ある鎮守府のエンゲル係数   作:ねこまんま提督

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ローマとそら豆のペペロンチーノ

 やさしい風が、田植えを終えたばかりの水田を渡っていく。

 雪代水を引いた用水路がさらさらと鳴り、朝日を受けた苗がまだ頼りなく揺れていた。

 

 畑では収穫期を迎えた野菜たちが朝の光を浴びながら、誇らしげに葉を広げている。

 そら豆の畝でも、ふかふかの(さや)が空を向いていた。

 

「今年もファーヴェの季節になったわね」

 

 農作業用ツナギを着たイタリア戦艦娘のローマが、そら豆の莢を点検する。

 空を向いていた莢が、垂れ下がって豆の凹凸がハッキリしてきたら収穫時。

 株の下の方では、すでにいくつかの莢がズッシリと膨らんで垂れていた。

 

「今年もバザンネの季節だな、ローマさん」

 

 すかさずジャージ姿の、イタリア軽巡艦娘ガリバルディが、そら豆の呼び名をジェノヴァ風に言い換えた。

 眼鏡をのせたローマのこめかみが、ピクッと引きつる。

 

 ローマがゆっくりとガリバルディの方を向いた。

 

「……田舎臭い呼び方ね」

「んぁ!?」

 

 イタリアでは、そら豆はローマ帝国の建国以前から愛されてきた最も身近な作物。

 それだけに、各地方によって郷土の呼び方がある。

 

 中世から19世紀半ばまで統一国家を持たず、長らく分裂状態にあったイタリア。

 各地方のライバル意識も強く、首都ローマで話される言葉のイントネーションさえ「ローマ訛り」とバカにするほど。

 

 今川焼き、大判焼き論争ぐらい危険な話題だ。

 

「日本でも、天豆(てんまめ)野良豆(のらまめ)なんて、色々呼ぶよね」

 

 ガリバルディとローマの視線がいっせいに提督に向いた。

 

「「……なんで今それを?」」

 

 さりげなく日本の話に誘導して、衝突を未然に防ごうとした提督だが、藪蛇(やぶへび)だった。

 

 

「提督さん、軍手持ってきたよ~♪」

 

 ちょうど、体操着にブルマ姿の駆逐艦娘リベッチオが、軍手の束を持ってきた。

 

「今日はたくさんバッチェッリを採りましょ」

 

 ニコニコと笑うリベッチオ。

 新たなそら豆の呼び名が登場したが、ローマは黙ってリベッチオから軍手を受け取る。

「イタリア統一の三傑」の一人の名を艦名にいただくガリバルディも、それ以上は深追いしなかった。

 

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 空はどこまでも青く高い。

 むせるような青い葉の間から、パンパンに太ったものだけを選んで摘み取っていく。

 

 パキッ。

 

 気持ちのいい音とともに莢が外れる。

 

「うん、立派だね」

「今年は出来がいいわ」

 

 ローマが抱えた籠の中には、ふっくらとした莢が次々と積み上がっていった。

 

 ソラマメの葉には独特の青臭さがある。

 だが、その匂いさえも初夏の陽射しを浴びるとどこか爽やかで、土の匂いと混じり合って心地よい。

 

 

 スイートピーに似たそら豆の花から、一匹のミツバチがふわりと飛び立つ。

 

 花から花へ。

 忙しそうに羽音を響かせながら飛び回り、そのまま畑の端へと向かっていく。

 

「働き者ね」

 

 ローマが小さくなっていくミツバチを目で追う。

 

 後ろ脚に黄色い花粉団子をぶら下げたミツバチが向かった先には、木陰に置かれた、ワインレッドとホワイトの華やかな配色の木箱。

 そして、その前で満足そうにミツバチを出迎えるアクィラの姿があった。

 

 木箱の出入り口では、ミツバチたちが絶え間なく行き交っている。

 

 イタリアの空母艦娘なのに、アクィラが育てているのは赤城から分けてもらったニホンミツバチ。

 ニホンミツバチは多様な蜜源から蜜を集めてくる。

 複数の花の蜜からなる百花蜜は、地域や季節の特性が感じやすい。

 

「ふふっ、みんな頑張ってます。この採蜜量なら、アカーギやグラーフに、大きい顔はさせないわ! よしよし」

 

 アクィラは嬉しそうに巣箱を撫でた。

 

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 収穫を終えると、麻袋に詰めたそら豆を車に積み込む作業が始まった。

 

 フィアット500(チンクェチェント)。

 戦後イタリアの復興を支えた国民車で、ローマの愛車だ。

 

 鮮やかなポジターノイエロー(アマルフィ海岸にあるリゾート地の陽光をイメージした黄色)に塗られた愛らしいボディは、畑の緑の中でもよく映える。

 

