王城の一角では、王都に残った貴族たちを集めた復興についての会議が行われていた。
――いや、これを会議というのはおかしいかもしれない。
並ぶ席には、そこに座るべきものがもう居ない椅子もちらほらと見受けられる。
その上を飛び交うのは、王都復興へ向けての各所からの支援をはじめとした提案――ではなく、野次や罵声であった。
難敵を打倒した冒険者たちへの賛辞や感謝はなく、あるのはただ自分たちに及んだ被害に対する責任の追及。
衛兵の無能さ、不甲斐なさを説き、王へ責任を押し付ける。
騒動の際に私兵を固めて引きこもっていた彼らは今、もともと低い民からの求心力をさらに失っていた。
そんな会議の様子を、ラナーは冷め切った目で見ていた。
普段であればこのような会議に彼女が参加することはないが、国の窮状につき、時折目の覚める様な聡い提案をする愛娘の力を借りたいとの国王たっての願いであった。
隣を見れば、兄であるザナックが呆れと苦悩をまぜこぜにしたような妙な表情をしていたし、
玉座の傍に控えるガゼフ戦士長は、血が滴るのではないかと思ってしまうほどに強く拳を握りこみ、今にも殴りかかりそうな様子だ。
いっそ殴りかかってくれれば、こんな無為な時間は終わりを迎えて、無理を言って後ろに控えさせているクライム
元より現国王には求心力も国を立て直すだけの能力も……そして時間もない。
足を引っ張り合うだけの貴族連中も同様である。
この際両陣営の求心力を底の底まで落として、国民に暴動でも起こしてもらった方がいいかしら、と貼りつけた微笑みの内側で後ろ暗い計画を練り始めていると、突然ガゼフが何かに反応したように王の前へ飛び出し、大窓の外を睨みつけた。
ガゼフのその行動に対して貴族が目くじらを立てるよりも早く、大窓から差し込む陽の光を遮るように滲んだ影が部屋を包む。
バキ、ベチャ、グチャ。
何かがつぶれる音と、何かが滴る様な不快な水音が響く。
誰もがその音のした方をみて、絶句した。
貴族の護衛や騎士たちが控えていた近くの壁一面に、
その前に立つ、黒いローブで全身を覆い隠した小柄な人物。
フードの中の闇は光を逃がさず、ただただ白い球のような目が光るのみ。
『
身の毛のよだつ様な不快な音声が頭の中に響き渡る。
その声がこの人物から発せられたのだと理解する前に、ローブの中からずるずると音を立て、影をそのまま伸ばしたような触腕が伸びた。その拍子にめくれ上がったローブの中の小さな体は、無限にも思える触腕に支えられた冒涜的な姿。
その姿を見て正気を失ってしまった貴族の一人が、狂ったような金切り声を上げながら慌てて逃げようと走り出す。
涙と鼻水を振りまきながら大扉へと向かって走り出した哀れな被害者は、4歩目を踏み出す前に膨らんだ触腕に鷲掴みにされ、悲鳴を上げる前に握りつぶされた。
上半身を潰され、時折痙攣するただの肉塊になったそれを放り捨て、ローブを翻しながら嗤う。
『
狂宴が始まった。
その手には、ペテル達が言っていたであろう、黒く捩子くれた奇妙な杖が握られている。
念入りに探知妨害の魔法を使った骸骨と竜人が、見慣れぬ姿で大暴れするニニャを見つめていた。
「何だあれ……」
「"カルネテルの黒き使者"、かな?あれも
「正規の攻略法は?」
「モンスターとしては
そこまで一息に説明して、考えられる最悪のパターンを想定する。
「でも、なんで媒介になる杖がここに……?あれはイベントアイテムでも召喚できないモンスターだったはず。まさか本当にニャルラトテップが近くに居るのか?さすがに二人じゃどう頑張っても勝てないぞ……」
この世界に転移しているのがプレイヤーだけでないというのも、あり得ない話ではない。
事実、トブの大森林の北に存在していたあの魔樹はユグドラシルのレイドボスである可能性が非常に高い。
だが、そうだとするならば事態は大変深刻だ。ニャルラトテップは神格を持ったレイドボス。自分がギルドで攻略した際は六人パーティが三つの計十八人のアライアンスで挑んだし、それでも余裕というわけではなかった。
