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縁側にまで届いてきた桜の花びらを腰を屈めてつまみながら、審神者はそこに座り込んだ。多少足を崩していたが、誰もそれを咎めるものはいない。
きっと美しい庭なのだろう、彼は目の前に広がる和風庭園を眺めながらそう思った。審神者は庭園芸術については全くの無知だったが、至る所に細工が施され、不自然に自然を表現しようとしているそれは、少なくとも手付かずの庭とは比べ物にならない。
大体、政府の息がかかっているのだから美しいに決まっている、と彼はため息を付いた。たとえどんなにこの庭を荒らそうとも、政府関係者がスイッチ一つ押してしまえば、また元通りになってしまうのだろう。政府からの伝令役であるこんのすけは如何にもそれが素晴らしいことであるように言っていたが、結局それは、彼自身が政府の大きな虫かごの中で監視されているということと同じではないかと思っていたのだ。
審神者の精神を安定させるために、四季折々の庭を用意しているとの話だったが、単純に四つの季節を用意するにしても随分な費用になっているのだろうなと彼は思った、そのうちの何割が、関係者の懐に消えたのだろうか、と彼は笑う。元々彼は審神者になる前から政府に対して絶対的な服従をしているというタイプの人間ではなかったのだ。最も、だからといって反政府的かと言えばそうでもなく、多少捻くれてものを考えることができる人間なら誰でもその程度の不信感は抱いているだろう、と言う程度のものだった。
そもそもこの計画には、訳の分からないことが多すぎる。もちろんタイムワープで過去を改変すること自体の罪の重さは理解ができる、その程度のサイエンス・フィクションの世界観は、ありとあらゆる媒体で創作され尽くしてきたことだし、タイムワープの技術が確立される随分と前から議論されてきたことであった。
だが、この国のトップクラスの知識層が頭と頭を突き合わせて出した結論が『歴史に残る名刀とその付喪神を過去にタイムワープさせて、歴史主義者の率いる時間遡行軍と戦わせる』とは、些かオカルトがすぎるだろうと彼は感じていた、最も彼自身、物質に付喪神を下ろすことができるオカルトの極地のような能力を持ち合わせていたわけであるが、まさか歴史修正に対する切り札として自分達のような能力を持った人間が登用されるとは夢にも思っていなかった。
しかもやれと言われてやってみると、これがまた上手く刀剣に付喪神が宿るのだから不思議なものだ。それが一般社会に公表されているわけではないが、少なくとも政府の中では自分達の能力はオカルトいう枠組みではないのだろう。
そりゃあ今のところ生活に不満はないけどさあ、と審神者が縁側に身を投げだしたその時、トットット、と廊下を小刻みに駆ける足音が聞こえてきた。今この本丸にいるのは自分と近侍の平野藤四郎しかいない、短剣の付喪神らしく姿形は子供だが、自分なんかよりもよっぽど気品も生活力もある、一番最初に政府に提供された歌仙兼定と合わせて、この本丸の生活様式を整えた刀剣達の一人だった。
無論、平野藤四郎は無粋に廊下を駆けるような付喪神ではない、これはきっと何か重大なことの前触れなのだと思った。まさか任務を任せていた刀が折れたということないだろう。以前歌仙兼定が負った傷を見て泡を吹いて倒れて以来、刀剣達の様体には行き過ぎと言ってもいいほど気を使っている、生活を切り詰めて導入したお守りシステムもあることだし、それはないと信じたい。だが万が一ということもある、極力そのような最悪の状態を頭のなかから消しながら、ヤだなあと足音のする方向から顔を背けた。
「主君」
平野藤四郎が、審神者の顔を覗き込む。切りそろえられた前髪が垂れ、ずり落ちそうになる帽子を右手が支えていた。
彼はその表情に満面の笑みをたたえていた、もちろんそれは秋田藤四郎がするような無邪気で天真爛漫なものではなかったが、平野のその表情が彼が審神者と向き合ったときにする最大限の笑みであることはよく知っていた。
ああ、良かった、どうやら悪い知らせではなさそうだな、と審神者は体を起こし、平野藤四郎の次の言葉を待った。
鶴丸国永が顕現したと聞いて、審神者は随分と驚いた。任務遂行に慎重に慎重を重ねるその姿勢は、必然的に任務達成の数の減少を招き、彼の本丸は資源の枯渇に悩んでいた、未だに歌仙兼定と何人ばかりの短刀、大脇差のにっかり青江と太刀の燭台切光忠のわずか少数でなんとか任務を回しているような状態だった。少しでも戦力の足しになればとなけなしの資材を投入したのは確かだったが、まさかこうも早くに結果として現れるとは思ってもいなかったのだ。
しかも鶴丸国永と言えば、多くの功績を上げている他の部隊にも滅多いない希少な神だ、運がいいと言えばそれまでなのだろうが、刀鍛冶の腕の良さと献身性には十分な敬意を払わなければならないだろうと思った。
「今すぐお会いしますか」と、平野藤四郎が審神者の手を引いた。顕現にはそれなりの時間が掛かるが、特殊なシステムを通せばその時間を短縮することができる。そのシステムに対する政府からの許可証である手伝い札は、貧乏性の審神者が率いるこの本丸ではやや余り気味だった。
