ある鎮守府のエンゲル係数   作:ねこまんま提督

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タシュケントのボルシュ

連日シトシト雨に見舞われていたが、梅雨の中休みに入った、この鎮守府。

 

とはいえ、湿りを含んだ南風が吹き込み、ジメッと蒸し暑く、爽快さとは程遠い。

先日、コタツ闘争をしたばかりのガングートも、トレードマークのコートを脱ぎ捨て、ジャージ姿で腕まくりしている。

 

ガングートは、休憩室でアイオワと囲碁の対局中。

 

艦隊の中では、実艦の艦歴では最古と最新、戦後冷戦時の陣営では東側と西側と、水と油のような二人が仲良く対局している姿は微笑ましい(もし喧嘩になったら即座に両成敗するため、大和とウォースパイトが近くで待機しているが…)。

 

何より、畳の上に置いた卓上盤を挟み、蒸し暑さにうだって寝そべっている二人の姿は……。

昔、友人の家で飼っていた、ゴールデンレトリバーとシベリアンハスキーを思い出させる。

 

 

提督もまた、タシュケントと将棋を指しているが、こちらは脚付きの盤。

提督は着流し姿であぐらをかき、タシュケントは浴衣で座椅子に座っている。

 

ボードゲーム好きのこの提督、最初期から囲碁も将棋も鎮守府へ持ち込んでいたのだが、吹雪たちを相手に互角の対局を楽しめたのは、ほんの短期間だった。

 

ここの艦娘たちは、実艦だった時の乗組員の記憶や技能をおぼろげながら思い出せる。

 

駆逐艦でさえ二百人、戦艦に至っては千人以上の乗組員がいたのだから、町内の強者程度の者は掃いて捨てるほど各艦にいたし、中には相当の腕前の猛者もいて、艦娘たちはすぐにその者らの記憶を思い出し、メキメキと強くなった。

 

そして、ここの提督は単なる下手の横好きで腕前の方はヘボ中のヘボだったから、すぐに全敗街道まっしぐらとなった。

 

戦後に生まれた、ミニ中国流、ゴキゲン中飛車などと、艦娘たちが対応できない新戦法で攪乱しても、最後は地力で叩き潰されるし、艦娘たちが囲碁や将棋の戦術本や問題集などを本格的に読み始めると、もうお手上げだった。

 

そんな提督に希望の光が差したのは、囲碁や将棋の経験者を乗組員に持たない、海外艦の顕現だった。

 

今日も楽しく、提督はまだ初心者のタシュケントと将棋を指していた(少し情けなくないですかねえ)。

 

が……提督は今、猛攻にさらされ、王手をかけられている。

チェスプレイヤーを乗組員に持っていた海外艦は、将棋の上達が早いのだ。

 

「うーん」

「下手の考え休むに似たりじゃ」

 

腕組みして長考する提督の後ろから、盤面を覗いた利根が言う。

 

「横から口出すのもアレだけどよ……それ、2二玉に逃げても、角打たれて終わりだからな」

 

隣で敷波と天霧を相手に花札をしつつ、観戦していた天龍が投了を促してきた。

 

「逃げないで、と金を取ったら?」

「同志提督、5三歩成、下がれば4二金を打って詰みだよ」

 

「なら、そこで逃げないで5三のと金をさらに取るのは?」

「同志、それは……」

「アホか、そこは飛車が効いてんだろ?」

 

「負けました……タシュケント、お腹がすいた」

 

ここの鎮守府は今日も平和です。

 

 

昨夜からタシュケントが、得意のボルシュ(ボルシチ)を作ってくれている。

 

骨付きの牛肉を大鍋で一時間、アクをとりながらじっくりと茹でる。

そして、一度肉を取り出し、キャベツ、にんにく、ベイリーフ、炒めたニンジンとタマネギ、ジャガイモを煮て、さらにトマトとビーツ、一口大に切った先ほどの牛肉を加えて一時間煮る。

 

まだ完成にあらず。

火を止めて冷まし、粗熱がとれたらまた一時間煮て……を三度ほど繰り返し、さらに味を馴染ませるために『盗み食いは銃殺刑』と紙を貼って、一昼夜おく。

 

火を入れて温めながら、レモンを絞って酸味を加え、塩コショウで味を調える。

そして、皿によそって別に手作りしておいたスメタナ(サワークリーム)をのせれば、ウクライナ発祥のロシア家庭料理の定番ボルシュの完成だ。

 

えらい手間がかかるが、本来は数日分を作り置きして家族でゆっくり食べるもの(ここの鎮守府では瞬く間に食い尽くされるが……)。

 

この料理に欠かせない真っ赤な野菜ビーツは、昨年の欧州遠征の際に、本場の種子を買ってきて畑で栽培し、昨日収穫したばかりだ。

 

ちなみに、刻んで入れているニンニクも、自分たちの畑で越冬栽培し、晴れ間を狙って昨日収穫したものだ。

梅雨の雨を吸って大きく成長したニンニクは、とう(花をつける茎)を出す。

 

養分がそちらに取られてしまわないよう、雨の中でも「とう摘み」の手間を惜しまず、たっぷりと芽に養分と水を貯えさせ、満を持しての収穫だ。

昨年の秋に植えてから9ヶ月の努力と愛情が詰まっている。

 

キャベツも、近隣の農家が品種改良した夏向けの新品種で、収穫が始まったばかり。

寒暖差により、みずみずしく、甘みが強く育っている。

 

そうした野菜がゴロゴロとたくさん入り、牛骨肉の旨みとコクが凝縮したスープの豊かな味。

ほんのり爽やかなレモンの風味と、スメタナの香りが、梅雨の憂鬱を追い払ってくれる。

 

またよく合う滋味に溢れる素朴なライ麦パンを齧りながら、

 

「週末はずっと晴れそうだね」

 

梅雨の中休みには、裏山にピクニックに行くのが毎年の恒例だ。

早めに日程を決め、お弁当の準備をして、仲の良い深海棲艦たちも招待しないと……。

 

しばらくは、平和でのんびりした日が続きそうです。


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