それも当然、役割分担ができた一〇〇レベルのプレイヤーたちによって、である。
間違っても今、自分達だけでどうにかできる相手ではない。
カルネ村を無理やり移動させることも含めて考慮に入れなければならないか、と考えを巡らせていると、非常に申し訳なさそうに翼と背中を丸めたクリュードが背をつついた。
「うん……いや、あのね、モモンガさん。あれね……もしかしたら、その……僕の杖かも」
「……はい?」
ゼンマイ仕掛けの人形の様に、白磁の頭蓋骨がキリキリと竜人のほうに向く。
カクンと落ちた顎以外に表情を読み取ることはできないが、眼窩の奥の光は
(何が起きるかわからないから
と責める様に明滅している。
「い、いや、違う、違うんです。手元のインベントリに入っていたアイテムではないんですよ」
「……というと?」
「ほら、ユグドラシル時代にお宝をため込むロールプレイのために小規模ダンジョンの制圧を手伝ってもらったでしょう?あのホームに保管していたはずなんです。有名なクトゥルフギルドのアイテムが流れているのを見つけて、フレーバーテキストまで凝ってたので買って置いといたんですよ。僕が買ったアイテムにはサイン代わりに爪で傷をつけてたんですけど、その……あの杖に、それっぽいのが見えたなぁって……」
ジロリ、とねめつける様に向けられた視線に耐えられなかったのか、一息で吐き出すように述べ、シュンと小さくうなだれた。
故意に決めごとを破ったわけではない以上、これ以上彼を責めるべきではない。……そもそも、エ・ランテルにおける騒動の遠因が自分にあると考えているモモンガは、不用意に責めたことを謝りつつ、困ったようにため息を吐いた。
「それにしても、単なる装備品のはずなのになんであんなことに」
「あのギルドの作るアイテムは、細かい造形からフレーバーテキストまですごく凝っていたんで……。詳細は覚えてないですけど、邪神と交信できるとか、邪神の力を借りられるみたいな文章はあったかもしれません。それがこの世界に来ちゃったもんだから……」
「設定が事実になったと」
「多分……」
モモンガは頭を抱えた。
"人として正しく生きる"などと決意して歩みだしたはずなのに、
――だが、この時彼が悔いたのは図らずもまた騒動の原因となってしまった事と、
それによって生じた無辜の民への被害や、目の前で繰り広げられる貴族の虐殺について大して気にかけていない。そして、そんな自分に気が付けない程度には、"モモンガ"の体は
「ニニャを救うには、本体にダメージを与えることなく杖だけを確実に破壊する必要がありますが……」
「あの杖のレア度は確か
モモンガは顎に手を添えて考える。
今の彼にとって一番重要なのは自分と、友人の身の安全。カルネ村の事を除けば、次いでニニャ達の身の安全が挙がる。
既にニニャはとんでもない大騒ぎの中心にいる。
そのような状況でニニャを救い出すための行動をとれば、間違いなくその姿は誰かに見られる。
スレイン法国や評議国といった未知数の存在が考えられる状況で、あまりとりたい手段ではなかった。
ならば、いっそ――
「……いっそ、ニニャが貴族を皆殺しにして周りに誰もいなくなるまで待つ、とか」
そのつぶやきに、モモンガはギョッとしたようにクリュードのほうを見た。
彼の顔から細かな表情を読み取ることはできない――が、少なくとも冗談で述べたようには見えなかったし、その選択肢に疑問を抱いている様子もなかった。
盤上ではそれが最適解だとモモンガも思った。
……だが、全て終わった後、"サトル"がどう思うかまで考えは及ばなかった。
彼らを後押ししたのは、元・被支配者級としての、横暴な支配者級への仄暗い気持ち。
やはり"モモンガ"と"クリュード"は、人間ではないのだ。
「……そうしましょう。外から戦力が増えないよう、扉と窓を魔法で封鎖します」
その言葉を最後に、二人とも何も言わなかった。
頭の中に浮かんだ、何かのために自分をも捨てられる、強い決意を持った本物の
