”CALL” me,Bahamut   作:KC

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9) Call you, "Bahamut".

 

 

 

 

 

 

暗澹たる雲が空を闇で覆っている。

 

月明り一つ届かぬ中、灯された松明の光によってわずかに照らされる、みすぼらしい外壁に囲われた都市。

 

蒼の薔薇は、周囲の平野を見渡せる塔の屋上から、眼前に広がる絶望的な状況に打ちひしがれていた。

 

 

――ここは、リ・エスティーゼ王国の南東、カッツェ平野のさらに先。

 

遥か昔、七彩の竜王(ブライトネス・ドラゴンロード)によって建国され、かの竜王の血を引く女王、ドラウディロン・オーリウクルスの治める竜王国。その王都である。

 

蒼の薔薇の5人は、この竜王国において――

 

竜王国と()()、ビーストマンによって滅ぼされようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼女達がここ竜王国に来るに至った原因は、数週間前に王都冒険者組合に持ち込まれた調査依頼にある。

 

厚い雲が空を覆い隠したある日の夜、アゼルリシア山脈から身の毛もよだつ竜の雄叫びが響き渡ったのだ。

その竜は、アゼルリシア山脈から南東、カッツェ平野の方へと移動しながら、まるで自らの存在を主張するかのごとく雄叫びを続けたという。

 

声の主は厚い雲のさらに上空を飛んでいたらしく、雄叫びは聞こえどもその姿を見たという報告はなかったのだが、

王国南東部に位置する城塞都市エ・ランテル近郊で野営をしていた冒険者が、雲の切れ間から一瞬だけ、月夜を駆ける竜を目撃したのだという。

 

一瞬のことなうえに距離も遠かったため信憑性のある話とは言いづらいが、目撃したその冒険者によれば、見たこともないほど強大な竜であり、周囲に生息域があるという霜の竜(フロスト・ドラゴン)とは異なる体躯であったという。

 

その竜による直接的な被害は報告されなかったが、その雄叫びによって怯えた周囲のモンスターが大移動を始めたことにより、近隣の村落や街道沿いにそれまではほとんどなかったモンスターによる被害が多発することになった。

 

この竜はこの一夜以降姿を確認されていないが、想定される最悪の条件として、今回の下手人がアゼルシリア山脈において発生した霜の竜(フロスト・ドラゴン)の強力な個体もしくは亜種であり、縄張りをアゼルシリア山脈周囲へ広げるための行動を始めたのだとすれば、遠くない未来にモンスターだけでなくその竜そのものによる村や街への被害が懸念される。

 

事態を重く見た王国は、冒険者組合へ一連の竜に関する調査報告を依頼することとなった。

 

竜の雄叫びに関する調査依頼は王国の冒険者組合だけでなく、アゼルシリア山脈を挟んで王国と隣接しているバハルス帝国の組合からも合同で発令された。今回の竜の雄叫びは帝国側の街からも報告が上がっており、アゼルシリア山脈を国境としている以上帝国にとっても対岸の火事ではない。当然、帝国も国を挙げての調査隊が編成されたし、竜種への知見が深いものの協力を得るため――という建前で、冒険者組合への依頼も行われた。

 

 

王都にいる蒼の薔薇へと届けられた任務の内容は、南へと飛び去ったとされる竜の痕跡をたどり、可能であればこれを打倒する事。

 

目撃した冒険者の話が正確であるならば、かの竜はこれまでに確認されていない変種ということになる。推定されるその大きさから難度は間違いなく一〇〇を超えるだろう。

ただでさえ強力なドラゴンだ。偵察をするにしても、中途半端な戦力では情報を持ち帰ることすらままならない。

 

確実に情報を得るため、王国最高戦力の片割れである彼女たちに白羽の矢が立ったのだ。

 

 

依頼を受けた彼女たちは、エ・ランテルの冒険者組合で竜に関する詳細を聞いた後、一路カッツェ平野へと向かった。

カッツェ平野の中ほどにある、平野の監視のために建てられている要塞にて合流した帝国側の協力者からの情報によれば、竜の雄叫びが聞こえた夜に、砦から東の山間部にて一瞬大きな光が見えたとの証言を得ることができた。

 

より詳細な情報を得るため、帝国の冒険者と共に竜の痕跡を追うべく、竜王国へと足を踏み入れたのだ。

始めにたどり着いた小都市にて竜の痕跡についての調査を行ったが、具体的な情報を得ること叶わず立ち往生することとなる。

 

