ある鎮守府のエンゲル係数   作:ねこまんま提督

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秋月型の網戸防空作戦と南部豆腐

 もとは漁協の事務所だった、質素な鎮守府庁舎。

 

 6月のさわやかな朝日が刺す、執務室の窓辺。

 珍しく机に向かっていた提督は、不意に頬を掠めた羽音に顔をしかめた。

 

「……ん?」

 

 その瞬間、パァンという破裂音。

 駆け寄ってきた秘書艦の秋月が、両手を上下に叩いていた。

 

「やぶ蚊、撃墜です。この秋月が健在な限り、やらせはしません!」

 

 誇らしげに胸を張る秋月。

 

 ちなみに、蚊は左右から叩くと、その上昇気流で手の間から飛び出してしまいやすい。

 上下に押しつぶすように叩くのがコツ。

 

 

 閑話休題。

 

 提督が窓に視線を向けると、網戸の隅……。

 裂け目を補修していたテープがはがれ、風にユラユラと揺れていた。

 

「猫が引っ掻いた穴、塞いどいたんだけどなぁ」

 

 見れば、ところどころに綻び(ほころび)も生じて、蚊が通れそうな隙間になっている。

 

「提督、これは防空上の重大な瑕疵です」

 

 背後から、静かだが有無を言わせぬ声。

 振り返ると、秋月がじっと網戸を見つめている。

 

「そろそろ本格的な蚊の季節だし、全部張り替えるかな」

「その任務、秋月型にお任せください! 長10cm砲ちゃん、みんなを呼んできて!」

 

 照月、涼月、初月、冬月。

 秋月が集合をかけると、すぐに秋月型の艦娘たちがワラワラ集まってきた。

 

「私が買い出しに行っている間に、網戸を外しておいて。照ちゃんと初ちゃんは1階……」

 

 妹たちに役割分担を告げようとした秋月が、首を傾げた。

 

「防空棲姫は?」

「すまない、秋月姉さん。声はかけたが、目を離したすきに逃げられた」

「私には、白雪さんに急用で呼ばれてると言ってましたが……」

「涼、そんなのでまかせに決まってるだろう。十一駆は、遠征で留守のはずだ」

 

 深海ニート、防空棲姫は秋月型の部屋に居候しているが……。

 最近、吹雪たち十一駆の部屋にも出入りしていて、コウモリ的にお手伝いをサボる悪知恵を身につけてきている。

 

「いいわ、照ちゃん、初ちゃん、まずは一緒に寮に戻って防空棲姫を捕獲しましょう。代わりに三十一駆、涼ちゃんと冬ちゃんはホームセンターに行ってきて」

 

 そう言うと、秋月は涼月にホームセンターのチラシと、買い物メモを渡した。

 

「涼月、冬月、山側に貼る網のメッシュ数は30以上の物を選ぶんだぞ。これだ」

 

 初月がチラシを奪って赤ペンを走らせ、網戸の目の細かさに注文をつける。

 全国的には20~24メッシュが標準的とされているが、山間部や水田地帯に多いヌカカは体長1~2ミリ程度で、普通の網戸の目をすり抜けてくる。

 

「忘れないでね、絶対に30以上だよ」

 

 数年前の真夜中、秋月に叩き起こされ、朝まで対ヌカカ防空戦をさせられたことのある初月と照月は真剣だ。

 

「大丈夫だよ。僕も運転でホームセンターに行くから」

 

 提督の言葉に、初月の表情が変わる。

 

「いいか、涼月。提督がアクセルとブレーキを踏み間違えないか、常に警戒するんだぞ」

 

 提督への信頼はポ〇モンカードより品薄だった。

 

 ・

 ・

 ・

 

 抜けるような広い青空に、白雲がゆっくりと流れていく。

 道路脇ではフキ草が揺れ、タラの木が青々とした大きな葉を広げている。

 

 全開にした軽トラの窓からは、田植えを終えたばかりの稲穂の香りが風とともに舞い込む。

 

 カーラジオから流れるのは、県民共済のCМ。

 助手席では涼月が「夏準備応援」と書かれたホームセンターのチラシに目を落としている。

 