審神者はうーん、と唸って考えた。確かに珍しく位の高い付喪神をいち早く見たい気持ちはある。だが、位の高い神を一人で相手することに対する怖さもあった。
「いや、万が一のことを考えて、歌仙達が帰ってきてからでいいだろう」と、審神者は答えた。
こんなに華奢な男が、果たして本当に剣を振るうことができるのだろうか。それが宝剣の付喪神に対しておよそ考えることのできる最大限の侮辱であることは理解しながらも、審神者が刀剣男士鶴丸国永に対して抱いた第一印象は、そのようなものだった。
手足は長く、その体躯はか細い、歌仙兼定や燭台切光忠とは比べるまでもなく、脇差のにっかり青江ほどの体躯しか無いのではないだろうか、それでいて身長は太刀らしく申し分ないものだから、余計にその細さが目についてしまう。
そして、何より彼の肌の白さが、審神者を更に不安にさせる。まるで白無垢、それでいて髪の毛までも白いものだから、審神者は己の力量不足によるものなのではないかと疑ってしまったほどだった。
だが、共に鶴丸顕現の場に立ち会っていた燭台切光忠は、特にそれを気にすること無く「鶴さん」と、彼の手を握った。鶴丸国永も「おお、光坊」と、笑顔を作った。姿形に関しては、審神者がミスをしているということではないのだろう。
もしもの、本当にもしものことを考えて、審神者は近侍の平野藤四郎の他に、共に顕現に立ち会ってくれる刀剣男士を募った。それに対し、ぜひ自らをと強く主張したのが燭台切光忠だった。普段穏やかな彼には、珍しいことだった。話を聞けば、彼と鶴丸国永はかつて伊達家の元に居たために、顔なじみらしかった。燭台切光忠は、伊達家への帰属意識が非常に強い刀だった。
近侍の平野藤四郎も、鶴丸に近寄ってニ、三言葉をかわした。彼もまた、かつて天皇家に献上された時に、彼と顔馴染みになっているようだった。
その様子を見て、審神者はとりあえずほっと胸をなでおろした。体格の問題はともかく、少なくとも他の刀剣男士との連携は取れそうだった。
そして彼はなぜ人間である自分が付喪神である鶴丸国永をここに呼び出したか、その理由を一から説明する。刀剣男士が顕現されるたびに、儀礼のように何度も繰り返してきたことだった。
審神者は、刀剣男士がそれにどのような反応を示すかを、常に観察していた。それによって、彼等の性格や人となりを図ろうとしていたのだ。平野藤四郎のようにすんなりとそれを受け入れるものもいれば、五虎退のように戸惑いながらもなんとかそれを受け入れようとするものもいる、最も、これまで露骨に反抗心を見せる刀剣男士はいなかったが。
「なるほどな」と、鶴丸国永は言った。
「まだ多少の戸惑いはあるが、平野や光坊もいることだし、徐々に慣れていくだろう。こりゃ良い『驚き』だ」
よろしく、と続けて、鶴丸は右手を審神者に差し出した。審神者も流れるままにその手を握る。
その時不意にその手を引かれ、審神者は体勢を崩した。審神者は、しまった、と己の軽率を悔いた。鶴丸国永は、帯刀していた。
だが、鶴丸が剣を抜くことはなかった。彼は体勢を崩した審神者の目の前に顔を寄せ「わっ」とおどけてみせた。
冷や汗をかく審神者に、鶴丸は、あっはっは、と大きく笑って「驚いたか」と首を傾げるのだった。
☆
鶴丸国永を本丸に迎え入れて、少しばかりの月日が経った。
結論から言ってしまえば、審神者が最初に抱いた心配は、殆ど杞憂に終わったと言っていい。彼は戦いを拒むことが無いどころか、戦場において目覚ましい活躍をした。彼自身も戦うことが好きらしく、頑丈で、彼がいなければ最後までやりきれなかった任務も数多くあった。大太刀のいない審神者の本丸では、太刀である鶴丸は貴重な戦力だった。何より、それまで多くの負担をかけていた燭台切光忠やにっかり青江などを上手く休養させることができたのも大きかった。
また、彼戦場以外でもよく活動した。審神者はいつか彼が「人生には驚きが必要なのさ。予想し得る出来事だけじゃあ、心が先に死んでいく」と言っていたのを思い出す。それを体現するかのように、彼は審神者や他の刀剣男士達をあらゆる仕掛けを持ってしてよく驚かせていた。
とくに標的になっていたのは歌仙兼定で、生真面目な彼が真っ赤な顔をして鶴丸国永を追いかける光景は、休養日には殆ど確実に、と言っていいほど見られた。歌仙は、監督不十分だと審神者を攻めるが、それが照れ隠しであることを、審神者は知っていた。人見知りで、生真面目な歌仙が、感情をむき出しにすることができる数少ない相手だった。鶴丸がそこまで考えているのかどうかは分からないが、ある程度の節度を持っている内は、ほっといておこうというのが、審神者の方針だった。
いい傾向にある、と審神者は思っていた。鶴丸のお陰で仕事はよく周り、本丸の雰囲気もいい。もう少し皆に頑張ってもらえば、ある程度まとまった資材を鍛刀に回すこともできるだろう。太刀か大太刀を担当することができれば、確実にこの本丸ももう一段階上のレベルに成長することができるだろう。
そして、それは殆ど確実に、近い将来そうなるだろうとも思っていた。鶴丸国永を筆頭に刀剣男士達の働きを考えれば、そうならないほうが不思議だとも思っていた。
☆
「今、大丈夫かな」
それは、本丸が久しぶりにバタバタと慌ただしくなった日の、夜遅くだった。
