ある鎮守府のエンゲル係数   作:ねこまんま提督

195 / 252
ジョンストンとわかめおにぎり

鎮守府庁舎の二階、提督と大淀と艦隊メンバーのギリギリ8人が着席できる、小さな会議室。

 

作戦会議や座学学習に使われていた部屋だが、今やケッコン艦が過半数を占め、駆逐艦や海防艦の平均練度も90を超えたこの鎮守府では、綿密な打ち合わせや教育の機会も減り、本来の用途に使われることは少ない。

普段はボードゲーム大会や、金剛姉妹のお茶会、秋雲たち同人部の執筆、祥鳳先生の折り紙教室など、趣味の活動に使われるばかりだ。

 

今日は珍しく、新入りの日進、ジョンストン、峯雲、早波の4人のために、まじめな勉強会が行われていた。

 

照明が消され、窓には暗幕がかけられた室内。

椅子を並べた4人の前、ホワイトボードに張り付けたプロジェクタースクリーンには、学習画像が映し出されている。

 

「成熟期を経たわかめには成実葉、通称「雌株(めかぶ)」が形成され、6月から7月にかけて胞子が放出されます。これは実際に胞子が海中に放出されているところの写真ですが、この胞子を遊走子と呼びます」

 

画像に合わせて、わかめの生態を説明するナレーターの古鷹。

 

「この遊走子が海中を泳いで海底に付着し、夏頃には発芽して配偶体となりますが、この配偶体には雄性と雌性があります。秋頃に雌雄それぞれの配偶体が卵と精子を作り、これが受精して芽胞体(がほうたい)となり、さらに成長して10月から11月頃、ようやくわかめの赤ちゃん、幼葉(ようよう)となるんですね」

 

すでに多くの生徒を育ててきただけあり、古鷹の解説はスムーズに進む。

 

「さて、養殖においては、あらかじめ雌株を磯場から採取して確保しておき、海水を張ったタンクに雌株を入れ遊走子を放出させ、この中で種糸(たねいと)という紐に遊走子を付着させます。このタンクに種糸を張ったものを採苗器と呼び、ここで効率よく種糸に遊走子を付着させ、海中に戻した種糸の上で幼葉(ようよう)となるまで、わかめを育てます」

 

この鎮守府がある地域は、わかめの一大養殖地であり、鎮守府でも自前の養殖場を持っている。

ここで艦娘として生きていくためには、わかめの養殖に関する知識は不可欠なのだ。

 

「10月から11月頃、1~2cmに育った幼葉を養殖縄に巻き付けて、本養成に移ります。これが実際の養殖風景で、たくさんの浮球が一直線に海面に浮いていますね。この浮球の間に養殖縄が張られていて、もちろん浮球は流されないように海底のコンクリートブロックにつながれています。この養殖縄で育っていくわかめを、適度に間引きながら……」

 

今日も鎮守府は平和です。

 

 

三方を山に囲まれ、三つの川から雪解け水が流れ込む栄養豊富な湾には、数多の養殖棚が並ぶ。

鎮守府の眼前では、今まさにわかめの収穫が最盛期を迎えていた。

 

わかめは日光に弱いので、収穫は午前1時頃から日の出までの暗がりの中で行われる。

3メートルほどに成長したわかめを、海中から引き出して刈り取るのは、なかなかの重労働。

 

だが、漁師さんたちの仕事はまだ始まったばかり。

港に水揚げされたわかめは、すぐに雌株をカットして、海水を沸かした釜で湯通しされる。

 

刈り取ったわかめは、そのまま放置しておくとどんどん傷んでいくので、時間との勝負だ。

日中でも5℃にしかならない寒さの中、どこの漁師さんも、家族・親戚が総出となり作業に勤しんでいる。

 

日が昇る頃には、鎮守府を含む漁港の周辺は、わかめを茹でる濃密な磯の香りに包まれた。

 

海の中では茶色いわかめだが、茹でられると一瞬で鮮やかな緑色に変わる。

だが、茎までしっかりと緑色になる加減の見極めは難しく、職人技が必要な真剣勝負だ。

 

「峯雲ちゃん、茎の中の方は、まだ茶色いままだからジッと我慢。95℃を保つように水温計にも注意してね」

 

鎮守府の埠頭でも、那珂ちゃんが峯雲に熱心に指導中。

茶色い部分が残れば、わかめの「等級」はガクンと落ちる。

鎮守府のわかめは売り物にするわけではないが、職人気質なこの鎮守府のプライドが半端な仕事を許さない。

 

茹でたわかめは、続けて冷却される。

この冷却が甘いと、わかめの色や塩の絡みが悪くなる。

電動ポンプで海水をくみ上げ、水を循環させて、わかめを泳がせながら丁寧に冷やす。

 

冷やし終わったわかめの一部は、天日干しにされる。

こうして茹でて冷却、水抜きされた状態が「生わかめ」だが、これでは日持ちはしない。

 

 

大部分のわかめは塩漬けにされ、「塩蔵わかめ」として流通していくことになる。

 

