粗プロットを話数ごとに千切って配置してみたら30話を超えて戦慄したのでもうダメです。
リ・エスティーゼ王国は古い封建国家である。
国の方針や政策は、君主である国王の招集によって集められた有力貴族達によって行われている宮廷会議で決定される。
しかし、現王にはすでにカリスマと呼べるほどの求心力はなく、発言力も年々弱まっている現状であった。
国内に蔓延する麻薬や、毎年帝国と繰り広げられている小競り合いの様な戦争によってじわじわと国力が低下していっている現状を顧みず、宮廷内は王派閥と貴族派閥の二大勢力の対立状態となっており、お互いがお互いの足を引っ張り合う……まるで坂を転げ落ちるかのような状況。
結果として、国をより良い方向へ導くためのものであるべきこの会議は、常にお互いの勢力を蹴落とすための醜い争いの場となってしまっていた。
この日議題に上がったのは、王の直轄領であるエ・ランテル近郊の開拓村を襲いまわっていたという帝国騎士の撃退に赴いていた、ガゼフ・ストロノーフ戦士長の報告について。
帰還と共に王の元に戻り、彼の身に起きたことを報告。その後事務官によって書類が作成され、事の顛末が貴族たちに知れ渡ることとなった。
暴れまわった帝国騎士達により、一つをのぞいた開拓村は壊滅。生き残った住人は一時的にエ・ランテルに避難させたこと。
旅の
彼は強力なアンデッドを使役しており、自分でも装備を整えなければ勝てないかもしれないこと。
騎士たちは彼の使用した魔法により死体も残っていなかったこと。
証拠として、騎士たちの装備していた武具を買い取ってきたこと。
貴族たちが善人の集まりであれば、"モモンガ"への賛辞と与える謝礼についての話し合いがなされたかもしれない。
貴族たちが賢人の集まりであれば、"モモンガ"が国に与えうる影響を考え、対応を協議する場となっていただろう。
しかし残念ながら、この会議に参加する多くの者は愚者であった。
「やはり愚かな帝国による仕業だったか!相変わらず小手先の策に頼ってきおる。よほどこの王国が怖いと見えるな」
「然り!例年の戦争でも、用意している兵の数は圧倒的にこちらが上。本気で戦いになったときに勝利する自信がないのでしょうな!」
「できることなら下手人を捕虜としたうえで、帝国を打ち破る戦いの大義名分としたかったところだ。帝国騎兵の装備というだけではちと弱い」
貴族派閥の代表であり、貴族たちの中で最も広大な領地を持つボウロロープ候が、蓄えた髭を撫でながら吠え、太鼓持ちのリットン伯がそれに続く。
ボウロロープ候は自分の兵の強化に非常に熱心であり、軍の指揮官としては非常に優秀な男だ。特に若いころは自ら前線に立って戦った経験も多い。その声には精力的な張りがあり、聞くものを妙に納得させる力があった。
チラリ、とガゼフに視線を送ったボウロロープ候は、そのまま責める様な口調で続けた。
「旅の
「しかし、死体も残らないというのは妙な話だ。この一件、その
ボウロロープ候に続いて声を上げたのは、王派閥に属するブルムラシュー候。領土内に貴金属の鉱山を持ち、王国一財力を持つ男だ。非常に欲深いと噂されており、一部では金のために家族すら裏切ると言われている。
カルネ村の恩人であり、また同様に自分の無念を晴らしてくれたモモンガを侮辱するような発言に、ガゼフの腸は煮えくりかえっている。必死で奥歯を噛み締めて無表情を作っているが、表情が渋くなりつつあるのを隠しきれていない。握りしめた両手は、爪が食い込んで今にも血が垂れそうな様相だった。
「おぞましいアンデッドを使役していたとのことだな?ゾンビやスケルトンに鎧を着せ、村を襲わせていたとも考えられますな」
「魔法の中には精神を操るものもあるという。もしや戦士長殿も操られているのではあるまいな」
「王都への召喚へ応じなかったのも奇妙だ。詮索されて小細工がばれることを恐れたのではないか?」
「その