第一部隊隊長だったにっかり青江が、審神者の部屋を訪れたのである。
審神者は、蝋燭の火を頼りに、政府に提出する報告書を作成していた。随分と久しぶりだったが、過去には多く経験していたことだったので、手慣れていた。
「ああ、青江か」
審神者は筆を置いて彼を見た。今ではすっかり慣れたが、昔は髪を下ろした寝衣の青江が部屋に訪れると、その風貌に少しばかり動揺してしまい、彼に申し訳ないく思っていた。
「ちょうど終わったところだ」
青江はそれを了承の言葉だと判断し、後ろ手に障子を閉めて、正座で審神者と向き合った。
にっかり青江は時折思わせぶりなことを言って周りを惑わせるが、基本的には真面目な刀だった。どんな戦場でも安定して戦績を残すことのできる彼を、審神者は信頼していた。
「鶴丸さんのことなんだ」
蝋燭の薄明かりだけが頼りでハッキリとは見えなかったが、青江は目を伏せていたようだった。
青江がすべてを言い切る前に、審神者がそれに答える。
「青江が気にするようなことじゃない、出陣の指示を出したのは俺だし、鶴丸も自らの油断だったと言っていたじゃないか」
その日、鶴丸国永は重症を負った。破壊こそ免れたが、慎重に慎重を重ねるその審神者の本丸では、非情に珍しいことだった。審神者は、血を見ることが苦手だった。その日、戦闘装束を真っ赤に染め上げた鶴丸を見た審神者は、動揺のあまり脳に多くの酸素を供給しようとして、過呼吸の発作を起こしていた。
もしもの時のために、と貯蓄していた資材と、手伝い札を使い、審神者は鶴丸をすぐに手入れした。その日の内に怪我を癒やした鶴丸は、油断によって不覚を取ったと審神者達に謝罪していた。
「鶴丸がそれを認めている以上、深入りはしないことだ」
青江はため息を付いて「そんなに簡単な問題じゃないんだけどねえ」と返す。
審神者は、どういうことだ、と身を乗り出した。彼は時折、自らの意見よりも、刀剣男士達の意見の方を優先することがあった。刀のことは、刀にしかわからないと思っていた。
「僕は、鶴丸さんを第一部隊から外すべきだと思うよ」
青江の意見は、審神者の考えと真っ向から対立するものだった。審神者は、鶴丸を主力部隊から外すことなど考えてもいなかった。むしろ、これからもこれまでと同じように働いてくれるようにと期待していたのだ。もはやそうしなければ、任務に支障が出る可能性すらあった。
「それは厳しいな、俺にも、鶴丸にも」
審神者はうーん、と顎を擦る。何かが思い通りに行かないときの、彼の癖だった。
「鶴丸はうちに来てからよく働いている。たった一度重症になった程度で主力部隊から外す判断は難しい。青江や歌仙だって、重症の経験はあるだろう」
「そうだね、あれはいい経験だったと思うよ。何しろ初めてだったからねえ。だけど、そんな小さなことでこの意見を出しているわけじゃないんだ。僕だって、彼が外れれば苦労が増えるからね」
「何か大きな理由があるのか」
「鶴丸さんは精神的に大きく疲労しているよ、手入れで肉体的な疲労は防ぐことはできても、精神まで癒やすことはできないだろう」
「精神的な疲労ねえ」
審神者は腕を組んだ、この役職についてから慣れぬことばかりではあったが、精神的な疲労と言うものが彼ら刀剣男士に存在することを今初めて知ったのだ。それに、手入れ後の鶴丸は油断を恥じながらもその言動ははつらつとしており、やる気を失っているようには見えなかった。
「その、精神的な疲労と言うのは、青江や歌仙、平野にもあったのか」
「いいや、恐らく彼が初めてだろうね」
ますます分からん、と、審神者は首を傾げた。精神的なことならば、鶴丸よりも、初期から本丸にいる歌仙兼定やにっかり青江のほうが苦労しているだろう。そして、彼は、鶴丸国永を顕現した時に不意に思っていたことを思い出した。
「それはもしかして、俺の能力が足りないからとか、そういう」
青江は笑ってそれを否定する。
「いいや、君の霊力は素晴らしいよ。これはね、鶴丸さん本人の問題なんだ」
「本人の問題と言ってもなあ」と、審神者は頭を掻く。
「この本丸の責任者は一応俺だ、お前達に問題が起こった場合には、俺が何らかの形でそれを解決せにゃならん」
「難しいだろうねえ。これは、君の手の届く範囲の問題じゃないよ、だから僕は鶴丸さんに考える時間を与えるために、部隊を外したほうがいいと言っているんだ」
「その、精神的な疲労の原因ってのは、一体何なんだ。青江はわかってるんだろう」
その問いに、青江はなかなか答えを返すことをしなかった。原因そのものの正体が掴めていないわけではなく、それを口にしていいものかどうか、それを悩んでいるようだった。
そして、ようやく、絞り出すように「これはね」と答える。
「これは、鶴丸さんの問題なんだよねえ。だから、僕が今ここでそれを言う事はできないよ」
にっかり青江は、根は真面目な刀だった。彼は基本的に本丸の運営に協力的だったし、審神者ともいい関係を保っていた。その青江がこう言っていることを、どのように受け止めればいいのか、審神者は悩んだ。
やがて、審神者は結論を出す。
☆
「鶴丸さんには、今日から遠征部隊に入ってもらう。燭台切光忠と交換だ」
