人生は地獄だというのに、天どんを食えばうまい。
『満腹どんぶりアンソロジー お~い、丼』 (ちくま文庫)より
爽やかな朝日に照らされる
千葉県木更津市
数年前に深海棲艦の砲撃で破壊されたアクアラインの残骸を日除けにしながら、その盤洲干潟の海浜公園沖で竿を繰り出す四人の艦娘がいた。
兵站強化任務の遠征に来ている、羽織袴姿の駆逐艦娘・神風と、占守、八丈、石垣の海防艦娘たち。
兵站強化任務は、横須賀や佐世保などの主要港湾施設の強化に協力するという、比較的時間がかかる割りに報酬の低い、いわゆる美味しくない遠征。
しかし、ここ東京湾は60もの河川と太平洋からの海流が作り出す、江戸前の豊かな海。
そこで釣りができる、文字通り「美味しい任務」として、ごく一部の鎮守府では人気があるのだ。
北の辺境の地元にはヒラメやカレイがバンバン連れて、「幻の魚」などと言われるアイナメも堤防から狙えるような魚の宝庫の素晴らしい湾が広がる。
が、逆に地元ではほとんど釣れない魚もいる。
その一つが、夏の江戸前天ぷらの定番ダネとなるシロギスだ。
東京湾ではビギナーでも簡単に釣れ、船釣り入門や親子の夏休みの思い出作りにもピッタリなお手軽ターゲット。
船宿常連のベテランともなれば束(100匹)釣りも夢ではないのだが、地元ではツ抜け(10匹釣り)した阿武隈が「キス名人」と呼ばれるほどに魚影が薄い。
今日も提督に「キスを釣ってきて欲しい」とおねだりされ、東京湾にやって来た神風たち。
「2時から3時の方向、至近距離、水深6メートルの海底に感あり! ガッキ、ハチ、美味しいのいっぱい釣るっしゅ!」
魚群探知機(三式水中探信儀)を操作していた占守の言葉に、狙いをその方角に定める。
竿は遠征時の標準装備となりつつある、シマノの『ホリデーパック』。
カバンやバッグに入るほどコンパクトに収納でき、堤防でも船でも小物釣りなら幅広く対応してくれる万能竿だ。
海上から15号(55g強)錘のついた片テンビンをチョイと投げ込み、海底をトントンと探れば……途端にククッと小気味のいいアタリがくる。
「うん、いいわね。よしっ!」
リールを巻いて竿をあげれば、輝く透明感のある美しい魚体がピチピチと跳ね上がってくる。
俗に30cm以上のキスを「ウデタタキ」とか「ヒジタタキ」などと呼ぶが、それに迫る立派なキスだった。
これなら刺身にしてもムニエルにしても、食べ応えがあるだろう。
「うーん、でも……司令官が欲しがってるの、こういうのじゃないのよねぇ、多分……」
素早く釣れたキスから針を外し、エサのアオイソメを付けなおして再投入する神風。
キスは群れで行動しているので、いったん釣れ始めれば数釣りが期待できる魚だ。
「しむ姉、見て! また釣れたよ♪」
「釣れた……みたい」
次々とアタリを連発していく手返しの良い神風(練度98)はもちろん、シロギス釣りが初めての八丈や石垣もすぐに2匹、3匹と釣果を増やしていく。
「お、外道だけどメゴチっしゅ!」
「それなら司令官も喜んでくれるわね」
釣りに熱中する艦娘たちを、ひしゃげたアクアラインの街路灯からカモメたちが見守っていた。
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同じ頃、提督は朝風、春風、松風、旗風の神風型姉妹と国後(全員エンジ色のジャージ着用、手には軍手)を連れて、鎮守府の畑に来ていた。
冬には茶色の土だけが広がっていた閑散とした一画が、今は幾重にも生い茂る緑のカーテンに覆われていた。
畑の中には驚くほどに涼しい風がそよいでいる。
「よーし、それじゃあナスを収穫するよ」
支柱に沿って伸びたナスの株に近づき、枝を一本一本確かめながら、食べ頃の実を藤原産業株式会社の「千吉 キャッチ付園芸鋏」で
ナスは収穫時期がとても長く、適切な剪定と追肥で株を元気に保ってやれば、毎日収穫が楽しめる。
ナスは、1本の枝に2つ花がついてたら、その先の葉を1枚だけ残して先っぽは切ってしまい、栄養を分散させないようにする(摘芯という)。
その花がナスの実となり、食べ頃になったら収穫し、根元に近い葉2枚とわき芽を残して枝は切ってしまう(整枝という)。
すると、わき芽から新しい枝が伸びてきて花が咲き、またナスの実がなるのだ。
ちなみに「親の意見と
茄子の花が咲けば必ず実をつけるように、親の意見もすべて子のためになって無駄がないということだが……。
ところが実際のナスの花は、けっこう実をつけないまま落ちることも多いので、実がなりそうにない枝は栄養の無駄にならないように早めに切り落とした方がいい。