 後ろ向きで軽トラの荷台に座り、冬月が遠くの山々を眺めていると、視界が飴のようなオレンジ色に染め上げられた。

 

 トンネルを抜けた隣の市は、人口1万人を超えるだけあって、さすがに鎮守府周辺のような昭和の田舎感はない。

 昼は2~3時間に1本のダイヤしかないが、鎮守府から5駅離れたここでは何と天下のJR様にも乗り換えられる。

 

 まあ……要するに、平成で時間が止まったような(その割には休業のシャッター店舗がやたらと目につく)、静かな地方都市だ。

 色あせた大きな看板が立つホームセンターの広い駐車場へと、軽トラが滑り込んだ。

 

 「涼、第一目標、30メッシュ防虫網」

 

 荷台で立ち上がった冬月が、ホームセンターを指しながら宣言する。

 

「第二目標、張替え用ゴム4.5ミリ」

「お冬さん、ただのお買い物ですからね?」

 

 助手席から降りた涼月が苦笑した。

 

 ・

 ・

 ・

 

 お目当ての張り替え用品を購入した提督は、軽トラを少し寄り道させた。

 

「ここは戦前から続いてる豆腐屋さんだよ」

 

 年季を感じさせる木造の店先には、大きなステンレスの水槽。

 たっぷりの水の中、白い豆腐がゆらゆらと静かに揺れている。

 

「わぁ……綺麗」

 

 涼月が思わず声を漏らした。

 

「昔のお豆腐屋さんって、こういう売り方をしていましたよね」

 

 終戦後、涼月と冬月は船体そのものが港の防波堤として利用され、人々の生活を見守った。

 だからなのか、艦娘としての記憶の幅が、戦中に没した他の艦たちより広いようだ。

 

 懐かしい昭和に思いをはせるように目をすぼめ、涼月が指先を水に浸す。

 

「冷たい……」

「地下水で仕込んだ、生搾りの南部豆腐です」

 

 店主が誇らしげに言う。

 南部豆腐は、一般的な豆腐の2倍以上の大豆を使い、強い圧力をかけて水分を極限まで抜いて作られる。

 別名「石豆腐」とも呼ばれ、縄で縛って持ち運べる、とか、角に頭をぶつけてケガをした、などと冗談交じり語られることがある。

 

「ここの南部豆腐は、とても味が濃いんだよ」

「でも、どうやって持って帰ったら……」

 

 一丁ずつビニール袋に入れてもらうこともできるようだが、それでは味気ないと思ったのだろう。

 

「安心しろ、涼。さすがは提督だ、荷台にこれが新聞でくるんであった」

 

 冬月が、蓋のついたアルマイトの金鍋を取り出す。

 提督への信頼は、食に関する限りけっこう厚い。

 

 帰りの軽トラの助手席、豆腐を泳がせた金鍋を膝に抱えた涼月は嬉しげだった。

 

 ・

 ・

 ・

 

 網戸の張り替えは、意外と簡単だ。

 構造的には、網戸の四方の枠にある溝へ、ピンと張られた網がゴムパッキンではめ込まれているだけ。

 

 レールから外した網戸の古いゴムパッキンを抜いて網を取り去り、新しい網を被せる。

 網をピンと張りながら、新品のゴムをローラーで溝に押し付けて固定し、レールに戻せば完了。

 

「えへっ、ビィーン!」

 

 溝に固まった数年分の埃と、カチカチに硬くなったゴムパッキン。

 それをピックで掘り起こし、浮いたところを一気に引き剥がす。

 その独特な感触に照月が酔っている。

 

「照月姉さん、あまり埃をまき散らさないでくださいね」

 

 そうたしなめながら、涼月が作業の邪魔にならないよう、手際よく古いゴムと網をまとめて片付ける。

 

「提督、ローラーお願いします!」

「了解」

「初ちゃん、そっち側を引いて」

「了解!」

 

 秋月と照月が網戸の枠の上でピタッと新しい網の両端を持ち、提督がローラーを走らせる。

 ローラーがゴリゴリと溝を走る快感とともに、圧力でゴムが網もろとも溝に押し込まれていく。

 

「今度は上側をお願いします。初ちゃんは、下に少し強めに引いて」

「はいよっ」

「心得た、秋月姉」

 

