憂鬱な梅雨の季節だが、辺境のこの鎮守府では日々、最低限の遠征と任務、お付き合いの演習だけを行う、平穏な日々が続いている。
執務室も模様替えで梅雨モード。
提督の机には紫陽花が置かれ、窓にはてるてる坊主がぶら下がり、傘立ても準備されている。
鮎をモチーフにした壁紙が張られた季節の壁には、『阿武隈お姉さんとキス島に行こう。初心者大歓迎♪』とか『求む! 三一駆、鉄底海峡突入の高速戦艦1、空母3』とか、任務の参加者を募る手書きのチラシや、何者かが名残を惜しんで飾った瑞雲旗。
「いいね? 残念ながら制空権を奪われた……ような感じで、上手く負けるんだよ」
提督は演習に向かう伊勢、サラトガらに、八百長を指示していた。
最近9戦連続で、ここの鎮守府がお隣の塩釜鎮守府との演習に勝利している。
サーモン海域のレ級や、KW環礁の空母棲姫の討伐のため、大和、武蔵、アイオワ、翔鶴、瑞鶴、摩耶、北上、秋月といった、鎮守府の虎の子を毎日、惜しげもなく第一艦隊に編成していたためだ。
この間、回収した食材で作った鳳翔さんの和膳定食を、大本営の妖精さんたちに差し入れしたところ、試製甲板カタパルトが支給される際に、なんと3枚も送ってきてくれた。
これで、伊勢を改装航空戦艦にした上、さらに翔鶴と瑞鶴、サラトガの予備艤装を別バージョンの改二仕様にできる……と喜んだのも束の間、設計図が足りなかった。
大本営から特別な改装に使う設計図をもらうには、特別な武勲を挙げて得られる勲章を、4つ集めなければならない。
普段は、ほっぽちゃんや港湾棲姫までは撃破しても、レ級や空母棲姫と戦わなければならない南方や中部の深海領域奥地はスルーしていたこの鎮守府だが、勲章欲しさに今月は全力出撃をしたのだ。
そんなところに演習を挑んできて、ガチ編成相手に連日ボコボコにされ続けたのが、塩釜鎮守府というわけだ。
塩釜は提督と艦娘の絆が日本一薄い、まるで会社のような雰囲気の鎮守府とも言われている。
日々、中間管理職とOL的なドライな関係の中、艦娘たちからの陰口と突き上げにより、元信用金庫の職員だった中年提督さんの頭髪と胃がヤバイことでも有名だ。
こちらとの演習で大量のボーキを溶かし、秘書艦以外からは完全に無視されているという噂も聞こえてきた……。
今日は演習に是非とも負けてあげたいのだが、竹に雀の紋の塩釜鎮守府との演習もまた、地元が盛り上がる注目カード。
手抜きしてあっさり負けました、では世間様が納得しない。
「梯形陣で反航戦に持ち込んで、膠着した砲雷撃戦から、相手の夜戦突入で押される感じで……」
「はいっ! 気合い、入れて、行きます!」
「長波サマに任しとけ! さーいくぞ、オーッ!」
「ああっ、もう……比叡と長波はバ可愛いなぁ……だから、気合い入れ過ぎちゃダメなんだってば!」
なので、綿密に美しい負け方をシミュレート中です。
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無事に(?)、塩釜鎮守府との演習に負けた後……。
提督は淡い夕闇の下、多くの艦娘たちが釣り糸を垂れている埠頭に顔を出した。
今晩は多摩神様の「アナゴの動きが活性化するニャ」というお告げにより、釣り大会となったのだ。
アナゴは、ウナギ目アナゴ科の総称で、主に釣りと食用の対象になるのは、その中でも「マアナゴ」だ。
その「マアナゴ」のことを、この地方では「ハモ」と呼んでいる。