翌日の朝早く、鶴丸を自らの部屋に読んだ審神者は、多少の世間話の後に、そう本題を切り出した。
それまで口滑らかだった鶴丸は、審神者のその言葉に一瞬緊張感を持った。だが、すぐにケロッと表情を変える。
「こりゃ驚いた、随分と手厳しいな、一度くらい名誉挽回の機会をくれたっていいじゃないか」
「何もずっとってわけじゃないさ。鶴丸さんにはこれまで随分と助けられてたから、ちょっと気分転換してもらうだけだよ。それに、燭台切だって、たまには戦場に出てもらわないと、感覚が鈍るといけないからね」
鶴丸は、審神者の目をじっと見つめていた。審神者がなんとか考えた、もっともらしい理由だった。
「まあ、君がそう言うなら従おう。早速準備だ」
よっ、と立ち上がる鶴丸に、疲れの色は見えなかった。
部屋を出ようとする鶴丸に、審神者が「なあ」と、声をかける。
「何か、言っておいたほうが良い事とか、あるんじゃないのか」
不用意な言葉であるとは、審神者自身も思っていた。上手く取り繕っていたものを、なぜすべて無に返す必要があるのか。だが、どうしても、それを言わなければならないような気がしていた。
振り返った鶴丸の表情は、彼が本来ならば神としての地位がある存在であることを、審神者に思い出させるのに十分だった。だが、審神者も引かない、自分だって、審神者という地位がある事を自らに言い聞かせながら、しっかりと目線をそれに返した。
「なんにも」
鶴丸はそう言って、審神者の視界から消えた。それは、否定の言葉ではなかった。ある程度何かを認めながらも、それに対して干渉されることを嫌っている。過度な干渉に対する警告のような言葉だった。
☆
にっかり青江の指摘は、正しかった。
鶴丸国永は、最初の内は無難に遠征をこなしていた。共に遠征部隊だった平野藤四郎によれば、皆とおしゃべりを楽しみながら機嫌よくやっていたらしい。
だが、ある日を境に精彩を欠くようになり、それは次第に任務に支障をきたすほどになっていった。平野によれば、たしかに疲労の影が見えるといい、時折、審神者も鶴丸に疲れを感じることもあった。
審神者の決断は素早かった。彼は直ぐに鶴丸を遠征部隊から外し、本丸で休養をするように命じたのだ。
勿論鶴丸はそれに不服な態度を取ったが、任務に支障をきたしているという事実は、それを受け入れさせるに十分な理由だった。
同時に、審神者は鶴丸をもう一度手入れ部屋に向かわせ、食事にも気を使った。だが、鶴丸の体力は衰える一方だった。審神者の持つ力ではこれ以上手の施しようがなかった。肉体的には完璧に回復しているはずだった。
体力は衰えていたが、相変わらず鶴丸は精力的だった。大掛かりなイタズラを仕掛けようとしたり、内番の手伝いなどをして、過ごしていた。
審神者はある日、燭台切光忠に探りを入れたことがある。
「鶴丸国永の不調の原因に、心当たりはないか」
光忠は、少し落ち込んだ様子を見せながら、それに答える。
「さっぱりわからないんだ、過去一緒にいたときにも、こんな事はなかったんだよ。それが分かれば、僕がなんとかするんだけど」
その他の刀剣男士達も、大体似たような返答だった。鶴丸国永が明らかに覇気を失いつつあるのは理解できるが、その原因を掴むことはできない。唯一にっかり青江のみが、それに気づいているようだった。
そして、ついに事態はより深刻な展開を迎える。
気づいたのは、燭台切光忠だった。朝食の時間になっても姿を表さない鶴丸を心配した彼は、一時的な休養のために鶴丸の部屋となっていた離れに向かった。そこで彼は、ついに起き上がることもできなくなっていた鶴丸を発見する。
☆
「失礼するよ」
審神者の部屋を訪れたのは、にっかり青江だった。その日は本丸全体が休養日であるのにもかかわらず、彼は戦闘装束に身を包み、帯刀していた。
審神者は、もう飽きるほどに書いた政府への報告書を、再び作っていた。政府も、鶴丸国永の不調の原因を掴めないでいた。
青江の姿に、審神者は身を固くし、何か事態が動くのだろうと覚悟した。この状況で、やれ天気が良いだの畑に良い作物が実っているだのと世間話をして終わりになるわけがない。
「なんだ」と、審神者は緊張感を持って答える。
「本丸での、抜刀の許可が欲しいんだ」
審神者は、本丸での抜刀を禁じていた。それに対してこれまで刀剣男士達から不満が出ることはなかったし、そもそも本丸で抜刀が必要になることすら無かったのだ。今この時までは。
「理由は」
「なに、ちょっと運動がてらに剣を振るいたいだけさ。今日は休養日だけど、体が鈍ってしまうからね」
青江は自然に、もっともらしく振る舞った。だが、それが真実でないことくらい、審神者にだって分かる。その気になれば、手合わせの相手など幾らでもいるのだ。
「嘘が下手だな」と、審神者は言った。青江は、その言葉を否定はしない。
「離れに行くつもりなんだろう。鶴丸のところへ」
「ああ、そうだよ」
青江は悪びれもなく肯定した。
「どうする、他の子を呼んで、僕を引き止めるかい」
いや、いいさ、と審神者は手を振る。
「それで、鶴丸を救えるのか」
「さあ、それは彼しだいさ。僕は彼の考えそのものを否定するつもりはないよ。彼がこのまま朽ちてしまうことを望むのであれば、少なくとも僕は、それを否定しない」
「なあ、青江」
