初夏の陽が、湾の水面をちかちかと弾いている。
「提督ー! いっちばーん乗りで、タケノコ採ってきたよーっ!」
籠いっぱいの淡竹を抱え、執務室に白露が飛び込んできた。
額には玉の汗、得意げな笑みが満面だ。
お寺の脇の竹林。
艦娘たちが秋に間伐し、竹チップを敷き詰めて手入れしてきたあの竹林で、初夏のこの時期だけ採れる、アクの少ない柔らかな淡竹。
みんなで採りに行っていたはずだが、白露は真っ先に提督に見せたくて駆けてきたらしい。
「えへへ、すごいでしょっ?」
「ああ、今年も立派なのが採れたね。白露、ご苦労さん」
提督が籠を覗いて目を細めると、白露は人差し指をぴっと立てて、得意げに鼻を鳴らした。
「まあ……これは」
演習の報告に来ていたトンブリが、白露の籠をのぞき込んで、小さく声をあげた。
褐色の指が、そっと一本の淡竹をつまみ上げる。細い稈を、皮のうぶ毛を確かめるように撫で、みずみずしい切り口にそっと触れた。
「やわらかい……。タイの竹に、よく似ています」
懐かしそうに目を細めて、トンブリは竹を胸もとへ寄せる。
コンコン、と。
開けっ放しのドアが、控えめにノックされた。
「白露さん。階段を、駆け上がってはいけませんよ」
書類の束を抱えた香取が、苦笑まじりに入ってくる。
白露がぺろりと舌を出して首をすくめた。
「あら……淡竹。もう、そんな季節なんですね」
籠を見て、香取がやわらかく目を細める。
それから、淡竹を手にしたまま動かないトンブリに気づいて、小首をかしげた。
「トンブリさん。その竹が、どうかしましたか?」
「あ……いえ。あんまり、故郷の竹によく似ていたものですから」
トンブリは少し恥ずかしそうに、けれど嬉しそうに微笑んだ。
「私の国にも、雨季の前にこうして竹の子を採る習わしがあるんです。ノーマイ——タイの言葉で、竹の子のこと。それをゲーンに……ココナッツミルクで、ことこと煮込むお料理にするんです」
語るうちに、その声がだんだんと弾んでくる。
「淡竹なら、きっと美味しくできます。やわらかくて、アクも少なくて……」
弾んだ声が、ふと緩んだ。
「でも、調味料が……」
「調味料、ですか?」
「ええ。ココナッツミルクや、ゲーンの素になる香辛料……このあたりでは、なかなか手に入らないものですから」
「ああ、それでしたら」
香取が、書類を抱え直して言った。
「街の百貨店に、輸入食材の売り場があったでしょう。タイの調味料も、いくつか置いていたはずですよ。練習巡洋艦ですから、御国の言葉も、少しなら分かるんです」
——もっとも、初めての遠洋航海は、世界の情勢が許してくれませんでしたけれど。
言いかけた言葉を、香取は小さな笑みの奥にしまった。
「百貨店で、タイ語の瓶に見覚えがあって」
「あっ!」
不意に、白露がぴょんと跳ねた。
「ねえねえ提督、トンブリの国の言葉、出撃のときに寄った港で見たことがあるよ!」
「ん、どこで?」
「あそこっ! 南西諸島哨戒で、西に向かったときの鋼材がもらえる港!」
「南西諸島哨戒の西?」
提督は首をひねった。
「ああ、鋼材調達ルートかぁ。もう何年も艦隊を行かせてないよね」
「でも確かに去年、あの港に寄ったよ」
この鎮守府の艦娘たちが出撃する「海域」は、現実の海の続きにあるのではない。
鎮守府の沖合に開いた「門」をくぐった先、深海棲艦の蠢く異空間の海。
そして、「門」と「門」をつなぐ針路は、提督が決めるのではない。妖精さんが回す羅針盤——その指し示す方角だけが、艦隊の進める道となる。羅針盤に逆らってはならない。
それが、妖精さんたちとの古い約束だった。
だが、どんな艦を、どう組み合わせて出撃させるか。
その編成次第で、羅針盤の振れる先を、ある程度制御できるようになってきた。
良い時代になったものです。
そして、この「門」を利用すれば、現実世界の別の海に出ることもできる。
この鎮守府では、釣りや物資の調達に、わりと気軽に使っていた。
「去年……? あれ、なんで西に逸れたんだっけ」
提督が腕を組んで、執務室の天井あたりを見上げた。
鋼材ルートに艦隊を出した覚えなどない。
「あのね、確か——龍驤さんたちと……あっ」
指を折って記憶を手繰っていた白露が、ぱっと顔を上げる。
「時雨もいたよ! あの時、時雨も一緒だったもん」