いつの間にか、その
もはや我慢の限界となったガゼフが、思わず前に進み出そうになるのを、国王・ランポッサ三世が手で制した。
「やめよ」
王の声を聴き、貴族たちが水を打ったように静まり返る。
年齢の割に老いて見えるその口から出る声は、わずかな威厳と慈悲にあふれているように感じられる。
「かの御仁は我が国民の恩人である。そのような根拠なき疑いで品位を貶める様な真似はやめよ。戦士長の報告では、仁義と任侠にあふれる立派な御仁であると同時に、目立たず静かに暮らしたがっているのだと聞いている。そのようなものを無理に引っ立てるべきではない」
王の一声に、騒ぎ立てるように声を上げていた多くの貴族たちが押し黙る。いやしかし、ああでも、などとつぶやくように口にしているが、明確な反論を持つものはいないようだ。
「しかし陛下。そのものが身分不詳な存在であるのは確かなのです。相応の武力も持つようですし、野放しにしておくわけには……」
「幸い、戦士長はその御仁と友好的な関係を築いて帰っている。なれば、御仁が村に滞在しているうちに改めて礼と称して人を送ればよい」
「それでしたら陛下。そのお役目、私にお譲りいただけないでしょうか」
ガゼフが声のほうに目を向けると、長身に痩せた体、金髪で切れ長の碧眼の男――レエブン候が、小さく挙手をしていた。二大派閥による権力闘争が繰り広げられているこの王国において、王派閥、貴族派閥の間をさまようように動いている、蝙蝠と揶揄される貴族であり、多くの貴族に忌み嫌われている。ガゼフも――言っては何だが、好きなタイプではない。しかし、先ほどの貴族達の喧騒の中、ただ一人何かを考え込むようにして黙りこくっており、ガゼフは少々不審に思っていた。
「ふむ、レエブン候。我の代わりに人を送ると申すか」
「はい、陛下。私の配下にはモンスターや魔法などに詳しいものもおりますので、その御仁の詳しい情報なども得ることができるかと。決して国の恩人に対して礼を失するような真似は致しません」
「ならば、任せよう。御仁への対応はレエブン候に一任する」
小さくため息をついたガゼフを慮ってか、ランポッサ三世はガゼフに視線を送り、小さく頷いて見せた。謝意を込めて、小さく目礼を返す。
ガゼフは、王への敬意をより深いものとした。今回の件を自分だけではモモンガの望む通りの展開にすることはできないと考え、何よりも先に王に相談することができたことを心より安堵した。王はガゼフの気持ちを案じてくれたし、可能な限りモモンガの考えを尊重するよう取り計らってくれただろう。事務官の手前、虚偽の報告をするわけにはいかなかったが、王が声を上げてくれなければ間違いなくひどいことになっていただろう。
納得のいかなそうな顔をしながら次の議題へと移ろうとしている貴族達の顔を一瞥し、ガゼフは少しだけ溜飲が下がった。
被害を受けた村民への対応が全く話し合われなかったのは心残りだが、この場に再度火をくべる様な真似は王の負担になるだけだ。別の形での嘆願ができないか、あまり得意ではない政策について思いを巡らせ始める。
貴族たちが次の議題に移り、また派閥同士の権力争いとも呼べる議論が始まっている中、レエブン候は静かだった。
普段ならば両陣営の言い分の隙を突くようにして意見を述べている彼だが、この時だけは彼の脳内は議題と全く違うことを考えていた。
(アンデッドを操って騎士団を偽装する?騎士団と呼べるだけの規模の存在を操れる
平静を装う外面に対して、彼の心は烈火のごとく燃え盛っていた。
モモンガという
偶然居合わせた村が襲われたから救った、という言もどこまでが本当か疑わしいのは確かだ。
しかし、仮に戦士長の言う通り仁義と任侠にあふれた人物だったとしても、
ただ遠くの地に去るのならばそれで構わない。最悪なのは帝国へ渡った場合だ。
戦士長は王都へと帰還するまでにエ・ランテルを経由している。その際、噂になっていた帝国騎士襲撃の顛末について、ある程度都市長などにも説明しているようだ。
