もとは温泉旅館だった、ここの鎮守府の艦娘寮には、いくつかの温泉風呂がある。
木の温もりを感じさせる、檜張りの広々とした浴室の和風大浴場。
黒御影石の湯船には、こんこんと湧き出る豊かな湯が注ぐ。
開放感のある大きなガラス戸の外には、大浴場から続く小さな露天の岩風呂があり、落ち着いた趣の庭園が小世界を作っている。
それと対をなすのは、スペイン風漆喰と精緻な色彩美に満ちたタイル張りの内装の洋風大浴場。
彫刻の施された円柱を中心に、楕円形に広がる大理石の湯船。
秀逸な美的センスで配されたステンドグラスの窓から、柔らかくも荘厳な光が降り注ぐ。
大正浪漫が溢れる、芸術的な空間。
そして艦娘たちが裏山に自作した、大樽の露天風呂と休憩小屋。
前方に広がる湾の絶景に、きらめく木漏れ日と野鳥のさえずり。
自然に抱かれた癒やしの湯。
庁舎の方にも入渠用の霊薬を張った小さな浴室があるが、やはり命の洗濯といえるような気持ちの良い入浴ができるのは、断然に寮の数々の温泉風呂の方だ。
もう一つ、バブル期にこの温泉旅館を買った東京の会社によって地下に増設された中浴場もあるが、こちらは特筆することが何もない、どこにでもある現代的な浴場で、ジェットバスやサウナといった付帯設備が目当ての艦娘ぐらいしか利用しない。
そして、これら浴場の維持・管理は主に巡洋艦娘たちが協同して行っていたが、今回の大決戦では多くの重巡洋艦娘たちに同時多発的に出番があるため、残った艦娘たちは鎮守府のお風呂生活を守るために、てんやわんやの苦闘をしていた。
「長良姉さん、そろそろ大浴場の逆洗をした方がいいんじゃないですか?」
「え……? ちょっと待って、どっちの大浴場?」
逆洗とは、濾過器の詰まり防止のために、定期的に水流を逆流させて濾過機に溜まったゴミを押し流すことだが、名取に作業の是非を尋ねられたが、他の清掃作業の指揮だけですでにいっぱいいっぱいの長良。
温泉の循環路の清掃スケジュール管理は、五十鈴と由良がよく把握しているのだが、五十鈴はエンガノ岬沖に小沢艦隊として出撃中、由良も東京急行の遠征に行っていて留守だ。
「那珂ちゃん、調子が悪い二番のボイラーの部品交換のことでちょっと……」
「えー? 那珂ちゃんはボイラー取扱者の資格しか持ってないから! 修理ならボイラー技士の資格を持ってる、摩耶さんか那智さん、それか鬼怒ちゃんに訊かないと分からないよお!」
こちらでも、神通から相談を受けた那珂が頭を抱える。
摩耶はサマール沖に栗田艦隊として出撃中、那智と鬼怒は志摩艦隊の訓練に出かけてしまっている。
長良と名取はともに1944年8月、本土天草沖とサマール沖という違いはあれど、ともに米潜水艦の雷撃を受けて沈んだ。
神通は1943年7月のコロンバンガラ島沖海戦で、那珂も1944年2月のトラック島空襲で沈没している。
皆、レイテ沖海戦は体験していない。
それだからこそ……。
「五十鈴がつけてたチェックノートは? あ、訊きに行かなくていいから! よし、やらないよりはやっとこう!」
「分かった、神通ちゃんはどいてて。うーん……那珂ちゃんの手にかかれば、これぐらい何てことないんだよ~」
今この時、レイテ沖の大決戦に挑んでいる家族のために、それぞれの持ち場で出来る限りの努力をしている。
みんなが帰ってきたとき、あったかいお風呂に気持ちよく入れるように。
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同じように、食べ物の屋台を準備して仲間を労おうとしている者たちもいた。
埠頭の片隅、スポーツ用具や運動会用の備品などを入れてあるプレハブ倉庫。
その脇に木の支柱を立ててトタン屋根をのせ、風除けにブルーシートを張っただけの、傍目にはホームレスの住み家にも見える、みすぼらしい仮設店舗。
