ある鎮守府のエンゲル係数   作:ねこまんま提督

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軽巡たちのラーメン狂想曲

縁が優美に切れ上がった桂林丼のラーメン鉢から、甘みを帯びた濃厚な醤油の香りがうっすらと漂っている。

 

京都の二段仕込み醤油を使ったという黒いスープに浮かぶのは、厚みのある黒ずんだ煮豚、白くツルッとした煮卵、刻んだ長ネギ、メンマ。

ラーメン鉢の縁には5枚の大き目の焼き海苔が屏風のように立てられていて、レンゲはついていない。

 

着丼の瞬間から、審査員である天龍、那珂の顔が曇った。

もう一人の審査員、鎮守府のラーメンマスターである長良は自然な表情だが、その視線は鋭くラーメンの細部までを走査している。

 

黙って箸をとった面々が、具の下から麺をすくい上げる。

チュルチュルとした多加水のストレート中太麺からは、スープがタラタラと滑るようにこぼれている。

 

「………………」

 

麺を咀嚼しながら、天龍は険しい表情になり、海苔を邪魔そうにどけ、丼鉢を掴んでスープをズズズッと飲み始めた。

隣では一口で麺を啜るのをやめた那珂が、一つ一つ具を箸でつまみ上げては、麺とスープに丹念に絡ませながら少量ずつ口に運んでいる。

長良はというと、ポーカーフェイスを保ったまま、淡々と一定のペースで麺や具材を口に運んでいる。

 

そんな審査員たちの様子を、このラーメンを作った矢矧が緊張の面持ちで見つめる。

 

この某テレビ番組の一流料理人ジャッジ企画のような重苦しい雰囲気が漂うのは、食堂で出す新作ラーメンメニューの試食会。

 

軽巡たる者、駆逐艦娘たちに熱烈に支持される看板ラーメンの一つも持っていなければいけない、というのがこの鎮守府の風潮。

 

姉の阿賀野は背脂チャッチャな東京屋台風の超濃厚豚骨醤油ラーメンで不動の人気を誇っているし、先に改二になった能代もハマグリ出汁とカキ油の澄んだお吸い物のような上品な味の端麗醤油スープの中華ソバで独自の境地を切り開き、妹の酒匂は酒匂で「ぴゃーっ!」と脳天まで強烈に刺激する激辛タンタンメンで一部から熱狂的な支持を集めている。

 

ところが、生真面目な矢矧は今までラーメン作りに興じることがなかった。

 

海外艦であるゴトランドが、水と骨だけで炊きだした極濃度の豚骨スープと、バラ肉の炙り叉焼(チャーシュー)が絶品のド直球160km/hなドロドロ豚骨ラーメンで「まるで豚を丸かじりした味だクマ!」「よし、名誉九州艦の称号をあげよう」と球磨と川内を唸らせ、L.d.S.D.d.アブルッツィとジュゼッペ・ガリバルディのイタリア姉妹も、太陽と海の恵みが香るトマトとアサリのボンゴレロッソラーメンで新風を巻き起こし、アトランタがローストビーフを載せた牛骨ラーメンの開発に着手しているというのに、看板ラーメンの一つも持っていなくては日本最強軽巡の名が泣く、と提督と阿賀野から理不尽なお説教をされた矢矧。

 

皆が美味しいというラーメンぐらい簡単に作ってみせるわ、と短期集中特訓をしてきたのだが……。

 

 

「この麺と煮豚は阿武隈に習ったのか?」

「そうよ、鎮守府で年間一番食べられているのは阿武隈の喜多方ラーメンでしょ? 喜多方ラーメンには塩味バージョンもあるし、漆黒ラーメンっていう七尾の醤油を使った人気のお店もあるみたいでアレンジの幅も広いし、阿武隈に教えてもらうのが成功への一番の近道だわ」

 

天龍の問いに対する矢矧の返答に、那珂がバンっと箸を置いた。

 

「矢矧ちゃん! このラーメンからは、矢矧ちゃんの顔が見えないよ!? 神通ちゃんなんか蹴落として、二水戦を乗っ取ってやる!っていう意気込みがゼンゼン感じられないよ!?」

「いや、そんなこと思ってないし……」

 

そこに長良が、小さく優しいが、良く通る張りのある声で質問を重ねた。

 

「どうしてレンゲをつけなかったの?」

「え、私は普段からあんまりレンゲは使わないから……」

 

質問に戸惑う矢矧の瞳を、長良がしっかりと見据える。

 

