――陽は沈み、暗闇が支配する世界。
鎮守府の一角で、海原と吹雪は報告書に目を通していた。
「……弱点は明確だな」
「はい。 圧倒的に艦載機の性能が足りていません」
大きく溜息をつき、海原は言う。
「大本営から新型艦載機の設計図、及び量産機を提供させてもらおう。 全てにおいて我々は負けている」
「了解しました。 まあ、司令官に頑張ってもらう他ありませんけどね」
「うるさい」
――陽は昇り、日光が照らす世界。
朝早く起きた飛龍は、先日の戦いで受けた傷の治療を受けている。
「痛い痛い! 雑にやりすぎだよ瑞鶴!」
悶絶する飛龍だが、指摘を受けた当の本人は全く意に介さない。
「こんくらいやらないと傷は直んないでしょうが……」
「ず、瑞鶴、人生で傷を負った回数は?」
「傷? えっと……」
考えながらも強く傷跡を押す瑞鶴。
「記憶上はない、かな?」
「えっ!? 走って転んだ時とかはないの!?」
「一応あるにはあるけど、運良く傷はなかったんだよね」
彼女のあまりにもな幸運ぶりに、もはや恐怖すら覚える飛龍。
しかしこれによって、何故こうも雑にやってるのか、理由が判明した。
「……学校時代に応急処置の勉強した? さすがにしたよね?」
「したよ。 でも先生が強く押し付けろって、教科書と真逆のこと言ってたわ」
「はぁ!?」
今度は予想外の返答に、怒りをあらわにする。
「その先生は今何してるの?」
「普通に横須賀勤務だよ……普通の先生だし」
世の中にはとんでもねぇやつもいるもんだなと、飛龍は心の中で思う。
やがて傷の痛みは、徐々にだが引いてきた。
「よし、そろそろいいかな……そうだ、蒼龍と加賀は?」
「蒼龍はもう風呂行った。 加賀さんは疲れが溜まっててまだ寝てる」
「そっか。 叢雲は?」
話が叢雲のことに及ぶと、一層険しい顔になる飛龍。
その表情だけで、状態はあまり良くないと察した。
「命に別状はないし、即引退に追い込まれる程の後遺症もないらしい。 ただ……」
「ただ……?」
「助骨が数本折れてるのと、軽度の記憶障害が見られる可能性がある……あと軽度の運動障害とか、そういう細かい後遺症は残るかもって言われてる」
「そう……でも、すぐ復活できるんだよね……?」
暗い顔で問う。
「程度によるけど、割と早く復帰できるとは言ってた。 軍医さんによると、むしろその状況下においてはその程度で済んだ、と考えてるらしいけど。 下手すれば即死だって有り得たって言ってたし」
「不幸中の幸い……と言うのかどうかは分からないけど……白雪は?」
「部屋から出てないから分からないけど、庇わられた時から昨日の夜までずっと暗かったし、責任感じて色々塞ぎ込んでるかもしれない」
飛龍の視線の先には、駆逐艦の寮――即ち白雪のことを指していた。
「それはまた厄介……って言っていいのかしら」
「深雪が面倒見るって言ってたし、時間はかかるかもしれないけど大丈夫だと思う。 白雪のこと一番知り尽くしてるあの子だし」
「私達もできるだけフォローしておこうか。 少しでも気を楽にさせたいし」
「うん……いつ次の作戦が発動するか、分かったもんじゃないし」
「……佐渡島奪還作戦……か」
そう、時は少しずつ、次なる争いに向かっていたのである。
――鎮守府の離れに位置する、新潟鎮守府病院。
艦娘の身体に関すること全てを司る、唯一の医療機関だ。
その規模はやはり極小であるが、数人の軍医によって日々せわしく運営されている。
そんな病院にある数少ないベッドの一つを、先の海戦にて大傷を負った少女が占拠する。
そしてその隣には、そんな彼女の姉――正確には”姉艦”が居座っている。
「――ん……えっと、ここは……」
病院着に身を包んだ叢雲が目を覚まし、体を起こす。
「あ……やっと、起きた……」
寝ぼけまなこをこすった彼女は、隣にいる初雪の存在を感じた。
「初雪……? なんで私は……」
「覚えてないの……? 日本海で空襲を受けて、叢雲は……」
眠っている記憶を呼び覚ますように、目を瞑って頭を搔く。
そして何かを思い出したのか、目を開けて初雪に言う。
「白雪庇って……そうだ、白雪は!?」
「損傷なし……ただ、今は部屋に篭ってる……」
「そっか。 怪我はなかったのね……」
少し安堵した叢雲は、鈍った体を治すべく伸びをするが――
「ぐあっ!? いてててて……」
「あっ……まだ痛むところあるから、あまり体動かさないでって、先生が……」
「それ先に言ってよ……」
叢雲本来のトゲがある声色に、初雪は俯いてしまう。
それを見るやいなや、慌ててフォローに入った。
「あぁ、ごめん……ちょっと言い過ぎた……」
「いや……別に……」
両者の間に気まずい雰囲気が流れる。
そんな空気を嫌ったか、叢雲はあることを訊く。
「怪我しなかったの? あの時。 凄い空襲だったと思うんだけど」
「えっと……傷はなかった、かな……?」
その言葉を受け取ると、分かりやすいように目を丸くし、開いた口が塞がらない状態となっていた。
「驚きすぎじゃ……」
