガが考えを巡らせていると、索敵に出していたアンデッドから情報が入った。
正体不明の戦士団がこの村に向かって進行中。
先頭を走る一人が30レベル程度と突出しており、残りは10レベルそこらの集まりのようだ。
アンデッドと視界を繋ぐと、装備に統一性のない傭兵団のような者達が馬でこちらへ駆けてくるのが見えた。
よく訓練されているのだろうか、隊列を組んで駆けるその騎馬達に乱れはない。
現時点では抜刀はしていないようだ。
(騎士団の後詰めか?でもさっきのヤツはそんなこと言ってなかったけどな……)
どうすべきか考えていると、村長の家のドアが勢いよくノックされ、村長を呼ぶ声がした。
モモンガに断り村長がドアを開けると、焦ってきたのだろうか、汗だくの男性が立っていた。
「すまない、村長。今村の周りを見張っていたラッチモンから、こっちに騎兵が向かってくるって……」
「な、なんだって!?」
慌てた村長は村人と共にすがるようにこちらを見てくる。正直なところあまり面倒ごとには巻き込まれたくないのだが、乗り掛かった船だし、なにより復興の協力を約束した身だ。
なにより、まだ自分に疑いの目を向ける村人も多い。
拠点をこの村に構えるならば、信用を勝ち取るためにも草の根運動が必要だろう。
「私が対処しよう。村人達は万一を考えて一ヶ所に集まってくれ。そちらは
モモンガは懐から怪しい仮面と手甲を取りだして身に付ける。着ているローブの前を閉めれば、アンデッドであるとは判らないだろう。
その代わり、とても邪悪な魔法詠唱者に見えるが。
「私がアンデッドだと言うことは伏せたい。アンデッドだと言うだけで問答無用で攻撃されては敵わないからな」
話を聞いた村人は大きく頷くと、皆にこの事を知らせるべく走っていった。
「さて村長、行こうか」
怯えたままの村長を供回りに、騎兵の来る方向へ向かう。騎士への尋問を終えた後に増えた
ガゼフ・ストロノーフは、
平民に生まれた彼は、純粋な剣の腕だけでここまで生き残り、王国戦士長と言う立場を与えられるに至った。
曲がったことを嫌い、真っ直ぐに生きる。
出生とその生き方から、民衆からの支持は厚かったし、彼を慕う兵士も多い。
だがそれと同時に、権力と謀略の世界に生きる貴族達からは目の敵にされていた。
王族と対立する貴族派閥からは、王の権威を削ぐために挙げ足を取られ。
王と道を同じくする王派閥でさえも、権力をものともしない彼のことを煙たく思っていた。
国民を守るため、開拓村を襲い回る不埒な帝国兵を討つ。
本来であれば称賛され、国として支援すべきその戦いに赴くことが出来たのは彼直属の戦士団のみ。
たかが帝国の斥候に国の財産を使うまでもなしと、普段の戦いの際に身に付ける国の秘宝すら取り上げられ、今の彼の装備は一兵卒と変わりない、彼の能力から見れば信じ難いほど格下の装備であった。
(信じられん……。国民を守ることこそ人々をまとめる貴族の仕事ではないのか!)
