朝の冷え込みも厳しくなってきた今日この頃。
養鶏場から戻ってきた五十鈴のMD90にも、革製のぶ厚いハンドルカバーが取り付けられている。
MD(Mail Delivery)90は郵政カブとも呼ばれ、その名の通り郵便局の郵便配達に使われる特別仕様の紅白カブで、民間では払い下げによる中古車のみを購入することができるバイクだ。
球磨と多摩が市場との行き来に使っているスーパーカブ90と比べると、エンジンは旧式設計を採用し続けているため古いが信頼性と整備性が高く、足回りやダンパーが強化されており、この地域に合わせた電装系の寒冷地対策も施されていた。
荷台の郵政集配用ボックスの容量は通常でも110リットル、ボックスの蓋をスライドさせることで、最大168リットルにも達する。
『自主・自炊・自足』をモットーとしているこの鎮守府、艦娘寮や漁船、田畑を維持・運営して生活の質を向上させるため、艦娘たちには多くの当番活動が割り振られている。
明石のモトコンポ、アクィラのベスパ、大井と北上の
鎮守府には数々の優れたバイク(ただし夕張、テメーはダメだ)があるが、こと中規模の買い出し活動に関する限り、五十鈴と名取が使っている郵政カブと互角の勝負が出来るのは、鬼怒と由良が使うベンリィ110だけだろう。
運び屋としてのプライドを胸に、五十鈴は今日も養鶏場から直接仕入れてきた大量の新鮮卵を運ぶのだった。
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艦娘寮の大食堂。
その厨房が一番忙しくなるのは昼前時だ。
朝食の片付けと並行して昼食の準備をしなければならない上、昼食のメニューは複数からの注文式。
朝食のように全員分を一斉に準備するのとは、また違った大変さがある。
今日の日替わりメニューは3種類。
妙高と羽黒が用意しているのは、ニシンの煮つけ定食。
鎮守府のレストア漁船「ぷかぷか丸」で獲ったニシンを、圧力鍋で生姜、ネギ、大根とともに、骨までとろけるように煮た一皿がメイン。
ニシン独特の臭みは、酒と酢を加えることで煮飛ばすことができるし、ニシンの身から出た脂が染み込んだ大根も絶品だ。
しめじの味噌汁、イシモチのかまぼこ、豆腐、切り干し大根、白菜の漬物、サツマイモの甘煮と、小鉢も充実している。
リシュリューとコマンダン・テストが用意しているのは、ミックスフライ定食。
ヒレカツ、ホタテフライ、クリームコロッケに、大ぶりの海老フライがそそり立つ。
オニオンスープ、大盛りサラダの他、カクテルグラスに美しく盛られたリンゴのムース。
そしてラーメン枠としては、鎮守府最強のラーメンマスター・長良の「塩ラーメン」が登場していた。
丁寧に下処理した地鶏の首ガラとモミジ、手羽元を、十種類以上の野菜・きのこ類、昆布、貝柱とともに、沸騰させないよう弱火で長時間じっくりと炊きだした
そこに、えぐみが出ないよう短時間だけサンマ節を加えて魚介ダシを抽出して一晩寝かせ、モンゴル岩塩と沖縄の天日塩をミックスして鶏油で溶かした塩ダレと合わせる。
すっきり淡麗で繊細ながら、コク深さと芯の強さがある絶品の塩スープ。
それに合わせる麺は、スープとの絡みとツルリとした吸い込み感を目指してブレンドした低加水の極細麺。
製麺機で伸ばした後、2日間寝かせて熟成させたものだ。
具材には、スープの淡麗さから一転して濃厚な醤油の風味が染み込んだ鶏ハム、鶏の旨味が溢れる手捏ねの鶏つくね。
旬の時期に瓶詰め加工しておいた地元産の味付き姫竹(根曲がり竹)の爽やかな歯応えと、しっかりと温めてからのせるシャキシャキの刻みネギが、食感にアクセントを与える。
そして、魚介のあら炊きスープと天日塩のタレに一晩漬け込んでおいた、トロットロの半熟味玉子。
定食に比べるとラーメン一杯ではボリューム感で劣るという問題も、白ダシで炊いたご飯で作った、げんこつ大の焼きおにぎりを添えることでクリアーしている。
この焼きおにぎり、シメに投入して茶漬け風に食べるのとまたハマるのだ。
3年前の秋刀魚祭り直後に長良がメニューに登場させて以来、あまりに完成度が高すぎて、塩ラーメンの分野に挑戦する他の艦娘が現れなくなったほどの逸品だ。
「ラーメン一つ満足に作れないうちは、一人前と認められない」
そんなローカル常識が支配する、この鎮守府の軽巡業界。
「ラーメン作りって、こんなにも大変なのね……」
長良に弟子入りし、ここ2日ほとんど休まずに塩ラーメン製作を手伝っていたゴトランドが蒼い顔をしている。
「あー、そうビビんな。長良型のラーメンは別格だから」
「そうだクマ。軽巡全員が毎回こんなガチ仕込みしてたら、艦隊業務が詰むクマ」
見学に来ていた、天龍と球磨がゴトランドを慰めるが……。