竜王国は、ビーストマンの国による進攻を受けているため、無為な野外調査には大きな危険を伴う。

同行していた帝国の冒険者チームに、一度ここまでの情報を組合まで持ち帰るように頼むと、竜王国の冒険者組合の情報を得るべく王都を目指した。

 

 

 

 

 

 

 

 

王都を目指して進む一行の目に、必死に走る少数の人々が映った。その後ろには、下卑た笑みを浮かべながら逃げ回る人々を追い回すビーストマンの群れ。

中には、先ほどまで交戦していたのであろうか――竜王国の紋章が入った肩当を身に着ける兵士の、血にまみれた体の一部を嬉々として齧りながら追う個体も見受けられた。

 

その光景を見た瞬間、怒りで体中の血が沸騰したような感覚に襲われた。

 

数は多いが、勝てない数じゃない。

 

冷静な判断を下し終わる前に、誰よりも早くガガーランがビーストマンめがけて馬を捨てて走り出す。

逃げる人々(エサ)に夢中で、こちらには目もくれていない。無防備なその頭に、思い切り戦鎚を突き立てたところから口火は切られた。

 

ビーストマンの群れは、十体程度の数であった。

とびぬけて強力な個体もいなかったため、大きな被害もなく殲滅を完了する。

 

追われていた人々は、縋るように口々に礼を述べた。近隣の砦が襲われた時の生き残りだったようだ。女性と子供ばかりであった。

生き残った人々は、王都へと避難しなければと移動を始めようとする。口には出さないが―― ついてきてほしい、と目が訴えていた。

 

人としての倫理観に従うのであれば、最後まで助けるべきだろう。

だがしかし、周囲にビーストマンの軍がいて、今の群れが斥候であった可能性も否定しきれない。

 

あまりにも危険すぎる。

 

深追いをせず一度ここで引き返すべきだと主張するイビルアイ。

 

助けた人々を王都まで送るべきだと主張するガガーラン。

 

最初の小都市に引き返そうにも、あまりにも王都に近づきすぎている。

小都市に引き返す道すがら襲撃がないとも限らないし、人々の体力がそこまで持つ保証もない。

 

結局、ここまでの行軍による自分たちの消耗や補給の都合も天秤にかけて、人々と共に王都へと向かったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

王都へと着いたとき、逃げ延びた人々と蒼の薔薇の面々は衛兵に温かく迎え入れられた。

 

この国では、ビーストマンの進攻を遅らせるために、ワザと犠牲になる為に配置された村落が少なからず存在している。

国として生き残るため。より多くの人を生かすため。そうは分かっていても、同じ国の人間が喰われるためだけにそこにいるという事実は彼らに重くのしかかる。もしかしたら、自分の親も。遠くに住む、親戚も。

 

どうか神様。せめて、生き残った人々だけでもその命を無駄に散らしませぬように。

 

門を守る若き衛兵は、やせ細ったその手を握り締めて心から祈りをささげる。

あまりにも悲痛なその光景に、蒼の薔薇は思わず目を背けそうになってしまった。

 

 

そんな一時の静寂を無慈悲に破る、乱雑に叩かれる鐘の音。

 

高見櫓から鳴らされるその音は、ビーストマン襲来を告げる悪夢の音色であった。

 

 

 

 

 

 

 

―*―

 

 

 

 

 

 

 

散発的なビーストマンの群れによる襲撃を退けること三回。

 

波状攻撃のように行われたビーストマンの襲来は、到着したばかりの蒼の薔薇と、冒険者組合に詰めていた竜王国のアダマンタイト級冒険者、クリスタル・ティアの活躍により、なんとか押し返すことができた。

 

だがしかし、いくら人類の最高戦力と称されるアダマンタイト級の彼らであっても、その体力は無尽蔵ではない。

連戦に次ぐ連戦、ただでさえ消耗の激しい乱戦が続くことにより、彼らの気力・体力は限界へと近づいていた。

 

 

敵の群れが引き上げていく。

ビーストマンにとって、竜王国を攻めるのは侵略のためではない。餌が群れている狩場に、今宵の食卓に並べる食材を取りに来ているだけなのだ。

狩りが終われば食事の時間だ。生かされたまま捕らえられた哀れな兵士達の悲鳴が、敵の陣内で響き渡っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アダマンタイト級冒険者、クリスタルティア、並びに蒼の薔薇の諸君。此度のビーストマンの進行阻止への多大なる貢献、誠に感謝する」