それでなくとも、襲撃については街の噂となっていたらしい。この際、下手人が本当に帝国の騎士なのか、帝国を装った第三者なのかはどちらでもいいのだ。
この一件については、どのような形であれ帝国の耳に入っていることだろう。
あの鮮血帝は、優秀な人材を逃がさない。戦争の最中、戦士長のもとに直接出向いて引き抜きをかけるほどだ。
王国を離れて帝国に入るようなことがあれば、あらゆる待遇をもってその
彼がいるだけで、戦争の際に最も強力で厄介な個である戦士長を封殺できるとあれば、それだけで帝国四騎士に値する働きと言うことになる。
彼を手に入れたが最後、帝国はいつもの様な小競り合いでない、本格的な侵攻を始めるだろう。
今年は大敗を喫する程度で終わるかもしれない。しかし、王国は国力を例年とは比べ物にならないほど減らすことになる。
王国に待つのは破滅だけだ。
帝国の戦力は大半が職業騎士だ。国を守る兵士として、専業でその身を鍛え、有事に備えている。
それに対して王国の戦力はほとんどが徴兵された農民だ。
戦争の時期のみ武器を持たされている彼らと、専業で鍛錬を積んでいる騎士を同じ土俵で語ることはできない。
そのうえ、彼らの損失は生産力の低下に直結する。
帝国と王国の兵の損耗は、同じ意味ではないのだ。
王国にとってのベストは、その
しかし、戦士長の話を聞く限りこれに関しては期待できないだろう。
次点は自分のもとに仕えてもらうことだ。
少なくとも他の貴族よりは求めるものを支払うことができるだろうし、それだけの実力者であればこちらから頼み込んできてほしいくらいだ。
自分の領地やかわいい息子の将来のことを考えるなら、こちらのほうが嬉しいとまで考える。
冒険者登録をさせて戦争に関与できないようにすることも考えたが、それに関しては微妙なところだ。
結局のところ、自身が冒険者の看板を下ろしてしまえば無駄になる。帝国への引き抜きの防止につながらない。
とにかく、帝国に渡ることだけは避けなくてはならない。
自分のかわいいかわいい息子に、盤石なまま自分の領地を渡すために。
まずは、下調べだ。直接会った戦士長を始め、彼の部下である戦士団の面々からも何らかの形で情報を得る必要がある。
レエブン候はその切れ長な目を光らせ、彼からするとどうでもいい内容を議論し続けている愚か者たちから目を逸らした。
お付きの騎士が去り、静かになった夕暮れの部屋の中で、小さくため息をつく一人の少女。
絹のように滑らかな髪は夕日を浴びて黄金色に輝き、細められた瞼の奥には宝石の様な深い青の瞳が見える。
窓から切なげに夕陽を眺めるその姿は、一流の芸術家をして絵の中には表現できないであろう一種の神秘すら秘めている。
彼女は、ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフ。
人々に"黄金"と呼ばれる、リ・エスティーゼ王国の第三王女である。
多くの人々から、温厚で慈悲深く、国や民のことを慮る素晴らしい人格者であると称されている彼女は、先日王都へと帰還したガゼフ戦士長の報告と、先ほどお付きの騎士が嬉しそうに話してくれた戦士長のあったという村を救った人物について思考を巡らせていた。
(――
その瞳に光はない。
(今回の戦士長の一件には確実に第三国……恐らく法国が絡んでいたはず。だからこそ戦士長はもう帰ってくることはないと考えていた。彼らがここまで根回しをしていた以上、本気だったはず。生半可な戦力ではなかったでしょう。竜が出たという事件を警戒して作戦を中止した?だとしても実際事件後に騎士たちは村を襲っている。このモモンガという
彼女の得た大量の
しかし、今回に関しては結論を絞るにはいくつか足りない情報があった。
(……どちらにしても、王国にとっては毒にしかならない存在ね)
