港から一段あがった山の斜面を背にした高台には、艦娘たちが暮らす寮がある。
昭和初期に建てられた宮大工の職人技が随所に光る木造の建物が、時が止まったように昔の姿を残して……いなかった。
もと収容人数80人だった温泉旅館を、妖精さんたちが不思議な力で縦横に建て増しに増し続け、今では300人を超える艦娘が寝起きする巨大建造物になっていた。
いつも艦娘たちの生活の活気にあふれている寮内だが、今日は一段とにぎやかだ。
期間限定海域が開く前の、深海棲艦たちも招いた恒例の大宴会。
寮の別館3階の大広間は、拡張に拡張を続けて今では400畳。
エンジ色に白線の入った体操ジャージ(いわゆるイモジャージ)や、浴衣姿の艦娘たちが忙し気に立ち働いている。
提督はいつものように、悠然と主役席に座ったまま準備を眺めている。
図体だけでかくて猫の手ほども役に立たない提督にウロチョロされると邪魔だから「お座り」を厳命されているのだ。
「おーい、キリシマー! こっちに来いよ!」
「ちょっと、うるさいわよ! あなたが向こうに行けばいいでしょ!」
「寒くなってくると、古傷が痛むわね。Fritz X、あれだけは反則だと思うわ。そのことを想うと…いた、いったたた……」
「レ級、尻尾が邪魔よ……まったくもう」
続けて、力仕事を終えた戦艦娘たちが席に着き始める。
現実の第二次世界大戦では、あまり役に立たなかった戦艦という兵器だが、艦娘たちの世界ではいまだに海の女王だ。
近代戦艦の基本形態とされる「マジェスティック」の就役が1895年。
世界初の戦艦同士の主力決戦にして、一昼夜にして明確に決着がつき、艦隊決戦主義が確立した日本海海戦が1905年。
それまでの戦艦をすべて陳腐化させる「ドレッドノート」(弩級戦艦)の登場が1906年。
その拡大発展型である超弩級戦艦「オライオン」の誕生が1912年。
そして、世界史上最大の海戦にして、艦隊決戦主義の致命的な欠陥を露呈した、ユトランド沖海戦(ジュトランド沖海戦)が1916年。
思えば戦艦という兵器が本当に輝いていたのは、この約20年間でしかなかった。
それでも列強各国は第一次世界大戦後も、超弩級戦艦の建造競争に明け暮れ……。
1941年12月8日の真珠湾奇襲攻撃により米国戦艦群が壊滅。
同12月10日にはイギリス東洋艦隊の戦艦プリンス・オブ・ウェールズと巡洋戦艦レパルスが、航行中の戦艦としては初めて航空機によって撃沈されるに至り、戦艦の時代は完全に終焉した。
現実世界の艦隊決戦主義にとどめを刺したのは航空技術の急速な発展だったが、そうでなくても戦艦による艦隊決戦という思想そのものが、もとから非現実的なのだ。
ユトランド沖海戦で分かった戦訓の一つは、劣勢になった一方が決着を避けて撤退に移った時、もはや「戦艦の主砲はほとんど当たらない」という、当たり前の事実だった。
戦艦同士が沈むほどに撃ち合うには、自分も撃たれる覚悟で互いに砲戦距離を維持する必要があるのだ。
つまり、戦艦が戦艦を砲撃で沈める、という状況が起こりえるのは、お互いに絶対的な決戦の意思があるか、海域の狭さから戦闘を避けられない特殊な状況が発生した時に限られる。
対馬海峡を突破してウラジオストク軍港を目指したロシア・バルチック艦隊が、待ち受けていた日本連合艦隊と「仕方なく戦い」敗れたように……。
そして、現実の第二次世界大戦では、そんな状況は片手で数えられるほどしか発生しなかった。
霧島はガダルカナル島砲撃という戦略目標の必要から、鉄底海峡で待ち受けるワシントン、サウスダコタと2対1の不利な殴り合いをして沈んだ。