惨劇の間の奥から――おそらく隠し通路があったのであろう――唐突に飛び出してきた見知った姿に、言葉を無くした。
時を少しさかのぼって。
冒険者組合内で復興作業の手助けをしていた蒼の薔薇の面々に、王城衛兵からの知らせ――絶望の狼煙が飛び込んできた。
王城内にモンスター出現。
宮廷会議の場に出現したそのモンスターは、瞬く間に護衛兵たちを殺害。
会議室内では王国戦士長が孤軍奮闘中の模様だが、王城内に大量に出現した
宮廷会議に参加していた国王陛下以下、第一・第二王子、第三王女、多数の貴族達が人質となってる模様。
組合の人間たちに、どよめきが広がっていく。
数日前の悪夢を終わらせた宵の明星は、今連絡が取れない。
人々に伝播したどよめきは次第に不安に変わり、そして恐怖へと変わっていく。
その悪循環を断ち切ったのは、組合の床に振り下ろされた星空の剣。
「戦える人は武器を持って。この国を守るのは、私達よ」
見目麗しき
王宮まで駆けつけると、既に到着していた冒険者たちが衛兵と協力して王城から街に散らばろうとしている
周囲には、ズタズタに引き裂かれて地に倒れ伏し、もはや手遅れであろう人々も見て取れる。
先着して戦っていた冒険者たちの多くは、数日前の戦いに参加した冒険者たちであった。質で不利な中、長い時間あふれ出ようとするモンスターの群れをせき止めることができたのは、数日前の戦いの経験と、衛兵たちとの連携、そして今がモンスターたちにとって向かい風となる日中であることが大きい。
ラキュースたちを含む高位の冒険者チームが参加したことによって、王城周辺の戦況は一気にこちらに傾いた。
瞬く間に城外に出てきていた
だが、城内には未だ多くの魔の気配がうごめき、時折絹を裂くような悲鳴が漏れ聞こえてきている。
立ち止まっている暇はない。
モンスターたちを抑えていた冒険者と衛兵たちに引き続き外に出た
城内は、かつての面影を残さない悲惨な状況となっていた。
丁寧に磨き上げられていた石柱は細かな亀裂と切り傷に晒され、飾られていた調度品の数々は破片の山と化している。倒れた燭台から燃え移ったのか、大窓のカーテンは焼け爛れた襤褸切れとなって散らばっていた。
足元は変色の始まった血と肉片で赤黒い絨毯の様になり、むせ返るような血と獣の不快なにおいが辺り一面に充満していた。
城内に点在している
かつては宮廷の自慢であった美しい中庭にたどりついた。
そこには柔らかな緑の匂いやおだやかな小鳥のさえずりは存在せず、死肉に群がる蟲と血の匂いで満ちていた。
ラキュースは思わず顔をしかめたが、すぐに気を取り直して中庭を見下ろす広い窓のある部屋を見る。今の位置からは部屋の中を伺うことはできないが、あの部屋が普段会議が行われる部屋だったはずだ。
(お願いラナー、無事でいて)
今もなお恐怖にとらわれているだろう友人の無事を祈り、思いを新たに駆けだそうとしたが、突如あたりを凍り付かせるような凍てつく気配を感じ、思わず足を止めて近くの陰に隠れた。
バシン、という何かをたたきつけるような音。
音の先を見ると、先ほどの広い窓に、大柄な男が一人――何かに内側から押し付けられている。
魔法で強化された分厚いガラスはミシミシと音を立て、歪みが広がっていく。
男は必死でもがいているようだったが、ついに窓は割れ、押し出されるように外へ飛び出した。
よくよく見れば、男は黒い触腕に腰を締め上げられていた。
割れた窓の破片や木枠で体中に切り傷ができ、血まみれとなってしまった男は、何度も殴られたのであろうか、もはや原型がわからないほどに腫れ上がった顔を血と涙と鼻水で濡らし、必死で命乞いをしているようだった。
「だ、
ズタズタになってしまっている外見からはもはや誰と判断できないが、その声と身に着けているものから判断するに、第一王子のバルブロのようだ。
「くそ、何とかあの腕切り落として救出を……」
「待て」
飛び出そうとしたガガーランをイビルアイが制止する。
