と、物の本に記されてあるように、戦国の世にあっては、近江を圧することが、すなわち天下を制することへの必須の条件であったといってよいほどだ。
池波正太郎『散歩のとき何か食べたくなって』より
この小さな鎮守府の北側には大小の丘陵が鋸状に連なり、弧を描くように海へと伸びている。
そして、海を挟んだ南の対岸も、やや穏やかな稜線であるが同様に海へと弧を描いて伸びており、全体として丸い
その湾口、潮風が吹き寄せる海にいっそう突き出した岬の部分には、南北両岸ともに高角砲陣地が設けられている。
陣地といっても、設置してあるのは妖精さんが操るサイズの対深海棲艦用兵器なので、その規模は小さい。
南岸には小さな無人灯台があり、その灯台の基部に10cm連装高角砲(砲架)が2基、灯籠の
北岸にはプレハブの漁具小屋に偽装した陣地が設けられ、その小屋の天窓から8cm高角砲2基と毘式40mm連装機銃2基、探照灯1基が空を睨んでいる。
……ぶっちゃけ、気休め程度の火力でしかなく、使い道がない(けれど廃棄するには惜しい)余剰装備の展示場所と化していた。
そんな小屋だが、演習相手を待つ間の休憩場所などとしては、結構重宝されていたりもする。
今日も龍驤が一人、小屋の脇でオプティマスのガソリンストーブを焚き(小屋内は火気厳禁ですby妖精さん)、インスタントコーヒーを淹れていた。
単独で演習を行って勝ちを譲る、いわゆる「単艦放置」の接待編成。
朝一番には「蛇の目」と呼ばれる太丸の紋に、「南無妙法蓮華経」と筆書きした旗を引っさげ、熊本鎮守府の戦艦娘6人が演習を挑んできて、ちょっぴりガンビア・ベイの気持ちを味わえた。
(ちなみに、熊本鎮守府と天草鎮守府は、同一県内に複数の鎮守府がある珍しい例だが、その対抗意識のせいか、提督同士が非常に仲が悪いことで知られている)
続けては、中央の小さめの黒丸と、その中央に向けて線を生やした五つの黒丸が五角形に配されている「梅鉢紋」を旗印にする、石川県の七尾鎮守府が水雷戦隊編成で挑んできた。
キラ付けが捗ったお礼にと、能登半島の隠れた名物、真イカの内臓を発酵させた(能登町のみで作られている珍しい)魚醤「いしり」のケースを置いていってくれた。
(ちなみに、日本三大魚醤として有名な方の「いしる」は、能登半島の広い範囲でイワシ、サバから作られている)
お昼には、釣り好きで高雄嫁の提督が率いる、伊豆下田鎮守府の重巡打撃部隊。
紋は背の低い二等辺三角形が三つ合わさった後北条氏の「三ツ盛鱗」だ。
沖ノ島海域での任務「第五戦隊、出撃せよ!」のためのキラ付けだそうだが、それにしては妙高、那智、足柄、羽黒の第五戦隊に加えて、嫁の高雄と、その妹愛宕を編成に加えている。
空母である龍驤はそれほど詳しくないが、確か重巡主体の北ルートは、重巡4(内1を雷巡に変更可)+航巡2で、ドラム缶2つを装備するのが、呪術的に羅針盤を安定させる定石だったはずだが……。
聞けば、どうしても嫁の高雄を出撃させたいし、第五戦隊から足柄を抜くのも嫌で、不利は承知で毎月この編成で挑んでいるらしい。
「うちの提督みたいな浮気者の八方美人もどうやと思うけど、そういうプレッシャー、ウチなんかは胃が痛ぅなるなぁ……って、単婚派提督やったら、ウチなんか選ばれとらんか、あははははは……」
伊豆下田鎮守府の面々を手を振って見送り、昼食に戻ろうかと思ったところで新たな演習申し込みがあった。
とりあえずインスタントコーヒーとクッキーで小腹を満たしながら、相手の到着を待つ。
大淀の通信妖精さんから相手が門をくぐったとの連絡を受け、湾を出て演習海域へと向かい……。
黒丸を小さな八つの黒丸が取り囲んだ図案の「九曜紋」と「大一大万大吉」の文字の軍旗をはためかせた、佐和山鎮守府のあきつ丸と邂逅した。
「一人が万人のために、万人が一人のために尽くさば、天下の人々みな吉となる」という意味の「大一大万大吉」は、関が原の合戦に挑んだ佐和山城主、かの石田三成が陣幕などに使用したスローガンだ。