「あんなの避けきるなんて人間技じゃないわよ……まさに爆弾の雨嵐じゃない」
叢雲の脳裏に昨日のことが思い浮かばれる。
空から降ってくる無数の爆弾。
その一つ一つが自らを殺し、破壊しつくし、そして海の底へ深く深く沈めさせる。
そんな悪魔が、これまで沢山の艦娘を――人を、殺してきた。
「私、影薄いし……敵も私を狙おうとは、してなかったから……」
「それにしても凄いなとは思うけど……他に無傷の人は? さすがにいな――」
「瑞鶴さん……何一つ傷はなかった……」
「――やっぱり天才ねあの人」
驚くことはせず、むしろ当たり前かのようにそのことを受け流す。
「確か、横須賀の……」
「ぶっちぎり……は不知火がいたからではなかったらしいけど、100年に1人の逸材とかなんとか言われてるって。 そんな人がこんなとこに来るってのも、まあおかしな話ではあるけど……」
「それを言うなら、不知火だって横須賀次席だけど……」
「そういえばそうよね……」
腕組みをする叢雲。
それほど、彼女にとってそのことは謎であった。
「……なんか、持ってきてほしいものって――」
「もし、誰かの介入がはいっていたら……」
話を遮って、叢雲は呟く。
それが気になる初雪は、言いかけていたことを止め、聞くことに集中する。
「誰かの陰謀だったら……」
「考えすぎ、だと思うけど……」
「じゃあなんであんな天才をこんな僻地に送り込むのよ。 普通に考えたら、横須賀で更なる英才教育をして、一流の艦娘に育てるはずでしょ? そのルートからいきなり外れるなんて、ありえないわ」
「……でも、誰が得を……」
「今一番得をしているのは――」
腕組みしながら考える。
そしてその答えに気づいた時、彼女は恐ろしい物を見たかのような顔をした。
「私達――最も得をしてるのは、他でもない私達――」
「……でも誰がそれを?」
「誰がやったか――瑞鶴さん達をこっちに持っていける程に能力があり、かつ自由に動けた人――」
頭の中で思い浮かんでは、すぐ消えてゆく。
特定の誰か、というのが決まらなかった。
「――分からん。 全然分からん」
「……そうだ、何か持ってきてほしいもの……」
「うん? あぁそういえば、喉が乾いたかな……」
「分かった」
そう言って、初雪は病室から出ていく。
それを見送った叢雲は、乾いた喉をさすりながら、思案を巡らした。
「誰がやれるか――か……」
その答えは見つかるのだろうか――いや、見つけなくてはいけないのかもしれない。
そう――彼女は思った。
――海戦から、二週間が経った朝。
瑞鶴らが奮闘し、敗れはしたものの確かに爪痕を残したあの戦いは――名を新潟沖航空戦と定められることとなった。
「提督さん、いきなりこんなとこに呼び出してどういうつもりなんだろ?」
「さぁ……」
新潟沖航空戦に参加した、四人の正規空母が集められたのは出撃の際立ち寄る波止場。
そこに艤装付きで来いと、海原に指示されたのだ。
「これから演習でもするんじゃ? はたまた他の鎮守府との合同演習ってのも……」
「その可能性は十分にあるけど……ねぇ、加賀はなんか言われた?」
ここに来るまでに、一言も発言しなかった加賀に聞く。
副司令長官なのだから、むしろ知ってて当然――そう思ったのだろうが、本当は違ったようだ。
「私も何一つ知らないわ。 それっぽいことも……」
「そっか……全く、何も言わずに呼び出すなんて馬鹿じゃないの……」
不満を漏らし続ける瑞鶴。
その気持ちは二航戦の二人も同じではあるが、瑞鶴とは違い心に留めたままにしている。
「ってか、なんで提督さん今いないの? 呼び出したのあちらさんでしょうが」
「確かにそれもそう――って瑞鶴! あれ!」
「ん? あれ――あれは――!?」
蒼龍に促されて渋々見上げた瑞鶴の目には、新型艦載機が、空を背に、悠々と飛んでいる情景が。
それも、新型は一種だけではなく――三種、確認できた。
「驚いてくれたか、皆」
突然聞こえた声に驚き、後ろを振り向くとそこには、彼女らを呼び出した二人がいた。
「新型艦上爆撃機、彗星、新型艦上攻撃機、天山。 そして、零戦二一型のエンジンを換装するなどのマイナーチェンジを施した、零戦五二型がこれから鎮守府に配備される。 横須賀や呉など、主要四鎮守府では既に実戦投入が行われており、その実力は証明済みだ。 量産体制も整いつつあり、次の作戦――佐渡島奪還作戦、通称”さ号作戦”の時には、ほとんどが更新済みになるだろう」
そう彼が言った後、その新しい艦載機群は急降下を始め――新たな母艦となる、彼女達に向かっていった。
「まさか、この為に艤装つけてこいって……」
「そういうこと」
ニヤリとする海原。
「そっか、これが私達の新たな仲間――」
波の音だけがある新潟で、響くエンジン音。
その機体は翠色に輝き、青く澄んだ空に彩を加えている。
「これがあれば、きっと――」
完全なる敗北を喫したあの戦いが甦る――が、あのようなことはもう、繰り返さない。
急降下し続ける機体をただ見つめ、瑞鶴は想ったのであった――