 ローラーを転がすたびに、網がピンと張り詰めていく快感。

 余分な網をカッターでスーッと切り落として整形。

 

「どうかな?」

「はい、素敵ですっ」

 

 美しく張られた網に、秋月が満足げに頷いた。

 

 

「こっちの張り……まだ甘いな」

「ウム、左ニ0.4度ズレガアル」

 

 冬月とルームウェア姿の防空棲姫(初月の布団で寝ていたところをあっさり捕まった)のコンビは、角度計で網目の垂直を確認するようなストイックさを見せていた。

 

「お初さん、お防さん、少し休憩にしませんか?  美味しいお茶がありますよ」

 

 と、掃除やお茶出しのサポートに回っている涼月だが、どこかウキウキしている。

  張り替えが終わった後の「南部豆腐」を、実は一番楽しみにしているのかもしれない。

 

 ・

 ・

 ・

 

 張り替えたばかりの網戸の向こう。

 夕暮れの湾は、凪いだ水面を茜色に染めていた。

 

 沖からゆっくりとホタテ養殖の作業船が帰ってくる。

 静かな波音と、どこからか聞こえてくるウミネコの鳴き声。

 

 網戸越しに吹き込む風は涼しく、潮の香りを運んでくる。

 

 キンキンに冷えた南部豆腐。

 包丁を入れた瞬間の、みっしりとした確かな手応え。

 

 刃を押し下げるたびに、じわりと冷水が滲み出てくる。

 普通の豆腐のような崩れる気配が、まるでない。

 行者ニンニクの醤油漬けをのせ、千切りにした大葉をひとつかみ散らす。

 

「いただきます」

 

 涼月が箸を入れる瞬間、ぎゅっと詰まった手応えが指に返ってきた。

 口に運ぶと——まず、ひんやりとした冷たさ。

 

 それから、ゆっくりと、濃い甘みが舌の上でほどけ、嚙むほどに大豆の香りが鼻の奥に抜ける。

 行者ニンニクの醤油の旨味と、大葉のさわやかな苦みが、その甘みを引き立てる。

 

「……美味しい」

 

 涼月が、目を細めてもう一切れ箸を伸ばした。

 

 冬月もひと口含んで、しばらく黙った。

 それから、何かを確かめるようにもう一度嚙んで、静かに頷いた。

 

「……これは、ただの豆腐じゃない。力の出る『燃料』だな」

 

 その横で、防空棲姫がじっと自分の豆腐を見下ろしていた。

 おそるおそる一口。

 きつく結ばれていた眉が、ふっとやわらいだ。

 

「フフ……カタ、い。デモ、アマイ」

 

 それだけ言って、黙々と食べ始める防空棲姫。

 

 

 その時。

 

 ブゥゥン……ピシッ

 

 窓辺に寄ってきた蚊が、網戸に当たって弾かれた。

 

「防空成功です」

 

 秋月が満足げに頷いた。

 

「本艦隊の防空網、今夏も健在ですね」

「ウッフフ……ドオ? ハイリタイ? ハイリタイ? ソレハムリヨ……アッハハハッ!」

 

 にっこり笑う照月と、かつて幾多の提督たちを絶望させたあの笑みで、何度も網戸にぶつかってくる蚊を嗤っている防空棲姫。

 

 その肩をつかみ、初月が静かに告げる。

 

「明日は朝一から、寮の全室の網戸を点検するぞ」

「エェッ!?」

 

 驚いて振り返った防空棲姫の悲鳴と、みんなの笑い声。

 

 虫の入らない部屋と、美味しい豆腐と、笑い声のある夕暮れ。

 それを守ることもまた、この鎮守府の日常だった。




【設定資料投稿のお知らせ】
 AI君「NoteBookLM」が、過去作から設定資料を作ってくれたので、活動報告の方に投稿しておきました。

 書いた本人が忘れてるようなことまで、細かく抽出してくるのすごい。
 しかも所要時間5分ほど(それをポンコツな私が整形するのには50分……)。

「機械がおらたちから仕事を奪う」って産業革命期の言葉を、再び叫ばなきゃいけない日がすぐそこまで来てそうですねぇ。
 
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