体を洗うだけでなく、
コミュニケーションを深めるオープンスペースでした。
町内の人々が集まる湯屋では、
噂話に花が咲き、広い二階座敷は、さながら公民館の自習室。
囲碁将棋、読書、居眠りetc...。
のんびりとした時間が流れていました。
杉浦日向子著『お江戸風流さんぽ道』より
「オン・ベイシラマンダヤ・ソワカ…オン・ベイシラマンダヤ・ソワカ…オン・ベイシラマンダヤ・ソワカ…」
執務室の奥に設けられた護摩壇の前で真言を唱え続ける、黒衣の女性提督。
薄暗い室内、ゆらめく炎に照らされるのは、白地に『毘』と『龍』を描いた一対の軍旗と、丸の内に
「為せばなる 為さねばならぬ 何事も……」
ここは日本海の荒波に面した、新潟県の直江津鎮守府。
「成らぬは人の……」
全国鎮守府の提督たちに恐れられ、また崇められる、RTA最強の軍団。
「為さぬなりけり」
その総帥であり、天草提督が評するに「不治の厨二病」を患っている「ボクッ娘歴女提督」。
「我が艦隊は降魔の軍なり……」
あの戦果お化けである横須賀提督(直江津提督とはカップリング趣味で相容れない不倶戴天の
「神仏に代わりて全ての不義を討つ!」
南太平洋海戦の最終決戦に際し、枯渇している燃料、弾薬、鋼材、ボーキサイト……全て軍札(借金)で賄う決意を固めた瞬間であった。
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さて、いつもの北の辺境鎮守府。
例年のように青や紫から咲き始め、雨に打たれるうちにピンクや白の花弁が咲き乱れた庭の紫陽花。
もとは温泉旅館だった、ここの鎮守府の艦娘寮には、いくつかの温泉風呂がある。
木の温もりを感じさせる、檜張りの広々とした浴室の和風大浴場。
それと対をなす、スペイン風漆喰と精緻な色彩美に満ちたタイル張りの内装の洋風大浴場。
大浴場から続く庭園に設けられた、小さな露天の岩風呂。
もう一つ、バブル期にこの温泉旅館を買った東京の会社によって地下に増設された中浴場。
ジェットバスやサウナといった付帯設備が目当ての艦娘ぐらいしか利用しない、どこにでもある現代的な浴場だったのが……。
何ということでしょう!
匠の手で昭和の下町銭湯風な浴場に大変身。
もちろん、湯船の上の壁面には富士山がタイル絵で描かれているし、桶や椅子も黄色のケ○リン。
この中浴場は提督も入っていい混浴浴場だったのだが……。
最近一気に新入りの艦娘が増えたため、彼女たちを驚かせないようにと、一時的に提督の入浴が禁止されてしまった。
そんなわけで、ちょっと拗ねている提督。
せめて温泉気分だけでも味わおうと、浴衣姿で休憩室に入り浸っている。
休憩室は艦娘たちがくつろぐための五十畳の和室。
茶と菓子はもちろん、漫画や雑誌、将棋やトランプなどのゲーム(ただし非電源に限る)まで用意してある。
お風呂上りに気ままにゴロゴロ寝そべったり、遠征の出番を待ちながらかりんとうを齧ってアズール(タイル配置系ボードゲーム)に興じたり、仲間とたわいのないおしゃべりに花を咲かせたり。
あるいは、てるてる坊主作りを習ったり、園芸、手芸、陶芸、染め物に始まり、カメラや紅茶の淹れ方など様々な教室が開かれたり、畑仕事の人手や釣り要員を募集する張り紙が貼られていたり、この休憩室は各種サークル活動の中心地でもある。
「うーちゃんEatsだぴょん♪」
鎮守府の埠頭には、遠征や出撃に出かける艦娘や工廠で働き詰めの明石のために、いつも何がしかの屋台が数店は出ている。
寿司、蕎麦、茶飯、おでん、天ぷら、串揚げ、焼き鳥、モツ焼き、みたらし団子、五平餅、コロッケ、ヴルスト(ドイツ語でソーセージ)、パニーノ、ハンバーガー、ホットドッグ、クレープ、フィッシュアンドチップス、ミートパイ、ピロシキ、ニシンサンド、ケバブ……定番はこのあたりで、おつかいのついでなどに手軽にパクつける。
さらには、うーちゃんのように艦娘寮の方にも出張販売に来る売り子役がいるので、この鎮守府ではいつでも食に困ることはない。
さっそく、浜風がアワビの串焼きを買っている。
肉厚のアワビをやわらか~く煮込み、たまり醤油と砂糖、みりんで甘じょっばく味付けして、最後にさっと炙り焼いたもの。
その美味しさは、浜風の顔を見ているだけで想像がつく。
思い思いにくつろぐ艦娘たちを眺め、提督がニマニマしていると……。
「おっ、司令、暇してんのか? 碁盤空いたし、せっかくだし一局打とうぜ~♪」
酒保で買ったミナツネの「あんずボー」を齧りつつ、碁盤の方で手招きするのは夕雲型16番艦、朝霜様だった。
忘憂清楽、深奥幽玄。
黒と白の石を交互に、盤上の線と線の交わった交点に打つ。
相手の石の周囲を自分の石で囲めば、その相手の石を取れる。
石を打った瞬間、周囲を囲まれてそのまま取られる状態になってしまう場所(着手禁止点)には打てない。
ただし、そこに打つことで相手の石を取り、囲まれた状態を破れるなら着手禁止点にも打ってよい。
着手禁止点を2つ以上持て(持てることが確定すれ)ば、その石の集団は
活きた石の集団で囲った陣地の内側の交点が多い方が勝ち。
基本的なルールはたったそれだけの、いともシンプルなゲーム。
だが、単なる二色の石の凌ぎあいが、脳漿を絞りつくす千変万化の戦いを生み出し、二千年以上に渡って人類を魅了してきた。
提督も囲碁は大好きで、有段者なんだけど……。
ここからの提督(黒)VS朝霜様(白)の戦いの様子は、某名曲の替え歌でお楽しみください。
白のオキがいま 隅の急所叩いても
大場だけを見つめて 微笑んでる
コスミツケられて 逃げることに夢中で
一眼さえまだできない いたいけな欠け眼
だけどいつか気付くでしょう そのサガリには
ダメを詰めて殺すための ハネがあること
残酷な死活のテーゼ
花六で やがて潰れる
サルスベリ ノゾキを利かせ
連絡をズバギルなら
捨て石を放り アテコミ
オイオトシ 頓死になれ
「負けました」
盤上には黒石が死屍累々。
ダンボーのような顔になった提督が投了を告げる。
「はっやーい!」
「あたしも碁打ちの提督を沢山見てきたけど、そこまで弱い提督は…いないぞ」
いつの間にか碁盤を覗いていた島風と長波から、キツーイ言葉が。
そう、提督は初段を名乗っているが、実は新聞の認定問題で免状をもらっただけの、なんちゃって有段者なんです。
しばらく沈黙していた提督だが、休憩室に新たに現れた艦娘を見て……。
「福江もーん! 朝霜に囲碁でイジメられたよー!」
「なにっ、よし、司令の仇はとってやる」
「うわっ、コイツ、海防艦に泣きつきやがった!」
大規模作戦は甲乙甲乙甲乙丁、ストレスレスなここの鎮守府は今日も平和です。