 ルパン三世の愛車として、映画「カリオストロの城」でも悪者に追われるクラリスの「シトロエン2CV(ドゥーシボ)を助けたりと大活躍し、日本でもファンが多い。

 

 全長わずか3メートルに満たない小さなボディ。

 2気筒空冷500cc、18馬力エンジンを後ろに積んだ、シンプルの極みのような車。

 

 そのシンプルさゆえの問題が、今まさに目の前にあった。

 

「……これに全部積むのか」

 

 ガリバルディが、麻袋の山と車を見比べて渋い顔をした。

 

「文句を言わないの。積めるだけ積むわ」

「積めるだけって……」

 

 後部座席いっぱいに麻袋を押し込み、リベッチオをその上に乗っける。

 

「わあ、次元みたい!」

 

 天井のキャンバストップ(天井に張ってある幌布を外した穴)から上半身を車外に出し、指で拳銃を撃つようなポーズをしながらリベッチオが嬉しそうに笑う。

 このキャンバストップ、実は車内に響いてくる後方からのエンジン騒音を逃がすために設計されたものだが、今日ばかりはリベッチオの特等席になっていた。

 

 問題は助手席だった。

 

「……狭い」

 

 足元と脇にも麻袋を置かれ、折り畳んだ膝を抱え込むようにして助手席に収まったガリバルディが、開口一番に言った。

 

「すぐ着くんだから我慢しなさい」

「ローマさん、肘が当たってる」

「我慢しなさいってば!」

 

 提督は荷台に麻袋を山積みしたスーパーカブのエンジンをかけ、アクィラがベスパにまたがる。

 2人は顔を見合わせ、先に行くことにした。

 

「ギアチェンジのたびに膝に手が当たってるっ!」

「我——慢——し——な——さ——い!」

 

 けたたましいエンジン音で走り出したチンクェチェントの方から、ガリバルディとローマの大声が漏れ聞こえてくる。

 提督がスーパーカブのバックミラーを見ると、頭を出したリベッチオが両手で耳をふさいでいた。

 

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 ローマの頬を、窓から入る初夏の風がなでる。

 エンジンの軽い振動が、細いハンドルを通じて手のひらに伝わってくる。

 

「梅雨が来たら、しばらくお別れね」

 

 チンクェチェントは雨に弱い。

 ドアの隙間や幌の継ぎ目から水が入り込み、床が濡れる。

 イタリアの濃い青空の下で生まれたこの車に、日本の長い梅雨はいささか酷というものだ。

 

 助手席のガリバルディが、文句を言うのをやめた。

 

「……うん」

 

 短く、それだけ答えた。

 後席のリベッチオも、そら豆の袋に頬を埋めたまま黙って外を見ていた。

 

 田植えを終えたばかりの水田が、初夏の光を受けてきらきらと輝いている。

 チンクェチェントはエンジンを唸らせながら、三人を乗せて鎮守府への道をトコトコと走った。

 

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 鳳翔の居酒屋の厨房を借り、ローマがエプロンの紐をきゅっと結んだ。

 

 セレベス海の哨戒作戦に行っている、イタリア、ザラの出迎えの昼食。

 メニューは、そら豆としらすのペペロンチーノ。

 

 着任したばかりの頃のローマは、鎮守府のキッチンで提督がナポリタンを作っているのを見て、真顔で部屋に戻ったことがある。

 

 あれはトマトソースではない、ケチャップだ。

 イタリア料理ではない、と。

 

 しらすをパスタに使うと聞いた時も、顔をしかめた。

 

 今ではバター醤油のパスタも好物だし、明太ピザも普通に焼く。

 この鎮守府で暮らしていると、いろいろなものがうつるのだ。

 

 大鍋に湯を沸かしながら、ローマはそら豆の下ごしらえを始めた。

 

 ふっくら膨らんだ莢を裂くと、白い綿に包まれた黄緑の豆が顔を出した。

 そら豆を、沸騰した湯でさっと茹でる。

 

 引き上げて冷水にとり、薄皮を丁寧に剥いていく。

 いわゆる「二度剥き」だ。

 

 このひと手間で、口当たりよく、鮮やかな翡翠色のそら豆に仕上がる。

 

「手伝うわ」

 

 アクィラが隣に並んだ。

 

「リベもやる~♪」

 

 三人並んで薄皮を剥く。

 ガリバルディは黙々と座敷席に皿と食器を並べて、テーブルセッティングをしている。

 

 座敷席の座布団でイタリアン。

 今ではすっかり慣れてしまった。

 

「ただいま。持ってきましたよ」

 

 クーラーボックスを抱えたアブルッツィが、マエストラーレ、グレカーレ、シロッコを連れてやってきた。

 海上護衛任務に名を借りた、食材の調達から戻ったのだ。

 

