ハイスクールD×D 嫉妬の蛇   作:雑魚王

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洗濯機が故障した……だと!? しかもこの時期は新学期の教科書代も掛かるというのに……やばい、財布の中身がマジで零になる……。
一人暮らしだとこういうトラブルもあるんですね~。日頃からお金を貯めておくことの重要性が身に染みます。


8話 死者を抱く女と揺蕩う水銀の影

 魔女狩り。

 

 宗教が生んだ悲劇の中でも最高度の知名度を誇るそれ。『魔女』という名称から誤解されやすいが、多くの男性も犠牲となり、更に犠牲者の大半は魔術をまるで使えない一般人だったという悪夢のような話だ。

 魔女狩りにおいて、魔女か否かを判断する方法は酷く杜撰だったと言う。実際、一般人の多くが魔女の誹りを受けて非業の死を遂げたことからもそれは明らかだ。

 

 ならば、その逆の可能性はないだろうか?

 

 己が修めた魔術と知識を駆使して、魔女狩りを逃れた者の存在。魔術をまるで使えないのに魔女だと罵られながら死んだ者が数万人も出るような地獄においては、昨日の隣人が今日になれば自身を裏切るかもしれず誰一人として信用することが出来ない。拷問さえ行われることのあった尋問は、つまり捕まった時点で処刑台への旅路がほぼ整えられていることと同義である。

 故に、魔術を修めた者が生き残ろうと志すのならば、一国の王と同等以上の権力を持つこともあった教会の長や数多の民衆から逃げきらねばならない。個人の身でありながら、巨大な国を目を掻い潜り、その手から飛び出すことが出来た者がいるのであれば、それはまさしく『魔女』の名に相応しい怪物なのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 グラナの展開した魔方陣は直径にして十メートルを優に超える。まず目を奪われるのはその大きさであるが、驚愕すべきはそれに刻まれた紋様の種類と数だ。

 ルーン、陰陽術、黒魔術、白魔術……等々。古今東西の魔術様式を片っ端からぶち込まれた術式は、魔方陣というよりは幾何学的な紋様か暗号にしか見えないほどである。眩暈を起こしそうな程に混沌としていながらも、しかし術式としての形態を崩すことのない完成度は、むしろ芸術的とさえ言える。

 稀代の術者が一生を掛けて辿り着く集大成のような方陣は、その威容に相応しいだけの力を発揮する。

 

 それは――剣。魔方陣の大きさに比例するかのような長大な剣がズルリ、と姿を現した。バチバチ、と剣身には極大の雷光を纏い、その余波だけで玉座の間の壁面や床が砕け、融解していった。

 魔法陣から完全に出て、柄まで顕わとなった長剣の全長は実に十五メートル。余波だけで災害を思わせる代物ななのだから、その威力たるや筆舌に尽くし難い。そして、同様のことが速度に関しても言え、黄金の修羅が手を下ろしたことを合図に、雷光の剣は瞬く間に大気の壁を突き破ってギルバートへと迫る。

 

「ォォォオオオオオオオオオオオオッ!!」

 

 僅か数十メートルの間合いで放たれた、刹那のうちに数里を飛翔するだろう魔法を相手に、ギルバートが拳を合わせることが出来たのは奇跡に近い。

 剣と拳。双方の一撃がぶつかり合った瞬間に絶大な衝撃波が広がって、当事者らの髪と服を揺らめかす。巻き上がる風が暴乱の如く荒れ狂った。

 雷光の大剣と英傑の剛拳はともに絶大な威力を秘め、真正面からぶつかり合う。高まる戦意と緊張感が時間感覚を遅らせるが、実際に拮抗していた時間は僅か一瞬のこと。

 

「――――ッ!?」

 

 大気を焦がし空間を食い千切る極大の魔術は、容易にギルバートの体を呑み込み、そのまま突き進む。数々の魔術で保護された魔城の床も壁も吹き飛ばし、玉座の間の扉を吹き飛ばしても尚、その勢いは衰えることをまるで知らない。何度も続いた破砕音が止み、煙が晴れた時には、一切の障害物が消え、玉座の間から外の景色を覗くことが出来るようになっていた。

 

 旧魔王派の英傑は、修羅の覇気を浴びても命を失わず、戦意の火を灯し続けるに留まらず、修羅の一撃を真っ向から迎え撃った。さらには一瞬とは言え拮抗することが出来た。

 紛れもない偉業である。しかし、それが限界だ。

 外部から入り込む風によって煙が晴れ、再び姿を現したギルバートは変わり果て、右半身を完全に失っていた。残っていた左半身には裂傷と火傷が回り、元の造形を想像することさえ難しい有様だ。

 