 

「陛下直々のお言葉、誠に光栄でございます。親愛なる女王陛下のためであれば、このセラブレイト。陛下の剣となり盾となり、日夜御身をお守りする事こそ喜びでございます!」

 

「……私たちにできることをしたまでです」

 

 

竜王国王城、謁見の間。

 

玉座の間に座る、その幼い体躯に似つかわしくない言葉遣いを必死で覚えたのだろう、どこかおぼつかない様子で話すドラウディロンから、感謝の言葉を受け取っていた。

セラブレイトの女王を見つめるギラギラとした目つきに軽く引きながらも、顔に出さないよう努めて答える。

気のせいか、女王も一瞬顔を歪めていたように思えるが、次の瞬間には元に戻っていた。

 

 

「……うむ、よきにはからえ。して、蒼の薔薇の諸君。リ・エスティーゼ王国の冒険者である貴君らがこの国に来ているのはただ事ではあるまい。何があった?」

 

「こちらの王都冒険者組合より、少し前にリ・エスティーゼ王国内で確認された竜種の足跡を追い、こちらにたどり着きました。カッツェ平野から南東に飛び去ったとの情報がありましたので、こちらの組合の情報を参照したく、参った次第です」

 

「竜種?」

 

 

小首をかしげ、宰相の方にちらりと目線をやる。

頷いた宰相が、女王に代わって話し始めた。

 

 

「該当の情報に関して調査いたしました所、リ・エスティーゼ王国の方で竜種が確認された夜、当時東の最前線であった砦に詰めていた兵士が竜の咆哮を聞いたとの報告があったようです。その翌日に砦が落とされていたため、情報が上手く伝わってこなかったようで……」

 

「……なるほど。その砦の位置がわかる地図はありますか?」

 

「こちらに。すでに戦線が下がってしまっているため確認に行くのは不可能かと」

 

「話の通りなら、かなり東のほうへ移動したようだな。姿を確認できないのは問題だが、縄張りの拡張というよりは大移動のように思えるな。その後確認されていないことからしても、リ・エスティーゼに戻ってくる可能性は低いと思う」

 

「そうね。流石にこれ以上追い続けるのは不可能でしょうし、一度戻って報告しておくべきでしょうけど……」

 

 

ちらり、と女王の顔をうかがう。

瞳に涙をため、期待に胸を膨らませるような表情をしてこちらを見ている女王だったが、話の流れを察したのか、がっかりしたように顔を伏せてしまった。

 

 

「……申し訳ありません、陛下。お力添えをしたいところなのですが……」

 

「……いや、よいのだ。お主たちはリ・エスティーゼ王国の冒険者。それもアインドラ殿は有力貴族の出と聞いておる。滅びゆく国と運命を共にする必要はあるまい」

 

 

悲しそうに呟いた女王を見て、とても大きな罪悪感に襲われる。その幼い容姿を利用した、とてもしたたかな()()にまんまとしてやられてしまっているラキュースであった。

 

 

「とはいえ、連日の強行軍であったのであろう。豪華絢爛な、とはいかぬのが申し訳ないが、客間を用意させるから少し休んでくれ。……タイミングの悪いことにな、前線の砦がここ数日で複数落とされている。もはやこの王都が最前線……この国の、最後の砦だ。適当なタイミングで出立されては、逆に危険だろう。休息を取ったのち、ビーストマン共の動きを見て一点突破するのがよかろう……」

 

「ご配慮、感謝いたします。仲間と共に一休みさせていただきます」

 

 

深く一礼し、謁見の間から退出する。

王城のメイドに案内された客間で、ガガーランがポツリと呟いた。

 

 

「……何とかならねぇのかよ?」

 

「無茶をいうな。数十体程度ならいざ知らず、相手は軍勢だ。これからずっとこの国で傭兵として過ごすか?」

 

「……わかってるけどよ」

 

「はっきり言ってもう手遅れだと思う」

「冷たい言い方だけど、自分たちの身が第一」

 

 