扶桑、山城たち西村艦隊もレイテ湾の敵上陸部隊を叩くという戦略目標に迫られ、戦艦6隻を含む圧倒的な敵がいるスリガオ海峡に突入して、時雨を残し全滅した。
例外は、通商破壊のために出港したビスマルクを迎撃しようとし、逆にビスマルクの放った砲撃を火薬庫に受けて不運にも轟沈した巡洋戦艦フッドだが……。
そのフッドの復讐戦に燃えるイギリスが、動かせる大型艦のほぼすべてを注ぎ込んでもなお、たった1隻の戦艦であるビスマルクの撃沈に3日を要し、ビスマルクの逃亡を防げた決定的な要因が、艦載機ソードフィッシュの雷撃だったことも、戦艦と戦艦の戦いが双方意図しなければ発生しないことを証明している。
とにかく、戦略上の制限があるか、艦娘と深海棲艦たちのように互いに撃ち合う気まんまんでなければ、戦闘が成り立たないのが戦艦という兵器なのだ。
「ロドニーとレ級。プロレスするなら外でやりなさい」
艦娘と深海棲艦たちは、史実のうっ憤を晴らすためか、とにかく戦意旺盛だ。
そんな戦艦たちが、思う存分に暴れられるのが季節の限定海域、通称イベント海域。
戦艦たちのワクワクした空気が伝わってくる。
失われる資源のことを思うと、提督の胃は痛いんですけどね……。
巡洋艦や駆逐艦娘たちの給仕も終わり、全員が席について宴会が始まる。
前菜は三種。
干し柿とほうれん草の白和え。
鶏皮の煮凝り。
白菜と釜揚げシラスをゴマ油で和え、かつお節をまぶしたもの。
「柿の甘みが絶品だな」
「長門は好きそうよね、この味」
「姉貴! この煮凝りに入ってる、鶏皮とは違うプリッとした肉はなんだ?」
「それはハツ、鶏の心臓よ」
「シラースは美味しいわね。ワインは、白がいいかしら?」
「姉さん、ニホンシューの方が合うわよ」
次に出されたのは、南瓜かぼちゃの春巻き。
今年は南瓜が大豊作だった。
金剛54、榛名86、霧島74、ビスマルク36、神通52、大井49、夕張49。
何がとは言いませんが、我が鎮守府の今年の南瓜の成果です。
串物は、ねぎま、砂肝、レバー、しいたけ、ししとう。
サラダにのるのは、しっとりジューシーな鶏ハム。
さつま地鶏のいいやつを、霧島が仕入れてきてくれた。
そして目玉の鍋は、さつま地鶏の「水だき」。
西洋料理のコンソメと中華料理の白湯をアレンジして生まれたという、博多水たき。
内臓をはずし、丁寧に血合いを取った鶏をぶつ切りにし、骨ごと煮込んだシンプルな料理だ。
特に鶏ガラを長時間煮込んで、スープを白濁させたものは、音も濁って「水だき」と呼ばれる。
湯の表面に浮いた脂分を丁寧に取り除きながら二晩煮込んだ、鶏本来の旨みがぎゅっと凝縮された、濃厚なスープ。
創業百年を超える、ある博多の名店のキャッチコピーに「一生に一度、飲んでいただきたい味がある。」とあるが、頷かされる極上の味だ。
舌でホロホロとろけるほどやわらかい鶏肉も、味が太くて鮮烈。
それを、柑橘王国・高知県でも特に「ゆずの村」と呼ばれている、馬路村のゆずポン酢のさわやかな風味が受け止める。
「山城、私たちも出番があるかしら?」
「ふふっ……どうせまた、輸送艦みたいに使われますよ。不幸だわ……」
「このミズダキーは、ラム酒はもちろん、スコッチにも合うな!」
「Vin rosé ヴァン・ロゼ(ロゼワイン)も開けましょう。Provenceプロヴァンスの辛口なやつがあったでしょ?」
「アラ…ソウナノ…コレ、オカワリ……」
美味しいものを食べて、美味しいお酒を飲んで。
存分に英気を養って、イベント海域に突撃しましょう。