(あとでラキュースたちに調べてもらおうかしら。竜王国から戻って少し溌剌としているようだし、お願いするのも手……いえ、レエブン候が対応を任されているはずだから、そっちに手を入れましょうか。八本指の件との優先度を考えて――)
――いつの間にか日は暮れ、部屋は夜の帳に包まれている。
回転する思考は止まらないまま、夜は更けていく。
パチパチと薪の弾ける音が響く執務室。
豪華絢爛であるが、下品さは感じられない。まさに
部屋の様式はリ・エスティーゼ王国と比べて新しく、機能性に長けているようにも見える。
並んでいる家具一つ一つから芸術性を感じることができ、一般市民では一年働いたところで置かれている燭台一つ買うことはできないだろう。
その中でもひときわ目を引く、金糸で編まれた装飾の美しいゆったりとしたソファに悠々と腰かける一人の男。
眉目秀麗な外見と合わさり、あるべくしてそこにあるとでも評すべき堂々とした様子でそこにいる。
会議用の大きな机に並べられた書類に軽く目を通しながら、傍らに立つ秘書官に語りかける。
「つまり、この……モモンガという
「はい、陛下。再度旅に出たとのことですが、周囲の人里で該当する人物が目撃されたという報告はありません。同時に、フールーダ様にご協力いただき魔法的な捜索も行っておりますが、こちらも手掛かりはつかめていないのが現状です」
「爺の魔法でも見つからないというのか?」
男――バハルス帝国皇帝、ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスは、眉を少しだけ上げ、対面に立っていた老人に目を向ける。
とても長い白髭をたたえ純白のローブを身にまとう、いかにも魔術師然としたこの老人の名は、フールーダ・パラダイン。
人類が単独で到達可能な最大位階である、第六位階魔法を使用することができ、もはや英雄の領域すらも超えた逸脱者と呼ばれる人物である。
「魔法は万能ではないよ、ジル。目を盗んで移動するというのであれば、いくつものやり方がある。単純に
「わかったわかった、爺。魔法談義は後にしてくれ。とにかく、簡単には見つからないということだな」
この老人の口調は自国の皇帝に対するものとしてはあまりに不遜だが、彼にとってジルクニフは幼少期――それも生まれた直後から知っている。
立場が上なのは確かだが、今のように公的ではない所ではまるで自分の孫のように扱っていたし、ジルクニフもそれを否とはしなかった。
ジルクニフは、魔法のこととなると抑えの効かなくなるフールーダを半分強引に抑え、話を元に戻す。
「帝国騎士団を名乗る輩はこの際どうでもいい。王国が何か言ってこようが突っぱねればいいだけだ。しかし、この
「ガゼフの戦士団の話では、かなりの巨躯にボロボロの全身鎧と体を覆うほどのタワーシールド、そして赤黒いオーラをまとったフランベルジュを持ったアンデッドとのことでしたが」
「……私の知識の中には、これに相当するアンデッドは一種類しかおりませぬ」
少しだけ体を震わせながらフールーダがつぶやく。
この震えは恐れによるものか歓喜によるものか、ジルクニフには判断ができなかった。
「……それは魔法省の地下に捕らえているという……アレか?」
「その通り。以前カッツェ平野に出現した際には帝国騎士団に甚大な被害を与え、私の高弟達と協力しても捕縛がやっとであった……
そのアンデッドによって殺害されたものは
「もちろん、報告のアンデッドが
それを聞いてジルクニフは笑みを強くする。
この
「ことアンデッド使役においては、爺よりも優れた
ニヤ、とフールーダを見やるジルクニフ。
白い毛髪と髭に包まれた老人の表情は、その実年齢を少しも思わせぬ少年の様な輝きに満ちていた。
「これだから魔法の道はやめられませぬ。この齢にして、私を超えるかもしれないものに出会えるとは……。ぜひ、ぜひ、そのものと魔法について語り合いたいものですな」