審神者は、鶴丸国永について書かれている資料の束を取り出した。
「俺なりに、考えてみたんだ」
パラパラとそれらをめくり、あるページで止める。
「鶴丸国永の来歴、そして、恐らくこの本丸で、にっかり青江のみが気付いているとなれば、恐らくその原因ってのは」
話が早いね、と青江は審神者の言葉を遮った。
「そこまでわかっているのならば、もう僕に任せるしか無いことも、分かるだろう。責任を感じて、何でもかんでも背負って、ため息ばかりの君を見るのに、うんざりなんだ」
白装束を棚引かせ、青江の瞳が審神者を見据える。
審神者は、どうしても確認しなければならないと、更に問う。
「青江、お前、何を斬るつもりなんだ」
にっかり青江は、ニッカリと笑ってそれに答える。
「それを決めるのは、僕じゃない。望まれたものを、望まれたままに、斬るだけさ」
☆
燭台切光忠は、現れたにっかり青江に気さくに挨拶を返しながらも、戦闘装束の彼に、身構えてもいた。
「おお、青江か」
鶴丸は首だけをそちらに向けて、笑った。起き上がることもできなければ、体を横にすることもできなかった。今の鶴丸がそれをするには、かけられた布団は重すぎた。
「光坊、青江に茶を出してやってくれ」
鶴丸がそう言い終わるより先に、燭台切は青江の前に茶を置いた。
ふふ、と青江が笑う。
「随分な姿になったもんだね」
配慮のない発言だったが、特に部屋の空気が悪くなることはない。元々青江と鶴丸の仲は悪くなかった、お互いに戦闘好きで、戦績を競い合ってもいた。
「まあな」と、鶴丸は答える。
「これからどうなるかは分からんが、いいじゃないか。こういう驚きがあってもいい」
その言葉を聞いて、青江は湯飲みを持った。少しそれを飲んで、喉を潤す。それは、決断を意味していた。
「鶴丸さん」
ちらりと、燭台切を見る。あの悲しそうな表情が、もうすぐ変わるのだろう。
「色々あったとは思うけどさ、自分の境遇を、何でもかんでも『驚き』だと言って受け入れるのは、それは、逃げてるだけなんじゃないかな」
青江くん、と燭台切の声がした。青江は、その方向を見ることができなかった。明らかな殺意が、自らを刺している。
刀としての境遇を追求しない、それは、彼等刀剣男士が、本丸で共同生活する内に作り上げていった、暗黙の了解だった。刀としての彼らの経歴に、本人達の意思は全く関係がないからだ。燭台切光忠は好きで燭台を切ったわけではないし、歌仙兼定も然りだ。
燭台切が怒るのも無理はないだろうと青江は思っていた。青江の発言は、その暗黙の了解を踏みにじるような行為だったし、伊達家への帰属意識が高い燭台切は、鶴丸国永を友として大切に想っていた。丸腰の相手に、自らは帯刀してのこの発言は、悪意を持ったものと捉えられても何もおかしくはなかった。
「光坊」と、鶴丸が燭台切を声で制す。
「良いんだ。青江の言うことは間違ってはいない」
そして、少しばかり時間を置いて、鶴丸は続ける。
「少し、席を外してくれないか。青江と二人で、話がしたい」
燭台切は、右手をぐっと握りしめた。彼らの意図が読めなかったのだ。
「そう怒るな、青江を信じてやれ」
鶴丸にそう諭され、燭台切はようやくその腰を上げた。
青江が「燭台切くん」と、彼を引き止める。
「人払いを、頼まれて欲しい。僕が良いと言うまで、離れに誰も近寄らせないで欲しいんだ」
強い声だった、決意の込められた声だった。
燭台切は「わかった」と答える。だが、青江をのすべてを信じることはできなかった。刀を持っていた、刀を持っていた、刀を持っていた。
だから燭台切は、最後に鶴丸を見た。それに気づいた鶴丸が「悪いな」と、彼に言った。
彼を信じよう、と燭台切は思った。
「審神者は、もう気付いているよ」
青江は、鶴丸にそう言った。
「君の不調の原因が、怨霊によるものだという事にね」
そうか、と鶴丸は答える。
「鶴丸国永、君は一度足を踏み入れた黄泉の国から、再び現世に舞い戻った刀だ。僕達が戦ってきた各時代の怨霊達が、君に救いを求めるのも無理はない。だけど、このまま身を任せていては、いずれ亡骸となって、彼等の思うままに刀を振るうことになる」
鶴丸国永の経歴には、特殊なものがある。
彼を所有していたある男は、自らの亡骸を、鶴丸国永と共に埋葬することを望んだ。その望みは叶い、彼は鶴丸国永と共に、黄泉の国へと旅立った。
だが、またある男が、墓を暴き、鶴丸国永を再び現世へと引き戻した。鶴丸国永は、一度死んだ刀だった。
怨霊達は、一斉に鶴丸国永に取り付いたのだ。彼自身が死から生へと逆戻りしたように、自らも、再び現世へと舞い戻りたかったのだ。やがて鶴丸国永は新たな戦場に赴く度に、それらの怨霊を背負うことになった。だが、審神者はそれに気づくことができなかった。彼は付喪神を顕現する能力こそあれど、怨霊を確認する能力など無いし、それらを払う能力もない。
ふう、と鶴丸はため息を付いた。もはや喋ることにすら、気持ちの準備が必要なようだった。
「なんとなく、そんな予感はしていたんだ」
「鶴丸さんがそれらを受け入れなければ、僕が直ぐに彼等を斬ることもできる。だけど鶴丸さん、君が彼等を受け入れているから、僕にはどうすることもできない」
