ある鎮守府のエンゲル係数   作:ねこまんま提督

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秘密基地とカムジャタン

バレンタインの喧騒が過ぎ、立春の候も終わろうとしているが、寒風は肌を刺すほどに痛く、春はまだ少し遠い。

 

それでも、海の平和を守るため、鎮守府は動き続けなければならない。

特に日本海や北海道では猛烈に降る雪のせいで視界が悪く、現地の鎮守府からは対潜作戦の応援要請がひっきりなしに届いている。

 

「……み、みなさん、どうぞよろしくお願い致します」

「はーい、行ってきまーす!」

「島風ちゃん、ちょっと待ってよー!」

「抜錨……うっふふ」

 

今も、神鷹、島風、夕張、対馬からなる対潜掃討部隊が、五芒星のような軍旗を靡かせながら出港していく。

 

猫のような細目をしているだけあって、猫のように寒さに弱いここの提督。

スノボ用ウェアに身を包み、埠頭で縮こまりながら小さく手を振り、艦隊を見送っていた。

 

山形県飛島(とびしま)沖に、深海領域からの浸食を受けている海域があると、海自のP-3C哨戒機から通報があったのだが……。

秋田や山形の鎮守府は、悪天候下での連続した対潜哨戒による疲労で即応が難しく、『奥羽越列府同盟』の盟約の下に応援要請が入ったのだ。

 

新潟は直江津鎮守府の、男装歴女提督(重度の厨二病)の発案で生まれた、この『奥羽越列府同盟』。

 

軍閥化だの日本分裂のおそれだのと、一時は洒落の分からない国会やマスコミがアホのように騒いで批判してきた(そうした声にいちいち、時の首相のことを「長賊の末裔」とか、某野党党首のことを「売国奴」とか、直江津提督がバカ発見器(ツ〇ッター)を駆使して不穏当な呟きを返し炎上を煽る確信犯だったせいも多分にある……)が、今ではこの地方の鎮守府互助会として有効に機能している。

 

 

艦隊を送り出して、もとは漁協の管理事務所だった、コンクリ建てのボロッちい鎮守府庁舎に戻ろうとすると……。

 

「提督~、寒くない? こっち来れば?」

 

資材を溜めている小さな赤レンガ倉庫(もとは漁師さんたちの駐車場だった場所に建っている)の横。

木枠をブルーシートとビニールカーテンで囲っただけの、パッと見はホームレスの住居にしか見えない「秘密基地」から、潜水艦娘の伊14(イヨ)が声をかけてきた。

 

この寒風の下、さすがは艦娘というべきか、水着っぽい艤装姿のままで元気に手を振ってくる。

 

誘われるまま中に入れば、四畳半ほどの狭いスペースに、隼鷹、千歳、那智、ポーラ、イヨ……あっ、察し。

 

案の定、大火力の灯油バーナーを炊き、鍋を囲んで酒盛りを開いていた。

 

「提督、これに座るといい」

 

那智が自分の座っていたパイプ脚の丸椅子を提督にすすめ、自分は重ねたビールケースに座りなおす。

提督を立ててくれているのは分かるのだが、その丸椅子にしても緑のビニール張りが一部破れて、中の黄色いスポンジが見えている粗末なもの。

 

鍋は、韓国のカムジャタン。

骨付きの豚の背肉を、ネギやニンニク、ショウガ、エゴマの葉といった香味野菜、ぶつ切りのジャガイモ(カムジャ)とともに、ピリ辛スープで煮込んだ(タン)だ。

 

それをシュゴーッと頼もしく加熱しているのは、屋台文化の本場である韓国で作られた『SHC-88』というバーナー。

大きな鍋のスープも素早く沸かせる大火力で、煮込み料理に絶大な威力を発揮する。

おかげでブルーシート内は暖かい。

 

折り畳みテーブルには、韓国風の宴会を意識した大量のつまみの皿が並ぶ。

葉を一枚まるまる漬け込んだ白菜のキムチ、大根のカクテキ、春菊、もやし、人参のナムル。

韓国春雨の炒め物チャプチェ、チョ(酢)コチュジャンを絡めたイカの刺身(フェ)