「これ、爺。まだそうだと決まったわけではないのだろう?……ふふ、だが……やはり
その者からすれば、帝国は村を襲わせた侵略者だ。だが、それほどのものが装備だけでその者たちを帝国騎士だと信じたとは考えづらい。
ガゼフから王国への誘いを受けていたようだが、これを断っていることから……王国に与しない程度には思慮深いようだ。
仁義に篤い人格者であるがゆえに村を救った、と戦士長は話しているが、これもどうか怪しい所だ。何かしらの目的があるものと考えたほうが良い。
その目的に沿うものを用意できれば、帝国に仕えてもらうこともできるだろう。
もし、仮に――本当にただのお人好しで、襲われている村を救ったのであればそれはそれ。
帝国に仕えることが素晴らしいことだと思わせることくらい、彼の手にかかれば簡単だ。
――もらった。
ついつい、悪代官のように顔がにやけていく。
帝国が王国を併呑できる日は想定よりも早くなるかもしれない。
彼は、まだ元気な毛髪をかきあげながら、堪え切れない笑いを漏らした。
荒涼とした大地に残された痕跡を追って、数人の男たちが野を駆けていた。
いつしか荒れ野の様な領域を抜け、彼らは魔物の巣窟であるトブの大森林へと足を踏み入れていた。
風花聖典。
スレイン法国に属する特殊部隊の一つに数えられる、情報収集や諜報活動に長けた集団である。
彼らは、国を裏切って出奔し、あまつさえ国の秘宝である叡者の額冠を奪い去っていった国賊、クレマンティーヌを追ってここまで来ていた。
彼女の策略により、初動が少々遅れてしまったために足取りを見失い、彼女が残した痕跡を頼りにここまで追ってきたところである。
途中の補給跡からかなりの長距離を移動し続けているようで、大きな痕跡はそれほど残されていない。
それでも、彼らはこの手の活動のプロ集団。人類全体を見ても、上から数えたほうが早い能力の持ち主たちがそろっている。
彼らの手にかかれば、わずかな足跡や汗の痕からでもその足取りを追うことができる。まさに
しかし今この時に限っては、彼等の方が
「チッ!縄張りは避けて通っていたつもりだったが、勢力図が変化していたのか!?」
「マーク!このままでは追跡は無理だ、一度縄張りから出て立て直そう!」
「そうだな。シドロフ!」
呼ばれた男が、懐から球状のアイテムを取り出し、地面に向かって投げつける。
投げつけられた球体は地面にぶつかるとともに弾け、周囲に白い靄の様なものをあふれさせた。
白い靄には行動阻害の効果があったのか、広がった靄に踏み入れた途端に追跡してきた魔獣がたたらを踏んで動きを止めたのを感じとる。
その隙をついて、身を隠すためのいくつかのマジックアイテムを使用しながら森の中を駆けていった。
そのまま移動することしばし。
とっくに先ほどの靄の効果は切れているはずだが、魔獣が追ってくる気配はない。
追跡をまくことができたか、単に縄張りの外まで出たか。
動いてきた道のりを逆算すると、おそらく後者であろうと思われた。
「南の大魔獣……森の賢王の縄張りが広がっているのは想定外だったな。これは本国に報告する必要がありそうだ」
「森の賢王はめったに外に出てこないって話だったが……何か森に異常が起きたのかもしれないな」
「クレマンティーヌの足跡は間違いなくさっきまでの道を通っていた。森の賢王の領域を抜けたということか……?」
「腐っても"疾風走破"だということなのだろう」
上がった息を整えながら、森の賢王に追い立てられたことによって見失ってしまったクレマンティーヌの足跡を探すべく動き出す。
幸運なことに、そこから大して移動することなく、クレマンティーヌの痕跡――血痕を見つけることができた。
「奴の血だ。垂らしながら移動しているみたいだな」
「ここまで念入りに痕跡を消しながら移動してきた奴が血痕を残すか?」
「森の賢王の領域を抜けた先だ。奴も追われて手傷を負ったか、それどころではなくなっているんだろう」