にっかり青江は、幽霊斬りの刀だった。かつて彼は人々を恐怖させていた幽霊の母娘を、憑依している石灯籠ごとぶった斬った。だから彼は、鶴丸が怨霊に憑依されていることを、早い段階から察していた。
しかし、青江は彼等に手を出すことができなかった。誰にも受け入れられず、標的を求めて彷徨っている状態だったならば、いつもそうしていたように、叩き切ったであろう。だが、鶴丸は、それらの怨霊を受け入れ、憑依させていた。それでも彼等を斬るならば、かつての石灯籠のように、鶴丸国永ごと斬らなければならないだろう。
「僕には分からない、鶴丸さん、どうして怨霊を受け入れているんだい」
青江は、それが分からなかった。怨霊というものは、人に取り付くが、大抵の人はそれらを拒絶する。勿論、かつての想い人の霊を、あえて受け入れるような美談が無いわけではない。だが、鶴丸は、なんの関係もなければ、なんの義理もないような有象無象の怨霊を、何故か受け入れていた。
そして、鶴丸が自らの意志で彼等を受け入れている以上、自らが口出しすべきはないし、誰かにそれを話すわけにもいかないだろうと、彼が起き上がることもできないほどに衰弱するまでは思っていた。
「因果なものさ」と、鶴丸は返す。
「君も分かるだろう、人間というものは身勝手なものさ。その気になれば、黄泉の国からも俺を奪い、神の社でさえ、人の身勝手さに対する傘にはならない。そして今度は、歴史を守るために戦えという」
もう絶望さ、と言って、更に続ける。
「だが、それを否定すれば、それは俺が、俺であることの、鶴丸国永という刀そのものの否定になる。俺が人の意志に振り回されるのは、俺が鶴丸国永だからだ」
なるほど、と青江は思った。青江も幾多もの人の手に渡ってきたが、鶴丸ほど奇異な経歴を歩んでいるわけではない、そして、それが鶴丸国永という刀の魅力によるものだと言われれば、納得せざるを得ないだろう。
「だから俺は、『驚き』に逃げた、その側面もある。自らに降りかかる物すべてを『驚き』だと受け入れれば、なんとか自分を保てると思ったんだ。だからこの怨霊達も、受け入れるしか無かった。いや、自ら望んで受け入れたわけじゃない、もはや俺は、拒絶の仕方を忘れているのだろう。『驚き』という逃げ道が、あまりにも心地よかったから」
鶴丸の中に巣食う怨霊が、高らかに笑う声が、聞こえるような気がした。ふざけているように見えて、鶴丸国永もまた、真面目な刀だったのだろう。
「もう少し俗になってもいいんじゃないのかな」
方便などではなく、青江は本心からそう言った。
「君ほどじゃないけど、僕も人間には色々と振り回されたよ。彼等はワガママで、僕達を前にするとまるで子供のようになる。だけど、僕は人間が嫌いじゃないんだ、最終的には、思い入れのある京極の地に返してくれたしね」
僕達も、ワガママに振る舞えば良いんだ。と続ける。
「気に食わないことは、嫌だと言っても良いじゃないか。今の主なら、多少は無理を聞いてくれるよ。大切なのは、今さ。もっとシンプルに、簡単に考えようよ。俗にまみれて、また元気になって戦いたいか、このまま気高く朽ちていくかさ。どっちを選んでも、それが鶴丸国永の道さ」
鶴丸は、それに答えを返すことができなかった。どのように答えても、後戻りの出来ない道に踏み込むような気がした。
青江は、そんな彼を哀れんでいた。何らかの答えを出しているのならば、それでどうなろうと彼の道だ。だが、その答えを先延ばしにし続け、その結果彼が朽ちるようなことがあれば、それは悲劇以外の何物でもないだろう。
「僕は、君がどちらを選んでもいいと思っているんだ」
それは、青江の本音だった。
もしこの場に燭台切光忠や、審神者がいれば、彼等はなんとか鶴丸を朽ちさせぬようにするだろう。だが、それは結局のところ、鶴丸へ再び新たな驚きを提供するだけなのだ。だから青江は、彼等に何も語らなかった。
「君が、君であることを誇りに思いながら、すべてを受け入れて、朽ちる道があっても良い。心配しなくても良いよ、君が怨霊達にその体を奪われて妖刀になっても、僕が石灯籠のように叩き切ってあげるから。なあに、幽霊を斬った刀が、神を斬った刀になるだけさ、箔が付いていいじゃないか」
だけど、と続ける。
「折角人の身を得たんだ、もっと自由に、思うようにやってみても良いんじゃないかな。色んな事をして、色んな物を見つけて、色んな事を知る、『驚き』って、そういうものなんじゃないかな」
鶴丸は、青江から目を逸らし、天井を眺めた。決断は、苦悩だった。だが、それは仕方がないのかもしれないとも思った。これまで、何百年もの間、目を逸らし続けたものが、今、目の前にあるのだから。
青江、と鶴丸が呟く。
「すまねえなあ」
それに続く言葉はなかった。鶴丸は言葉を続けることができなかった。
彼は、遥か遠く、泥のように溶け切った意識の中に、吸い込まれるように、落ちていった。
閉じられた両の瞳は、彼がようやく眠りにつくことが出来たことを物語っていた。鶴丸国永に取り付いた怨霊達は、彼が眠ることすら出来ないほどに、彼を憔悴させていたのだ。
鶴丸に拒絶された怨霊達は、半ば追い出されるように、彼から離れた。時代も違えば、お互いの名前を知ることすら無かった怨霊達は、現世に蘇るという目的のためだけに一つの巨大な集合体となっていた。