コチュジャン味の青ネギソースをかけた焼き鯖(コカルビ)に、おぼろ豆腐(ズンドゥブ)

 

ブルーシートの中に充満する、ニンニクと唐辛子の匂いとバーナーの熱気。

こういうドヤ街の路地裏屋台のような猥雑な空気は嫌いではないが……。

 

寒がりであると同時に汗っかきでもある提督の額に、つつーっと汗の雫が零れた。

 

「さあさあ、飲みなよぉ♪」

 

隼鷹の乱暴なお酌でドボドボと注がれるのは、韓国焼酎チャミスル(もちろんラベルだけの日本版ではなく、ちゃんとした本国版)。

それも日本ではなかなかお目にかかれない、1.8リットルの徳用ペットボトル版だ。

 

資源輸送任務の合間に密かに行っている、日本海でのドラム缶による『瀬取り』貿易の賜物だろう。

 

みんなと乾杯した焼酎のロックをグビリと一杯、甘みはあるが強い酒を喉に流し込み、千歳がハサミで切ってくれた白菜キムチをかじると……。

 

ブワッと汗が噴き出してきた。

 

「貴様は本当に汗っかきだな」

「何しろ、提督はチンチン代謝がいいからさぁ」

「もうっ、隼鷹ったら」

「ぎゃはははは、下ネタ! んっふふ~」

「ブラ~ヴォ~♪」

 

箸が転げただけでも笑い声をあげる(よっぱらい)たち。

……は放置して、本命のカムジャタンをいただく。

 

唐辛子を大量に加えた真っ赤なスープは一見いかにも辛そうだが、韓国唐辛子のマイルドで尖りのない辛みなので意外とスッと飲むことができる。

だが、そこはやはり唐辛子、熱々に煮込まれていることもあって、体中の汗腺がフルスロットル。

 

香味野菜のおかげで豚骨を煮込んだ時の特有の臭みは消されているが、スープには確かに豚骨から出た濃厚なエキスが感じられる。

辛さと熱さと旨さとが混然一体となり、スープだけでもグイグイと焼酎がすすむ。

 

お次は具に……。

 

手づかみした骨付き肉に豪快にしゃぶりつき、とろけるような肉をじゅるりと食す。

続けて、豚骨の旨味をたっぷりと吸ったゴロゴロのジャガイモを頬張ると、肉ミーツ炭水化物の夢心地。

 

クタクタに煮られた、ネギやエゴマの葉は良い口休め……いや、熱さや辛さによるものとは違う、香味野菜による身体の中心からジンワリ染み出してくるような汗がたれてきた。

 

これは温まります。

というか、バーナーから勢いよく吹き出す炎がすごく熱い。

 

 

額にこぼれる汗を拭きつつ、甘辛ソースとともにふっくら蒸し焼きにされた鯖を箸でつつき、さらに吹き出す汗にたまらず……。

提督はスノボ用ウェアを脱ぎ捨て、半袖のTシャツとパンツ姿になり、グイグイと焼酎をあおった。

 

「あははは~、いい脱ぎっぷりですぅ。ポーラも脱いじゃいます~♪」

「おう、脱げ脱げ~。パァ~ッとな!」

「飲みっぷりもいいぞ、もっと飲むといい」

「お肉も焼きましょうよ」

「んっふふ~、ちゃんとサムギョプサル用の焼肉プレートもあるんだなぁ」

 

 

なんて具合に、しばらく楽しい宴会をしていたら……。

 

脱ぎ捨てた提督のウェアにバーナーの炎が引火し、さらにブルーシートに燃え移り……。

 

「倉庫の隣で火遊びしてた悪い子は誰!?」

 

すぐに消火したものの、甲種防火管理者である陸奥さんにメチャクチャ怒られました。

 

教訓:子供や酔っ払いだけで火を取り扱うのはやめましょう


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