三寒四温とはよく言ったもので、日に日に暖かくなってきたと思った矢先、肌を刺すような寒気が吹き込み、また雪が降り始めた。
「今日の走り込み、終わりました!」
提督は、今日の秘書艦に長良を指名していた。
この元気一杯な軽巡洋艦娘は、こんな寒さの中でも日課の走り込みに行っていた。
「着替えるなら外に出ているよ」
ジャージを脱いで着替え始めようとする長良に、慌てて提督が言うが、
「下は艤装のブルマとスポーツブラだから平気ですよ」
(平気……なのか?)
確かに長良のブルマとスポーツブラなら、中大破した時に何度も見ているが……。
「あー、汗かいちゃった」
長良から甘酸っぱい匂いがして、提督の鼻をくすぐる。
青春時代、夕陽に染まる放課後の教室。
バレー部に所属していた、部活帰りの隣の席の女子が、荷物を取りに来て一言二言挨拶した。
その時の匂いを思い出した。
「…………長良」
提督が席を立ち、着替え中の長良に近づいた。
「え、何ですか?」
まだスカートしか履いておらず、上半身はスポーツブラのみの長良。
いくら自分でスポーツブラだから平気と言ったとはいえ、こう近づかれると照れる。
(汗……くさくないかな?)
そんな長良の心配をよそに、提督は長良の首筋あたりに顔を近づけ、あろうことか長良の汗の匂いを嗅ぎなおした。
(ふぇええええ~んっ)
心の中で妹の名取のような悲鳴をあげつつ、これから提督に何をされるのか、不安と期待とに胸を高鳴らせる長良。
そんな長良に、提督が言ったのは……。
「昼はかき揚げ蕎麦にしよう」
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提督はその時の思い出話をしながら、長良をともなって大食堂に向かっていた。
大食堂の厨房には、麺ビジネス成功支援会社・大和製作所様のそば製麺機「坂東太郎」が設置してある。
ちなみに、同社のラーメン製麺機「リッチメンⅠ型」も導入したが、うどん製麺機「スーパー真打」も買いたいと言ったら、間宮に反対された。
当時は大食堂も建っておらず、間宮が設置場所に困ると言うので、ならば真打より小型の「スーパー若大将」もある、とパンフレットを見せて説得していたら、予算帳簿を持った大淀が入ってきて、そのこめかみには青筋が浮かんでいたので、提督も「アッ、ハイ」と言って退散するしかなかった。
この鎮守府に公務用の普通車が無いのは、その購入費を提督が厨房施設の購入に流用してしまったからだ。
この鎮守府の提督は「自動車が無くても電車やバスで十分」という、都会育ちの最近の若者感覚だったが、あの時に大淀が「スーパー若大将」の購入を阻止し、代わりに軽自動車タ○トに予算を振り分けていなかったら、今頃大変なことになっていただろう。
駅まで歩いて20分、路線は単線、非電化。
電車は1日に12本、基本的に1両編成。
ローカルバスも1日3便。
この陸の孤島で生きていくのに、車が無いのは首が無いのといっしょである。
しかし、大食堂が完成し、厨房が広くなった今、何とかして「スーパー若大将」いや「スーパー真打」を購入できないか、提督は虎視眈々と狙っている。
今年度出る庁舎整備費あたりが狙い目だ。
何しろ「スーパー真打」は、職人の作る手打ちのうどんを科学的に分析、数値化することで……。
「ストップストップ!」
「え?」
「もう、司令官が厨房器具フェチなのは十分に分かりました」
長良が提督の脱線しまくった話を遮る。
「それより、そのクラスメイトとの甘酸っぱそうな青春の思い出話がどうやったら、かき揚げ蕎麦に着地するの?」
「ああ、それはね……」
「それは?」
「その帰りに駅前の立ち食い蕎麦屋で、かき揚げ蕎麦を食べたことも思い出したんだよ」
「その子と一緒に?」
「いいえ、一人で」
「ええと……その子とはその後どうなったの?」
「どうなったって?」
「あるじゃないですか、付き合ったけど別れたとか、片想いのまま告白できずに終わったとか」
「いや、別にその子には、好きとかそういう感情は無かったよ」
「じゃあ、その子の方は司令官のことを意識してたとかは……」
「さあ……無いと思うよ。彼女、野球部の先輩と付き合ってたし」
「じゃあオチは?」
「そんなもの無いよ。龍驤や黒潮じゃあるまいし、必ず話にオチを求めるのは、テレビ文化に毒された悪しき風習だと僕は……」
また脱線しそうな提督を、長良が手で制する。
「最後に聞くけど、あたしの汗の匂いをかぎ直したのは何でです?」
「うん、その後何を食べたか、ここまで出かかってたんで、ちゃんと匂いをかぎ直せば記憶がより鮮明に……」
バチーン!