点々と続く血痕を追い、森を東のほうへと進んでいく。
ここまでの出血量だけでは致命には至らないが、傷を塞いだような様子もない。
休みもせずに動き続けたような跡に少々疑問を覚えながらも、草木をかき分けて進んでいく道中、リーダーの男性がハンドサインで隠れるように指示を出した。
隊員たちがリーダーの示した方を見ると、そこには徒党を組んだ巨人たちの群れ――
列の先頭には、ひときわ大きな
「東の巨人か」
「間違いないな……森の賢王に並ぶ、難度一〇〇超えの化け物だ」
「なぜ北上しているんだ……?それもかなりの大群だ。まさか、こいつらも縄張りの拡大を……?」
「また本国に伝えるべきことが増えたな」
幸い、こちらに気づいたような様子はない。そのままやり過ごし、追跡を再開することにした。
そこから少し先、周囲の木々に抉れた様な傷跡の残る地点にて、これまでよりも少し多くの血が飛び散っているのが発見された。
血痕と同様に乾ききっているようだったが、予想される出血量はそれなりの量だ。死ぬほどのものではないが、かなりの負傷を負っているものと考えられる。
隊員たちは顔を見合わせると、そこからさらに続く足跡を追って足取りを進める。
そこまでは一人分であった足跡も、先ほどの地点からは大多数の……それも、おそらく人型モンスターのものと思われるものが多数、隠されもせずに残っていた。
大量の足跡を追うと、岩が積まれたようなゴツゴツとした丘にある巨大な洞窟へとたどり着いた。
入口には、見張りと思われる数体のモンスターが屯している。
隊員の一人がマジックアイテムを使って洞窟内の敵を調べると、その洞窟の規模に反して数えるほどのモンスターしか見当たらなかった。
恐らく、先ほどすれ違った大群の住処であり、今残っているのは少数の見張りだけなのだろう。
隊員たちは、影のように見張りのモンスターの背後に回り、合図とともに同時に斃した。
周囲にはほかに侵入を告げるような罠は設置されておらず、ここの住人の知能の低さ、もしくはここへ侵入するものなどいないという慢心がありありと感じ取れた。
洞窟内を探索していると、最奥にガラクタの積み上げられた部屋を見つけた。
血の付いた衣服やさびてボロボロになった鎧など、人間が身に着けていたと思われるものも多数見つかった。
「……おい、これ」
「
そんな中、隊員の一人が見つけたのは血のこびりついた
全面血まみれといってもよいぐらいであり、これを装備していた人間の悲惨な最期が思い浮かぶ。
……そして、その鎧が見つかった近くには、数本の魔化されたスティレットと、無造作に放り捨てられた――
「――叡者の額冠」
「……この鎧についている血もヤツのものです」
「……そうか。証拠品を回収して撤収する。急げ」
彼女のものと思わしき装備品を回収し、音もなくその場を去っていく。
残っていた見張りもすべて殺されたその洞窟には、もはや犠牲者たちの遺品しか残っていなかった。
洞窟を離れ、トブの大森林を抜け、比較的安全な街道沿いの陰を移動しながら風花聖典の一同はエ・ランテルへとたどり着いた。
そこで、すでにエ・ランテルに根を張っている協力者たちの下を訪れる。
彼らの協力を得て、早馬、伝令鳥、そして
――クレマンティーヌの死亡を確認。叡者の額冠は無事回収した。
ユグドラシルにおいて、対探知魔法は非常に重要であった。
かつての仲間、ギルドの諸葛孔明と呼ばれた人がこんなことを言っていた。
『戦闘は、始まる前に終わっている』
面と向かって戦い始める前に、いかに相手の弱点、装備、戦い方などの情報を集め、必勝の策を整えてから挑むか――
戦いとはそれに尽きるのだ、と。
その言葉をモモンガははっきりと覚えている。
実際、相手の情報をしっかりと得てから戦略を考えて戦うようになって、モモンガのPvP勝率はグンと上がった。