「……残念ね」

 

 かつてはギルバート・アルケンシュタインの名で呼ばれたソレが、ソレになるまでの過程を見ていた"彼女"は溜息を溢す。

 ギルバートのことは異性として好きだったわけではないが、その人柄には好感が持てたし頼りになった。彼は誰かと絆を結ぶことを得意とし、彼の周りにはいつだって笑顔が満ち溢れ、"彼女"もその空間に居心地の良さを感じていた。

 

 だから、ギルバートが試練を突破することを望んでいた。本心から願っていた。

 

 けれど、ギルバートでは試練を突破することは出来ないと悟ってもいた。理性と本能から理解していた。

 

 二つの相反する思いの狭間で揺れ動き、葛藤し続けていた"彼女"はやはり己の業は変わらないと自嘲する。

 故郷のアイルランドでの魔女狩りから逃れて以来、数々の戦渦を振り撒き続け、国の力を削ぐことで魔女狩りから意識を逸らさせ逃げ延びた。

 百年戦争、ユグノー戦争、イタリア戦争、薔薇戦争……等々。"彼女"が裏で手段を問わずに暗躍し引き起こした悲劇は数知れず。犠牲者の数は軽く数百万を超えるだろう。

 "彼女"はただ生きたかっただけ。些細な願いを破壊せんとする敵が強大で巨大だったから、"彼女"も苛烈な手段を取る他なかったのだが、その事実を第三者が考慮することなどない。個人の事情や心情などといった小さく曖昧なものではなく、結果という明瞭な指標を持って判断したがるのが世間というものだ。

 

 表の世界で"彼女"の所業を知る者は皆無だが、裏の世界では全くの別。彼らはこぞって"彼女"を非難し、罵倒し、嫌悪する。

 曰く、死者を抱く女。

 "彼女"と関わった者は誰一人として生きてはいられない。使用人も兵士も国の王も教会の重役も、皆が皆死に絶える。彼女が通った後には轍が広がり、骸が散乱するばかり。屍山血河の果ての生者は"彼女"一人、故に"彼女"が話す相手は、遊ぶ相手は、抱きしめる相手は死者のみだ。

 生きるために他者を犠牲にし続ける業を、仕方ないと割り切ることが出来ればどれほど幸福だったろうか。幾百万の命を犠牲にしても生に縋りつく彼女は、その生きることへの執念故に誰よりも命の大切さを理解していた。尊い命を貪る己を醜いと蔑みながらも、決して死を受け入れることが出来ずに今日も業を重ね続けた結果が、原型を留めないほどに破壊されたギルバートの姿である。

 

(出会い方が違えば、ちゃんとした友人になれたのかもね)

 

 ギルバートに死への片道切符を渡した張本人であるにも関わらず、と己の思考を嫌悪し、即座に(かぶり)を振って断ち切った。"彼女"が腕に力を入れると、腕に嵌っていた光の枷がゴムのように伸び、そのまま外れる。足枷も掴んで引っ張るだけで同様に伸び、苦労もなく取り外すことが出来た。最後に口枷を取ってしまえば完全に自由の身だ。

 腕枷、足枷、口枷。三つの拘束具を用いても、これほど容易に抜けることが出来るのでは拘束の意味がない。その事実は、枷を嵌めた者には拘束する意図が無かったことを意味している。

 枷をの取り外しに続いて、眼鏡も取る。そも"彼女"は視力に問題があるわけではなく、掛けていた眼鏡も伊達である。夜会巻きにしていた髪を下ろし、肩の力を抜けば(・・・・・・・)、それだけで雰囲気は様変わりし、まるで別人のようだ。

 

「――御身の前に帰還致しました」

 

 衣類の乱れを整え、玉座の正面で膝を付ける。臣下の礼と敵意をの一切が宿らない態度から、かつて『レベッカ・アプライトムーン』と呼ばれた女の、本当の姿が見えてくる。

 国を騙し、教会を騙し、民衆を騙し続け、己が生きるために災禍を振り撒き続けた傍迷惑な女。かつての魔術を嗜んでいるだけだった頃とは違い、まさしく『魔女』だ。

 

「ああ、寿ごう。良く無事に戻ってくれた。今この時を以って、アマエルの執事長代理の任を解き、お前を執事長に復帰させようと思う……と、言いたいところだが」

 

 言葉を切ったグラナの視線が向かう先は"彼女"ではなかった。"彼女"さえも一瞬、己に何か不手際があり、黄金がそれを咎めようとしているのかと思ったのだが、彼の目は"彼女"を見ていない。

 グラナの視線は"彼女"の体から僅かに逸れて、その背後を見据えていた。

 

