朝焼けに染まる鎮守府前。
明石と夕張が建設中の、巨大なウォータースライダー流しそうめん台が威容を誇る。
早朝から提督はL字堤防の先端から沖目に向かい、竿を振って仕掛けを投げ込んでいた。
「提督さん、何を釣ってるっぽい?」
「しれー、何釣ってるの!? ねーねー、なになに?」
「司令官、遠投カゴ? 珍しいじゃない。何釣ろうとしてるの?」
「うーん……何が釣れるかなー」
朝の散歩の途中、興味を示した駆逐艦娘たちが寄ってくるが、その度に提督は曖昧な返事。
そんな提督の隣で、クーラーボックスに座って海を眺めていた矢矧が、提督を冷ややかに見つめる。
今日の秘書艦である矢矧は知っている。
提督が狙っているのが真鯛だと。
湾の奥まで真鯛が入ってきているという多摩神様のお告げで、まだ夜も明けない内からダイワの『剛弓マダイ』という、そのものズバリな真鯛専用の遠投竿を持ち出しているのだ。
遠投カゴ釣りとは、普通のウキ釣りでは届かないような遠距離に向けて、餌をつけた針と撒き餌とを収納したロケット型のカゴを飛ばし、着水したカゴが狙いのタナで針と撒き餌を放出するというもの。
(本気で真鯛を狙うなら、堤防の外の磯場から投げた方がいいのだが、チキンな提督は足場の悪い磯には滅多に行かない)。
この遠投カゴ釣り、竿も仕掛けもなかなか重く、何度も遠投していると結構疲れる。
そして、とうとう朝マズメ(日の出の前後1時間ほど)が終わろうとしているのに、まだアタリはない。
遠投カゴ釣りのメリットの一つに、エサ取りのカワハギやクサフグのいる上層をカゴでガードしたまま通過できるというものがある。
が、代わりに本命のアタリがないと「誰からも相手されない」ような寂しい気分になる。
疲れもあり、段々と仕掛けを遠投する距離も出なくなってくる……。
矢矧は感づいている。
提督が意図的に、真鯛を探る遠目のポイントから、メジナやベラがよく釣れる、お手軽ポイントにシフトしようとしているのを。
しかし、姑息にポイントを移して目標をチェンジしても、釣れないものは釣れない。
無言で提督が竿を納め、仕掛けを外し始めた。
「諦めた?」
矢矧の問いには答えず、お高い『剛弓マダイ』様をロッドケースに仕舞って、違う竿を伸ばし始める提督。
シマノの『ホリデー磯 3号300』、ちょっとした近場の投げ釣りに向いた短めの入門者用万能竿だ。
2017年にモデルチェンジされた現行品は、モノトーンの落ち着いたカラーだが、提督が使っているのは旧モデルのケバケバしい黒、茶、金、銀のグラデーションで、少しばかり安っぽい雰囲気がする(事実、シマノの磯竿の価格順では当時下から二番目、『剛弓マダイ』様の数分の一の値段)。
だが、非常に使いやすくて、必要かつ十分な性能を備えた、コストパフォーマンスに優れた名竿だ。
そして、提督がタックルボックスから出した新しい仕掛けは……。
株式会社ささめ針の『ボウズのがれ 元祖波止釣りの巻』。
仕掛けの商品パッケージには「釣るまで帰らん!」「釣れない時の道具だのみ」「いろんな魚が同時に狙える!」という身もふたもないキャッチコピーとともに、メバル、アジ、カサゴ、カワハギ、ハゼ、アイナメ、キス、カレイ、そしてフグ(はあ!?)のイラストが節操なく並んでいる。
対象を選ばぬ五目釣りに超特化した仕掛けだ。
「そういうところよね、提督」
「何が?」
「うちに丙勲章ばかり溜まってく理由」
矢矧の嫌味はスルーして、新しい仕掛けを投げ入れるが……。
あれ、釣れない。
いつもは邪魔な、餌泥棒のカワハギやクサフグちゃんまで、全然姿を見せてくれない。
「………………」
提督が再び仕掛けをチェンジする。
同じくササメ針の『ボウズのがれ コマセ地獄』。
商品名と「魚がいなけりゃ、寄せりゃエエがな!」のキャッチコピーの通り、プラスチックのカゴに入れた撒き餌を海中にバラ撒きながら、寄ってきた“何かの魚“を釣ろうという仕掛けだ。
「これでダメなりゃ、とっとと帰りましょ。」と書かれたパッケージ。
この仕掛け、基本はサビキ仕掛け(撒き餌で寄せ、疑似餌のようなサビキ針を表層から中層の魚に食わせる)なのだが、サビキ針3本の他に、プラカゴの下にさらに底魚用の針が2本出ている。
そして、光を反射して魚の関心を引くダイヤカットや夜光玉でキラキラ装飾。
プライド? 何それ美味しいの? これが丙提督の意地だ。
矢矧(遠投キス釣りの名人)がさらに冷たい視線を向けるが……。
ん?
