ロビンの何気ない日常、徒然 作:シャーウッドの管理人
無限に続くような図書館に、ブーツの音が響き渡る。かつり、かつりと暗闇の奥に投げかけられた音は返る事なく、この場所の広大さを改めて思い知らせてくれる。
マメールの図書館には果てがない。迷えばどこからともなく現われたマメールが帰り道を案内してくれる。つまりは、彼女以外にこの図書館を知り尽くしている者はいないという事だ。
本棚の一つに目を向ける。自分には縁遠い料理本が並んでいた。『今日から始める保存食』『星色砂漠で見つかる食材、その調理法』『ドラゴンの胃を満たすには』『電子レンジで簡単レシピ』『ラム酒に合う肴』――
「ふぅ」
本棚を見上げ過ぎていた事に気付き、ロビン・シャーウッドは視線を戻す。料理一つとっても深淵を覗き込んでいる気分だ。
一説には、この図書館は神筆使い達の住む世界に繋がっていると言われている。誰が流したかしれぬ噂だが、こうも広いと信じたくなる。
正直な所、ロビンはここが好きではない。なにか大いなるものの掌の上で転がされている感じがするのだ。自然に潜み同一化する射手としては本能的な恐れがある。
だというのに図書館に来たのには理由がある。マメールに人探しを頼まれたのだ。
「さて……しかし」
どう呼んだものか、とロビンは迷う。キャスト達の中にはロビンのような個人名を持たない者もいるのだ。異名のような名前だけをマメールに呼ばれている者が。
しばらく考えたが、まぁ何か他にある訳でもない。マメールが呼んでいる名を呼ぶ事にした。
「ナイトメア・キッド! もうすぐ模擬戦が始まります! マメール嬢に頼まれ、この区画まであなたを呼びに来ました!」
今回、神筆使いが選んだキャストはナイトメア・キッドだった。マメールに連れられ『星めぐりの森』に向かい、神筆使いの示した通りに戦うのが自分達の使命だ。
時の流れが一定ではないこの世界では遅れるなんて事はないだろうが、サボっていていい理由にはならない。
「っせぇなぁ」
悪態を吐きながら、黒い少年が本棚の影から現れた。正史(オリジナルストーリー)であるピーター・ザ・キッドと同じく風に愛されている彼は、地に足を付けずすぅと動く。
図書館だというのに本を持っている様子もない。何やら気難しく額に皺を寄せながら、ペンと紙で何やらしていたようだ。
「おいおい、シャーウッドの森のロビンよ。本ってのは青少年の教育に大事なものだと、俺は思うぜ? 図書館で真面目に勉学に励む子どもの事は、見守ってやるのが良い大人ってもんだろ?」
「読んでいないじゃないですか」
「これから読むのさ」
軽薄な笑みを浮かべながら、悪夢の化身はひらひらとその手に持った紙を示して見せた。
二番目を右、三番目の左、真っ直ぐ、階段を上って二階上に……くらくらするほど長々と書かれたそれはどうやら道順のようだ。最後の方に『ここは料理の本』と書かれてある。
「地図でも作ろうかと初めは思ったんだがね。どうにも広すぎていけねぇ、こうしねえと紙が足りねぇのさ」
「……マメールさんに頼めば、読みたい本の場所まで案内してくれると思いますよ」
「くはっ、冗談!」
一転、彼は叫ぶ。一陣の風が怒気と共に吹き抜けた。
「おいおい、お前、あの得体のしれない女に何を頼むって? この青少年が健全に育つための情報を、だ。俺らを掌の上でくるくるやってるかもしれねぇあの女に頼むってか!?」
両腕を天に掲げ、大仰に怒りを露わにする。
ロビンは眉を顰めた。演技じみてはいるが、少年の怒りは本物だ。
「私達が、かつて神筆使いによってつくられた存在だから……ですか? この世界も、心も、やるべき事も、全て偽物だと?」
「偽物かどうかは問題じゃねぇ。全部ペテンであろうが、そこに俺がいればな……だが!」
また一つ風が吹いた。彼の手にあったメモが吹き飛び、宙で風に弄ばれて崩れる。