青江は、現れた怨霊の大きさに、笑った。鶴丸国永という、か弱き刀につけこんだ彼らの巨大さは、もはや怒りを通り越し、哀れみや、呆れを感じるほどだった。
そして怨霊達は、提示されているたった一つの結論を受け入れた。
今、自分達の目の前にいる刀をどうにかしなければ、自分達に自由は無いと。
誰かが誰かに、あいつを襲えと言った。だが、誰もそれをすることができなかった。目の前の霊刀は、自分達をしっかりと見据えている、攻撃されればそれを切り裂き、返し刀で再び誰かを切り裂くだろう。
「やれやれ」と、青江はため息を付き。大脇差を、鞘から抜いた。
「安心しなよ、攻めて来ようが攻めて来まいが、どうせ皆叩き切られるんだ。僕は人間は嫌いじゃないけど、君達は別。彼と違って、僕は結構俗物なんだ」
☆
再び天井が視界にはいった瞬間に、鶴丸国永は布団を跳ね上げるほどの勢いで起き上がった。
先程まで青江がいた場所には、足を崩した審神者がいた。審神者は、おっ、とそれに反応する。
鶴丸は、自身が眠っていたことを理解した。あれほど自身を悩ませていた気だるさは、もはや欠片もない。
「青江は」と、鶴丸が審神者に叫ぶ。
「本丸の皆は、無事なのか」
審神者はじっと鶴丸を見つめながら、答える。
「青江は軽症を負ったが、他の刀剣男士達に影響はない。今日も一部の短刀を除いて全員で任務を回している。燭台切は残りたがったけど、備蓄も底をつきかけてるからフル回転せにゃならん」
鶴丸は、ひとまずホッと安心した。自身のせいで、誰かが折れるようなことは、あってほしくなかった。
だが、その次の瞬間には、後悔の念が彼を襲う。「情けない話だ」と目を伏せた。
「もしもの時のための備蓄だったんだ、あの時使わずに、いつ使うんだ」
「俺は、どのくらい眠っていたんだ」
「今日で三日目だよ、起き上がれないほど疲弊してたんだ、責任を感じることはない。青江は、何があったのか教えてはくれなかったが、ひとまず鶴丸さんが元気になってくれたんだ、俺はこれで良しとしたい」
そう言って、審神者は背伸びした。首をニ、三度傾けて、音を鳴らす。
「待ってくれ」
鶴丸は、「飯でも食うか」と、部屋を出ようとした審神者を引き止める。
「部屋で、待っていてくれないか。きちんとした格好で、君と話がしたい」
わかった、と審神者は答えた。全く予測していないことではなかった。覚悟もしていた。彼が言ったことに対し、何を返せば良いのか、考えていなかったわけではない。審神者は自分の中で答えをしっかり決めていたし、それを実行する決断も、していたはずだった。
だが、審神者は鶴丸のその声に言葉を返すことができなかった。彼はなんとか、首を少しだけ縦に振って、その場を後にした。
鶴丸国永は、審神者にすべてを告白した、自らの経歴も、彼自身がそれに何を思っていたかも。その結果どのような存在に目をつけられ、それらが自身をどうしようとしていたかも。
それは、半分は審神者の予測通りだった。鶴丸が悪霊に目をつけられているのではないかということは、審神者も予見していたのだ。
だが、鶴丸がそれを受け入れていたことは、審神者も想定することができなかった。
鶴丸国永が告白した葛藤を、審神者は深く理解することができなかったのだ。審神者は、鶴丸国永ほどに誰かに求められた人生を送っているわけではなかった、その人生の中に、恋人や友人がいなかったわけではない、だが、自らの人生を捻じ曲げてしまうほどの渇望を向けられたことがない。だから、渇望される自身を否定することが、自身の存在をのものを否定するかもしれないなどと、考えたこともない。そして、それを不満に思ったことなどあるわけがない。自身が特別な存在ではない事を、彼は自然に、受け入れていた、否、彼が自身に無関心なわけではない、殆どの人間は、そうだろう。
審神者は、鶴丸の語る一つ一つを組み立てて、それをなんとか彼の立場になって考えようと試みているだけだった。それは、読解力を求められる問題で、作者の心情を理解しようと努めるそれによく似ていた。否、厳密に言えばそうですら無い、文章を作っている作者は大抵人間だ。人間以外が制作した文章は、読解力の判定には使われないだろう。今彼が向き合っているのは、人間ではない。数百年の時を生きた神であり、刀なのだ。
むしろ審神者は、鶴丸国永を抱いて黄泉の国へ向かおうとした人間の気持ちや、墓を暴き、鶴丸国永を手にした男の気持ちや、身勝手な救いを求めて鶴丸国永に取り付いた怨霊達の気持ちの方が、痛いほどに理解することが出来ていた。自分も、鶴丸国永の持つ神秘性に心奪われ、それをするだけの力があったとするならば、きっとそうしていただろう。
それは覚悟していたことだった。だが、審神者はその現実を、自らと刀剣男士達の立場の違いというものを、これでもかと言うほどに見せつけられていた。
「はっきりと言える。俺は今後のことを保証はできない、青江に諭され、一時は事なきを得たが、再び同じことが起こらないとは断言することが出来ないんだ」
何故だ、と審神者は心の中で憤った。良いじゃないか、なんの問題もないだろう、自身に取り付こうとする怨霊を振り払うことに、一体何の問題があるのか、何の問題もあるわけがない、にっかり青江という、それができる刀もいるじゃないか。