「時雨が?」
「うん! あの2人なら、きっと覚えてるよ。ちょっと呼んでくるっ!」
言うが早いか、白露は執務室を飛び出して行った。
また開けっ放しにされたドアを閉め、香取がヤレヤレと首を振った。
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ほどなくして、安物のベニヤのドアをノックし、時雨が顔をのぞかせた。
「呼んだ……?」
「何やキミィ、急用って」
白露に背中を押され、龍驤も執務室に入ってくる。
やや息が上がっているのは、白露に急かされて走ってきたのだろう。
「あらあら。時雨さんも龍驤さんも災難でしたね」
「時雨、龍驤。去年さ、艦隊が南西諸島哨戒で西に逸れたこと、あっただろう。あれ、なんでだったか覚えてるかい?」
「デイリーの南西諸島哨戒?」
「鋼材もろうて、お土産にマンゴー買ってきた時やろ?」
マンゴーという言葉に、トンブリがピクリと反応した。
「確か、提督が途中で編成を変えた時だよ」
「ああ……宗谷はんや、演習でケッコン間近になって、出撃に混ぜてくれって。お土産にダサT買っとったの思い出したわ」
「あの海域は、特務艦の宗谷さんや補給艦が艦隊に入っていると、どういうわけか羅針盤が西に固定されるとデータがあります」
眼鏡を持ち上げながら、香取が言った。
「それを説明する間もなく、急に飛び出して……」
「じゃあ、宗谷さんを連れていけば、また同じ港に行けるねっ!」
「待ちなさい」
また飛び出して行こうとする白露の肩を、慌てて香取がつかんだ。
「わざわざ出撃で海外に買いに行かなくても街の……」
「いや、出撃でトンブリ自身に買ってきてもらおう」
今度は提督が香取を制した。
「メンバーはこの部屋にいる、トンブリ、龍驤、香取、白露、時雨、そして宗谷」
トンブリが思わずというように身を乗り出し、香取はまたヤレヤレと首を振った。
「でも僕、午後はヒ船団護衛に出る予定で——」
時雨が、申し訳なさそうに眉を下げる。
「ああ、そっちはいいよ」
提督は、あっさりと言った。
「ヒ船団は別の子に行ってもらうから。時雨は、こっちの補給に回ってくれるかい」
時雨が、ぱちりと瞬きをした。
それから、ふわりと、表情をほどく。
「……うん。ありがとう、提督」
「やったぁ! 時雨も一緒だね!」
白露が両手を突き上げる。
「あ、でも、いっちばーんは譲らないからね!」
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帰りの海は、凪いでいた。
門を抜けた先は、もう見慣れた三陸の空。
初夏の夕凪の中を、六つの航跡がゆるやかに鎮守府へ向かっている。
買い出した荷の大半は、宗谷が引き受けていた。
補給艤装の懐は深い。
缶詰の箱、乾物の袋、市場で見つけた干し海老の束——それでもまだ余裕がある。
「宗谷さん、重くないですか」
トンブリが心配そうに声をかけると、宗谷は首を小さく振った。
「このくらい、南極でのお仕事に比べたら。……それより、トンブリさんこそ」
宗谷の目が、トンブリの腕の中の紙袋に止まる。
「大事なものなんでしょう。しっかり持っていてくださいね」
トンブリが「はい」と答え、袋を抱え直した。
口の閉じきらない紙袋から、甘い香辛料の匂いがかすかにこぼれている。
「ねえねえ、さっきの港でさっ!」
先頭を行く白露が、くるりと振り返った。
「あの看板、トンブリの国の字だったんでしょ! 見た瞬間すっごい顔してたよっ!」
「白露さん、後ろ向きは——」
「ねえ時雨、あの時のトンブリの顔!」
香取の注意をきれいに受け流して、白露が時雨に振る。
「……うん。少し、驚いた」
「恥ずかしいです……。皆さんの前で、はしゃいでしまって」
「何が恥ずかしいん。故郷の字ぃ見て嬉しいの、当たり前やろ」
龍驤が鼻を鳴らし、宗谷が小さく頷いた。
「前に来た時もあの辺、タイの屋台出とったわ。宗谷はんがダサT買うとった時や」
「あ、あれは、お土産ですっ」
宗谷が小さく慌てて、六人の間に笑いがこぼれた。
笑い声が潮風に溶けるのを待つように、トンブリがぽつりと言った。
「お店のおばさんが、タイ語で話しかけてくれたんです」
静かな声だった。
