風が湿気を帯び始めた、午後の入り。
鎮守府近海の対潜哨戒から、巻雲率いる小さな艦隊が湾内に戻ってきた。
「みんな、お疲れ様! ちゃんと最後まで頑張れて偉かったですよ~」
「はーいっ、できました!」
「ふーふ、ちゃんと頑張ったよ! ちょいヤバな潜水艦もいたけど!」
「みと、皆さんを、守れ……ましたか? 良かった!」
丁型海防艦「第四号海防艦」「第二十二号海防艦」「第三〇号海防艦」。
お互いに呼びにくいので「よつ」「ふーふ」「みと」と愛称をつけ合っている。
夕雲型駆逐艦の次女・巻雲は、見た目こそ幼く小柄だが「駆逐艦のお姉さん」としての矜持はしっかり持っている。
今日の任務でも、海防艦の三人を上手にまとめてみせた。
「みんな、お腹空いたよね~」
「すいたー! よつ、がんばっちゃったから!」
「おなかぺこぺこだよー」
「みとも、とてもお腹が空きました」
桟橋に上がると、潮の香りに混じって、どこからか香ばしい揚げ物の匂いが流れてきた。
ニンニク。生姜。胡麻油。
くんっ、と巻雲の鼻が反応する。
「何の匂いだろう?」
「あっちー! あっちでっす!」
「あっちから来てるよー!」
よつとふーふが指差したのは、小さな赤レンガの倉庫横。
ブルーシートで簡易に囲っただけの、お祭りの夜店のような仮設屋台。
段ボールの裏に油性マジックで殴り書きされた「レバーの竜田揚げ」の文字。
看板の横にもう一枚、小さく「冷えた瓶ビールあり〼」。
・
・
・
「らっしゃい!」
屋台の中で揚げ鍋から振り返りながら威勢よく声をかけてきたのは、軽巡洋艦娘の天龍だった。
奥でステンレスの皿を準備しているのは、姉妹艦の龍田だ。
「天龍さん、龍田さん、お店やってるんですか?」
「豚のレバーがダブついてな。在庫整理だ」
天龍が、菜箸でカラリと揚がったレバーを引き上げながら答える。
「うふふ、お代はお気持ちでね~。提督から、駆逐艦の子たちにはサービス価格で、ってお達しが出てるから」
なるほど、大量仕入れをしている、この鎮守府あるあるの臨時イベントだ。
巻雲は、ちょっとお姉さんぶった顔をしてみせる。
「よつ、ふーふ、みと。今日は巻雲お姉ちゃんがおごってあげますよ~」
「えっ!? いいでっすかー!?」
「ほんとに!? やったー!」
「巻雲さん……とても優しいです!」
目をキラキラさせる三人。
巻雲の口元が、思わず緩んでしまう。
「天龍ちゃん、竜田揚げ四つと、ジュース四つください」
「天龍さんだろ? ジュースはオレンジとリンゴとぶどう、どれにする?」
「よつ、オレンジでっす!」
「ふーふ、ぶどうー!」
「みとは、リンゴをお願いします」
「私はオレンジで」
四人は艤装を邪魔にならないように屋台の脇に置き、ビールケースに段ボールを貼り付けた椅子に陣取った。
ステンレスの皿に、揚げたてのレバーの竜田揚げが、ひとり分ずつ盛られていく。
刻んだキャベツの千切りが下に敷かれ、隅にはくし切りのレモンと、ひとつまみの塩。
卓上には、七味唐辛子と、マヨネーズと、自家製のおろしポン酢。
龍田が紙コップに、それぞれが注文したジュースを注いでくれる。
「いただきます!」
巻雲の合図で、四つの「いただきます」が重なる。
レバーの竜田揚げ。
片栗粉の衣はサクッと軽く、噛むとほろりと崩れて、中からしっとりとしたレバーが現れる。
臭みは全くない。
下味は、生姜とニンニクと醤油、それから少しの日本酒。
胡麻油を効かせた揚げ油が、レバー特有のクセを香ばしさに変えてしまっている。
ねっとりと濃厚で、しかし不思議と重たくない。
レモンをひと搾りすると、爽やかな酸味で口の中がリセットされ、もう一切れ手が伸びる。
「おいしー! ものすごーくおいしいでっす!」
「これ、ヤバいくらいおいしいよ! おかわりしたい!」
「とてもおいしいです……みと、レバー大好きです!」
海防艦たちは、夢中で頬張る。
ふーふは口の周りに揚げ油をテカテカに光らせ、みとはキャベツまできっちり食べている。
よつは、レモンを搾るのが上手にできずに、龍田に手伝ってもらっていた。
巻雲も一切れ口に入れて、目を丸くする。
(うーん、美味しいですぅ!)
