ある鎮守府のエンゲル係数   作:ねこまんま提督

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漣とにんたま丼

梅雨に入りかけた今日この頃。

 

太陽が顔を見せた日には、鎮守府内には様々な音が交錯する。

 

明石の工廠で、新規の艤装を造っている建造音。

出撃や遠征に赴く艦隊の艤装を運び、あるいは畑へと向かう、軽トラックのエンジン音。

 

艦娘寮の増築に合わせて、様々な家具を作る電動工具の音。

新たな艦娘たちのために衣服や小物を縫う、ミシンの音。

 

雨露に濡れた庭を、小鳥たちが遊び回って囀る音。

 

そんな中……。

 

焼却炉が、すごい勢いで轟々と音を立てて燃えていた。

 

提督が、執務机の鍵付き引き出しに5年間隠し続けてきた写真集(誰の写真集かは秘密だが、プレミア価格で数万円で取り引きされるブツとだけ記しておこう)が、酒がないかと漁りに来たポーラと隼鷹に見つかってしまったのだ。

 

そして運が悪いことに、今日の秘書艦は榛名だった。

 

すぐに写真集を持って焼却炉へ向かおうとする榛名から、提督は何とか写真集を取り戻そうと力いっぱいに引っ張ってみたが……。

 

榛名は笑顔のままだが、そこは戦艦娘のパワーなので、もちろん写真集はビクとも動かない。

それどころか、ミシッと音を立てて榛名の指が、それなりの厚みのある上質紙の束に食い込んでいく。

 

「いや、榛名さん。これは……そう、芸術的なもので……」

 

榛名が、言い訳する提督相手に不思議そうにキョトンと首を傾げ、左手を顔の前へと掲げた。

その左手の薬指にはケッコン指輪が光っている訳で……。

 

艦娘や深海棲艦、二次元が相手であれば、提督がどんな浮気をしても大して気にしないここの艦娘たちだが、相手が生身の人間となると途端に嫉妬の炎をメラメラと燃やす。

 

食堂でテレビの天気予報を見ていて、お天気お姉さんを「可愛いね~」と提督が褒めただけで、食堂中から殺気のこもった視線が飛んでくるぐらいだ。

 

「金剛お姉様ー、大和さーん!」

 

榛名が仲間を呼ぼうとするにいたり、ついに提督も諦めて写真集から手を放した。

 

かくして、サラセン人の都市を焼き払う十字軍の将軍のような清々しい笑みを浮かべ、ガソリンをぶち込んだ焼却炉の前に立つ榛名の姿が見られたのだった。

 

 

「おお、ていとく! しんでしまうとは なさけない…」

 

休憩室でボケーッと体育座りで放心していた提督に、漣がイラッとする表情で話しかけてきた。

 

プイッと横を向く提督の背中に、漣が抱きついて小さな胸を押し当ててくる。

 

「旦那……あの写真集の画像データなら、あちきのUSBメモリに入ってますぜ?」

 

そっと耳元でささやく漣。

 

みなまで聞く必要もなく、提督は第七駆逐隊のために何か美味しいものを作ろうと、急いで厨房に向かうのだった。

 

 

四国は徳島県の鳴戸鎮守府。

 

旗印は、菱形を三つ縦に重ね合せた塔のようなマークの下に、中抜きの菱形が波状に五つ並んだ、三階菱に五つ釘抜。

ともすれば、戦国の覇者になっていたかもしれない、三好家の家紋だ。

 

鳴戸鎮守府は、もとは同県駐屯の自衛隊幹部だったという、俳優の故・夏八木勲さん似の渋い中佐提督と、料理上手な愛妻、愛猫2匹の他に、駆逐艦娘が3人だけの、こじんまりとした近海警備専門の鎮守府だ。

 

海岸から数Km引っ込んだ吉野川流域に民家同然の鎮守府を構え、近隣の引退農家の田畑を買い取って、ここの提督でさえ羨むような完全自給自足&アウトドア生活(愛車は三菱のパジェロ)を送っている。

 

それはともかく……。

 

その鳴戸鎮守府からもらった、徳島名産の春ニンジン。

トンネルと呼ばれる大型だが背の低いビニールハウスの中で大事に越冬栽培された、柿のように甘くて柔らかい逸品。

 

これをたっぷりと短冊切りにして、豚肉のこま切れとピーマンとともにゴマ油で炒めて、塩こしょうして味を調え、卵を落とし込んでしばらく蒸らしてご飯にのせ、最後にちょこっと醤油を垂らせば……。

 

提督特製「にんたま丼」の出来上がりだ。

ニンジンと卵でにんたま……安直なネーミングではあるが、ニンジンさえ良いものを使っていれば絶品の味になる。

 

サミュエル・B・ロバーツに丼のご飯を用意してもらったが、天龍などの教育がいいのか、ふっくらと綺麗にご飯を盛ってきてくれた。

 

ここの鎮守府では、TPOに合わせたご飯の盛り方、カレーの注ぎ方、肉ジャガの盛り付け方、この三つをマスターすることが、まず一人前の駆逐艦娘への道だと教えられる。

 

甘くて美味しい春ニンジンに半熟玉子焼きを絡め、炊きたてのふっくら熱々ご飯とともに頬張る喜び。

 

「うむ、苦しゅうない。これを進ぜよう」

 

にんたま丼に満足し、USBメモリをそっと提督に渡す提督。

喜んで立ち去る提督だが、この鎮守府の妖精さんたちはハイテク機器を壊してしまうので、USBメモリを開けるようなパソコンは一台もない。

 

「あれ……本当に中に写真集のデータが入ってるの?」

 

おずおずと尋ねる潮だが……。

 

「うんにゃ。著作物の無断複製は犯罪ですぞ」

 

当然とばかりに漣は首を横に振る。

 

「あんた、クソ提督にバレたらどうすんのよ?」

「提督、可哀想なんじゃ……」

 

「あのねえ、ボノたん、ボーロ。嫁が100人以上もいて毎日色々と搾り取られてる提督が、わざわざ外出してパソコンでアレを開く元気なんかあると思う? どうせずっと、引き出しにしまったまんまだよ」

 

「だったら、何でクソ提督はあんなに喜んでたのよ?」

「要は、思い入れのある品は手元に“持ってる”ことがオタクにとっては大事なのだよ。ま、非オタにこの気持ちは分からないだろうけどねえ」

 

納得いかない表情の潮、曙、朧を無視し、漣はズズズーッと食後のお茶をすするのだった。

 

今日もここの鎮守府は平和です。


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