割れた窓の奥から、ずるずると這いずる様にいくつもの触腕が伸び――。
本体と思われるローブの人物が顔をのぞかせた。
今も大柄なバルブロの体を包み込む様に締め上げている触腕の太さと本数に見合わぬ、小柄な人影。
フードの中は完全に闇が支配し、その顔をうかがい知ることはできない。触腕ではない両手が一本の杖を後生大事に握りしめたまま、ローブから影の様に伸びる触腕に支えられ、ブラリとつりさげられているような不格好な姿だった。
その闇に包まれた顔をバルブロに近づけ、首をかしげる様なしぐさを見せる。
表情のわからぬフードの中で、二つの白い光が嘲るようにぐにゃりと形を変えたように見えた。
『
『
『
『
「ひギッ……!!」
バルブロは絞り出すような悲鳴を上げた。
彼を締め上げる力は少しずつ増し、皮膚のあちこちが内出血を起こして青く染まっていく。
もう息も吸えないのだろうか、声にならない悲鳴だけがその場に響き渡る。
そのうち、ただ締め上げるだけだった触腕が少しずつバルブロの体をねじる様に回し始め――
ボタボタと中庭へ撒かれるさっきまで
あまりにも凄惨なその光景に、随伴していた兵士が狂気で悲鳴を上げそうになった。
隣にいたミスリル級の冒険者が、慌ててその兵士を気絶させる。
中庭に血をまいた本人は、ついた血を払い落し、こちらに一瞥もくれることなく部屋の中へと戻っていった。
窓からかすかに漏れ聞こえてきた悲鳴が、部屋の中にまだ無事な人間がいることを証明していた。
窓から完全に死角になる廊下へと場所を移す。
共にここまで来た他の冒険者や兵士たちは、先ほどの光景を見て完全に戦意を喪失してしまっているようだった。むしろ、その場で発狂して逃げ出さなかっただけ彼らは立派であったと言えよう。
それだけ、あれの放つ存在感は圧倒的であった。
今もラキュースの傍らで、羽織ったローブの裾を掴んで震えているイビルアイがそれを物語っている。
「だ、ダメだ。
小声で告げてきたイビルアイの声は、必死に何かをこらえているような声だった。
かつて一国を滅ぼしたと呼ばれる国落とし。かつて十三英雄が繰り広げたという魔神戦争を生き抜いた、難度一五〇を超える超級の存在である彼女が、ここまで断言しているのだ。勝率は低いのだろう。
ラキュースはリーダーとして、ついてきた兵士や冒険者たちに告げる。
「これより、班を分けます。まだ戦えるものは会議室の正面廊下を制圧、待機。我々蒼の薔薇が、隠し通路から部屋に侵入、敵の気を引きつつ人質を逃がします。みなさんは、部屋から出た人質を護衛しながら城を離れてください。戦えないと思ったものは引き返して本隊に合流、この作戦を伝えてください。あれだけの存在が相手です、誰も責めません」
その言葉を聞いて、全ての兵士と、ほとんどの冒険者たちが下がっていく。
残ったのは、オリハルコン級の冒険者チーム一つだけ。
「死んだら生き返らせてもらえんのかな」
震える声で、残ったチームのリーダーが聞いてくる。
「蘇生可能な状態であれば、必ず蘇生するわ。この名に誓って」
その言葉を聞いた彼は大きく深呼吸し、他のメンバーへと振り返る。
「お前ら、聞いたな。死んでも喰われたりするんじゃねぇぞ」
「そもそも死んでたまるかよ」
彼らの首元に輝くオリハルコンは伊達ではない。
死出へと向かう彼らの瞳は生きている。
彼らに王国への愛国心はない。だが、彼らをここまで育てたこの国の人々への恩義は持っている。
腕っぷしが強くなるほど自分中心に考えがちの冒険者の中では珍しい、"義"を持つチーム。
王都冒険者組合の中でもとりわけ依頼者にリピーターの多い彼らの人気の秘訣は、ここにあった。
「お前、いい男だな。終わったらどうだい、一晩」
「勘弁してくれ。そもそも俺は童貞じゃねぇぞ」
ガガーランの軽口を軽く笑って流しながら、彼らは正面廊下へ向けて走り出していく。
計八人からなるバランスの良い構成の彼らは、非常に堅実な戦いをする。
蒼の薔薇は、彼らを見送った後――ここより少し離れた場所にある、