加古と天龍が、出撃メンバーの慰労のために始めたモツ焼きの仮設店舗だ。
4つあるテーブルとイスのセットだが、唯一の四人掛けアウトドア用セットはまだマシな方。
残る3つは、ダンボールと酒瓶などのケースをガムテープで補強し、テーブルとイスの形に組み上げただけのチープなもの。
照明だって、裸電球が3つばかりぶら下がるだけ。
調理スペースもコンパクトで、業務用とはいえガスコンロが一口と、炭火の七輪のみ。
食器やコップもそう多くは用意できないし、洗いものはタライに入れて溜めておき、後で大食堂の厨房に持って行って洗うしかない。
だが、料理はセットメニューのみ、飲み物は缶ビールとトリスのハイボール、キンミヤ焼酎のチューハイ(+そこに〔梅果汁や梅エキスは入っていません〕と書かれた謎の『梅エキス』を足した下町ハイボール)しかない、この店にはそれで十分。
まず出てくる料理は、お通しのもやしのナムルに、センマイの刺身。
牛の第三胃を流水で丹念によく洗い、下茹でした上で細切りにし、ピリ辛のコチュジャン入り酢味噌をかけたセンマイ刺しは、コリコリとした食感と、さっぱりした味わいだ。
次に、モツ煮込み。
牛の大腸と小腸に、第一胃であるミノと第二胃のハチノス、肺のフワを甘辛の醤油ダレで煮込んだ、東京下町風B級グルメだ。
やわらかな肉の食感と脂の甘みに、クチュッと心地よい噛み応えのハチノス、文字通りフワッフワに崩れるフワに、牛の生命の源を全て混沌としたダシにして詰め込んだ醤油ダレ。
「鳥海さん、お疲れ様。はいよ、摩耶もモツ煮込み」
「おい、天龍? 何であたしは呼び捨てで、妹の鳥海に「さん付け」なんだ?」
「摩耶は摩耶で、鳥海さんは鳥海さんだからだ。それに、本当は摩耶が末っ子だろ?」
「あぁっ!?」
「あたしと天龍は、第八艦隊で鳥海にお世話になったからねえ」
加古が団扇でパタパタと七輪を煽りながら苦笑する。
ちなみに、摩耶は進水日が鳥海より早いことから「高雄型3番艦」を自称しているが、起工順と書類上では「高雄型4番艦」である。
続く料理は、串焼きが四本。
コリコリした心臓肉のハツと定番のタンは塩味で、濃厚な味わいのレバーはタレと脂肪が多いほほ肉のカシラはタレだ。
エンガノ岬沖への出撃から戻った瑞鶴も、妹分の葛城、瑞鳳を引き連れて串を食べながら缶ビールを飲んでいる。
「空母棲姫のあのウザったいサイドテール、思いっきり引っ張ってやりたいよね。大体、ああゆう髪型してるのは大抵が陰け……んぐっ!」
酔って気勢を上げていた瑞鶴が、サイドテールの青い正規空母に髪をグイッと引っ張られ、思いっきり仰け反る。
「鶴も泣かずば撃たれまい」
そう呟き、トリスハイボールを静かに傾ける日向。
加賀が後ろを通りかかったのを見て、わざわざ余計なことを言うのだから、瑞鶴も自業自得だ。
「加賀に構って欲しくてしょうがないんだよ」
伊勢がハツの串を引きながら笑う。
串焼きは豪快に横に引いて食べるのが呑兵衛の流儀、チマチマと串から外すなど、ここでは許されない。
「空母棲姫を撃破し損ねたそうね。きちんと航空優勢に持ち込まないから……あ、天龍。下町ハイボールをちょうだい」
「あいよ」
加賀が瑞鶴の隣に一升瓶用のケースにダンボールを敷いただけのイスを置いて座り込み、お説教を開始する。
飲み物も注文し、持久戦の構えだ。
炭に落ちたタレが燻され、香ばしい煙が立ちのぼる。
風は肌寒いが、そんなものを吹き飛ばす熱気に溢れた鎮守府の埠頭。
冬の大決戦、鎮守府一丸で意気揚々と遂行中です。
甲甲甲乙乙丙とE6まで攻略しましたが、掘りがまだジャービスしか……
E7は乙でいきたいですが、まず掘りでどれだけ資源消費するか見てから考えます