塩蔵用の塩絡め機(回転ドラム)にわかめを入れ、大きなボウルいっぱいの塩をふっていく能代。

 

「よし、バッチリ。みんなー、これタンクに持ってって」

「はい、能代さん。浜ちんも手伝って」

「う、うん……は、はーちゃん……」

 

能代の指示を受けた、藤波と浜波、早波の第三十二駆逐隊が、塩絡めの終わったわかめを、塩漬け用のプラスチックタンクに運んで行く。

ポンプで汲み上げた海水が循環するタンクで、塩がまんべんなく行き渡るように、一昼夜じっくりと塩漬けにする。

 

この時の塩加減、塩の入り具合の均等さ、その後の漬け時間、ひとつひとつの作業が完成度を左右する。

漁師さんの家ごとに、それぞれこだわりの塩漬けのやり方がある。

 

翌日、タンクから引き揚げられたわかめは、カゴに移され、重しを乗せて軽く脱水される。

そして、異物の混入をチェックしながら大きさや色を選別し、固い元茎や、葉のプランクトンに喰われた部分などをカットする。

 

そして、最も手間のかかる「芯抜き」の作業には、熟練の技が必要とされる。

茎から葉をシュルシュルと引き剥がすだけなのだが、下手な素人がやると時間がかかるし、茎の一部を葉と一緒に剥いてしまったり、葉が途中で千切れたりして、わかめの商品価値を落としてしまう。

 

多くの家では、これはお年寄りの仕事。

この地域を歩けば、家の作業場で自分の身長よりはるかに長いわかめを、素早く器用に剥いているおばあちゃんたちをよく見かける。

 

「ううむ、いたしい(難しい)のぅ」

「そんなに力を入れなくていいですから。ほら、こうして葉と茎に裂け目が出来たら、そのまま自然に……」

 

日進が、古鷹に教えられながら芯抜きに挑戦している。

 

隣では、青葉が複雑そうな表情をしているが……。

 

そういえば1942年10月11日、青葉の率いる第六戦隊は、レーダーを装備したアメリカ艦隊を、日進のいる味方輸送部隊と勘違いして接近してしまい……。

青葉は集中砲火を受けて大破、青葉をかばった古鷹が撃沈され、吹雪も沈み、援軍に来た叢雲も空襲で失わるという、サボ島沖夜戦の負け戦となった。

 

「ほら、青葉! 手が止まってるわよ!」

「あ、はぃっ!」

 

後ろで見ていた叢雲に叱責され、慌てて手を動かす青葉だが、葉をちぎってしまっている。

このトラウマを払拭できた時、青葉にも第二改装が待っているのかもしれない。

 

 

どこもかしこも猫の手も借りたいような忙しさなので、猫以下の提督はジョンストンを連れて町内を散歩していた。

 

「港のみんな、毎日朝から働きっぱなしなのに、賑やかで楽しそうね」

「うーん、そうだね……」

 

わかめの収穫がすでに始まっていた1月に鎮守府に着任したジョンストンは、普段の静かな湾を知らない。

黙々とわかめを育て続け、一年かけてようやく収穫できる喜びは、農作業にも通じるものがあるが……ジョンストンはまだ農業も未経験だし。

 

と、杖を突いたおじいちゃんが、よろめきながら提督に近づいてきた。

 

「だからさぁ、拝むのはやめてよ」

 

提督を仏様のように拝みながら、歯のない口でモゴモゴと念仏を唱えるおじいちゃん。

 

四年前、お孫さん夫婦の乗ったわかめ養殖漁船のスクリューが養殖縄に絡まって転覆したとき、近くをパトロールしていた曙たち第七駆逐隊が救助したのだが……それ以来、おじいちゃんには、このように崇められてしまっている。

 

「ねまらい(ちょっと寄って座っていきなさい)」

 

いつものように、おじいちゃんに袖を引かれて、自宅に引っ張って行かれる提督。

とにかく提督や第七駆逐隊の顔を見たら、何かご馳走しなくては気が済まないのだ。

 

おじいちゃんの家に行き、ジョンストンとともに縁側に腰かける。

 

提督とジョンストンがきても、縁側の日の当たる場所で寝たまま、ピクリと耳を動かしただけの茶虎の老猫。

庭に干された、たくさんの緑に輝くわかめ。

裏の作業場から聞こえてくる、バスンという圧縮機でわかめから水分を抜く音。

 

おじいちゃんが出してくれたのは、生わかめのおにぎり。

 

炊き立てのホカホカご飯に、ほんのり醤油と白ゴマの風味。

生わかめのシャキシャキした歯ごたえと、朝採りしたばかりの新鮮な磯の香り。

素朴な味わいだが、自然の恵みを口いっぱいに感じる。

 

「あなたが守りたいのって、こういうものなのね……」

「……ん?」

 

ジョンストンの小さな呟きに、老猫の肉球をプニプニするのに熱中していた提督は気付かなかったが……。

 

「うん、あたしが守ってあげる!」

 

後に駆逐艦娘四天王の一角に食い込む、新たな幼な妻が誕生した瞬間であった。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。