何やらBGM(提督の口笛)が……。
仕掛けを投入してゆらし、プラスチックカゴに仕掛けられたコマセをまくや、すぐに竿にアタリがきた。
完全に流れ変わったな。
「よし、アジだ。お、下の針にはハゼまでかかってる」
小アジの群れが、堤防の周りに群がり始めたのだ。
サビキ釣りというのは、アジの群れさえ寄ってくれば、後は提督だろうと猫だろうと竿を出してりゃ勝手に釣れまくる。
面白がった駆逐艦娘たちが、次々に竿を持ってきて小アジ釣りに加わり始める。
提督、完全勝利!
……なわけなかった。
この『ボウズのがれ』は諸刃の剣で、様々な魚種を同時に狙える一方、仕掛けが冗長すぎてすぐに絡まるのだ。
提督の本日の釣果、小アジ1、ハゼ1で終了。
そして那珂ちゃんが、駆逐艦娘たちが釣った小アジの山をさばかされることになるのだった。
・
・
・
遠投竿を振りまくったので、お腹が空いた提督。
お昼は食堂で……。
「あ、これがいいな」
優柔不断な提督が、メニュー選びに苦悩した末に指差したのは、バラエティー豊かな具材と三種の味付けを同時に楽しめる「五目中華セット」。
あんかけ五目焼きそば、五目チャーハン、五目中華スープの定食セットだ。
「そういうところよね、提督」
「何が?」
「うちにケッコン艦が100人以上いる理由」
矢矧の嫌味はスルーして……。
あんかけ五目焼きそばは、自家製の蒸し麺にクリスピーな焼き目をつけたもの。
エビ、イカ、ホタテ、白菜、キャベツ、人参、青梗菜、キクラゲ、フクロダケ、ヤングコーン、そしてウズラの卵……。
たっぷりの具材の上から、あっさりシャバシャバの塩味ベースの餡がかけられている。
熱々の餡を具材と麺にからめて食べれば、あっさりながらもシャープな塩味の餡が、シンプルな具材そのものの旨味、薫り高い麺の風味を引き立てる。
五目チャーハン(
中華醤油とウスターソースの香りが食欲を誘う。
そして、もちろん卵と香味油がしっかり絡んだご飯は、黄金色のパラッパラに炒められている。
口の中に広がる、混然とした美味しさ。
五目スープは、鶏ささみと豆腐、エノキ茸を具の中心に、卵、椎茸、人参、絹さや、白髪ねぎが美しく色とりどりに咲き乱れる。
とろみのついたスープは、干し貝柱のダシが加わった鶏ガラスープに、酢とラー油が加わった
汗がブワッと吹き出すが、夏だからこそ、それがかえって心地よい。
そして、三つの味、三つの食感を交互に味わう贅沢な食べ方。
嬉しそうな提督を眺め、矢矧は呆れたように肩をすくめた。
この気の多い提督の貪欲さのおかげで、矢矧は今ここにいるのだ。
5年前、多くの提督が矢矧の捜索を諦める中、ここの提督は鉄底海峡へ通じる門が閉じる寸前まで、血眼になって矢矧を探し続けた。
そして、残り数分で……ついに提督は矢矧を見つけ出した。
「もうすぐ晩夏作戦が始まるみたいだけど、準備は大丈夫?」
「うん、ボチボチ。バケツが少し心配だけど……何とかなるよ」
甲勲章に固執しない、ここの提督ならではのホワワンとした答え。
それでも、新規の艦娘だけは絶対に全員確保するつもりだ。
この夏はどんな新しい娘が家族に加わるのだろうか。