結局王都編は半分くらいしかできていません。辛い。
エ・ランテルより届けられた書簡に記載されていた廃村は、もともと香料の原料になるハーブや薬草の類が産出される村であった。
この村で収穫された香草から作られる香水や香辛料などが一部の貴族に大いに受けた為、香水の愛好家や商人たちは村の人々へより大規模な香草栽培を推奨した。
買い手の多くが貴族なこともあり、香草栽培が非常に効率の良い外貨獲得の手段となる事に気づいた村人たちは、貴族たちの甘言に乗り、穀物を栽培していた畑の多くをつぶし、香草畑へと作り替えていった。
食料の供給は定期的に訪れる商人からの買い付けに頼るようになり、備蓄されている食料よりも持っている貨幣のほうが多いという異常な状態がしばらく続いていた。
金の生る木である香草畑を野盗やモンスターから守るため、潤沢な資金を使って護衛として冒険者を雇っていたこともあったようだ。
そんな折、魔獣たちの活性化と穀物への疫病の流行が同時に発生し、王都周辺が一時的に飢饉に襲われた。
飢饉の規模はそれほど大きなものではなかったため、周囲の都市では食品の値段が高騰したものの、普段から生産した食物を備蓄している村では餓死者はほとんど出なかった。
しかし、貨幣ばかりが蓄えられて食料が手元になかったこの村の住人たちはたちまち飢えに襲われてしまった。
飢饉が落ち着いたころに商人が村を訪れると、村全体が荒らされた様に荒廃しており、住人は誰一人残っていなかったという。
蓄えた金をもって逃げたのか、人々が弱った隙をつかれて野盗に皆殺しにされたのかはわからないが、結局この村は何体かの痩せこけた死体と荒れ放題になった香草畑を残すのみの廃村となってしまった。
もはや畑であった痕跡を見つけるのが難しいほどに草の生い茂った中をかき分け、七人の男女が進む。
放置された香草が野生化したのか、周囲はツンとする独特のにおいが充満しており、職業柄鼻のいいティアとティナは少々顔をしかめている。
「やっぱり人の気配はしない」
「動物の気配もほとんどしない」
「匂いがきついから野生動物はあまり近寄らないのかもね。モンスターもさっきの変異種の群れくらいなものだわ」
こちらもまた眉を寄せて鼻をつまんだラキュースが周囲の虫を払いながら近くの廃屋の戸をくぐった。
生活空間には埃が降り積もり、手入れのされていない土壁は根を伸ばした香草によってひび割れだらけになっている。多少の衝撃で崩れ落ちてしまいそうな危険な建物ばかりだ。
「人がいたような痕跡もないですし、やはり囮でしたかね」
「……ん?初めからここは期待薄だと思ってたのか?」
先ほど遭遇したモンスターを斬った際に派手に鎧にぶちまけられたキツい香りのする汁をぬぐい取りながらサトルがぽつりと漏らしたつぶやきに、ガガーランが反応した。
「拠点の場所を書いてあるにしては目立つところに書類が放置されていましたし、暗号の類も使われていませんでしたし……。単に捜査の人出を分散させて隠れる時間を稼ぐためのものかなとは思っていました」
「他に書類と呼べるようなものがなかったのも不自然だったしねー」
リュウは口直しならぬ鼻直しのためにまとわりついてくるティナを器用にかわしながら、その辺に生えている野生化した香草を眺めている。時々近くの香草を採取しようとしているようだが、不器用なのか根を残して引きちぎってしまったり葉をつぶしてしまったりで、手はすでに草の汁まみれだ。
手の匂いを嗅いで顔にしわを寄せているリュウを見て、ティナがよだれを垂らしている。
またティナがとびかかって惨事にならないよう、ラキュースはさりげなくティナのそばによって彼女を軽く拘束しておく。
せっかくここまでの道のりで警戒が解けた様なのに、また距離を置かれるのは少々困る。
よほどティナに襲いかけられたのが怖かったのだろうか、初対面の後の食事中も、その後の組合長との会合の間もずっと静かなままであった。廃村に出発する前にサトルと何かを話した後はコミュニケーションをとってくれるようになったが、どうにも距離を掴みかねているような印象を受ける。