自分達を送り出す際の貴族達の反応を思いだし、ギリリと奥歯を食い縛る。
民を補充可能な消耗品としか見ていないような態度に、王の立場を考えなければその場で叩き斬ってしまうところだった。
自分の振る舞いで王が責められることがあってはならない。
そこにいるのは、王の立場をおもんばかる気持ちと己の良心との板挟みに苦しむ一人の男でしかなかった。
既に、周囲の開拓村はほとんど滅ぼされてしまった。
わずかな生き残りを守るため、戦士団を分けて最寄りのエ・ランテルまで護送させてきた。
結果、今自分と共に最後の村に向かうのはわずかな精鋭のみ。
どうか、無事であってほしい。
一縷の望みにかけ、遠くに見えてきたカルネ村に急ぐべく騎馬に鞭を入れた。
カルネ村は静かだった。
遠目には村人などの姿はなく、沈む夕陽で伸びる木々の影がさわさわと揺れている。
近くに見える家の中には、戸や壁がうち壊されているものや、悲惨な現場を思わせる血の痕が見て取れたが、遺体は見当たらない。
間に合わなかったか。
そう落胆したガゼフの耳に、副長の声が響く。
「戦士長!村の入口に誰か立っています!あれは……!?」
そこには、3つの影が立っていた。
1つは、豪奢なローブに身を包み、怪しげな仮面で顔を隠す背の高い謎の人物のもの。
もう1つは、緊張した面持ちでこちらを見ている、武装していない中年の男性。彼は恐らく村人だろう。
そして最後の1つ。
仮面の人物の横に控えるように立つ、2メートルを越す巨駆の異形。波打つような刃のフランベルジュと、体を覆い隠しそうなほどのタワーシールドを持ち、身につけた鎧は所々が朽ちかけている。
ボロボロの兜から覗くその顔は、生気と肉を失い、あらゆる生を憎む赤い炎を眼窩に宿した──不死者のそれであった。
(──……強い)
そのアンデッドの放つ存在感は間違いなく強者のもの。
周辺国家最強と呼ばれる自分が、国王より賜りし秘宝で身を固めた上でようやく戦いとなる。
そんな相手であるとガゼフは確信した。
アンデッドは身動きひとつせずにこちらの動向を窺っているようだった。
こちらを観察するように視線を動かしたとき、ゾワリと体を悪寒が這い回るのを感じた。
部下達がアンデッドに怯え、抜刀しそうになるのを制した。
「私は王国戦士長、ガゼフ・ストロノーフ!周辺の村を襲う帝国騎士達を追いこちらに参上した!」
「おお、王国戦士長……」
「……知り合いですか」
村長と思われる人物と仮面の人物が小声で話している。
彼らの会話や態度に害意はなく、アンデッドも特に動く様子を見せない。
アンデッドの様子をうかがいながら、静かに馬を寄せた。
ガゼフの心は晴れやかであった。
同時に、見た目や使用する術の性質でその者の人間性を決めつけてしまっていた自身をひどく恥じた。
流れの
見知らぬ土地に身一つで放り出されている自らの窮状を顧みず、使役する死霊を操り村を救ったのだと聞き、ガゼフは心からの感謝と称賛を贈った。
義の心を持ち、騎士団をものともしない魔法を操り、自分に匹敵する強さを持つアンデッドの騎士を使役する
かの帝国の宮廷魔術師、フールーダ・パラダイン老に劣らぬ実力があるのではないかと思える。
共に王に仕え、戦うことが出来たなら必ずや王と国民の力強い味方になるだろう。
だが逆に、帝国に彼のことが知れれば……皇帝は優秀な彼のことを逃しはしまい。
次の戦争で王国は過去にない大被害を被ることになるだろう。
詳しく話を聞くために村長の家へ共に向かう道すがら、ガゼフは末恐ろしい未来を幻視し、一人身を震わせた。
「……それでは、村を襲ってきた騎士は一人も生き残っていないと」
「ええ。
村長が、ビクリと跳ねてモモンガと名乗った仮面の男を見た。
死体すら残らない魔法とは如何様なものか想像もつかないが、その魔法が使用された現場を思い出したのかもしれない。
「……では、宜しければ私と共に王の元に赴き、此度の一件を説明していただけないだろうか。国民を救った御仁とあらば、王は必ず応えてくださるだろう」
「申し訳ないが、お断りさせていただきます。地に足のつかぬ現状であまり目立ちたくありませんので。可能であれば、私の事も伏せていただきたい」
「……事が事だ。完全に伏せることはできないが、モモンガ殿にご迷惑がかからぬよう取り計らおう」
「ご厚意感謝します」
「……あのう、戦士長殿」