「どうした。言いたいことがあるのなら口を開いてもいいんだぜ――――ギルバート?」

 

 左半身を吹き飛ばされて生きていられるはずがない。人間は言わずもがなとして、人間より遥かに生命力の強い悪魔の中でも強壮な益荒男であろうとも、所詮は一人のヒトでしかなく、複数の臓器に大量の血液を失えば即死は確実だ。万か兆か京に一つの確率で即死を免れても、数秒と保たずに死ぬこととなる。

 事実として、"彼女"の見る限りにおいてギルバートは完全に死人だった。魔力の波動は感じられず、動く気配も微塵もない。幾多の戦場を渡り歩き、幾千の悲劇を撒き散らし、その総てを見て来た"彼女"の目は、ヒトの生死を見極めることについては一家言持ちである。

 たとえ、敬愛し、忠誠を捧げる、最強の男の言葉であっても容易に信じることは出来ないままに振り返ってみると、その思いを否定するかのように強い眼光に射抜かれた。

 

「あなた、……生きてたの?」

 

 "彼女"の問いに対する返答はなく、代わりにギルバートの視線は玉座に座る黄金へと向けられていた。もしや瀕死の状態で未だ戦うつもりなのか、と驚愕と警戒する"彼女"を余所に、視線の主とそれを向けられる二人の空気は戦いとは遠い穏やかなものだ。

 

「グラナさんよ、先にこいつと話させてもらうが構わねえな?」

 

 発された言葉の何と弱い事か。声帯が酷く傷ついているのか、かつての若々しかった声は鳴りを潜め、今では死ぬ間際の老人の如き声だ。弱弱しく、擦れていて、酷く聞き取りづらい。しかし、耳の奥にすっと入り込んで理解させるのは、声の主の意思が確固として残っているためだろう。

 

「もちろん。言いたいことがあるなら言え、そう言っただろう?」

 

 答える黄金の声には、戦意も殺意もなかった。覇気は変わらぬままに、その声音は心を安らげる涼風のようなものへと変調している。

 そこにあるものは敬意。原型を留めぬほどに傷つき、顔の判別すら困難となっても、ギルバートへの称賛の念を変わることなく抱いていた。

 故に、口出し手出しは無用だし無粋である。そう割り切って身を引く修羅の思考を、英傑もまた共有する。ギルバートの顔が歪み、グラナに対して謝意を表しているのだと"彼女"は察した。そして、英雄の意識の向けられる先が、黄金から"彼女"へと移る。

 

「なあ、レベッカよぉ。お前がスパイだったってことで、いいんだよな?」

 

 発さられる声も向けられる視線も、その総てがお前を許さない、と言われているようで"彼女"の心には暗雲が立ち込めた。ギルバートが非難するだけの理由を自身が持っていることを、誰に言われるまでもなく"彼女"は理解している。

 だから、罵倒を浴びせられても仕方ないと達観する。スパイとしての"彼女"の活動は黄金に貢献していたし、それは翻って旧魔王派に損害を与えていたとも言える。ギルバートを今のような瀕死の状態に追いやり、彼の戦友を亡き者とした要因の一端を担っていることに疑問の余地はなく、ギルバートには"彼女"を詰る権利がある。

 

「ええ、そうよ」

 

 "彼女"は目を閉じ、どんな言葉も受け入れる覚悟を決めた。しかし、その耳に届いたのは予想から些か外れたものだった。

 

「そう、か。なら、仕方ねえな」

 

 その言葉があまりにも理解の範疇から外れていたから、思考が凍結する。意味を噛み砕き、自身が聞き間違えたのではないのかと反芻し、"彼女"が問い直すまでには数秒も要した。

 

「仕方ないって、……それだけなの? 他に言うことがあるんじゃないの?」

 

 よくも騙してくれたな、とか。仲間の仇を取ってやる、とか。パッと考えただけでも、この場でギルバートが言うに相応しいセリフは他にいくつもある。

 けれど、当の英雄はそんなものに意味はないと否定する。

 

「ああ、そうさ。だって考えてもみろよ。旧魔王派は相手の策略を一切見破ることが出来ずに、その掌の上で踊り狂っていただけなんだぜ。仮にお前がスパイやってなかったとしても、どうせ他の手段で俺たちはコテンパンにやられていただろうさ」

 

 要は、旧魔王派の命運はグラナ・レヴィアタンと敵対した瞬間に決まっていたのだ。一人の女がスパイをしたことで、旧魔王派の終焉の時は近づいたのかもしれないが、所詮は速いか遅いか程度の違いしか生まれない。

 それは、俯瞰すれば些細なことと言って良い。だからと言って、全ての当事者が納得できるわけでも許容できるわけでもないだろう。しかし、そこはそれ。ギルバート・アルケンシュタインは旧魔王派の中でも変わり者の少数派であり、今もその立場を変えていなかった。

 

「なんか勘違いされてるみてーだが、俺は別にお優しい善人じゃない。義理だの何だので古巣に残ることを選択したが、散々こき下ろされるわ仕事押し付けられるわで旧魔王派のことを好けるわけねーだろ?