道中、それとなくサトルに探りを入れてみたが、返ってきたのははっきりとしない答えだった。
『本人が言い出さない以上私から何かを言うつもりもありませんが、そうですね……。彼は前から貴女達の事を知っていまして。私も、彼から貴女達の事を聞いていたんですよ。この辺りに来た頃から時々話もしていたし、会いたがっていたので……。実際に会って、まぁいろいろ思うところがあったんじゃないでしょうか』
『言ってしまえば、思っていた通りではなかったので拗ねたんでしょう。というか、本人が自分で拗ねたって言っていましたよ。心配せずとも、すぐ元に戻ると思います』
彼らの出身がどこなのかははぐらかされてしまったが、王国戦士長と似た特徴の髪色と瞳から、南方の国の血が濃いように見える。スレイン法国よりも南の国との国交はあまり盛んではないが、自分たちはこれでも最上位の冒険者だ。冒険譚の一つや二つ、流浪の吟遊詩人が唄っていてもおかしくはない。
どこかで蒼の薔薇の武勇伝を聞いて、憧れを持っていてくれたのかもしれない。
その憧れを基に王国で冒険者になったのだとすれば、会って早々にイメージをぶち壊してしまったことにひどい罪悪感がこみ上げてくる。
拘束から逃れようとしている
「日も落ちそうだし、今日はこの村で一泊しましょう。無理して夜間移動する必要もないわ」
「村の中央広場の近くに、比較的まともな建屋が一つ残っていました。蒼の薔薇の皆さんはそちらを使ってください。私たちは見張りもかねて広場で野営をしますので」
「いえ、それでしたら我々も外に……」
「私たちは新参者で、後輩ですから。先輩を立てさせてください」
小屋の隅に作られた小さな暖炉の中で、パチパチと薪が小さく爆ぜる音が響いている。
今の季節であれば日が落ちても凍える様な寒さにはならないが、素肌を晒して眠るには少々肌寒い。
暖炉の火だけ絶やさぬように気を払いながら、就寝前のひと時を五人は思い思いに過ごしていた。
最低限のものを残して武装を解いている四人とは違い、イビルアイだけは普段と同じ格好のままで仮面越しにジッと窓の外を見つめている。
その視線の先では、人の生きる場所ではなくなった廃村の広場で、風に揺れる小さなたき火を囲んで談笑するサトルとリュウの二人。サトルは兜をつけていないが、それ以外の装備はそのままだ。もしかしたら今夜は二人とも寝ずに過ごすつもりなのかもしれない。
何を話しているのかまでは聞こえないが、二人の表情は明るく、とても楽しそうだ。
対照的に、イビルアイの纏う雰囲気は硬いままだ。
王都を出発して以降、二人に対して最初の様な刺々しい反応はしなくなったが、ずっと何かを考え込むように静かなままであった。
「……イビルアイ、どうしたの?」
一瞬だけ視線をこちらによこし、またすぐに窓の外へと戻す。
仮面の隙間から見える紅い瞳は、自分たちの知っているものよりも遠い何かを見るように揺らいでいた。
一瞬の静寂の中で、パチン、と薪が爆ぜる音が嫌に大きく聞こえる。
気づけば、他の三人も静かにイビルアイを見ていた。
視線に気づいたイビルアイは、小さいため息とともにマジックアイテムを起動する。
部屋の中が薄靄に包まれたような感覚と共に、いつものような内緒話の場が作られた。
「お、いいねぇ。秘密の女子会かぁ?」
「女子会といえばコイバナ。私はリュウ君を狙う。狙い撃つ。そして食べる」
「俺ぁサトルのほうだな!紳士的な態度っちゃそうだが、ありゃ多分童貞だ」
ガガーランたちが下世話な会話を始めるが、イビルアイは特に突っ込みを入れる様な様子もない。
何の横槍も入らないことに彼女たちも疑問を抱いたのか、首をかしげてイビルアイを見ている。
「……どうした、ちびさん」
「ん?ああ、いや。なんでもない」
「やっぱり、彼らについて何かあるのね」
「……最初は、エ・ランテルの事件の首謀者じゃないかと疑っていたんだ。奴らが偶然冒険者登録したタイミングで、偶然彼らが拠点にしている街で事件が起きて、そして偶然居合わせた彼らによって事件が無事解決される。あまりにも都合が良すぎると思ってな」
話を続けながらも、仮面越しの視線は外の二人に向けたままだ。