もちろん西日本で食用に好まれる本家ハモ(ウナギ目ハモ科)とは別種であるが、この湾でも本物のハモが釣れることがあり、その呼び名もハモだ(ややこしいが、食べればどっちも美味しいからいいんだよ)。
湾内の泥底に住み、日中は泥の中や岩の隙間に隠れているが、日没後は活発に浅瀬を回遊して貪欲に餌へと食らいつく。
岸壁からすぐ近くの足元に、イソメ(青虫)や、サンマ、サバ、イカなどの冷凍切り身といった餌をつけた釣り糸を垂らすだけで、簡単にホイホイと釣られてくるので、初心者や子供でも楽しめる。
ただし、外道として、尾に毒針を持つアカエイなどがかかって刺される危険や、素人には見分けがつきにくいクロアナゴ(味と食感がマアナゴより落ちる)や、外見が似たウミヘビ(揚げれば食べられないことはない)などを持ち帰ってしまい不味い思いをすることがあるので、最初は慣れた人と釣るのがおすすめだ。
「釣れたよー! ほらほらぁ♪」
「ああ、これはギンアナゴ。そっちの、天ぷら用のクーラーボックス行き」
今も大東が釣ってきたアナゴを、北上が分別してあげていた。
「ビスマルク、ウナギが釣れたぞ。ゼリー寄せを作ってやろうか?」
「バカッ、もったいないことするんじゃないわよ! ウナギは蒲焼きに決まってるでしょ!」
みんな仲良く(?)釣りを楽しんでいるようだ。
「ヒャーッ、こいつ頭落とされてもまだ元気に暴れてるぜ!」
「これ、ワインに合いますかねぇ?」
「ワインより、芋焼酎か泡盛だな。石垣島の『八重泉』があるぞ」
「んっふふ~、楽しみだね!」
呑兵衛どもは天ぷら鍋を囲み、外道のウミヘビをもらってきて酒盛りをしようとしていた。
ウミヘビと聞くと、爬虫類のウミヘビを想像するかもしれないが、ここで釣れてくるのはウナギ目ウミヘビ科のホタテウミヘビ。
血抜きして皮を剥ぎ、ブツ切りにしたら焼酎と酢でよく洗い、山椒醤油に漬け、片栗粉をまぶしてカリカリの竜田揚げすると、いいつまみになる。
この時期、裏山で採れる山椒の実を醤油に放り込んだ山椒醤油は、一年分作り置きしてあって、様々な料理に活躍してくれる。
提督も呑兵衛どもの輪に加わり、逆さにしたビール瓶のケースに座って、ウミヘビの竜田揚げをいただいた。
衣はサクサク、身の味はウナギそのもので、山椒醤油がピリッと効いて美味い。
美味い……が、どうしてこれを食べる人がほとんどいないかと言えば……。
とにかく骨が多い……多いというか、骨太過ぎて熱が通りきらずに硬いままなのだ(ハモやアナゴに通用する骨切りの技術も気休めにしかならないし、そんなことすると包丁が欠ける)。
ちびっと食べては太い骨を吐き出し、かろうじて揚がっている小骨を噛み砕き、酒で口を洗ってはまた食べる。
「えっへへー、これはお酒がすすみますなぁ。提督も、もっと飲んで飲んで」
イヨがコップに泡盛をドプドプと注いでくる。
確かに、ほんの一個の竜田揚げを食べる間に、(口の中を洗い流すので)コップが3回は空になる。
「提督ぅ、じゃんじゃん食べなよお。まだまだ、いーっぱいあるからさあ」
隼鷹が、新たなブツ切りを天ぷら鍋に放り込み、ジュワァという揚げ音が響いた。
「何だ、もう空か……次は久米島の『久米仙』にしよう」
那智が新しい泡盛の瓶を開ける足元には、数本の空瓶が転がっている。
「うへへへへ、ていとくぅ~、」
危険な流れを感じながらも、ポーラが抱き着いてきて宴席から逃げ出せない。
今夜はすごく……酔いそうです。