 ぶっちゃけた話、アルフォンスの野郎みたいな、たいして仲が良いわけでもねえ奴らが死んだって別に何とも思わねえ」

 

 一応訊いておきたいが、間に挟んでギルバートは続ける。

 

「殿を買って出た俺の部下たちは、……スパイじゃないよな?」

 

「ええ。だから既に死んでいるでしょうね」

 

 この城は魔王の目も届かぬ魔境にあることもあり、完全なる治外法権地帯だ。捕虜の取り扱いに関しては、人道も倫理も規則もまるで適用されず、目的のためには一切手段が選ばれることはない。爪剥ぎのような拷問ならばまだ可愛いもので、苛烈な時には捕虜の脳味噌がグズグズに蕩けるまで薬物を投与して情報を吐かせることもある。

 捕虜になれば地獄を見ることとなる。故に、この城で侵入者が享受できる唯一の救いとは『死』だ。仲間のために己が命を張って殿を務めるような益荒男には、敬意を表して唯一の救いを与えられていることだろう。それが黄金の修羅グラナ・レヴィアタンと彼の配下らのスタンスだ。

 

「きっと彼らは私を許さな――」

 

「許すだろうな」

 

 自己を卑下し嫌悪するかのような言葉を断ち切り、ギルバートは続きを紡ぐ。

 

「さっきも言ったろう? お前がスパイだろうがそうじゃなかろうが、どうせ俺たちはぶっ飛ばされてたって。真相を聞かされたら、あいつらきっと『してやられた』って笑うぜ。そして俺に、『女に騙されてご愁傷様です』とかってムカつく調子で言ってきやがるのさ」

 

 酒を飲みながら、下品なほどに大きな笑い声を上げて騒ぐ姿が目に浮かぶ。ギルバートはそう語り、"彼女"の心にするりと滲み込んでいく。

 殿となって散っていった者らと親交を持っていたのは"彼女"も同じ。故に、ギルバートが語る光景を思い描けてしまう。

 彼らは『気の良い馬鹿』たちだった。下らない冗談を交わしたり、上司のはずのギルバートの自宅に性悪な悪戯を仕掛けておくことさえ朝飯前。頭を突き合わせて喧嘩を始めたかと思えば、一時間後には爆笑しながら酒を酌み交わして仲直りしているような者たちだ。

 彼らと付き合いを持つことに不満などなかった。彼らと付き合うことに幸福を覚える自分がいたことを悟っている。

 だからこそ、彼らを陥れた自分に嫌悪を覚えて仕方がない。先に喧嘩を売ってきたのは旧魔王派だし、"彼女"がスパイをしていたのは主に命じられたからだが、そんなものは言い訳にはならない。してはいけない。

 どんな事情があったにせよ、彼らを陥れ死に追いやった事実は変わらないのだから。彼らの素晴らしさを知るが故に、"彼女"は己を責め苛む。

 

「気に病むな、なんて簡単に言えるわけねえが……あまり囚われるなよ。そんなことは誰も望んでねえ。俺もあいつらも、そしてお前の主サマもな。生きていくことが、生き残ったやつの果たすべき最大の義務なんだよ」

 

 "彼女"の葛藤を読み取った上でギルバートは言う。甘えるな、と。悲嘆も悔恨も呑み込んで歩を進めろと激励していた。

 

「なあ、レベッカよ。俺はお前と過ごせて良かったと今でも思う。楽しかったし幸せだった。お前やあのバカな部下共と過ごしたあの日常だけでも、生まれて生きた意味があるのだと誇ることが出来る。………お前はどうだ?」

 

 問われ、自分にそれを答える資格のあるのかと逡巡し、しかし答えない事はただの欺瞞であるのだと悟るまでに数秒を要し、"彼女"は己の本心を告げる。

 

「私も、私も楽しかった。あの場所はとても居心地が良くて、まるで夢のような日々だった。私が主と出会うよりも早く、あなた達と出会えていれば立ち位置が変わっていたはずだって何度も思う程に」

 

 もしギルバートと先に出会っていれば、悪魔でないから旧魔王派に属することはなくても、魔術師と悪魔の契約関係など何らかの繋がりを持っていたはずだ。その結果として、たとえグラナと敵対することとなり、殺されたとしてもきっと悔いを残すことは無い。そう確信出来てしまう程に、スパイとして旧魔王派に潜入し、ギルバートらと過ごした日々は輝かしいものだった。