・
・
・
「お、やってるな」
よく通る低い声。
新たに屋台に来たのは、重巡洋艦娘の那智だった。
その後ろから、同じく姉妹艦の足柄も歩いてくる。
二人とも軍装ではなく、Tシャツにジーンズ、足元はサンダルというラフな格好だ。
「あら、巻雲ちゃんに海防艦の小さい子たち。お疲れ様」
「足柄さん、那智さん、お疲れ様です!」
巻雲がしゃちこばって挨拶を返す。
よつ、ふーふ、みとは口をモグモグさせたまま、ぺこりと頭を下げた。
「天龍、竜田揚げ二人前とビールを頼む」
「あいよ。お二人さん、今日はもう非番?」
「ええ、徹夜の長時間遠征で疲れたわぁ」
那智と足柄は、巻雲たちの隣のビールケースに腰を下ろした。
すぐに揚げたての竜田揚げがカウンターに置かれる。
その横にクーラーボックスから出された、よく冷えた瓶ビールと、薄手のグラスが二つ。
自分たちのジュースの紙コップとは違う、聖獣のロゴが焼き付けられた繊細なグラス。
そこにトトト、と琥珀色の液体が満ちていく。
「乾杯」
「お疲れ様」
コチン、と軽くグラスを合わせ、那智と足柄が一気に半分ほどあおる。
「っかぁー、昼酒は最高ねぇ」
「これだから明け番のビールはやめられん」
それから、二人はおもむろに七味唐辛子の小瓶を手に取る。
シャカ、シャカ、シャカ。
特に那智は、皿の上の竜田揚げが真っ赤に染まるほどたっぷりと。
遠慮ということを知らない量。
「ンっ、これだ」
「レバーには七味がよく合うのよねぇ」
唐辛子まみれの竜田揚げを口に放り込み、間髪入れずにビールを流し込む。
那智の喉が、ゴクゴクと小気味よく鳴った。
巻雲は、その光景をジッと見つめていた。
なんだか、すごく大人っぽい。
すごく、かっこいい。
ちらり、と隣の海防艦たちを見る。
よつ、ふーふ、みとは、まだ夢中で竜田揚げと格闘していて、こちらに気付いていない。
(……私だって、お姉さんなんだから)
巻雲は、自分の皿に残った最後の二切れを見下ろした。
それから、テーブルの七味唐辛子に、そっと手を伸ばす。
シャカ、シャカ。
那智たちほどではないけれど、それなりに思い切って振りかけてみる。
うっすらと、レバーの表面に赤い粒が散った。
(よしっ、これですぅ)
お姉さんぶった顔で、それでもおそるおそる、一切れをひょいと口に運ぶ。
もぐ、もぐ。
……あれ? 意外と平気。
ピリッとした刺激は、なるほどレバーの甘さを引き立てて——
じわっ
遅れてやってきた、唐辛子のじわじわとした熱。
舌の奥、喉の手前、鼻の奥。
三方向から同時に立ち上がってくる、辛さの本体。
「……っ、」
巻雲の目に、じわっと涙が浮かんだ。
「もう空いたか」
「ビールもう一本お願い」
「は~い。早いわねぇ」
ここで慌ててジュースを飲んだら、那智と足柄に「やっぱり子ども」と思われる気がする。
よつ、ふーふ、みとの前で、お姉さん面が崩れる。
巻雲は、必死の形相で口元を引き締めた。
頬が真っ赤になり、額にじんわり汗が浮かぶ。
「……巻雲おねえちゃん?」
みとが、心配そうに顔を覗き込んできた。
よつとふーふも、何かに気付いて手を止める。
「だ、大丈夫ら゛よぉ。これくらい、ぜ、全然……」
声が裏返った。
「だいじょうぶでっすかー!?」
「ちょいヤバじゃない!? お水持ってくるよ!」
「みとのジュース、飲んでください!」
三人が一斉に巻雲を取り囲む。
さっきまで面倒を見ていたはずの相手に、今度は自分がわらわらと世話を焼かれている。
「あ゛、ありがとう……でも大丈夫、れ゛すからぁ……」
巻雲がそう言いかけたところへ、龍田がすかさず氷水を入れたグラスを差し出してきた。
紙コップではなく、さっき那智たちが使っていたのと同じグラス。
「あらあら~。巻雲ちゃん、お冷やサービスね~」
「……っ、ぐす、ありがとう、ございますぅ……」
差し出された氷水を、巻雲はちょっとだけ涙目で、ありがたく受け取った。
冷たい水が、ヒリヒリした口の中を洗い流していく。
「巻雲おねえちゃん、これ、辛いの?」
よつが、巻雲の皿に残った竜田揚げと七味の小瓶を見比べて、首をかしげている。
「か、辛いから、よつたちはかけちゃダメですよ」
「はーい!」
「ちょいヤバなやつだもんね、わかったー」
「みとは、かけません。ご安心ください」
素直に頷く海防艦たちを見て、巻雲はホッと息をつく。
ステンレスの皿の上、残り一切れになった真っ赤な竜田揚げ。
巻雲はそれをジッと見つめ、覚悟を決めるように深呼吸して、ぱくりと口に入れた。
もぐ、もぐ、もぐ。
「……んっ、おいしい」
今度は、辛さを覚悟していた分、ちゃんと味わえた。
香ばしいレバーと、ピリッとした七味と、下味の醤油と、ジュースの甘さ。
全部が混ざって、なんだかとても満ち足りた味がした。
「ごちそうさまでした!」
みんなで声をそろえて、皿を返しに行く。
「あいよ、また来てくれよな」
「巻雲ちゃん、頑張ったわね~」
龍田に頭を撫でられて、巻雲は照れたように首をすくめた。
その様子を、那智がちらりと横目で見た。
それから足柄に、ぼそりと耳打ちする。
「さっき涙目だったな」
「……言ってあげないで」
足柄が苦笑しながら、ビールを一口あおる。
「でも最後まで食べてたじゃない」
「ああ、見所があるな」
那智が自分の真っ赤な竜田揚げを頬張り、ビールをグビグビと飲み干した。
「さあ、司令官様に報告しに行きますよ~。忘れ物はないですかぁ?」
「はーいっ!」
「みと、確認よし、忘れ物なしです」
屋台の鍋では、次の竜田揚げが、カラリと小気味よい音を立てて揚がり始めている。
今日もこの鎮守府は、平和です。