「偶然の一言で片づけるには少々無理があると思ってな。正直マッチポンプじゃないかと疑っていた。この道中で隠れているズーラーノーンの仲間と結託して私たちを消し、自分たちに対抗する戦力を減らしたうえで……街を救った英雄として組合の内部から国を獲りに来たのかもしれない、と。だが、正直……そこまでの器でもなさそうだ」
「器?」
イビルアイは、少しだけ考え事をするように顎に手をやる。
そのまま視線だけガガーランのほうを向き、真剣な声で問う。
「ガガーラン、サトルの戦いはお前から見てどう映った?」
「んあー、身体能力はアダマンタイト級といっても過言じゃないと思うぜ。技術のほうはなんといったらいいか……身体能力に見合っているかと言われると微妙なところだがな。まぁ伸びしろがあるってことだけどよ」
イビルアイは大きく頷いた。彼女自身も
「リュウの短剣を使った軽業や……ティナから逃れる動きは見事だった。だが、アイツに魔法の才能は無いに等しい。エ・ランテルで使ったという正体不明の魔法についても、何らかの攻撃系マジックアイテムを使ったのではないかと考えている。
フン、と鼻を鳴らして再度窓へと顔を向ける。
窓の外では、リュウが暢気に夜空を指差し、サトルに笑いかけながら何かを探しているようだった。
エ・ランテルでの華々しいデビュー戦を聞いて、ふと頭によぎった存在。
どこか浮世離れしていて、それでいて世界を変えるほどの力を持った
ズーラーノーンに八欲王寄りの存在が降臨し、世界を混乱に導こうとでもしたのか。
はたまた、善なる存在が降臨し、人類を窮地から救わんとしたのか。
(もしやと思ったが……違うな。"ぷれいやー"だったらそんな回りくどい方法を取らなくても簡単に実力を示せるし、"ぷれいやー"にしては実力がお粗末だ)
宵の明星の二人はとても強い。圧倒的な身体能力で敵を引き受ける前衛のサトルに、対応能力は未知数ながら様々な支援攻撃を行えるリュウ。
王国の最高戦力である朱の雫や、
だが、言ってしまえばその程度だ。彼らの強さは
"ぷれいやー"とその周囲の存在はもっとめちゃくちゃな存在ばかりなのだと、二五〇年の経験で身をもって痛感している。
六〇〇年前に降臨したという六大神は、その圧倒的な力で人類という種を滅亡から救った。
五〇〇年前に降臨した八欲王は、武力を元にあっという間に世界を征服し、多くの竜王を屠ったとされている。
初めは大した戦闘力を持たなかった十三英雄のリーダーも、震え上がるほどの才能と成長性を持ち、最後には魔神に比肩するだけの能力を得た。
あの遺跡で戦いを共にした竜人は、冒険者難度一六〇以上の巨人を一瞬で消し飛ばして見せた。
思えば、そろそろ百年毎の揺り返しの時期だ。
そのこともあって急に沸いた実力者の話に様々な疑いを持っていたが、少々過敏になりすぎていたようだ。
「うーん、でも確かに応用力に乏しそうなのは確かよね。旅をしてきたって言ってたけど……」
「……夕食の時、リュウは近くの森から猪を獲ってきたな。
「料理と言いながら暗黒物質を生成するのはある意味才能」
「便利なマジックアイテムを持っていて普段はそれを使っているのかもしれない。単に私達に見せたくないだけで」
「なぜそのアイテムを隠す必要があるんだ?国宝級の装備は堂々と身に着けて歩いているのに。本当に大丈夫なのか、あいつら」
ガシガシと頭をかいて、ハァと深いため息をついた。それと共に張りつめていた緊張の空気が弛緩する。
「ていうかよ、道中でリュウのほうは大分慣れたよな。最初はなんか暗かったけどよ」
「サトルさんが言ってたけど、拗ねてたらしいわよ。前から私達の事を知ってて会いたがってたらしいから……ティナのせいでイメージ壊しちゃったんじゃないの?」
「拗ねるリュウ君もかわいい。ぺろぺろしたい」
「お願いだから反省して頂戴……」
少しだけ騒がしい彼女たちの夜は更けていく。
イビルアイは夜通し広場の二人を監視し続けていたが、彼らの談笑が途切れることはなかった。
「ところで、リュウ」
「ん、何?」
「結局言わないのか?今の君を見て気づけってのは少々酷だと思うんだけど」