こいつらも、一昼夜かけて炊き上げた豚骨スープに特製マー油を加えたオリジナルラーメン、名付けて「
鎮守府の
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大食堂に新鮮タマゴを運び入れた五十鈴は、その内の半分をカウンターに置いてある籠に並べ始めた。
もう半分は、今日の食堂当番である駆逐艦娘、海風と山風が厨房の奥へと運んでいく。
茹で卵を作るためだ。
ランチでは、ご飯と味噌汁、海苔とふりかけ、各種パンとバター、ジャム、チーズ、それに生or茹で卵は、おかわり自由の取り放題になっている。
もちろん、無駄に取り過ぎて食べ残そうものなら、間宮の
五十鈴の妹である由良も、大根の葉のみじん切りとカツオの削り節をゴマ油で炒め、白ゴマをまぶした自家製ふりかけをカウンターに並べている。
いよいよ厨房から香る匂いも強くなった11時半過ぎ、任務や遠征、演習、各種の当番活動から戻ってきた艦娘たちが大食堂にバラバラと姿を現し始める。
出撃任務から帰還した名取が、皐月、水無月、文月、長月の第二十二駆逐隊を連れて大食堂へとやってきた。
タウイタウイ泊地沖に跋扈する敵潜水艦隊を制圧するため、セレベス海の戦闘哨戒に出かけていたのだ。
「名取、疲れてるみたいだけど大丈夫?」
「あ、五十鈴姉さん……実は……」
過去の出撃報告から、敵は潜水艦ばかりと思ってソナーと爆雷中心の装備で出撃したところ、初めて遭遇に成功した敵主力には水上艦も混ざっており、火力不足で苦戦させられた末の辛勝だったという。
初めて進出した海域ならではの悩みだが、何事も試行錯誤。
今回の名取の報告が、次の出撃を大成功させる糧となる。
「みんな、長良姉の塩ラーメンでいい?」
「あ、うん、私はそれで……」
「ボクも長良さんのラーメンがいいっ!」
「長良さんの塩ラーメン、すごく美味しいよね~」
「えへへ、久しぶりだなぁ」
「あの塩ラーメンか……悪くない」
五十鈴が厨房に注文を伝えに行くと、入れ替わるかのように提督がやってきた。
皐月たちが喜んで提督にまとわりつく。
「ごめん、司令官。補給艦を見つけたけど、逃がしちゃった」
「さっちんは悪くないよ、主砲持ってなかったんだもん」
「あのねあのね、駆逐ロ級の後期型が2隻もいたんだよ」
「私は敵の旗艦ソ級を沈めたぞ。eliteのやつだ」
皐月たちの話を目を細めて聞き、彼女らの頭を撫でていた提督は、最後に「ご苦労様」と名取の頭も撫でてくれた。
「午後は由良と朝潮たちに行ってもらうから、名取たちはゆっくり昼ごはんを食べて休んでね」
時間の限られた期間作戦の時でもなければ、連続出撃はできるだけ避け、小破どころかかすり傷でも入渠させる、ここの提督。
その優しさは嬉しいが、名取としては装備を調整して再出撃してハッキリとした勝利を掴みたい思いがあった。
そんな名取の気持ちを察してか……。
「大丈夫、明日またお願いするから。次はS勝利を期待してるよ」
通りがかった白スク水の伊504をだっこしながら、提督は笑うのだった。
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長良の塩ラーメンがテーブルに到着した。
透明感のある輝くスープの中に、繊細な極細麺の束がたなびく。
スープを一口飲むと、口の中に広がるのはまろやかな塩の風味に包まれた、鮮烈な鶏の旨味の結晶。
その味の衝撃は大きいのに、尖らず、刺さらず、じんわりと舌に染み込み、さっぱりと上品。
続けて麺をすすると、よくスープの絡む絹のような細麺がツルツルと唇の上を滑り、口内に躍り込む。
細いがコシのある麺をプチリと噛むと、ほんのり小麦の味が広がり、スープの余韻を受け止める。
名取が得意としている味噌ラーメンが、幾重にも色を重ねながら輪郭と陰影を明確にしていく重厚な油彩画だとすれば、この長良の塩ラーメンは水墨画。
輪郭をぼかしながらも、明暗により生み出されるコントラストは鋭く、静止の中にダイナミックな動きがある。
「「美味しい~っ!」」
皐月たちの声が響く。
姉の長良のラーメンが作り出す、みんなの本当に嬉しそうな喜びの笑顔。
味の方向性は違えど、そんな笑顔の輪を自分でも作ってみたくて、名取もラーメン作りにのめり込んだ。
軽巡洋艦娘としても、もっと提督のために、仲間のために活躍したい。
以前は弱気で臆病で、旧式でダメダメな自分に自信が持てなかった名取。
だが、提督から多くの任務を与えられて戦いを重ね、みんなのために様々な仕事をこなすうち、みんなのためにラーメンを作り続けるうちに、少しずつ自分に自信が持てるようになった。
「うん……明日も頑張ろう」
名取が小さく呟く。
ここの鎮守府では、一人がみんなのために、みんなが一人のために、毎日頑張って生活しています。