余分な葉っぱをパチン、紫色が美しく、皮の張った弾力のある実を選んでパチン、収穫の終わった枝や実をつけそうにない枝をパチン。
しばらく辺りにパチンパチンと鋏の音が鳴り続ける。
「あ、ボケナス」
旗風の言葉に一瞬、自分の悪口かとビクリとした提督。
だが、すぐに本当に「ボケナス」を見つけたのだと気づいてホッとした。
収穫が遅れて、皮に張り艶がなくなった食べ頃を過ぎたナスのことだが、そのまま放っておくと種を成長させるために株の栄養を使ってしまうので、切り落として捨てなければならない。
昼が近づいてくると、太陽の光に焼けるような草の匂いが漂い、気温が一気に上がってきた。
ナスにはトゲがあるので、収穫時は夏でも長袖に軍手が欠かせないので、こうなると汗が噴き出してくる。
「ふー、暑い」
「司令官様、汗をお拭きしますね」
「ちょっと待っててください。お茶を淹れて、冷やしておいたんです」
「ボクは姉貴の汗を拭いてあげるよ」
「オデコに触るんじゃないわよっ! やーめーてーよー!」
汗びっしょりになりながら、収穫に勤しんだ提督たち。
「もうすぐ神風たちも帰ってくるだろうし、帰ってお風呂入ろう」
軽トラの荷台に春風たちと大量のナスを載せ、提督は鎮守府へと戻っていくのだった。
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お風呂に入ってさっぱりしたら、Tシャツとジーンズに着替え(本日の執務終了のお知らせ)、ウキウキしながら食堂へ。
神風たちが釣ってきてくれたキスとメゴチに、とれたての新鮮なナス。
そして、南西諸島離島防衛作戦のついでに現地で仕入れてもらった沖縄県久米島のマキ(10cm台前半の車海老)に、収穫から半月かけて追熟させたカボチャ。
提督はもう、朝から食堂で天丼を食べると心に決めていたのだ。
そう、食堂の天丼。
鳳翔さんに頼めば、銀座か日本橋あたりの名店のように、目の前で一品ずつ上品で繊細な天ぷらを揚げてくれるが……。
食堂で間宮が揚げてくれる天ぷらは、学生街で長年愛された天丼屋さんのような庶民派の味で、別ベクトルでまた絶品なのだ。
大きめの丼に水少な目でパラリと炊いたご飯をたっぷりと盛り、揚げたての具材を豪快に盛り付けて、辛く濃いタレを控えめに注ぎかける。
タレを浴びた熱々の天ぷらからジュワッと油が爆ぜる音がし、胡麻油の香ばしさがプーンと一気に漂う、あの感動の瞬間。
ボリューム満点の天丼の手にズシリとくる重みも、食欲を大いに昂らせてくれる。
財布には1000円ぐらいしかなくても、古本を買って天丼を食べられれば、それで天国気分だった学生時代を思い出し、おっさん提督は少し感傷的な気分になるのだった(なお、今でも財布の中身は寂しい模様)。
決してサクサクの極上の揚げ具合ではなく、カラッと揚げられた厚めの衣に黒いタレが染みた、ともすれば野暮ったい昭和の匂いがする天ぷら。
だが、それがいい。
ふわっふわで淡雪のような繊細なキスに、同じ白身でも旨味が凝縮したメゴチ、プリップリのみずみずしいマキ(10cm以下のサイマキは天ぷら単品で食べるにはいいが天丼にするとちと寂しいし、20cmを超えるような大物車海老では出しゃばり過ぎるので、天丼にはマキかブラックタイガーこそ最適だと信じている)、ジューシーにとろけるナス、ホクホクのカボチャ。
それぞれの素材の旨さを堪能しながらも、気取りなく、しじみの味噌汁と柴漬けをお供に、ご飯と一緒にバクバクと素早くかっこんで食べるのが正しい流儀。
天丼の美味さは天ぷらとタレと白飯の調和にこそある。
決して甘ったるくないキレ味のある濃いタレが、ビシャビシャにしない程度に白米の上にまだら模様を作っているのが最高だ。
最後は海苔の天ぷらで、丼に残ったご飯を一粒残さず拭うようにして口の中へと放り込み、揚げ衣と白米が混ざり合う最後の余韻を楽しむ。
そして、少し熱い濃い目の緑茶で締めたら、笑顔で感謝を込めて……。
「ごちそうさまでした」
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さあ、お腹は一杯になった。
いよいよ【欧州方面反撃作戦】が開始される。
我々は夏を諦めたりしない
最後まで遊ぶつもりだ
我々はフランスで遊ぶ
そして数多の海で遊ぶ
自信と力を増して空でも遊ぶ
我々はどんなに資源を使おうとこの夏を楽しみきる
我々は海岸でも遊び、我々は上陸地でも遊ぶだろう
野でも遊び、街でも遊び、丘でも遊ぶ
我々は決して退屈しない
期間限定作戦前の恒例、夜の大宴会で酔っぱらった提督。
チャーチルの歴史的演説のパロディを披露し、ネルソンにメッチャ怒られたのだった。