 

 しかし現実には、"彼女"が先に出会ったのは黄金の修羅である。故に、ギルバートらと敵対することとなり、今もこうして彼を死の淵に立たせる手助けをしているのだ。

 "彼女"が先に出会ったのはグラナであり、だから"彼女"の居場所はグラナの下にある。グラナと敵対するということは即ち"彼女"の居場所を侵すということとほぼ同義であり、ならば主たる黄金からの命令がなくとも"彼女"は旧魔王派を潰すことに尽力していたに違いない。

 そのことを理解できない程にギルバートは愚鈍ではない。とっくの昔に敵対する運命を決定づけられていたのだと知っても、若き英傑は己の惚れた女の未来に幸あれと祈る。

 

「辛いことも悲しいこともある。けど、それと同じくらい嬉しいことも楽しいこともあるんだ。現在は過去の上にあるものだから、決して過去を切り離すことは出来ないが、囚われる必要はない。縛られるなよ。

 だって生きるってことは、前に進むってこと、なんだから。いつまでも……後ろに置いてきたものを、気にするな」

 

 限界だ。誰の目から見てもギルバートは限界だった。そも即死しないほうがおかしいほどの傷を負って、今まで話すことが出来ていたことが異常なのだ。

 だからこれは当然の結末。

 存在そのものが薄れていくように思わせるほどに、彼の全身から生命の息吹が抜け出ていく。

 

「あぁ、そうだ。最期に、名前、教えてくれるか? レベッカ・アプライトムーンは、偽名なんだろう?」

 

「アリス。アリス・キテラ。それが私の本当の名前。……冥途の土産くらいにはなったかしら?」

 

 "彼女"は、死者を抱く女と称される魔女は名乗った。真名を明ける、ひいては正体を明かす危険性について知っていても、今この場で名乗らない選択肢は存在しなかった。

 裏の世界では、『魔女』として有名な名を聞き、ギルバートは頷く。嫌悪も侮蔑も憤怒もなく、ただ単に、本当の名を知れて良かったと喜んでいた。

 

「ああ、最高の土産だ。悪魔は死んだら……魂が無になっちまうってのが残念だ。あいつらに、自慢してやりたいくらいだっ……て、のに」

 

 グラリ、とよろめく彼の体をアリスは受け止めた。全身に血がべっとりと付着し、抱きしめた感触はゴムのようにブヨブヨとしており、とてもではないが成熟した男の体とは思えない。

 しかし、アリスが今抱き締めている体は、間違いなくギルバート・アルケンシュタインのものなのだ。半身が吹き飛び、残った部位の全てが重度の火傷に侵されるような有様になってまで、己を死地に追いやったはずのアリスを激励していた。

 そのことに気付いてしまえば、最早我慢な出来るはずもない。必死になって押し殺そうとしても口からは嗚咽が漏れ出て、双眸からは涙が溢れ出す。

 

「執事長の位に復帰する前に弔ってやるといい。殿として残ったやつらの遺体も綺麗な状態で残してある。一緒に葬ってやれ」

 

「感謝、致します……っ」

 

 アリスは玉座から掛けられた声に、不敬であると理解していながらも、嗚咽混じりの聞き取りづらい声を返すことしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アリスも友誼を結んだ者たちとに別れの言葉を告げたいだろうし、ギルバートらのことを良く知りもしない己がいたところで無粋なだけだ。むしろ主たるグラナが居れば確実にアリスは気を遣ってしまい、満足のいく別れとすることは出来ないだろう。

 必要なものがあればアマエルに頼むようにと、それだけをアリスに告げて玉座の間から去り、現在は執務室で肩の荷が一つ下りたことを実感していた。

 

「これで一段落ってところか」

 

 グラナの周囲に人影はない。平時ならば使用人の一人や二人程度が付き従い補佐するのだが、今この時に限っては彼が部屋の中に入らないようにと厳命していた。

 しかし、それは部屋の中にいる者がグラナ一人ということを意味するわけではない。虚空へ語り掛けると、空間から滲み出る様にして老齢の悪魔が姿を現す。

 

「それなりに力を入れて姿を消していたつもりなのだが……一体何時から気付いておられた?」

 

 男の名はリゼヴィム・リヴァン・ルシファー。

 曰く道化。曰く影法師。正体を判然とさせない雰囲気と語り口から、同僚たちからも蛇蝎の如く忌み嫌われている。

 リゼヴィムを嫌う者らの気持ちは分かる。理解できるし納得もする。しかしどういうわけか、グラナはこの影法師を嫌いにはなれなかった。その理由は自身ですら分からず、考えても分からないのなら考える意味はない、と開き直ること幾年。何だかんだあって、そこそこに良好な関係を築いたというのが現在の状況である。