イビルアイ達の冷静な言葉に、二の句が継げない。ガガーラン自身もわかってはいるのだ。いくら一人で十体を相手にできるだけの個の力があったとしても、千の敵には飲み込まれるだろう。圧倒的な数というのは、それだけで力なのだ。仮に自分たちが戦力として竜王国に残ったとしても、できるのは十万の兵のうち百を打ち取ることだけ。大勢に変化はなく、竜王国はいずれ滅びの道を行くだろう。これだけの圧倒的な差を覆す力というのは、それこそ神の御業なのだ。

どうしようもない、どうしようもできない歯がゆさから、ガガーランは強く拳を握り締める。

 

 

「報告に戻るにしろ、安全なわけではないわ。最前線から安全の確保されていない街道を戻らなければならないわけだし……」

 

「そうだな。私に疲労はないが、お前たちはそうではないだろう。少し休め。どちらにせよこのままでは何もできん」

 

 

そういうと、イビルアイは足を組んで座り込み、そのまま目を閉じて魔力の回復を始めた。

 

ラキュース達も軽装に着替えると、久々の布団に潜り込み、休息を取った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―*―

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――夢を見ている。

 

 

――たった数時間だけだったが、生涯を振り返っても類をみないほど輝いている冒険の夢。

 

 

――竜の神を目指す青年と、絆を紡いだあの日の夢。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あの日、白い光に包まれた私達が次に目にしたのは、一面に広がる薄暗い森であった。

ハッと気が付いて周囲を見渡しても、先ほどまで攻略していた遺跡は影も形もなく、ただただ無造作に枝葉を伸ばした木々があるばかりであった。

 

仲間達も呆然としたまま立ち尽くしている。

 

ここはどこだ?

 

また全く関係のない場所へ転移させられてしまったのだろうか?

 

焦りティアとティナが周囲の様子を確認に走ると、自分たちがいる場所は間違いなく()()()()()()()()()()()だという事だけがわかった。

不自然なまでに綺麗に切り開かれた空間も、全ての草が切りそろえられた草原も、生き物の気配の感じられない泉も、歪み一つない造形の遺跡の入口も。昔からそこには森があったのだ、と言わんばかりに遺跡があったという痕跡一つ見つかることはなかった。

 

 

最後の戦いで受けたケガも、装備についていた傷も、減っているはずの魔力も。

 

まるで、すべてが白昼夢だったのだと言わんばかりに何一つ残ってはいなかった。

 

アイテム類は減っている。だが、それ以外は十全に戻っている。

ただの夢、幻だったのか?思えば不自然なことばかりであった。気味が悪いほど美しく整えられた遺跡の内装。国を滅ぼす怪物が跋扈し、その怪物をも滅ぼす力を持った存在がいる世界。死者は体すら残さず、文字通り消えていく。

 

ひどく動揺した。

 

最初の光は、不死者であるイビルアイすら巻き込む幻術か、記憶にすら干渉する術であったのか。

()は、幻術の中で自分達にとって都合のいい駒として生み出された妄想上の存在だったのか。

どこまでが正しい記憶か、どこまでが本当の自分がわからなくなるような猛烈な不安感に襲われ、思わず頭を抱えて蹲り――

 

気づかず握りしめていた何かに、ゴツンと頭をぶつけた。

 

そこには間違いなく、彼との絆の証。

 

結晶の中に閉じ込められた赤と緑の小さな炎がゆらゆらと揺れ、幻想的な美しさが、あの時のまま残っていた。

 

イビルアイが、<道具鑑定>の魔法をかける。

ほっとしたように息を吐き出し、私の目を見て優しく告げる。

 

 

――アイテムとしての効果は、私には全く読み取れなかった。だけどこれは間違いなく、アイツの作ったものだよ

 

 

確かめるように結晶を掲げて見せる。

仲間達も、揺蕩う炎を見つめている。

 

 

――帰りましょう

 

 

調査依頼の報告をするべく、5人は森を後にした。

 

 

報告をしようにも、すべてをそのまま告げるわけにもいかない。転移の罠があったこと、その先に強大な敵がいたこと、戦利品を回収する間もなく、再度転移の罠にかけられてしまったこと、戻ってきたら遺跡自体が消えてしまったこと――。

 

嘘のないように、それでいて重要なことは隠したまま、遺跡の消失と脅威の解消を報告した。

 

それを証明するための証拠品を提出することはできなかったが、アダマンタイト級としての信用と――

組合による追加調査により、該当の森の中から遺跡が影も形もなくなっていたことを受け、調査依頼は完了とされた。

 

 

 

 

あれから、一年弱の時が流れた。

 

