ある鎮守府のエンゲル係数   作:ねこまんま提督

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那珂ちゃんと足柄のトンカツ

草木の緑はいっそう色濃くなり、蝉の声が響き渡るようになった。

 

この鎮守府は、海と山とに挟まれた、人口1万人に満たない小さな町にある。

 

鎮守府のある漁港から町の中心へと向かう山沿いの小道を、「夜戦」と筆書きされた変な手ぬぐいを頭に巻き、作業着姿の川内が大小の石を積んだ猫車(工事現場などで使う一輪車)を押していた。

 

川内が石を運び込んだのは、那珂が干物づくりを習っている、近所のおばあちゃんの家。

 

昔から津波の多かったこの地域では、山の斜面を切り開いた高台に集落が作られた。

 

だが、その斜面を昔から支えてきた土留めの石垣が、補修されずに傷んだまま放置されている家が多くなってきている。

若者の流出により、住民の高齢化と石積み技術の伝承途絶が起こっているからだ。

 

次の「少し大きめの中規模」だという晩夏作戦まで暇な鎮守府では、棚田作りで学んだ石積みの技術を生かして、町内の石垣の補修サービスを始めました。

 

 

石垣は、五種類の石によって構成されている。

 

まず、石垣の一番下で土に突き込まれた、土台となる大きな「根石」。

その上に徐々に小さく積んでいく表面の「積み石」。

その積み石同士の隙間を埋めるための「飼い石」。

表からは見えないものの、斜面との緩衝と排水の役目をする大量の小石「裏込め石」。

石垣の一番上に置かれる、平らで大きな「天端(てんば)石」。

 

石垣の補修では、「根石」は地盤沈下が起こっているなどの特別な問題がない限りは、絶対に動かしてはいけない。

 

「積み石」は、基本的に最初に積んだ時点で抜けにくく崩れにくい積み方がされているはずなのだが……。

 

「ここ、拝み石になっていますよね」

 

川内が石を運び込むと、石垣の草刈りをしながら石の状態を観察していた神通が、二つの長方形の石が手を拝むように「ハ」の字に合わさった箇所を指した。

 

「うん、この辺が歪んでるのは、ここのせいだね」

 

お城や寺社などは別にすると、日本の石垣積みには、石を斜めに差し込んでいき、石同士の重さがかかり合う「谷」を作って自重の均衡で安定させていく「谷積み」が多い。

 

その中でも、地域的に石材が豊富で同程度の大きさの石を大量に用意できる地域では、規則的な配列の「矢羽根積み」が用いられるが、一般的には大きさの不規則な石を積み込む「乱積み」の手法が採られる。

 

もちろん「乱積み」だからといって適当に積むわけはなく、どの石も必ず三点以上で支えられるように石を積む。

だが、その後の地震や風雪で石垣が傷んでいくうちに、石同士の力の均衡が崩れる箇所が出てくると、三点支持の原則が破られて、石垣の崩壊がゆっくりと始まっていく。

 

今回の場合、何らかの原因で積み石同士の隙間を埋めていた「飼い石」が失われてしまい、その空間に倒れこんだ2つの石が、「拝み石」という互いを支えあわない形のまま落ち着いてしまったようだ。

 

そのため、その2つの石は上からの石の重みを互いに逃がすことが出来ずに、少しずつ石垣の前方に押し出されてきている。

 

さらに、その2つの石が「ハ」の字になった下の空間にある石は、上部からの重みが十分かからずに緩んできている。

もし次の地震などの際、この石が抜け落ちることになれば、一気に周囲が崩れることになる。

 

この一帯の石を全てどかして積みなおすか、新たな石を差し込むだけで対処できるか……。

 

「あたし達じゃ判断できないね。那珂ちゃんに見てもらおう」

「それがいいですね」

 

那珂ちゃんはアイドル修行の一環(?)として、『石材施工技能士(石積み作業)2級』を習得しているのだ。

 

来年は伊勢、日向、最上と同じ1級に挑戦だよ。やったね、那珂ちゃん!