鶴丸はさらに続ける。
「俺の処遇は、この本丸の元締めである君に決めて欲しい。生涯内番でも良い、何もするなと言われれば何もしない、刀解だって受け入れる。君に丸投げしているように聞こえるかもしれないが、これが俺の意志だ、これが俺の、刀としての意志なんだ」
審神者は、それを疑わなかった。今、鶴丸国永は、自身のすべてを、審神者にさらけ出している、その上で審神者に最終的な決定を任せるのは、鶴丸国永という神を信用することが出来ないと判断した彼が、刀としての自由を、求めているからなのだろう。
答えなければならない、審神者はそう思っていた。鶴丸国永が、数百年にも及ぶ自己葛藤をすべて無に返してまで決断したこの言葉に、彼も答えなければならなかった。審神者として数年、命として数十年程度の価値しか無い彼が、数百年の決意を、受け止めなければならない。
審神者は、飛び降りた。命綱もつけずに飛び降りた。その下に何があるかなどわからない、だが、飛び降りなければならなかった。つい先程、細身の体を震わせながら、ある神が飛び降りていったのを、この目にしっかりと焼き付けたのだから。
「鶴丸国永」
彼に対する、久しぶりの作った声だった。
「明日から、第一部隊として、時間逆行軍討伐任務に、努めよ」
鶴丸は、頭を垂れて、それを聞いた。そして「本当に、保証はできないぞ」と、最後の忠告をする。
「もう少し、遊んでみればいいじゃないか」
審神者は、大きく息を吐きながら言った。
「鶴丸さん、俺は覚悟を決めたよ」と、ニッコリ笑う。
「もし鶴丸さんが闇に飲まれることがあって、歌仙や青江を含む刀剣達がやられるようなことがあれば、その時はその時だと諦めるよ」
何を馬鹿な、と鶴丸は叫んだ。気づけば、右手が審神者の袖を握りしめていた。
「いーや、俺は決めたね。刀が折れれば、俺が死ぬ。何の不思議もない、俺達の関係ってのは、本来そういうものだろう」
鶴丸は、はっとして右手を離した。気が触れただけだと思っていた審神者の発言が、その実鶴丸国永という刀に対する最大限の信頼、賞賛であることに気付いたのだ。
「もし」と、審神者が続ける。
「鶴丸さんが目覚めて真っ先に刀解を求めていれば、俺はそうしたよ。だけどあなたは、真っ先に本丸の安否を確認した。あなたが本丸の仲間を思っている以上、この本丸の鶴丸国永がいるべき場所は、第一部隊以外にない」
ふふっ、と、笑う。
「他の本丸の連中にも相談したんだ。そしたら奴らなんて言ったと思う」
鶴丸は無言でその答えを待った。
「もし鶴丸国永を手放すことがあれば、いつでも力を貸すとさ」
大笑いする審神者に同調して鶴丸も笑いながら「死んでもゴメンだな」と答える。
「調子出てきたじゃないか、それで良いんだよ」
審神者が立ち上がり、障子を開けた。
「随分と寝たきりだったんだ。地面を歩く練習でもしてこい、明日から忙しいぞ」
すっかり花を散らせた桜の間を、鶴丸は庭を歩いていた。
審神者は嫌いだと言っていたが、鶴丸はこの庭が好きだった。多少の無茶をしても直ぐに元通りになるし、審神者が言っているほど人工的ないやらしさもない
一歩歩く度に、心が軽くなっていくような気がした。一つの決意を少しずつ過去にしていく度に、その決意に体が慣れるのだろう。
「おーい」と、声が聞こえた。
その方向を見ると、短刀の愛染国俊が、桜の木に登っていた。身軽に枝に立ち、手を振っている。
その木の下には、平野藤四郎もいた。彼もまた、満面の笑顔で鶴丸に手を振っていた。
「おーおー、元気にやってるな」
「鶴丸さま、もうお体はよろしいのですか」
平野が鶴丸の手を握って言った。鶴丸の体調については、ごく一部の刀剣男士以外には、ただの疲労だと伝わっていた。
「ああ、もうすっかり元気さ、で、君達は何をやっているんだ」
愛染がヒラリと桜の木から飛び降りた。愛染国俊はやんちゃな気質があり、よく鶴丸とつるんでいたずらを仕掛けていた。
「さくらんぼ狩りだよ」
ぱあ、と笑う愛染に、鶴丸が首をひねる。
「おいおい、この桜にさくらんぼはつかないぞ」
鶴丸は桜の種類に明るくはなかったが、過去に愛染と似たようなことをつぶやき、燭台切に窘められたことがあった。
「いやいや、ちゃんと実はついてるぜ」
そう言って二人の短刀は、両手を鶴丸に広げてみせた。そこには確かにさくらんぼに比べれば小さいがきちんとした実が、いくつもあった。
それもそうか、と鶴丸は思った。花である以上、実は付けるだろう。
「よろしければ、お一ついかがですか」と、平野が言った。
お、良いねえ、と返しながら、鶴丸は平野の手のひらの中から、よく熟していそうな赤黒い実を一つ取って、口の中に放り込んだ。
噛むと、少なめの果汁が口の中に広がる、一瞬、渋いな、と思った次の瞬間。猛烈な酸味が、鶴丸の口の中に広がった。思わず眉間にしわを寄せ、唇をすぼめる。
その様子を見て、愛染は大きく、平野は堪えるように小さく笑った。そして彼らは「どーだ、驚いたか」と声を揃えた。
鶴丸は、手で顔を覆った。見せてはいけない顔をしているかも知れなかった。
ふふ、と鶴丸は笑った。つまらないことを考えている内に、こっちも鈍ってしまったのかもしれない。
「ああ、驚いた」と、目頭を擦った。