 

 

冒険者として変わらず八面六臂の活躍を見せるラキュースの胸元には、なじみの鍛冶屋によって首から下げられるように細工を施してもらった、炎を閉じ込めた美しい結晶が輝いている。

 

それについて聞かれると彼女は決まって――お守りだ、と言って嬉しそうに笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―*―

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バタバタと外を走る慌ただしい足音を聞いて、ラキュースは目を覚ました。

 

夢と現の境が曖昧で、ぼんやりとした頭をパチリと頬を叩いて目を覚ます。懐かしい夢だった。今でもはっきり覚えている、懐かしいあの冒険の夢。首から下げたお守りを見て、柔らかく微笑む。

起き上がり周囲を見渡すと、当然ながら寝入る前と同じ、客人に割り当てるための寝室として最低限品位を損なわない程度の装飾の施された部屋。音に反応してか、仲間達もモゾモゾと体を起こしていた。

グッと大きく体を伸ばし、凝り固まった筋肉をほぐす。ここ数日、かなり負荷の高い連戦が続いていたこともあって数時間の仮眠では万全な状況とは言いづらい。

 

しかし、そうも言っていられない。

 

今、この国は滅亡の危機に瀕している。

 

現在自分がおかれた状況を冷静に考え、浮かんでしまった絶望的なビジョンを頭を振ってかき消す。

水で濡らした布で顔を拭き、嫌な考えとわずかに残る眠気を晴らしていると、遠慮がちなノックの音の後、静かに廊下へとつながる扉が開かれた。

開いたドアの隙間から覗いたのは、中心に大きな宝石のあしらわれた武骨な仮面。仮面から、聞きなれた仲間の声がする。

 

 

「起きてるか、お前たち。……起きてるみたいだな。女王陛下がお呼びだ。……動きがあったらしい」

 

「……わかった。すぐに行くわ、イビルアイ」

 

 

大きく息を吐き、気持ちを切り替える。仮眠用の軽装から、いつもの装備へ着替えて、イビルアイの待つ廊下へと出ていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「敵ビーストマンの軍勢、推定十万。王都をぐるりと取り囲むように進攻してきています。……既に、残っていた簡易砦も全て落とされました」

 

 

女王を始めとした竜王国の首脳陣と軍関係者。戦力としての中核を担う冒険者の代表としてクリスタルティア。そして休息もそこそこに作戦室に通された蒼の薔薇が聞かされたのは、もはや絶望しか見えない報告であった。

 

 

「未だ月が高く昇っているにもかかわらず、既に進行が始まっている模様です。……夜明けを待たず、獣の群れが王都に殺到するでしょう」

 

「……お先真っ暗だとは思っていたが、明日の朝日すら拝めんのか……」

 

 

「陛下。()()()の使用をご決断くださいますよう、何卒」

 

「あれを使って、空っぽの国を守って……何になるというのだ……」

 

「……失礼ですが、切り札とは?」

 

 

事情を知らない人達の疑問に宰相が口を開こうとするが、女王がそれを手で制し、いつもの無邪気な演技など影も形もない重い口調で述べる。

 

 

「私の生まれ持った異能(タレント)だよ。祖先たる竜王と同じ始原の魔法(ワイルド・マジック)が使える。……多くの民の魂をすり潰してな」

 

「……多くの、とは……」

 

 

「王都を囲む万を超える軍勢を蹴散らすほどの規模となれば……軽く見積もっても、百万の犠牲で足りるかどうか」

 

「ひゃッ…!?」

 

「何もせずに黙って喰われるか、喰われるくらいならばと火薬を抱えて飛び込むかの違いでしかない。いずれにせよ、この国は終わりだな……」

 

 

神にでも祈れば、助けてもらえるのだろうか。

 

そう呟いて、側近に促されて退出していく女王。切り札を行使する為の儀式の準備をするのだろう。

 

 

「蒼の薔薇の皆様も、陛下の切り札の使用後、獣の軍勢が混乱している隙に出立されるのが最も安全かと思います」

 

「分かり、ました……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

蒼の薔薇は、王城に隣接した兵士詰所のある塔の屋上から、状況の推移を見ることになった。

王城の方を見ると、儀式用の装いに着替えたドラウディロンが天守の前に広がるバルコニーに立ち、周囲の平原を埋め尽くす獣の群れを力のない瞳で見つめているのが見えた。

傍には宰相を始めとする側近のほか、護衛のためかセラブレイトの姿もある。女王の眼下、祭事には女王の言葉を聞くために民衆が集うであろう広場には、国のためにその魂をささげる百万の民。皆一様に、祈るように跪いている。