 

 

川内と神通が昼食のために鎮守府に戻ると、ちょうど食堂前で那珂と顔を合わせた。

 

「ばっちゃんとこの石垣、見てもらいたいんだけど、午後は空いてる?」

「……うん、那珂ちゃん、オッケーだよー♪」

 

元気に答えるものの、返答に一瞬の間があり、顔が少しやつれている、ジャージ姿の那珂。

 

「どうかしたの、那珂ちゃん?」

「あー……提督がね、堤防でサビキ釣りを始めたら小アジが爆釣で……駆逐艦の子たちも面白がって、どんどん釣り上げるもんだから……」

 

神通の問いに答えながら、那珂がそっと手を差し出すと……。

 

「うわっ、アジ臭っ」

 

豆アジとも呼ばれる、手のひらにチョンと乗るような小さなアジは包丁を使わず、指をエラに差し入れてワタごと引きはがしてさばく。

 

那珂は午前中、みんなが釣った山のような小アジを、ひたすら手で引きちぎり続けていたのだ。

 

 

「那珂ちゃん、お肉が食べたいっ! 絶対、お昼は魚じゃなくてお肉! 憎らしいほど肉らしい肉がいい! 二人もあたしの前で、魚なんか食べないでよね! あと、ハンバーグとメンチもNGだからね!」

 

鼻息荒く宣言してテーブルに着くと、食い入るようにメニューを凝視する那珂だが、注文すべき一品は「本日のオススメ」の一番上に太字でデカデカと書いてあった。

 

『足柄特製トンカツ横綱定食』

 

食堂ではいつでも、間宮さんのトンカツを注文することができる。

 

ヒレにしろロースにしろ県内産の銘柄豚を使用し、フライ専用に配合した自家製の生パン粉をまぶして、綿実油(めんじつゆ)をベースにゴマ油などをブレンドしたフライ用オリジナル油で香ばしく揚げた、それはそれは名店に負けない上質な味の逸品だ。

 

だが、足柄のトンカツと聞いては、頼まないわけにはいかない。

 

数日前から熟成させた極厚のロース肉に粗挽きの生パン粉をまぶし、ラード100%の油で低温から時間をかけてジックリ揚げた、カロリーの暴力といった尖ったメニューなのだ。

 

「足柄さんのトンカツお願いします!」

 

アイドルとしての矜持を投げ捨て、横綱まっしぐらなカロリーメニューを注文する背徳感。

 

そんな那珂の注文に顔を見合わせた姉妹だが、後を追うように足柄のトンカツ定食を注文した。

 

 

まず、食堂当番の駆逐艦娘、神風が小皿などを運んできた。

 

キュウリの漬物と、ポテトサラダ、味噌汁の具は生揚げとワカメ。

ご飯はふっくらツヤツヤで、大きめの茶碗にたっぷりと。

 

オーソドックスだが、鉄壁の布陣だ。

 

そして、トンカツがドーンと登場。

 

皿には、たっぷりと山のようなキャベツの千切りが盛られ……。

それに負けない、圧巻のビジュアルの巨大なトンカツ様がデデンと鎮座している。

 

熱々の歯切れのよいザックリとした衣の下には、柔らかくてジューシーな、うっすらピンクの宝石のような輝きの(あくまでも肉食人の主観です)分厚いロース肉。

 

噛みしめれば、ほとばしる肉汁。

肉の旨味を、ラード脂たっぷりの衣がワッショイワッショイ盛り上げる。

 

三人は思わず無言のまま、ライスとキャベツを2回もおかわりしたのだった。

 

 

「これは積みなおさないとダメだよ。ほら、ここ見て」

 

那珂がスッと指差したのは、一見すると何でもない石垣の部分。

 

実は「八つ巻き」という、一つの石を八つの石が取り巻いていて、中心の石に過度な力がかかっている箇所だ。

「六つ巻き」という、一つの石を六つの石が取り巻いている状態が最も好ましく、五つか七つが許容範囲だ。

 

問題のある部分と関連する石(当然、その上にある石も)をはがし、周辺の石垣との均衡を作りつつ、新たにその部分を積みなおす。

 

そして、全体に裏込め石を補充し、十分な水はけを確保して……。

 

「これは大仕事になるよね。那珂ちゃん、頑張らなきゃ♪」

 

鬼怒のポーズをとりつつ、那珂が明るく言うが……。

 

「那珂ちゃん、ポーズと口調はともかく……武蔵さんみたいな表情になってるよ?」

「ええ……頼もしいですが、アイドルのスマイルではないと思います。それと、お口の周りがテカッてますよ?」

 

ガテン系の仕事にも励みつつ、みんな今日も元気です。


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