 

「お前が母親の子宮の中にいた頃からだ」

 

 隠れ潜んでいたことへの意趣返しとして、グラナは妙な言い回しを用いる。しかし、そのテのことに関しての年季の違いからか、リゼヴィムは一切動揺することがない。

 

「成程、成程。実に面白い答えですが、前座にあまり時間を取るわけにもいきますまい。端的に問いますが、此度の作戦、一体幾つの目的があったのか?」

 

 リゼヴィムは薄ら笑いを浮かべており、その真意がどこにあるのか、グラナの目を以ってしても見通せない。不気味さと同等かそれ以上に余裕を感じさせる態度からは、とっくに作戦の目的如何についても察しがついているように思えるが、ならばどうしてこのような問いをするのだという疑問が残る。

 言葉遣いも態度も、この男の全てが曖昧で輪郭を捉えることが出来ない。影のように、あるいは水面に浮かぶ木の葉のように、ゆらゆらゆらゆらと揺蕩うばかりで決してその正体を掴ませることがないのだ。

 とは言え、グラナとてリゼヴィムと知り合ってからすでに数年も経過しているので、その程度のことは些事と切り捨て無視することに何らの違和感を持たないほどに達観していた。

 

「一つ目の目的は、当然のことだがアリスを帰還させることだ」

 

 死者を抱く女アリス・キテラ。その名は『魔女』として最も有名と言っても良いほどの知名度を誇り、彼女はそれに見合う実力を有している。しかし、その知名度を得るに至った経緯が、裏で暗躍し幾つもの災禍を振り撒いたというものなので、悪い意味で有名ということだ。分かりやすい例を挙げるなら、裏の世界では多額の懸賞金を掛けられている。

 十年程前にアリスと出会い、行動を共にするようになっても表に出さなかった理由はそこにある。当時はグラナは子供だったし他の面子も似たようなもので、歴戦の魔女のアリスこそが一派の中での最大戦力を担っていた。しかし、彼女を実際に戦場に出せば、懸賞金やら武勲を目当てに敵の数が増えることは確実だ。家を脱走して以来、四面楚歌の状態が続いていたグラナにとって、そこから更に敵戦力が倍プッシュになるなんて冗談にもならなかった。

 しかし、数百年を生きる魔女を手元に置いたまま遊ばせておくのは戦略的に愚策。そこでグラナの打ち出した、アリスの起用方法が旧魔王派への潜入である。

 暗躍は戦闘に勝るアリスの特技であり、ある意味でそれこそが彼女に最適の仕事だ。現に、翼が無いのは過去の負傷によるものだとか、魔術を魔力に偽装して悪魔らの前で披露するなど、幾つもの小技で己の種族を悪魔だと信じ込ませて見せた。更に、伊達眼鏡というちょっとした小道具や、髪型の変化、そして雰囲気を意識的に変えることで『アリス・キテラ』と全くの別人だとも思いこませたのだ。

 一つ一つの技術は小手先と言って良いものだが、それで十年もの間、数多の悪魔の目を欺き続けたと言うのだから恐れ入る。

 

「旧魔王派の情報をパクるために潜入させたはいいものの、ぶっちゃけ帰還方法については潜入させた当初まるで考えてなかったんだ。つーか、考える余裕がなかった。

 で、最近になってあーだこーだと頭を捻って導き出した答えが、襲撃にかこつけるって手法だ」

 

 例えばの話、ある日突然、派閥の構成員が行方不明になれば騒ぎが起きる。上層部の者らは気にしないだろうが、身近な者らは行方を捜そうとするだろう。その過程で、『レベッカ・アプライトムーン』が『アリス・キテラ』であると判明してしまうかもしれない。

 アリスはもちろんのこと書類を始めとして偽装工作しているわけだが、自身が去った後、つまり一切己の手が届かなくなった状態で秘密を守り切れると断言するのは厳しいはずだ。アリス・キテラは幾つもの暗躍をこなしていうが、その大半は人間界におけるもの、つまり人間を対象としたものだ。魔術だの魔力だのを操る悪魔を相手に十年もスパイを行うのは、死者を抱く女にとっても初めての経験。そして、初めての挑戦で、一切の付け入る隙を与えることなく、任務を達成できると己惚れるほど、アリスと彼女の主は甘くなかった。

 

「大人数で敵地に攻め込み、その全員が帰還しなかった。そして、後日殺す対象だった男が公の場に姿を現せば、誰だってこう思う。暗殺は失敗し、返り討ちにされたんだってな」