「うん、スープは美味しかったよ。でも、その再仕込みの二段熟成醤油を使ったスープがキーなのに、レンゲがないから一口目にスープから味わえないよね。かと言って麺と一緒に口に運べるかっていうと、表面がツルツルしてスープの染みにくい多加水のストレート麺じゃこの低粘度スープに対してリフト力と浸透力が弱すぎるし、丼に口をつけてスープを飲むには海苔が邪魔。この海苔、有明産の初摘みの極上品で美味しかったとは思うけど、スープや麺と相性が良いわけじゃなし、家系ラーメンみたいに海苔に合うライスがセットになってるわけじゃなし、飾り以外に何のためにあるのか分からないっていうか、正直ここにコストを割くぐらいなら刻みネギを何とかしてほしかったなぁ。鎮守府の畑で採れた長ネギよりも薬味やラーメンの具に向いた品種の長ネギっていくらでもあるし、このネギを育てた那珂ちゃんだって自分の『焦がしネギラーメン』には千葉の矢切ネギを使ってるよ。このスープにはタマネギの甘みも合うと思うし、京都醤油を使うならそれこそこだわって九条ネギとか色々と試した上で一番相性の良いネギを選んで欲しかったかな。で、煮豚は阿武隈に教わった製法を9割ぐらいは習得できてるとは思うけど、このスープと同じ醤油で仕込んだせいでやや硬くて濃すぎる味になってるし、何よりラーメン全体の味が平坦になっちゃっててスープ自体の感動が薄れるよね。厚みがあって最初から味のある煮豚や叉焼なんかより、例えば低温調理したローストポークを薄くスライスしたやつなんかにスープが自然に染みた状態なんて方が、この醤油スープの風味と豚の旨みの双方を純粋に味わえると思うよ。次に煮卵、那珂ちゃんも気になってたみたいだけど、どうしてトロトロの半熟にしたのか。この麺には卵黄の風味が合うわけじゃないし、さっき言ったみたいにライスがついてるわけでもないし、矢矧がどう食べて欲しくて入れたのかが全く見えてこないよね。どうせなら、煮豚じゃなくて煮卵の方こそ同じ醤油で煮てみたら面白かったのに。メンマは普通に美味しかったけど、ちょっと塩気が強かったから、具材関連の調理とバランス感覚に関しては長良型(ウチ)の由良がピカ一なんで、色んな仕込み方を聞いて微調整するとなお良しかな。スープにもう少し魚介系のダシを入れた方が味の奥行きがさらに広がると思うんだけど、エグみの処理が難しいんで、そこらは多摩ちゃんが詳しいから聞くといいね。それから桂林丼だけどさ、口が広がり過ぎてる器じゃあ、せっかくの醤油の甘く濃厚な風味が逃げちゃうから、切立丼か多用丼にした方が香りが鼻を直撃していいと思うよ。それで最後に……肝心の麺なんだけどさ、確かに阿武隈の喜多方ラーメンは軽くて毎日でも食べられるから人気だけど、それは軽妙な鶏ガラスープやシンプルな塩スープと、ツルツルとクセなく食べられる麺の組み合わせが絶妙なんで、このスープのコクと合わせた時はどうなのかな。阿武隈から習った平打ち多加水の中太麺が、本当にこの醤油スープのラーメンに一番適した麺だって、今でも自信を持って言える?」

 

矢矧さん、ラーメンマスターの前にあっけなく轟沈でした。

 

 

「泣いてる?」

「タマネギを刻んでるからよっ!」

 

提督の執務室にむせ返るような醤油の匂いを漂わせながら、リベンジに燃えてラーメンを再試作している矢矧。

執務室の大部分は家具妖精さんが設置したキッチンに占領されてしまったので、提督は部屋の端っこにチョコンと座っている。

 

京都の九条ネギに埼玉の深谷ネギ、そして兵庫県は淡路島産のタマネギ「七宝」など。

様々なネギを様々な切り方で試している矢矧。

 

麺も試行錯誤の末、低加水による吸水率と毛細管現象でスープの吸い込みが良い、硬めのストレート細麺へとたどり着いた。

 

大豆と小麦の麹に、火入れしていない生の状態の醤油である「生揚」を塩水の代わりに加えて「再仕込み」を行う、つまりは一度できた醤油を仕込み水にして再び熟成させることで得られる二段仕込み醤油。

 

その芳醇でまろやかな醤油ダレをベースに、豚骨と鶏ガラ、宗田ガツオ、昆布でダシをとった漆黒のスープに、ほんのり小麦の香る純白の細麺の束が染まり、表面がザラついてコシのしっかりした細麺にはスープが絡まりやすく、しっかりとスープをリフトする。

 

口へと入れば、舌に濃密に絡みつく贅沢な風味と、プチプチと嚙み切れる細麺の快感的な食感、そしてスープのインパクトに負けない小麦味の力強い味が、一杯のラーメンとしての完成度を格段に上げている。

 