村長がおずおずと手を挙げ、こちらをうかがうように声をかけてくる。
「この度の事で、村の若い働き手が多く亡くなりました。畑は一部が踏み荒らされた程度ですが、このままでは手が足りず満足に収穫も出来ません。国からの助力はいただけないでしょうか……」
「……すまないが、国から助けがあるとは思えない。精々が滅ぼされた周囲の開拓村の生き残りを集める程度だろうが、それも数えるほどだ。戦争時の徴兵は免除されるかもしれないが、徴税は……例年通りになるだろう」
「そ、そんな!それではこの村は冬を越えられません!」
顔面を蒼白にした村長がガゼフにすがり付くが、彼は唇を噛み締め、俯くことしかできなかった。
王から賜った仕度金を使うことも考えたが、確たる物証も得られず仕度金だけ渡して帰ったとあれば、貴族派閥から王への攻撃材料となってしまいかねない。
「それならば、提案があるのですが」
帝国騎士が装備していた武具を買い取らないかと言うモモンガからの提案は、ガゼフにとって渡りに船であった。
翌朝、買い取った帝国騎士の装備を受け取りカルネ村を発った。
エ・ランテルへ向かう道すがら、副長が馬をこちらに寄せてきた。
「戦士長、宜しかったのですか?強制徴用してでも、仮面の御仁を王都へ連れ帰るべきだったのでは……」
「仕方があるまいよ。恩義ある方に対してそのような仕打ちでは王の沽券に関わる」
確かに、モモンガは多くのことを隠している様に思えた。
意図的にこちらへ出す情報を制限していたし、ついぞ素肌を目にすることはなかった。
しかし、その雰囲気に邪悪なものはなかったし、村の人たちも脅しや魔法で支配されているような様子もなかった。
しばらくカルネ村に滞在する様であったし、下手に強気に出て虎の尾を踏むよりは村に愛着を持って自然に居着いてもらう方がよいだろう。
それとなく王に仕えないか聞いてみたが、
『私はいつ元の場所に戻るともわかりませんので』
と、あっさり断られてしまった。やはり、地位や権力にはあまり興味がないようだ。
せめて、カルネ村が平穏を取り戻すまででも居てくれればいいと思うが、その為に──
(貴族に変なちょっかいを入れられぬよう、報告の仕方には気を付けなければならんな)
この手の事を相談できる、信頼できる友人が居ないことに気づいて、ガゼフは頭を抱えそうになってしまった。
「……行ったか」
索敵役のアンデッドから、ガゼフ率いる戦士団が離れていったことを聞くと、モモンガは一人ため息をついた。
周辺国家最強の戦士であると聞き、偽のレベルを掴まされたかと夜中に影から魔法で色々と調べてみたが、やはり30レベル程度の存在であるようだった。
ユグドラシルには無かった"武技"や"
王国の実力者について聞いてみると、冒険者の最高峰である"蒼の薔薇"や"朱の雫"について聞くことができたが、大体がガゼフ程度か、それ以下のレベルのようだ。
もし自分と同じような境遇のユグドラシルプレイヤーが今表舞台に居れば、間違いなく名が知れ渡っているだろう。100レベルが大半のプレイヤー達にとって、30レベル程度の相手など指ひとつで吹き飛ばせる程度の相手でしかないのだから。
今の境遇に居るのは自分だけなのか、目立つことを恐れて隠れているだけなのかは現状では判別がつかない。
過去に世界を揺るがしたと言う六大神や八欲王、十三英雄などのお伽噺からはプレイヤーの臭いを感じるが、遥か昔の話だと言う。
(……蒼の薔薇ってなんか聞いたことある気がするんだけどな……何かのゲームにいたんだったかな……)
なんとなく聞き覚えのある名前に、一瞬記憶の片隅の引き出しが開きかけたが、完全に思い出すには至らなかった。
(それより、冒険者か。やっぱり遺跡調査とかをする職業なのかな……)
落ち着いたら、町に出て情報を集めてみるのもいいかもしれない。
冒険者として未知の世界を冒険することこそ、ユグドラシルプレイヤーとしての本懐ではないか。
自分以外のプレイヤーと会うことができたのなら、情報交換するのも良い。
それに、もしかしたら……
(俺以外にも誰か来ているかもしれないしな)
かつての仲間たちとこの未知の世界を歩くことができれば、それはとてもきっと素晴らしいことだろう。
その為にもまずは、この村の窮状を何とかしなくてはならない。
未だにチリチリと燻る自分の中の恐怖の炎から目を逸らすように、村の復興事業について考え始めた。
<竜神の咆哮>:対象の