 

「それに疑問を持つ者などいない。自陣営に潜り込んでいたスパイが本拠に帰還した可能性など脳裏に浮かぶことすらない。まして、自信家揃いの悪魔ならば、自身が敵の掌の上で踊らされていたとは思うまい。

 くくっ。実に、実に良い。相手の心理まで読み切り利用する手腕は芸術的ですらある。あぁ、どうか喝采させて頂きたい」

 

 言葉の上では称賛しながらも、しかし面白がっているようにしか聞こえない。内外の乖離が激しいというか、やはり掴み難い男である。その辺りが、この男の嫌われる所以なのだろうが、それを指摘されたところで微塵も改心する気がないだろうと確信出来てしまうくらいなのだから、リゼヴィムの偏屈ぶりは筋金入りだ。

 

「で、二つ目がツヴァイに関する情報を抹消すること。内側からアリスが情報を抜き出し、外からツヴァイが餌を放ってやることで旧魔王派の動きをコントロールしてきたが……ほら、旧魔王派の構成員が捕まった際に『ツヴァイ・ペイルドークは俺たちのスパイだ』とか言い出したら面倒だろう? そんな事態が起きる可能性を無くすために、ツヴァイと接触していたアルフォンス・フールと、やつがツヴァイのことを話した恐れのある、周囲の雑魚をぶっ殺す必要があったわけだ」

 

 無論、旧魔王派の内部には『ツヴァイ・ペイルドークはスパイである』と記した書類があるだろう。本当はツヴァイはグラナの側に付いたままであり二重スパイをしていたから、その書類は間違いなのだが、そうした書類の存在そのものが問題だ。

 それが明るみになれば現政府からも追及されるだろう。かと言ってツヴァイが二重スパイだったことを告白すれば、『なぜ旧魔王派の情報を入手できる立場にあったのに、その情報を政府に知らせなかったのか』と叱責された挙句、牢にぶち込まれる可能性すらある。

 

 そこで登場するのが、暗殺と扇動と諜報と、その他諸々の暗躍を得意とするアリスだ。スパイとして十年も潜入している彼女ならば重要書類の保管場所にあたり(・・・)をつけることも、そして書類を改竄することも可能だった。

 旧魔王派の計画した『グラナの首を取る作戦』にアリスが参加したのは、それらの裏工作を施した後だ。

 

「つまりは口封じ。念には念を入れた裏工作に、『情報を持っているかもしれない』というだけで殺害対象に含める情け容赦のない仕打ち。徹底していますな」

 

「徹底するのは当たり前だろ。何かをやろうと思ったら、目指すべき場所は百点満点なんだから。俺でなくても、あれこれとやったはずさ。ほら、よくあるだろう? マフィアとかが口封じのために殺人をするなんてことが。それと同じ程度の話だ。

 で、三つ目が間引きだ。ぶっちゃけ旧魔王派は増えすぎた」

 

 『赤信号、みんなで渡れば怖くない』。その言葉は、集団行動を尊ぶヒトの本質を良く突いている。一人では踏ん切りがつかなくても、徒党を組んだ途端に大胆な行動を取れるようになるという者は非常に多い。ヒトは集団を形成することで、良く言えば勇敢、悪く言えば単純・短慮になるということだ。その傾向は集団の規模が大きくなるにつれて、より顕著なものとなるのが通例だ。

 これまでは上手く旧魔王派の行動を誘導することが出来ていたが、彼らが禍の団に入ったことで、その一派閥に過ぎない者たちをコントロールする旨味が減ったし難易度が高くなった。しかも、当の旧魔王派は龍神の力に与れるということで馬鹿に拍車がかかり、行動の予測が難しくなる始末。

 馬鹿に出来ることなど高が知れているし、万が一にも計画の生涯にはなり得ないと確信している。が、鬱陶しいこともまた事実。バタフライエフェクトという考えに則れば、旧魔王派が障害となることはなくても、その愚行が巡り巡って障害となる可能性は否定しきれない。

 故に、旧魔王派の腕利き数百名を殺すことを決断したのだ。グラナはこれまでの悪評と戦績から、己を殺そうとすればそれなりの数と質を投入してくるだろうことを確信していた。あとはそれを返り討ちにすればいい。戦力的に大きな損失を受ければ如何に馬鹿であっても頭が冷えるだろうし、大きく戦力が低下すれば出来ることの範囲も狭まるという寸法だ。

 

「増えすぎたから殺す、か。至極単純かつ明快な理屈だが、その思考はあの者らを見下したものだと理解しておられるのか。我もヒト、彼もヒト、故対等。それがあなたの信条ではなかったか?」

 