長良の鍛えられた脚腰が繰り出す、鋭いローキックが提督の太ももに決まった。
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提督は、時おり長良に蹴られた太ももをさすりながら、厚めに削ったたっぷりの鰹節と、薄く削った宗田節、少量の昆布で濃厚な
血合いの多い宗田鰹からとる
鰹節だけを使った家庭料理では、蕎麦屋のような
だが、昆布と宗田鰹は火を入れすぎてはいけない。
昆布は沸騰させるとぬめりが出て風味を損ない、宗田鰹は長く煮ると苦味を出す。
沸騰前に昆布を引き出し、鰹節をある程度煮出してから、宗田節を加える。
そして、火を止めてもまだ一仕事。
「長良、1分たったら漉してくれるかい」
「はい、司令官」
火を止めた後も蒸らすことで、温度が下がりながら、絶好の70℃~50℃の温度帯で、鰹節と宗田節から出汁が出続ける。
しかし、温度を下げて50℃以下にすると、今度は逆に鰹節が出汁を吸い始めるので、時間厳守でつきっきりが必要だ。
「そっちは、大丈夫?」
提督は「坂東太郎」を操作している、朝雲と山雲の様子を見る。
「まぁいいんじゃない? うんうん」
「そうね~」
通りかかりに声をかけ、手伝わせているのだが、喜んで蕎麦を打っている。
「誰でも」「簡単に」「美味しい」麺を「安全」に作ることができるのが「坂東太郎」の売り文句。
水分量の微調整を見てあげるだけで、あとは駆逐艦娘にも安心して任せられる。
使い方をマスターした後は、そば粉の種類やつなぎの割合などにこだわり、オリジナルの蕎麦を追求する艦娘も多い。
(ぜひ「スーパー真打」も導入して、うどんブームも起こしたいなぁ)
そんなことを思いながら、提督はかえし作りに取り掛かる。
鍋に濃口醤油、酒、みりんを入れて火にかけ、沸騰したらすぐに火を止める。
煮切り、と呼ばれる余分なアルコール分を飛ばす作業だ。
そして、コクを深める溜まり醤油を少量加え、よく混ぜる。
後は加水した出汁と合わせれば、絶品の関東風蕎麦つゆの完成。
「ねえ、司令官? その時、どうして司令官は放課後も教室に残ってたの?」
長良が提督に質問する。
「僕も部活帰りだったんだよ」
「へぇ~、司令官の部活動って何だったんですか?」
「料理研究部。男子は僕だけだったけど」
「あー……納得」
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完成したかき揚げ蕎麦は、期待通りのクオリティだった。
茹でたての蕎麦をすすれば、香り高い醤油の旨味と、鰹の風味がふわっと口に広がる。
やや塩気が強めだが、コシのある生麺の蕎麦粉の香りがそれをしっかりと受け止める。
間宮の揚げてくれた、人参と玉葱と三つ葉の野菜かき揚げ。
衣がサクサクでそのまま箸でつまんでザックリいってもいいが、つゆに浸してジュワッと染み込んだところを食べるのも、また美味しい。
濃い目の芯の強いつゆは、かき揚げから溶け出した油にも負けず、味の主張を曲げない。
トッピングの刻みねぎとわかめも、良いアクセントだ。
フウフウ言いながら蕎麦をすすり、蕎麦の香りを堪能しつつ、長良は考えた。
(司令官、料理研究部に男子は一人だけだったって……)
絶対、部の中には提督に想いを寄せていた女子がいたのではないか。
さらに提督は、「
(これは明日、長良型緊急会議が必要ね)
蕎麦に七味唐辛子をふり、少し変化をつけつつ、長良は姉妹艦の招集を決定した。
作者は上記企業の関係者でも、ステマ業者でもありません(笑)
今後も、食現場で働くメカは実名紹介するかもしれません。