「いやまぁそうなんだけどね。ちょっと傷ついたのも事実だし、いつ気が付くか見てるのも面白そうかなって」
「気づいてもらえなかったからって拗ねてたくせに……。いいのか、それで」
「言ったら言ったでサトルのほうにも言及しないといけなくなるでしょ。まぁ、タイミング次第でね」
特に大きな波乱もなく、廃村の調査は終了した。
日も登り始め、周囲が明るくなったころにその廃村を後にした。
王都へと戻る道すがら、木陰から飛び出してきた
想像していなかった一撃に一同思わずぽかんとする中、妙な汗をかいたリュウがよくわからない弁解をする一幕もあったが、それ以外は取り立てて語るべきところもない、雑談交じりの暢気な道中となった。
冒険者組合に戻り、廃村の調査報告を終えた一行は、王都の大通りに面したオープンテラスのカフェで談笑しながら軽食をつまんでいた。
リュウはその店自慢のケーキが気に入ったらしく、一口サイズの様々な種類のケーキを嬉しそうにほおばっている。今にも飛びかかりそうなティナを抑えつけながら、やはりまだ幼い所があるのだなとラキュースは温かい目で見守っていたが、意外にも彼が一番気に入ったのは一緒に出てきた紅茶だったようだ。熱心に店員から茶葉の仕入れ先と淹れ方を聞き出していたので、行きつけの茶葉専門店を紹介してもいいかもしれない。
対してサトルは、あまり落ち着かない様子だった。というのも、明らかにパーソナルスペースを侵す位置にガガーランが陣取り、肩を組んで離さなかったためである。何度かやめるように注意したが、
「こんなのは単なるスキンシップだぜ!いつかのために俺で慣れとけって、なぁ?」
と謎の理論で封殺されてしまったので、もういつもの事だとあきらめた。あれだけの身体能力なら無理やりどこかに連れ込まれることもないだろう。
あの時のサトルが見せた出荷される仔牛のような目は忘れられない。
飲み物の器が乾き始めたころ、二人にエ・ランテルへ戻る予定を聞いてみると、特に急いで帰る必要もないので行きと同じようにタイミングの合う商隊を探すつもりらしかった。
特にガガーランとティナは、次回のエ・ランテル行きの商隊が出るまでの滞在期間中、サトル達に行動を共にしないかとしつこく絡んだが、用事があると言って断られてしまった。
「せっかくこっちのほうまで来たので、そのままリ・ロベルに足を延ばそうと思っているんです。漁港の街だと聞いているので、養殖技術があるか知りたくて」
「養殖?」
「少し前に知り合った方たちが魚の養殖に熱心でしてね。知識とかを提供できれば、友好的な関係を築けるかなと」
「あと単純に海が見てみたい!」
「それもあります」
そういって無邪気に笑った二人は、翌日の便でリ・ロベルへと旅立っていった。
帰りがけにもう一度王都で会うことを約束し、二人を見送った蒼の薔薇は、いつもの酒場へと戻っていった。
「で、リーダー。組合にはどう報告するんだ?」
「実力云々の話?戦闘能力は十分だし、人柄も問題ないと思うし……素質アリ、の報告でいいんじゃないかしら。みんなはどう?」
「ラキュースがそう判断するなら私は構わん。応用力がないとは言ったが、神官や野伏の仲間が入るだけでカバーできる部分でもあるしな」
「ボスに賛成。正直どっちでもいい」
「なら、この後報告に――」
「私は反対」
ス、と目を細めてラキュースの言葉をさえぎったのはティナだった。意外な人物からの反対意見にラキュースは目を丸くしたが、彼女の真剣な眼差しを見て向き直り、理由を話すように促す。
ティナの細めた目の奥がきらりと光り、大きく息を吸った後に、急流のようにその理由をまくしたて始めた。
「リュウ君がエ・ランテルのアダマンタイトになったら拠点から自由に動きにくくなる。会いに来てくれないし会いに行きにくい。それはダメ。むしろ蒼の薔薇に加入してもらうことを提案する。そうすればイビルアイのいう応用力は私がカバーでき――」
「じゃ、報告してくるわね」
残っていた果実水を飲み干し、静かに席を立って酒場を出る。
気持ちはわかる、と言わんばかりに頷いているガガーランを、ティアとイビルアイは呆れ切った様子で見ていた。