「久しぶりに——母国の言葉で、いらっしゃい、って」
海を往く音だけが、しばらく続いた。
「ほな、はよ帰ろ」
龍驤が少し速度を上げる。
「腹減ったわ。トンブリはんの故郷の味、楽しみにしとるで」
「はい——」
トンブリは紙袋を抱え直して、鎮守府の見える水平線へ顔を上げた。
「とびきりの、作ります」
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紙袋の中身が、調理台の上にひとつずつ並んでいった。
ココナッツミルクの缶が二つ。
ナンプラーの小瓶に、香辛料のペーストの小瓶。
親指ほどの瘤がごつごつとついたショウガの根のような香辛野菜、カー。
香り爽やかなレモングラスの茎が数本。
艶やかな濃い緑の葉の、
そして、
その隣に、白露たちが朝採ってきた淡竹が並ぶ。
二つの国の食材が、狭い調理台の上で初めて顔を合わせた。
トンブリは淡竹の皮をするすると剥き、手際よく切り分けると、鍋にココナッツミルクと赤いペーストを落とした。
じゅっ、と小さな音。
次の瞬間、台所の空気が変わる。
甘いココナッツの香り。
レモングラスの爽やかさ。
唐辛子と香辛料の刺激。
「わっ、なんか急に南国になった!?」
白露が目を丸くする。
「このペーストが『ゲーンの素』です。タイでは竹の子のゲーンは定番なんですよ。ゲーンはスパイスやハーブを使った汁物……カレーみたいなものですね……」
途中、嬉しそうにしゃべっていたトンブリの言葉が尻すぼみになったのは、故郷の料理をうまく説明できないもどかしさからだろう。
ことことと煮える鍋。
トンブリがナンプラーを回し入れる。
発酵した魚醤の匂いが鍋から立ち上がった。
弱火で静かに揺れる煮汁の中で、淡竹がカレー色に染まっていく。
「あら、どんどん染みていきます」
トンブリが鍋をのぞき込んで、少し驚いたような声でつぶやいた。
「タイの竹の子より少しだけ繊維がきめ細かい分、味の入りが早いのかもしれません。淡竹はアクが少なくて……あっ」
香取も鍋をのぞき込んで解説するが、その眼鏡が一瞬で曇っていく。
その言葉に、トンブリが火加減を調整する。
ココナッツと香辛料の入り混じった、甘くて辛い湯気が、台所いっぱいに満ちていく。
「なんだろう……知らない料理なのに、お腹空いてきた」
時雨の呟きに、トンブリが少しだけ誇らしそうに笑った。
仕上げにホーラパーを散らし、トンブリが火を止める。
「できました。ゲーンノーマイです」
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食卓に、大きな土鍋が運ばれてきた。
真っ白なココナッツミルクに、赤い油が細く浮かぶ。
そこへ、淡竹がごろりごろりと顔をのぞかせていた。
湯気の向こうから漂ってくる香りは、不思議だった。
甘いようで甘くなく。
爽やかなようでいて、その奥にじんわりと辛さを予感させる。
「いただきます!」
誰より早く白露がスプーンを差し込み、大ぶりの淡竹をすくい上げる。
「あつっ、あつっ……んっ!」
ふうふうと息を吹きかけてから口へ運ぶと、シャクッとした歯応えのあとに、じゅわりと煮汁があふれた。
「わぁっ!」
思わず目を丸くする。
「辛いんだけど辛くない! なんか甘い! でもあとからピリピリする!」
「どっちやねん」
龍驤が呆れながら自分も口へ運ぶ。
ココナッツミルクのまろやかな甘み。
そのあとを追いかけるように、赤い香辛料の刺激が舌を包む。
噛めば噛むほど、淡竹が煮汁をたっぷり吸っていることが分かった。
「これ……うまいわ」
龍驤が思わず唸る。
「竹の子って和のもんや思っとったけど、こんな食べ方あるんやな」
「本当は、タイ米で食べるものなんですけど……」
トンブリがそう言いながら、おひつの白いご飯を茶碗によそっていく。
「あかん、これ飯泥棒や」
「なるほど。これはお米との相性も抜群ですね」
「南極でも、温かいご飯を囲むと、みんな笑ってて……こういう湯気、なんだか懐かしいです」
「トンブリっ、おかわり!」
「僕も……いいかな?」
みんなの言葉に、トンブリは少しだけ目を潤ませた。
「……はい」
あれほど土鍋いっぱいだった淡竹が、いつの間にか半分を切っていた。
この鎮守府に新しい定番料理が誕生しそうです。