 

ふと、ビーストマンの軍勢を見たイビルアイがこぼす。

 

 

「推定十万との話だったが……倍はいるぞ。見事なくらいに全周を包囲されている。……足りるのか?」

 

 

女王の側近たちもその事実に気が付いたのであろうか、慌ただしく動き始める。女王の瞳には相変わらず力がなく、崩れ落ちるように膝をついて、祈るように手を合わせてうつむいてしまった。

ビーストマンの軍勢が迫る。最早一刻の猶予もないだろう。絶望を目の前に、ラキュースは()()()を握り締める。

 

 

 

 

――私を喚べる召喚石だ――

 

 

 

 

ふと、いつか聞いた声が頭に響いた。

フラッシュバックした声にハッとなる。握り締めた結晶を見つめると、いつもと変わらず小さな炎が揺らめいている。

思い立ったように、ゆっくりと結晶へ魔力を込め始める。魔力に呼応するように結晶の炎が大きくなる。しかし、それだけでは何も起こらない。

 

 

「おい、ラキュース?」

 

「リーダー?」

「それ……」

 

 

仲間達がこちらを見ている。

魔力を注ぎ込み続けながら、意を決したように結晶を天へ掲げる。

 

 

 

 

――召喚石に魔力を込めて使ってくれればいい――

 

 

 

 

あの日からずっとずっと考えていた。納得のいく呪文が思いつかず、ノートを何ページも埋めたものだ。ある日突然頭に()()()()()、召喚のための言葉。

 

 

 

 

――そうだな、竜の神を呼ぶにふさわしい、とびきりかっこいい呪文と一緒に頼むよ――

 

 

 

 

大きく息を吸って、声で魔力を空へ溶かす。

 

 

《夜闇の翼の竜よ》

 

 

――今はまだ、たどり着けていないけど……諦めないで、竜神を目指し続けるよ――

 

 

《怒れしば我と共に》

 

 

――だから、この先……君達の冒険の中でどうしようもない場面にぶち当たったら、私を――

 

 

《胸中に眠る星の火を》

 

 

――"バハムート"として、喚んでくれ――

 

 

《――バハムート!》

 

 

魔力と共に声が響き渡るとともに、掲げていた結晶の炎がひときわ大きく、ひときわ鮮やかに燃え上がり―― 砕けて、風に溶けていく。

ただ、それだけ。砕けた結晶は、何も引き起こさなかった。誰も、何にも気が付かない。

 

王城の遥か上空に生まれた小さな黒い穴も、そこから出てきた何かにも。

 

 

 

 

――<竜神転身>(トランス・バハムート)

 

 

 

 

 

 

 

ラキュースは、何もなくなったわずかに震える手をゆっくりと降ろす。顔は上げたまま空を見上げているが、その表情はよく見えない。

 

「……リーダー」

 

「……気を落とすな、ラキュース。もともと雲をつかむような――」

 

「――みて」

 

「え?」

 

 

声につられ、ラキュースの見ている先に視線を向ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

王城の遥か上空、空を覆う分厚く黒い雲の下に、青白く輝く球体。

目を凝らしてみると、もはや奥を見通せないほどの密度で魔法式の描かれた立体的な魔法陣だった。

魔法陣が折り重なるようにして、見る見るうちに球体が巨大になっていく。祈りを捧げていた女王達も、眼下の国民たちも、そして周囲のビーストマンもその異様な物体に気が付いたのか、皆足を止めて空を見る。

 

 

衆目を集めた青白く光る球体は、突然赤く脈動するように光ると――

 

 

まるで卵から孵るようにその球体を破壊し、鋼色に鈍く輝く鱗に包まれ、宵闇の如き漆黒の翼を持った巨大な竜が現れた。

 

 

現れた竜は、その身を世に知らしめるがごとく翼を振り広げ、その全容を露にする。

翼を広げた余波で王城の周囲の雲が吹き飛び、空に満月が現れる。竜は満月を背にし、破壊された球体の破片がキラキラと舞い散る中で、悠然とその場に漂っていた。

月に照らされて、王城をすっぽりと覆ってしまいそうな巨大な影が王都に落ちる。人も、獣も、皆時が止まったようにその姿を見つめる事しかできなかった。

 

