提督は眠い目をこすりながら、高速道路を疾走するハイエースの後部座席で揺られていた。
「はい、おにぎり」
隣から瑞鳳が朝食を差し出してくるので、寝ぼけ
焼きたらこの香ばしい旨味が口に広がり、少し眠気が遠ざかった。
「朝早いって言ってるのに、お姉と隼鷹が遅くまで飲ませてたのがいけないんだよ」
「あら、あたしの方は全然平気よ?」
助手席でブーたれる千代田と、涼しい顔で運転する千歳。
提督含め、全員が渓流釣りのためのアウトドアスタイルだ。
最近、
さらに大所帯になった友永隊の天山一二型を改修するための、大量の天山。
問題を解決するために提督が採ったのは、予備艤装の瑞鳳に
この海域の出撃報酬でクギがもらえるし、瑞鳳の予備艤装は低い練度で改造ができ、その時に天山を持ってくる。
さらに千歳・千代田を加えて、軽空母2隻と水上機母艦の編成で周れば、開幕でほぼ敵を壊滅させられるから
そんな訳で最近がんばっている瑞鳳に、ご褒美は何がいいか尋ねたところ……。
瑞鳳が「最高の卵焼きを作るのに、イワナの出汁が欲しい」と言い出し、これから渓流の奥地へイワナを釣りに行くのだ。
イワナは資源保護のために厳格な禁漁期間が設けられている。
この地方では、10月~2月はほとんどの川でイワナを釣ることができない。
3月1日の解禁日には多くの釣り人が渓流へと繰り出す。
その後、4月になると春の雪解け水で川が増水し、イワナ釣りは物理的に難しくなる。
川の水量が落ち着き、水温も上がった初夏から夏が渓流釣りのベストシーズンだ。
イワナも活発にエサを求めるようになり、脂がのって最も美味しい時期とされている。
「イワナ、楽しみですぅ♪」
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山の中で車を降りた瞬間、湿った土と水の冷たい匂いが肺に流れ込んだ。
渓流へと近づくと、轟々とした川音だけが絶え間なく響き、木々に吸い込まれていく。
ウェーダー(胴長靴)に足を通したものの、冷たそうな川の水にひるむ提督。
一方で瑞鳳たちは、それぞれ狙いのポイントを定めたら、迷わず川辺へと近づいていく。
イワナは「岩魚」という名前の通り、じっと岩陰で動かずに獲物を待つ。
非常に警戒心が強く、人の影が水面に落ちただけで、数時間は出てこない。
そして、漆黒から茶褐色の魚体に散らばる「白い斑点」は、渓流で見事な保護色になる。
だから、基本的に使うのは5~6メートル程の長い渓流竿。
偏光グラスで木漏れ日が揺れる川をよく観察し、魚体を見つけてから釣り始める。
瑞鳳が九九艦爆を操るような精密さで竿を操り、対岸のイワナがいる岩陰のやや上流へと仕掛けを落とした。
瀬から曲がった川淵へと水が注ぎ込む「流れ込み」を狙っている千代田だが、思うポイントに仕掛けを落とせなかったようで、悔しげな顔をしている。
ミスしたからといって、ここですぐに仕掛けを引き上げては、イワナに警戒されてしまう。
イライラした様子で仕掛けが十分遠い下流まで流されていくのを待つ千代田。
千歳だけは、2メートルほどの短いトラウトロッドを使っている。
しゃがんで大岩に自分の姿を隠し、イワナがいるかどうかも分からない手前の川辺に、横着にルアーを落とすだけ。
ルアーが流された先にイワナがいるかは運任せだが、渓流釣り入門者には思いつきにくい、立派なテクニックだ。
警戒心の強いイワナだが、貪欲な魚でもある。
一度捕食スイッチが入ると、水面に落ちた昆虫だけでなく、ヘビやカエルを飲み込むことさえある。
ゆらゆらと水面を漂う、瑞鳳の仕掛けに反応して、そのスイッチが入ったらしい。
瑞鳳の竿が急激にしなり、バシャバシャとイワナが跳ねた。
瑞鳳が竿を引き抜くと、キラリと光る魚体が宙を舞った。
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千歳が川原の石を積み上げて作った、石窯のコンロ。
串に刺されたイワナとヤマメが、じっくり遠火で焼かれている。
ジュウジュウと脂が落ちて焚き火が爆ぜる。
千歳は、
「千代田、そんなに騒いだらイワナが逃げちゃうわよ」
「分かってるわよ、お姉っ!」
千代田は、静かな釣りが苦手なようで、何度もイワナに逃げられていた。
ムキになって水偵を飛ばして上空から索敵したり、しまいには川の中に入ってどんどん上流へと釣行していき、ついに大きな「ヤマメ」を釣り上げてきた。
瑞鳳はあれからも、ひょいひょいと連続でイワナを釣り上げ続けた。
釣ったそばからナイフで締めて丁寧に下処理し、食べるのに備えているのが、釣り人というよりは食材を調達している料理人。
提督は苔むした岩肌に足を滑らせ、ズブ濡れで毛布にくるまっている。
もちろん提督に釣果はない。
骨酒は、素焼きした魚に、熱々に熱した日本酒を注ぐ飲み方。
野趣あふれる「大人の楽しみ」。
時間をかけてじっくり焼き上げ、骨まで熱が通った小ぶりのイワナ。
深皿に寝かせ、沸騰直前の飛び切り燗を注いだ瞬間に「パチッ」と音を立て、琥珀色の脂がじわじわと溶け出した。
そのまま数分。
渓流のせせらぎを聞きながら、千歳がその「琥珀色に染まったお酒」をうっとりと眺める。
「提督、これで温まってください」
片口に移してお猪口に注いだ骨酒。
一口すすると、焼き魚の香ばしさと日本酒の甘い香りが鼻に抜けた。
何とも言えない極上の出汁酒が口の中に広がる。
「お姉、あたしにもちょうだい!」
「ダメよ。帰りは千代田が運転するんだから」
「ずるーい!」
「はい、塩焼きも召し上がれ」
瑞鳳が差し出してくれた焼きたてのイワナにかぶりつくと、皮はパリッと香ばしく、白身はふわりとほどけた。
絶妙な塩加減に、脂の甘みと渓流魚らしい清涼感のある旨味が広がる。
「……美味しいねぇ」
「でしょ?」
思わず漏れた言葉に、瑞鳳が満足げに薄い胸を張った。
「残った骨で出汁をとったら、卵焼きも焼いてあげるね。瑞鳳の最高の卵焼き、食べりゅ?」