「その考えは今でも変わらねえよ。けど、下種だの人畜だのを、愛すべき配下と同列に扱うのは配下への侮辱に等しいだろう? 俺もあんな糞どもと同類扱いされたくないしな」

 

 ごく一部の例外を除いて、旧魔王派にはまるで見所がなかった。旧魔王の血を引いていると、たったそれだけの理由で天に向かって鼻を伸ばす天狗ども。一人で勝手に酔って自賛するのならまだしも、彼らは性質(タチ)が悪いことに周囲を巻き込むのだ。

 配下に己を崇めさせる。己は素晴らしいのだからと弱者を踏み躙り、搾取し、争乱を巻き起こす。己の勝利を疑わないが故にどんな戦場にも飛び込む。そして最後の瞬間まで、殺せ、犯せ、誇れと謳い続けるのだ。

 吐き気を催す邪悪とは正にこのこと。見ているだけで目が腐り、声を聞くだけで耳が膿む。理解など出来ないし、したくもない。腐臭を垂れ流し続ける、白痴の下種に生きる価値などあるまい。

 

「四つ目が捕虜の確保だ。アリスのことを信用してないわけじゃあないが、ほら、一人だとやれることにも限度ってもんがあるだろう? 計画の進行に伴なって動きが大きくなる前に、旧魔王派の構成員を確保してアリスが取得できなかった分の情報を補完しておきたかったのさ」

 

 言葉の通りにグラナはアリスを信用しているし信頼している。その源には、彼女がこれまでに幾つもの情報を流してきた実績があり、そこから考えると、アリスが重大な情報を見逃している可能性は非常に低い。そのため、四つ目の目的はついで(・・・)のようなものだ。

 三つ目までと比べると驚く要素が皆無の、ありふれた目的だったためか、リゼヴィムも何か言う気配がない。軽く首肯し先を促すだけだった。

 

「で、五つ目の目的が訓練だ。戦闘員なら迎撃、非戦闘員は避難って具合で、現状のマニュアルが通用するか否か、通用しなかった場合の改善点はどこか。そういったことを確かめるための工程だな」

 

 配下はグラナ当人が見初めた者らだが、その全てが戦闘力に長けているわけではない。世紀末に住む蛮族ではあるまいに、腕力だけで他者を評価するなど馬鹿げている。

 配下の中には最上級悪魔を超える強さを持つ者もいれば、回復などの支援に特化した者、あるいは何らの特殊な力を有さない者だっている。抱えた事情や力の方向性・有無に関わらず、彼女らは皆、己の配下なのだ。ならば守らなければならない。戦闘員には戦う術と武具を与え、非戦闘員には安全な避難場所を用意する、それが主たる者の務めだろう。

 

「有事の対応には日頃の訓練が物を言う。千里の道も一歩より。万が一の事態を防ぐ手段は、地道に努力を積み上げるほかねえ」

 

「旧魔王派の襲撃を有事ではないと断言しますか。くく、ははは! 彼らが聞けばさぞや悔しがるに違いない」

 

 

 

 

 

 

 





名前:アリス・キテラ
性別:女
年齢:数百歳
役職:執事長
属性:善
称号:死者を抱く女、傾国の悪女、疫病神

 史実においては、1324年に魔女として訴えられ火刑に処されかけるも、間一髪のところで故郷から脱し、イングランドに逃亡した女とされている。
 元々は魔術を嗜むだけの女であり、ヒトを陥れるような悪性を宿しておらず、だからこそ『魔女』の烙印を押され、悪人として処刑されることに納得できなかった。当時の風潮から敵は強大であったため、彼女も手段を選ぶ余裕がなく、諜報、密告、暗殺、扇動など暗躍のオンパレードで対抗し、幾たびの戦乱を始めとして世界を混乱のどん底に叩き落すことで『魔女』から人々の意識を逸らし魔女狩りの力を弱めることに成功する。
 結果として、己の命を繋ぐことは出来たものの、犠牲となった者は数知れず、彼女が通った後の轍には屍しか残らなかった。それを指して、死者を抱く女。かつての『魔術を嗜んでいただけの女』はどこかへと消え、そこに居るのは人々を騙す真性の邪悪たる『魔女』だった。
 『魔女』を狩ろうとして、真の『魔女』を生み出すこととなったのだから実に皮肉が利いている。
 尚、それしか手段が無いから幾多の悲劇を起こしているが、その度に胸を痛めている。自分が起こしておいて都合が良いと余人は言うのだろうが、善悪の狭間で揺れ動く姿は実に人間らしい。精神的なムラこそあるものの、ここぞという時の爆発力の凄まじさは、こうして彼女が生存している事実が証明している。



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