さて、この滋賀県の佐和山鎮守府。
琵琶湖の哨戒活動と、国内の連絡中継だけが任務の内陸鎮守府で、所属する艦娘も、あきつ丸ただ一人しかいない。
そもそも佐和山自体が彦根の裏山なので、湖の水面にさえ面していないという、かなり変わった鎮守府だ。
「ええと……注文通り航空機積んできとるけど、ええんやな?」
「もちろんであります。一対一なら、手加減は無用。勝ちは譲られるものではなく、文字通り勝ち取るものであります!」
その心意気やよし。
だけど、開幕爆撃だけで龍譲が圧勝しました。
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「龍驤さーん、お昼の出前に来ましたー」
体操着の上にジャージ(瑞雲mode)を羽織り、下はスカートにハイソックス、ローファーの革靴という、マネージャー風の艤装の速吸が、海からお弁当を届けにきてくれた(この岬への陸路は海岸に沿って幾重にも曲がりくねっている上、途中から舗装されていないアップダウンの厳しい林道になる)。
「今日は唐揚げ弁当ですよ」
小屋の中に入り、ホカホカと温かい保温容器の弁当箱を龍驤に渡すと、速吸が持参した魔法瓶から熱々の味噌汁を注いでくれた。
(速吸は、そのマネージャー姿が何やら提督の甘酸っぱい記憶でも刺激するのか、やたらとセクハラ被害を受けまくっているが、いつも明るく元気に裏方業務に励んでいる。)
弁当箱を空けると、油の香ばしい匂いが立ち登ってくる。
油でテラッとキツネ色に輝く、一口大の唐揚げが末広がりのたっぷり八個(もも肉とむね肉の半々ミックスだ)。
地元産の新鮮な若鶏を使用し、塩こしょうをしっかり揉み込んで半日寝かせた上、しょうが、にんにく、たまねぎ、りんご、パイナップルを摩り下ろして、酒、醤油、みりん、蜂蜜、オイスターソース、ゴマ油を加えた特製ダレに一晩漬け込み、一度骨付きの丸鶏を揚げてから漉した油を使って揚げた、間宮食堂自慢の特製唐揚げ。
大分県の誇る唐揚げの聖地「中津」の名店の唐揚げを食べ比べながら、提督と間宮と伊良湖、そして速吸が研究を重ねて辿り着いた味だ。
生まれながらの大分っ子である、
フワフワした春キャベツの千切りがたっぷりと別容器に盛られ、あっさりしたレモン風味のドレッシングが薄めにかけられている(ここの提督は、唐揚げに直接レモンをかけるのを嫌う)。
あとはツヤツヤに炊かれた大盛りの白いご飯に梅干がのり、ちょいと黒ゴマがかけられ、たくあんが三切れ添えられているのみという潔さ。
だが、それで十分。
唐揚げ、唐揚げ、唐揚げの全面唐揚げ大攻勢で、ご飯を平らげていく快感。
粉の配合にもこだわったカリッとした揚げ衣に包まれた鶏肉は、もちろんジューシー。
噛めば噛むほどに、肉汁と下味、特製ダレが絡まった深い味が染み出してきて、ひたすらに美味い。
食感を変えて油を洗い流す、キャベツの千切りと、なめこの味噌汁の援軍も頼もしい。
「いや~、いくらでもいけてまうやん」
龍驤の食べっぷりに微笑みながら、速吸がコップに冷たい麦茶を注ぎなおしてくれる。
と、大淀から新たな演習の申込みがあったことを伝える通信が入るが、すぐに長門から……。
「龍驤、少し待て。私も援軍を率いて向かう」
と連絡が入った後、大和、武蔵、摩耶、秋月を呼び出す通信が立て続けに発せられた。
資源消費を無視した、ガチ編成だ。
「こりゃ、相手は卍紋やな」
その長門の気合いの入り方から、別に仲が悪いわけではないが、地元のマスコミの注目度合いから「絶対に負けられない戦い」である、津軽鎮守府との演習なのだと察する。
「よーし、うちも準備せんとな」
龍譲は弁当の残りをかっこむと、使用許可が下りた、零戦岩本隊、烈風改隊、パスタの国のRe.2005改隊、そして彩雲隊に集合をかけた。
「赤城や加賀みたいにっちゅう訳にはいかんけど、やってみよかー!」
「はい、速吸、全力で応援しますっ!」
速吸の声援を受けながら龍驤が小屋を出ると、気持ちのよい潮風が頬を撫でていった。