竜は、周囲を見渡すように首を動かすと、空を裂き岩を割りそうな大きな咆哮を放った。

 

城壁をも揺らすその咆哮に、城内に籠っていた民も、すべてを諦めて下を向いていた者達も、皆顔を上げてその空を見上げた。

 

それと同時に困惑が広がる。眼前に広がる光景は絶望か、はたまた希望か。

王都内がどよめきに満たされ、騒ぎを鎮めるために兵たちが怒号を上げる。

 

 

 

竜が天に向けて口を開いた。息吹を恐れた人間たちが、脱力したように次々とその場に膝を付く。

次の瞬間、イビルアイが空間がゆがむような魔力の流れを感じるとともに、竜の口元に()()()()()が現れた。

 

 

気づけば、周囲の空気や大地に満ちる魔力が束ねられ、まるで光の帯のようになってあらゆる場所から太陽へと伸びていく。

集まる光の帯を受け、太陽は次第に規模を増していく。気が付けば、夜の闇に支配されていたはずの周囲は、夕焼けであるかのような赤黒い光に包まれていた。

 

 

竜の体ほどの大きさに成長したその太陽は、それでもなお光の帯を吸収し続け、膨大な熱と光を放ち続ける。

 

 

 

フッと光の帯が消え、太陽が成長を止める。魔力を込めるように竜の体が妖しく光り輝いた瞬間、太陽が炸裂した。

 

 

 

 

放射状に熱と光の嵐が広がると共に、流星のような光が尾を引いて周囲へまき散らされる。

目も開けていられない光と衝撃の中、まき散らされた流星は王都の周囲へ広がる獣の群れを焼き尽くしていく。恐怖と絶望に塗り固められた表情のまま、痛みや熱さを感じる間もなく、獣達の意識は闇へと溶けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

極大の閃光の後、ふと静寂が満ちた。

イビルアイが強く閉じていた目を開けると、眼前に広がるのは綺麗に王都を残して焼き尽くされた大地。岩盤がむき出しになり、所々まだ溶けた岩が熱を放ち続けている。見渡す限りの地平線。先ほどまで大地を埋め尽くしていた、十万とも二十万とも見えた獣の軍勢が、そこにいた痕跡一つ残さず無に帰していた。

大地の燃えカスが風で舞い上がり、荒涼とした大地にもはや生命が残っていないことを確信するに十分な光景だった。

 

ラキュースが空を見上げると、その場で揺蕩い続ける竜の姿。

 

竜は一度翼をはためかせると、満足したように大きな咆哮を上げた。

 

咆哮が止むと、竜の体が少しずつ蒼い光となってその場に溶けていく。ラキュース達が、次第に透けていく竜を呆然とした表情で見つめていると、ふとその竜と目が合った。

 

竜に表情があるのかどうかはわからないが、ラキュース達にはその竜が、いたずらっぽくニカリと笑ったように見えた。

 

竜は消えゆく体を震わせ、何かを見つけて目を見開いたかと思うと――

 

残った体が一気に蒼い光の粒へと変わり、王都にキラキラと降り注いだ。

 

いつの間にか竜王国を覆っていた分厚い雲は吹き飛ばされ、そこにはどこまでも続く夜空と、瞬く星々が輝いていた。

 

 

 

 

 

竜の体が光に変わったその瞬間、竜の首元から飛び出すように一陣の鋼色の風が空に舞っていったが、そこにいる者は誰も気が付かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―*―

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その手に主たる宝石が欠けたような首飾りを握り締め、竜の消えた空を見つめていた武装した少女。

彼女の呟いたかの竜の名前は、瞬く間に竜王国に知れわたった。

 

 

 

 

その後、竜王国では新たな神が祀られるようになる。

 

その国の心臓たる王都を、獣の牙から守った偉大なる竜。

 

 

祖たる竜王の再臨とも、女王の力による顕現とも言われたその竜は、王都に住む誰もがその降臨を目の当たりにしていたため、竜王国民は皆その神を信仰するようになった。

 

 

 

 

猛き竜の神、バハムート。

 

 

 

 

人々には希望の、ビーストマンには恐怖の象徴として、末永く語られ続けた。

 

 

 

 

 

 

 




お付き合いいただき、有り難うございました。

この後特別編を投稿して、"CALL" me, Bahamutはおしまいです。


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