「そう、例えば今俺が呼び出されている模擬戦だ。神筆使いが俺達を使って、他の世界の俺達と一緒に戦うあのごっこ遊びさ」
ごっこ遊び、と。
悪夢は嘲り言葉を続ける。
「なぁお前、最近あれやこれやと戦い方を考えているらしい。だが、俺達の動きを決めるのは神筆使いだ。だったらお前の努力は無駄! 全部無駄! えぇ、おい!? そうじゃないのか?」
「違う」
それは感情のままの言葉ではなかった。確信を持った言葉だった。
確かに戦いとなれば自分達は自分の意思では動いていない気がする。発する言葉さえも神筆使いに命じられたものだ。星めぐりの森において、自分達は神筆使いが戦うための武器でしかない。
だというのにも関わらず、自分達にはそういった意識はない。神筆使いに操られているという感覚はあるのに、きちんと自分で動きたいように動いている気すらするのだ。ロビンが考えた戦術は全て星めぐりの森での戦いにも還元されている。
悪夢に気付かされる。自分の意識と神筆使いの意識は繋がっているのだ。それこそ、自分が神筆使いに操られているだけの存在なのかもしれない。
目の前で悪夢が悪辣の笑みを浮かべる。あぁ、この否定は彼の思った通り。
「そう、それだよロビン。俺達は結局、神筆使いの生み出した駒に過ぎないのさ。なら、なぁ、いいだろ? ちょっとぐらいそれから逃れて自分探しもしたくなるってもんだ」
「……あなたの考えは分かりました」
以前より薄々と感じていた。この世界は人が思い描いたつくりものの世界。自分達は、人が望んだからここにいるだけのもの。
なるほど、確かに悪夢の主張には納得出来る。人であれば、特に少年であれば何かに縛られる事は嫌う。確固たる自己を、アイデンティティを持てない事は酷く堪える。
だが、彼がそうであるからと言ってロビンがそれに付き合う謂れはない。
「ですがね、ナイトメア・キッドよ。私はその事を、光栄に感じてさえいるのです」
「あぁ?」
少年の望む調子で吹き荒れていた風が変わる。戸惑いの表情と共に、緩やかな風が図書館の闇へと吹いていく。
彼と二人、ここにいる事を感謝しよう。ロビンにとってここはもう溶け込める世界の一つだ。
「私は人が望む心から生まれた。つまり私は、人々の望む正義の使者そのものなのです」
誰かにつくられているかもしれないという事を否定はしない。だが、それは考えても意味の無い事だとロビンは思っている。
それが例え誰かの作為であっても、腹は減るし喉は乾く。戦い、考える事は楽しいし、目の前の少年にそれを『ごっこ遊び』と断じられては腹も立つ。
友もいるし、酒は美味い。時間が曖昧であろうと、明日の朝食を考えていれば必ず日は昇る。
だからそれよりも、自分が誰かに望まれた正義である事が嬉しいのだ。自分を求めてつくってくれたという事実こそがロビンのアイデンティティなのだ。
「へっ」
その答えを、やはり少年は嘲った。
「じゃあ、なんだ? 人は俺をどう望んだ? アナザーストーリーである俺は、オリジナルストーリーありきの裏側ってか? ピーター・ザ・キッドの搾りかすが、どうやって自分を愛せって?」
彼はそう。他人を嘲る事で自分を嗤っているのだ。
ナイトメア・キッドは少年の形をした悪夢ではなく、悪夢を持った少年だった。それは似ているようで大きな隔たりがある。
ロビンには咄嗟に出る言葉がなかった。彼の自己否定を認めない言葉はいくつか思いつくが、そのどれもが心からの言葉ではない。『分からない』というのが全てだ。
「……はん、下手くそで気分の悪い慰めをしなかっただけマシだぜロビン。安心しろ、神筆使いには従うしすぐにどうこうって訳じゃねぇ。ただ、このまま推測だけで自分を決めつけとくのも気分が悪いってぇ話だ」
「えぇ。多くの考えあってこそ、人はよりよいものを選ぶ事が出来る」
「それがあんたの『戦術』かい」
ロビンは頷く。少年は笑った。
出会いは多くの幸いと、そして違いを産む。それがいい事なのかどうか、決められるのは本人だけだ。