「姉貴、お疲れ様」

 

 ガリバルディが、アブルッツィからクーラーボックスを受け取り、中身を取り出す。

 

 日本のアマルフィとも呼ばれる、和歌山県雑賀(さいか)崎の「わかしらす」。

 その日の朝に獲れたしらすを釜揚げし、天日干しにした、自然の恵みを最大限享受した逸品だ。

 

「お姉ちゃんたちお帰り~。あれもある?」

「リベ、ただいま。みかんのカッサータも、しっかり買ってきたよ」

 

 シチリア島発祥の伝統的なアイスケーキ「カッサータ」に柑橘類は欠かせない。

 海と山に囲まれた和歌山は、新鮮な魚介類とともに、みかん、梅、ハーブなど、イタリア料理と相性抜群の食材が豊富な地だ。

 

 

 大鍋の湯が、白い湯気を立てて沸き返っている。

 

 ローマがスパゲッティーニを、手際よく鍋に滑り込ませた。

 茹で時間は8分。塩は海水より少し薄いくらい。

 

 隣ではアクィラが複数のフライパンにオリーブオイルを注ぎ、薄切りにしたにんにくを沈める。

 弱火でじっくり。焦がしてはいけない。

 

 やがて厨房に、にんにくの香りが広がり始めた。

 

 

「カブールとポーラも連れて来たよ」

 

 いったん作戦指揮に戻っていた提督と、コンテ・ディ・カブール、ポーラが入ってきた。

 ポーラの手には、どこから調達したのか、すでにワインのボトルが一本ある。

 

「姉さんたちは?」

「もう港に着いたよ。イタリアとザラで制空補助したのが効いたね、完全勝利だった」

 

 ローマの口元が、少しほころんだ。

 

「もうこんなに準備が進んでるんですかー?」

 

 厨房を見渡したポーラが、不満顔で口をとがらせる。

 

「声をかけてくれれば、ポーラもお手伝いしたのにぃ」

「あなたに手伝わせると、まずお酒の準備から始めるでしょ」

「早く言ってくれてれば、もっといいのを持ってきましたよぉ」

 

 アクィラが、小さく吹き出した。

 

「このワシにも黙ってとはどういうことだ? 昼だろうがペペロンチーノには白ワイン、これは法律だ!」

「あー、それはポーラのですぅ!」

 

 カブールにワインを奪われたポーラが騒いでいるが、ローマは涼しい顔で無視し、パスタの茹で加減を確かめる。

 あと2分。

 

 パスタの茹ですぎは罪だ。

 ましてやパスタを折って茹でるなど、7つの大罪にも匹敵する。

 

 いくら変わっても、譲れない一線はある。

 

 

 にんにくが薄く色づいてきたところで、アクィラからフライパンを引き継いだアブルッツィが鷹の爪を加える。

 赤い種がオイルの中でじわりと広がり、香りに鋭い刺激が加わった。

 

 釜揚げしらすをフライパンに加えると、じゅわっと小さな音が上がる。

 しらすの塩気がオイルに溶け出し、ソースに深みが生まれる。

 

「はい、どうぞ」

 

 アブルッツィにうながされ、ローマが茹で上がったパスタをトングで引き上げ、茹で汁を少し加えながらフライパンの中で大きく和える。

 乳化したオイルがパスタにしっかりとからんでいく。

 

 最後に翡翠色のそら豆を加え、二度、三度、大きく混ぜて火を止める。

 すかさず、すりおろしたレモンの皮を散らすと、柑橘の爽やかな香りが湯気とともにふわりと立ち上った。

 

 アクィラはテキパキと、みずみずしいリーフレタスとルッコラをちぎって、木皿に盛っていく。

 薄切りにしたズッキーニと赤玉ねぎを合わせ、オリーブオイルと自家製のハチミツを合わせたドレッシングを回しかけ、ふんわりと和える。

 ミツバチたちが集めた甘い蜜と、大地の恵みの融合。

 

「よしよし」

 

 セレベス海への出撃枠は赤城に譲ったけれど……。

 ()()を含めた総合力ならば、日本の正規空母たちより上でないか(少なくともグラーフ・ツェツペリンとアーク・ロイヤルには圧勝している)と、ひそかに自負するアクィラだった。

 

 

「テートク、こっち、こっち」

「グレちゃんズル~い、そこリベの席~!」

「ふにゃふにゃ、うるさいよぉ」

 

「返してください、それポーラのぉ!」

「やかましい。高速艦ならカーヴまで走って取ってこい」

「え、いいんですか!? ポーラ、全速で行ってきます!」

 

 喧騒が加速していく中、皿に次々とペペロンチーノが盛られていく。

 パスタの国の艦隊は、この鎮守府で元気に暮らしています。

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