それゆえに、モモンガもまた、"情報"がいかに重要なものであるかを理解している。だからこそ、こう思うのだ。
「諜報専門の特殊部隊がこんな簡単に情報抜かれちゃダメだよなぁ」
彼はすべて見ていた。
ハムスケは出していた指示通りに彼らを追い立て、想定通りの場所まで動かしてくれた。
あとは、
適当なところで時間が来て消滅すれば血の痕で獣に食われたとでも思ってくれるかと想定していたが、どうやらそれよりも先に東の巨人たちに遭遇し、破壊されたようだ。ハンティングトロフィーか何かのつもりなのか、ご丁寧に持っていたクレマンティーヌの装備を持ち去るというおまけ付きで。
おかげで彼らは、クレマンティーヌが"森の賢王によって傷を負ったところを、東の巨人たちに捕食された"と綺麗に思い込んでくれた。
「穴だらけの作戦だったけど、思ったよりうまくいったな。……対探知魔法のために使った
正直、モモンガが想定する対探知魔法などはすべて第六位階以上の魔法だ。
この世界における常用レベルである第三位階以下の魔法において、情報探知に対する備えができる魔法はほとんどない。
そういった意味では、彼の言葉は少々高望みのし過ぎなのだが――。クレマンティーヌの言うところの、人類で最高水準の諜報部隊である、とのことであったので、攻性防壁の一つくらい使ってくるだろうと思っていたのだ。
まぁ、いいか。
うんうんと頷いたモモンガは、監視の魔法と家の周囲に張り巡らせた情報阻害の魔法を解いた。
探知阻害の魔法が消えたのを感じ、クリュードが部屋に入ってきた。
「モモンガさん、どうでした?」
「うまくいきましたよ。
「さすがですね。……じゃ、そろそろ行こう、サトル。
「そうだな、リュウ。行こうか」
いつの間にか骸骨と竜人は男性と少年に姿を変え、部屋の隅に置いてあった荷袋を担いで外へと出ていった。
村のはずれの小さな広場。
周囲に張り巡らされた防護柵によって村の外からは死角になったその場所で、少し周囲を気にしながらレティは立っていた。
近くには、ゴブリン達に習って弓の練習をしている村人達もいる。
レティは少々挙動不審のままその場にいたが、中央から荷物をもって歩いてくるサトルとリュウの二人を見つけると、小走りで近寄っていった。
「遅くなりましたー」
「遅いよー!顔も格好も変わってるから簡単にバレないことはわかってるけど、なるべく外に一人で居たくないんだから!言ったでしょ、
全身鎧を着たサトルの陰に隠れるようにもぐりこんで、少々くぐもった声で非難の声を上げる。
保護下に置かれたとは理解しつつも、すぐ近くに森のような隠れ潜む場所が広がっているため、彼女からしたら気が気でないのだろう。
ここ数日、思い切り野外で剣術や体術の稽古をしているので今更なのだが。
未だ少々怯えながら周囲を見回しているレティに、サトルは持っていた荷物を下ろしながらあっさりと言い切った。
「さっきハムスケから報告があって覗いてたんだけど。
死体はモンスターに食われてしまったようで蘇生も無理そうだな、などと付け加える。リュウはくつくつと笑いを堪えていた。
レティはその言葉を聞いてしばらくポカンとしていたが、やがてその意味を理解したのか表情を崩し、嬉しそうにサトルに抱きついた。
「わぁぁ――!サトルちゃんありがと―――!!」
「うわあぁぁ!」
サトルの顔を抱きかかえるように全身でギュウとまとわりつくレティと、顔を真っ赤にして慌てて引き離そうとするサトル。
どうやらこの数日で、サトルは色仕掛けに非常に弱いことがとっくにばれてしまっているようだ。
あまりに大慌てな反応を見せるサトルの様子に堪え切れなくなったリュウは、ついには噴き出して声を上げて笑っていた。
エンリを呼んだら面白そうだと思ったが、さすがに水を差しすぎだろうと思い、やめておいた。
\イディーカムニェー/
風花聖典の隊員名はSTALKER: Shadow of Chernobylの登場人物から拝借。
多分もう出ません。