そして、神通から提供された丼鉢は、ブランデーグラスのように口がすぼんだ"香り返し"の構造になっていて、このラーメンの濃厚な風味を逃さずに食べる者の鼻へと届ける。

 

「ねえ、提督。こっちが肩ロース、こっちがバラ肉。どっちが合うと思う?」

 

低温調理した2種類のローストポークが載った皿を提督に差し出す矢矧。

 

そういえば神通も最初はラーメン作りに興味がなかったが、長良にケチョンケチョンにされて火がつき、海老殻ダシと白醤油の海老ソバと、焦がし魚醤が香ばしいブラックラーメンの二枚看板をモノにし、理想とする丼鉢まで自作するようになった。

 

「二水戦旗艦の血かなぁ……」

「え? 何か言った?」

「ううん、何でもないよ~」

 

新たなラーメニストの誕生を喜び、提督は眠り猫のような細目をさらに細めるのだった。




【おまけ・2018年7月(改二実装時)の天龍ちゃん】

「龍田、大事な話がある」
「なぁに、天龍ちゃん」
「3年ぐらい前まで、2人で何度か、間宮さんの食堂のラーメン食べてただろ?」
「そうねぇ。軽巡の皆の作る新作ラーメンを追うのに忙しくて、最近は食べてない気がするけど……」

「あの時オレ……"ファミリー向け" "ピンと来ない"とか言ってクサしたろ?」
「ええ、私は嫌いじゃなかったけどね」
「…………」
「…………」

「あれからオレたちは、星の数ほどラーメンを味わってきたよな。あの頃のオレたちのラーメン経験値が300だとすると、今は1300ぐらいだろ?」
「そう……ねぇ」

「でな、この前ひさびさに六駆のチビどもと、前に食べたのと同じ「ねぎ味噌ラーメン」を食べたんだが……これがなんと……」
「?」
「うまかったんだ」
「……へぇ」

「味は同じなのに評価が変わった。……要するに、オレの舌がようやく"追いついた"んだ」
「なるほど……」
「オレは昔から自分がラーメンを評価する感覚……特に「うまい」か「否」かのジャッジについては絶対的なセンスがあると思っていた」
「…………」

「ところが、そこがブレていた……残念ながら昔のオレは練度不足だったってことだ。よくもまぁ"ファミリー向け"なんて形容したもんだ。いや、そもそも"ファミリー向け"が誉め言葉でもあることすら分かってなかった」
「あの頃の天龍ちゃんは"エキストリーム系"に肩入れしまくってて、傍から見ててもトガり(厨二病を発症し)まくってたもんねぇ」

「若い頃の自分を怒ってやりたいよ。龍田は昔からそこそこ穏健な物言いをしてた気がするが、こっちはイケイケすぎて、いたるところで"本音"という名の悪態をつきまくってた」
「…………」

「今となってはどこで何を言ったかも思い出せないが……あの頃キッパリと明確に否定してたネガティブ評価のいくつかは、オレの練度不足からくるミスジャッジの可能性がある」
「…………」

「そう思ったらゾツとして脂汗がどんどん出てきてな……」
「…………」
「龍田、俺たちもそろって改二になったが、まだ今の味覚を信じすぎるなよ」
「……はーい」

「ああ、でも夕張のメロンラーメンとキウイラーメンな……あれは「否」だ」
「そこは全力で同意するわよぉ」


今回の審査で、天龍ちゃんが大人しかった理由です。
元ネタは漫画『めしばな刑事タチバナ』の第76ばな「ねぎ味噌ラーメン」

●各艦娘のラーメンのイメージリスト
阿賀野  千葉県本八幡「こってりラーメンなりたけ」
能代   埼玉県朝霞台「中華そば 幻六」
酒匂   東京都湯島「四川担担麺 阿吽」
ゴト   東京都中野「無鉄砲」+東京都中板橋「愚直」
イタ艦  東京都錦糸町「太陽のトマト麺」
アト   東京都門前仲町「牛骨らーめん ぶるず」【閉店】
阿武隈  福島県喜多方「坂内食堂」、同「喜一」
長良   東京都新小岩「麺屋一燈」
名取   東京都江戸川橋「三ン寅」
由良   東京都高田馬場「渡なべ」
多摩   東京都世田谷「せたが屋」、同「中華そば ふくもり」
那珂   千葉県松戸「麺割烹 亀壱」
白神通  東京都高田馬場「二代目けいすけ」 
黒神通  富山県射水「麺家いろは」
天龍   千葉県船橋「麺屋あらき竈の番人」、首都圏各地「麺屋武蔵」
龍田   神奈川県秦野「なんつっ亭」
間宮   「くるまやラーメン」「ラーメンショップ」「ラーメン大学」など

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